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微笑みを生きる

ナラティブセラピストとして、日々の心の気づきを書いています。また、ケアマネージャーの視点から介護についても記述します

気を感じる

2016-03-30 07:00:02 | 
桜のつぼみが大きく膨らんでいます
今日の陽気で咲き始めてきそう
花が開く直前の木々の気満を持している感じ

気を感じてみる
感じられても、感じられなくても
気をかんじてみるといいですね

心も身体も充実してきます

静かに呼吸を整えながら手の平で
体中で気を感じてみるといいでしょう

息を吸って私は静か

息をはいて私は生きている

いつもともに

みつめる

2016-03-29 06:00:19 | 
みつめる

桜の枝枝をみつめてみますと、形がおもしろいものです

遠くからみつめてみる、近くからみつめてみる

同じ桜でも、一本一本は違います

一本の桜でも一本一本の枝は違っています

みつめてみますといろいろな気づきがあります

朝の風景をみつめてみますと、そこにいろいろな生を感じることができます

一日のはじまりに

呼吸を楽しみながらみつめてみました

息を吸って私は静か

息をはいて私は生きている

いつもともに

命をまっとうする

2016-03-25 06:32:59 | 
外は春の雪

北陸の春は行ったり来たり

やがて桜の季節となってくるのでしょう

庭の木々には小さな緑の芽がぽこぽこと出できています

季節は少しづつ変わり始めていて

そんな季節の変化を楽しむ余裕があるということは

ありがたいことです

自然とともにあり

地球とともにある

人が何を考え、何をしようとも

この地球で生きていかなければならず

この地球は宇宙のちっぽけな存在

私たちに与えられたのは命

ただ与えられた命をまっとうしていけばいいのです

それでいいのです

いつもともに

心地よい言葉とともに

2016-03-24 06:13:43 | 
心地よい言葉が心地よい眠りを誘います

心地よい言葉につつまれて眠ると気持ち良いものです

朝の目覚めも

心地よい言葉で目覚めますといいものです

おはよう、おやすみ

心地よい言葉とともに

息を吸って私は静か

息をはいて私は生きている

いつもともに

無知であること

2016-03-23 06:15:15 | 
無知であることは恥ずかしいことではありません

人がすべてにおいて知っていることは不可能なこと

むしろ知に頼るばかりに大切な何かを感じることができなくなっているのかもしれません

生きるために必要な知があればそれでいいのでしょう

みつめること

みつめることで理解できることがあります

みつめることでもっと知りたいと思うことがあります

たいせつな何かをみつめてみることですね

私もそうしています

朝の呼吸

息をすって私は静か

息をはいて私は生きている

いつもともに

無知であること

2016-03-23 06:15:15 | 
無知であることは恥ずかしいことではありません

人がすべてにおいて知っていることは不可能なこと

むしろ知に頼るばかりに大切な何かを感じることができなくなっているのかもしれません

生きるために必要な知があればそれでいいのでしょう

みつめること

みつめることで理解できることがあります

みつめることでもっと知りたいと思うことがあります

たいせつな何かをみつめてみることですね

私もそうしています

朝の呼吸

息をすって私は静か

息をはいて私は生きている

いつもともに

瞬間を生きる

2016-03-21 07:06:15 | 
不安はその先が見えないから起こること
その先が見えてしまうと
またつまらないこともあります
先が見えてもみえなくてもいいこともそうでないことも
なので
今を生きるにつながるのでしょうね
今を生きる

息を吸って私は静か
息をはいて私は生きている

この瞬間を私は生きています
生きていることを感じています
生きていることをありがたいと感じています

いつもともに

穢れ無き心

2016-03-19 22:03:00 | 
穢れ無き心とは

悲の心

そのものをそのまま受け入れる心

そのものに対して作為をもたず

そのままを受け入れる心

だからときには苦しくなり

ときには悲しくなり

ときには愛おしくなります

そのままを受け入れるから

そのままの心になるのです

言葉ではどんなにとりつくろってみても

心は正直です

そのままの心を受け取るときに

穢れ無きこころはそのものの心になるのです

いつもともに




穢れ無き心

2016-03-19 22:03:00 | 
穢れ無き心とは

悲の心

そのものをそのまま受け入れる心

そのものに対して作為をもたず

そのままを受け入れる心

だからときには苦しくなり

ときには悲しくなり

ときには愛おしくなります

そのままを受け入れるから

そのままの心になるのです

言葉ではどんなにとりつくろってみても

心は正直です

そのままの心を受け取るときに

穢れ無きこころはそのものの心になるのです

いつもともに