透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「生きてるってことを示したってことだね」

2019-11-03 | A あれこれ

 道路の渋滞情報を聞いて迂回する。午後から雨が降ると朝の天気予報で聞いて傘を持参する。安売りのチラシを見て買い物に出かける。友人が入院したと聞いて見舞いに行く。親しい友人の相談に答える。以上の例示は高次(高いレベル)の情報に対する対応(反応)と言える。私たちはこのように様々な情報を得て、それに対応した行動をするということを日常的に行っている。この様な対応の繰り返しこそが日常生活だと言えなくもない。

また、例えば眩しい日射しに手をかざす、騒音に耳を塞ぐというように低次の情報に対しても常に反応している。医師が患者の眼に光をあてて瞳孔反応を見るというような行為は最も低次の情報(刺激)に対する生体反応の確認だ。

外界からもたらされる様々な情報に対して対応行動をとる、情報を返す、反応するということが生きていることだとも言えるだろう。情報が高次になると、対応は人によって異なる。災害情報を得て、ボランティアに出かけたり、募金したりする人もいるし、そういう対応を全くとらない人もいる。社会的な情報に対してどう対応するかは人それぞれ。これは生き方の問題で、生活観、人生観に根ざすことなのだろう。

私たちが情報発信をするということ、このことを生きているということの証として捉えることもできるだろう。じゃあ、「便りが無いのは良い便り」っていうじゃない、これどういうこと?(*1) などとチコちゃん的なツッコミをされても困るけれど・・・。

「本を出したってことは生きてるってことを示したってことだ、そういうことだね」と妹から言われて、ここしばらく考えていたことを書いてみた。




『あ、火の見櫓!』のお礼にと、いとこは自分で描いた水彩画の絵はがきセットを送ってきてくれた。これは彼が「生きている」というメッセージと捉えればいいのか。なるほど、妹の言ったことが済めた。

*1 チコちゃん、この稿で書いている「生きている」というのはただ単につつがなく生活しているという意味ではないよ。