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お大師に命のあるを喜びて
般若心経静かに唱ふ 樋田哲夫
松尾寺の大師堂は本堂と渡り廊下でつながり、雨や雪の心配はない。堂宇の周囲は雪が残り冷え冷えとして老体にはこたえる。大師堂に足を踏み入れると奥はうす暗くお姿は判然としないが、現在無事命のあることに感謝して般若心経一巻を唱える。その間不思議に寒さはどこかへ消えている。
般若心経静かに唱ふ 樋田哲夫
松尾寺の大師堂は本堂と渡り廊下でつながり、雨や雪の心配はない。堂宇の周囲は雪が残り冷え冷えとして老体にはこたえる。大師堂に足を踏み入れると奥はうす暗くお姿は判然としないが、現在無事命のあることに感謝して般若心経一巻を唱える。その間不思議に寒さはどこかへ消えている。
私は特定の宗教に傾倒することのない否宗教信者で、無宗教無宗派者です。
就職を機に里を離れる時、祖父から2体の木彫りの人形を持たされました。
「人は何かにつけて、すぐ神頼みをする。それは自分よがりな欲や弱さのせいだったりする。前を向くも後ろを向くも心の持ちようだ。それでもどうしても頼るものが欲しくなったら宗教などに頼らず、これを神様だと思って拝みなさい。」と、否宗教信者の祖父が私を思い彫ってこしらえた男女(夫婦?)の人形です。(とても粗い作りですが。)
私にとって、その言葉と存在、木彫りの人形が心の支えとなっているように、人が宗教を必要とするのには、そのような気持ちや意味合いも少なからず含まれていると思います。
そのようなあらゆる人の思いが注がれ、目に見える造形となった寺社、仏像仏画御経等は、想像を超えた魅力と奥深さがあり、つくづく不思議な力が潜んでいるように感じます。
私事までも、長々と失礼しました。
私も無神論の無宗教者です。しかし、寺院を訪ねることが好きで、仏像、書画、建造物、庭園など見るべき物が沢山あり、心を和ませてくれます。歴史にも触れ、荘厳さの漂う森の雰囲気にもひかれます。
祖父からの2体の木彫りの人形は素晴らしい力となって、あなたの心を支えてくれるのですね。何物にも変えがたい宝物です。一生大切にしてください。