透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

八ヶ岳美術館

2008-06-09 | A あれこれ


緑が美術館を包む


レースのカーテンが作品を包む(許可を得ての撮影)。



広島世界平和記念聖堂 平面図
新建築「現代建築の軌跡 1995/12月臨時増刊号」より

 昨日(8日)の午後八ヶ岳美術館をおよそ20年ぶりに訪ねた。


建築評論家長谷川尭さんの講演「村野藤吾の八ヶ岳美術館 ―偉大な建築家が残した晩年の傑作―」とレースのカーテンの吊天井の施工を担当した保科功さんの「八ヶ岳美術館のレースのカーテン」を聴いた。

長谷川さんは村野藤吾の作品にはふたつの流れ、即ちモダニストとしての合理的で幾何学的な作品と過去の様式主義者としての非合理な内面、情念の表現があることを指摘した。160枚ものスライドを使っての説明は興味深いものだった。

戦後の作品「広島世界平和記念聖堂」(1955年)にはそのふたつの流れが見られるという。雑誌に出ている平面図(写真)を見ると、なるほど横長のモダニズム建築を長谷川さん言うところの情念が縦に貫いている。それに左端にある祭壇の天井はドームで八ヶ岳美術館に繋がっているという指摘。平面の縦の軸線も八ヶ岳を思わせる。

西宮の聖母修道院は禁欲的な幾何学、箱根樹木園は村野さんの情念。関西大学には幾何学的な校舎と円形の図書館、合理と非合理。作品にはふたつの流れのどちらかが、あるいは両方が表現されている。次第に曲線を多用した「情念」に傾いていったと思うが。

不勉強で村野藤吾の作品について多くを知らない私には興味深い講演だった。

村野藤吾は過去の作品を参照しているという指摘は以前、別の方の講演でも聞いたことがある。ストックホルム市庁舎からきているという森五ビルのファサード。別に村野藤吾に限ったことではないだろう。箱根プリンスホテルのドーナッツ型の計画は中国の客家(はっか)にイメージソースを求めていて、樹木園は四国の民家園(の建物の名前はメモできなかった)からヒントを得たと思うと長谷川さんは指摘していた。

レースのカーテンの天井を施工した保科功さん、現場で村野藤吾とやりとしたエピソードはなかなか興味深かった。貴重な証言を聞いた。

現場主義の村野さん、保科さんの目の前で彼が偶々持っていたスケッチブックを借りてじっと考えた後、線を5、6本引いて「君、これだよ」と言って現場を後にしたという。さてそれが何なのかさっぱり分からない。そこからレースのカーテンのイメージを読み取って試作を繰り返してようやくできた天井(写真中)。

竣工検査でダメ出しされたら会社がつぶれる・・・、保科さんはびくびくしながら待っていたそうで、「これは手づくり、同じでなくていいんだよ」と村野さんは左右対称に出来なくて気にしていた保科さんに言ったとのこと。

工事の途中で村野さんは「自然の木や草を建築がこわしてはいけない、これは岩だよ」と保科さんに美術館について説明したそうだ。ドーム状の屋根の連なりは「岩」だったのか・・・。

地中から噴き出てきたような「岩」の外観。それとは対照的な女性的で柔らかな内部空間。

美術館全体の俯瞰写真をみると、外部はドームの規則的な繰り返しで、村野藤吾の合理的な考え方を読み取ることができる。レースのカーテンがつくる内部の曲面は村野さんの感性の表現、と理解すればいいのだろう。

晩年は柔和な印象の村野さんだが、保科さんと共にギャラリートークに加わった村野藤吾研究会の森義純さんは死ぬまで宮本武蔵だったと村野藤吾を評した。長谷川さんのスライドの一番最初に出てきた若かりし頃の村野藤吾(黒髪でウイスキーグラスを手にしていた)は眼光鋭く、確かに武士のようだった。