微笑みを生きる

ナラティブセラピストとして、日々の心の気づきを書いています。心のケアの参考になれば幸いです

何も無いから何でも有り

2009-04-28 22:25:27 | 生きる
こうあるべきということは何も無いから

何でもありなんだよね

だからこそ

認めることができる

今はそうするしかないのだろう

何が正しいかって

そんなことはわからないよ

この先に何が待っているかは

誰もわからない

でも今生きているそのことが

明日につながっていくのだと思う

今生きているその姿を大切にしていけばそれでいいのだと思う

生きていくために

生きているから

生きていたいから

人はいろいろな道を選択している

そして笑い、悲しむ、悩む

そんな誰かの生きかたを認め

見守り

そして大切にしたい

人生に決められた答えはないのだから

いつもともに
心の避難場所
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ありがたや

2009-04-27 20:19:54 | 生きる
笑顔っていいよな

笑顔がみたいから

ちょっと頭を絞りました

残り少ない人生を楽しんで欲しいから

ちょっと頭を絞りました

明日は知れない命だから

今日を楽しんで欲しいから

ちょっと頭を絞りました

おかげで笑顔を見ることができました

おかげで楽しい時間をともに過ごすことができました

おけげで話を聴くことができました

ありがとうを言われました

ありがとうございますと返しました

あなたがたの笑顔が

私の何よりの喜びだから

ありがとうを返しました

生き生きとした笑顔を見ることができるのは

ほんとうにありがたいことです

いつもともに
心の避難場所
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心友

2009-04-26 20:09:01 | 生きる
変わらないということ

生きていれば

容姿や環境は常に変化をしてくことでしょう

それにともなってわが身もまた変化を遂げていく

いろいろな経験や体験によって

人は知識や知恵を得、人生というものについての悟りや指針を得ることもある

人は変化を続けている、人の周りの環境もまた変化を続けている

それでも変わらないものがある

私は私であっていくら変化を続けても私です

あなたはあなたであっていくら変化を続けてもあなたなのです

そんなあなたと私

周りの環境や自身の変化は続いても

互いを思う心は変わることはないでしょう

心友

それがあなたと私

男と女であっても

人と人であっても

何も変わることなく

心友として生涯を終える

いつもともに
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2009-04-25 13:05:46 | 生きる


みつめてみるといろいろな表情があります



みんなそれぞれ味があります

すねた顔

笑った顔

困った顔

怒った顔

泣いた顔

顔はその人の今を表現しています

顔はその人の人生を伝えています

いろいろな表情は

人間らしさ

人間って

いいですね

いつもともに

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永遠

2009-04-23 03:57:21 | 生きる
人はね

永遠というものに憧れ

永遠というものに苦しむんだけどさ

どんなものにも限りはあるんだよね

限りがあるということを

感じること

受けとめることができたなら

生き方はかわるかもね

今日を精一杯生きているよ

そんな言葉が自然にでてくるかな

いつもともに
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薬草採取

2009-04-22 02:54:45 | 生きる
昨日は久しぶりに近所の万願寺山へ

自転車をこいでえっちらおっちらと

途中から自転車を引きながら山道を登っていきました

この道は竹林がいっぱいあります

手入れされている竹林やら

手入れされずに竹が乱立しているものまでいろいろです

でも道はきれいなので自転車を引いて頂上の方までいけます

反対側から登っていくと実は民家が頂上付近まで建っていて、3つの神社と教会まであるのですが

こちら側は、竹林ばかりの道なのです

途中りんご畑があって、そこからはるか金沢市内、海を眺めながら
ちょっと一休み

万願寺山の頂上には九万坊権現の社があるからでしょうか
竹林でないところにはカキドオシやみつばイカリソウが自生しています。そして住宅街からすぐの場所なのにやっぱり空気が違っているのです。不思議ですね

今日のお目当ては「カキドオシ」、そして「やまうこぎ」
だれも見向きもしない、ほっておけば、そのまま雑草や雑木として刈られてしまうものなんだけど、貴重な薬草なのです。
そしてカキドオシの可憐な花は心をなごませてくれます

小さな自然が残っている山は本当は人の生きるをサポートしてくれる大切な資源がいっぱいあるのだけど、山菜やお金になるものは注目されるけれど、そうでないものはあまり見向きもされないようですね

自然を何と見るかだけれど、自然は人の生活の大切な資源で、どれもが必要なものなんだけどな

知らずにみている雑木や雑草といわれるものたち、ほんとうはひとつひとつに名前があり、ひとつひとつに人の生活をサポートしてくれる機能があります。そんなことに人々が気づいたときに、この地球はきっと変化を遂げるでしょうね

それは人も一緒で、有名でなくても、マスコミで取り上げられなくてもひとりひとりに魅力的で貴重な個性や才能、能力があって、みつめていけばひとりひとりがすばらしい。そのことに社会が気づきはじめたときにこの地球は変化を遂げるかもしれない。

情報というものがマスから個に変化したときにきっと何かが変わってくることでしょう

いつもともに
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感動は経験によって違ってくる

2009-04-20 22:29:16 | 生きる
感動は経験によって違ってくる

経験

人は経験した数だけ

感動もまた豊かになってくる

同じ経験をしたものの言葉は

心に共感と感動をともなって沁みてくる

若さとは

経験不足とは

残念ながら他者の心を共感せよと言っても無理なことがある

言葉の持つ重み

それもまた

経験がその重みを知るのである

悲しみを知っているものは他者の悲しみに寄り添い

苦しみを知っているものは他者の苦しみに寄り添うことができる

あなたがより豊かな心を持ちたいのなら

他者の心の中に

他者の苦しみの中に

他者の悲しみの中に

入っていくことである

優しさとは

他者の心を知ることである

豊かな経験は

感情に流されない心を創り

ただ他者の心をみつめ受け入れる心の器を備えるでしょう

人にふれ

人の心にふれ

人のこころをみつめ

人の心の中に入ってみるといいだろう

それがより豊かな心を創っていくことでしょう

いつもともに
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よりそう

2009-04-20 02:11:52 | 生きる
昨日はディの日曜出勤でした

実はこの日、ホスピスケアをテーマとしたDVD鑑賞会を企画しそれも兼ねての日曜出勤でした

ホスピスケアの現場からの言葉はとても感じるものがありまた、あらためて生の大切さ、心のケアの大切さ、寄り添うことの大切さそして感じることの大切さを実感したのでした。

日曜日はショートステイの方がお二人いらっしゃいました。

そのうちのお一人と約2時間じっくりと語り合うことができました
多少認知が入ってはいるのですが、ふだん強気の発言ばかりされ、けっこう我の強い方にみられるのですが、今日は初めて自己の中にある弱さについて語ってくれました。プライドの強い分、他人に弱っている自分を見せたくないということが自分の弱さなんだとおしゃっていました。
自分の弱さについて語られる時のお顔はとても穏やかなお顔をされていました。ついついその弱さに対して励ましの言葉をかけてしまいがちです。でもきっとその方は励ましではなく自分の本音を聴いて欲しかったのでしょう。この方に自分は何ができるのだろうかとただそのことだけが心に残っています。

本音を語る時の人の顔はとても良い顔になります。
心に寄り添う、これは根気のいることかもしれません
こちら側の思いを押し付けるのではなく
その人の心の思いを引き出しただその思いを静かに聴く
その人の心を感じる、ときにはその思いを感じることが辛い時もあります、それでも静かにその思い向き合いそしてそれを受け入れる

つい自己の思いが強いとそれに対して説得しようとしがちになって、不毛な議論の場になることもあります

心によりそう、静かに聴き、そして受け入れ、ただ感じるままに伝える
簡単そうでとても難しいものです

いつもともに
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自己中・知る・無

2009-04-18 22:51:20 | 生きる
自己中ってなんだろうね

自分のことしか考えていないということなんだけど

人はみな誰も自分の思いを実現するために生きているんではないかな

仏陀は、妻や子を残して自らの道を歩み続け

マザーテレサは家族との別離を決意してキリストの使途として道を歩み続けたのだしね

誰かが喜べば他の誰かが泣いているのかも知れない

それが社会というものなんだよね

そしてね

人生の選択肢はいつも自らにゆだねられているんだということかな

自己中とは人生の選択の責任を他者に転嫁することだろうね

自己の思いを実現のために自己が選択したのだから、その責任は自己にふりかかかってくるのが当然のことでそれを自己の責任として引き受けるか、他者に転嫁しようとするかで自己中でないか自己中なのかということになるんだと思うよ

知るということ

知らないでいた方が幸せなこともある
知ってしまったために苦悩することもある
知らないほうが幸せなら知らないこともまた良いことではないだろうか

良心とはなんだろうか、すべてに正直なことが良心なのだろうか
ときには偽善者としてふるまうこともまた良心ではないだろうか

決められたことは何も無い、何も無いからすべてがあり、すべてが良しとするのである

あなたはあなたの思う道を歩めばいい、そこにいろいろと気づきが用意されているはずだから

いつもともに
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しょうがないこと

2009-04-18 02:29:41 | 生きる
世の中にはどうにもならないことがいっぱいある

我慢しようとしても

だめだと思っていても

そしてそのときはその選択枝しか思い浮かばなかったことが

あとから後悔という形で襲ってくることも

しょうがないことがいっぱいある

しょうがないことは

しょうがないこと

どうにもならないことは

どうにもならないこと

そのことを後悔するよりも

そのことを気づきとして

前に歩んでいければいいね

そこに苦しみから逃れるヒントがあるのかも

いつもともに
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優しさ・表情・癒し

2009-04-17 02:43:32 | 生きる
最近デイの利用者さんに優しいねと言われます

優しさってなんでしょうね

やっぱり好きってことかな

好きだから優しくなれるのかも

なんていうのかな

その表情がたまんないんだよね

とても優しい表情になるんだよね

その優しい表情にまた癒されて

さらに優しくなれるんだよね

優しさのキャッチボールかな

同じ顔をみるなら観音様のような優しい表情をみたいよね

般若のような表情はあまりみたくないからね

だから優しさを伝えているのかな

人は般若の表情にも観音の表情にもなるのだけれど

今は般若の表情でもいつか観音になりますようにと

それが癒しかな

癒しって特別なものではないと思うよ

特別な技術がいるわけでもない

うまくいえないけれど

癒しの力っていうものは自然に体のなかから湧いてきます

わかるんだよね

自分が今そうなっているって

そんなときに人に接していると

その人の顔がとてもいい顔しているんだよね

きっとそのときは何も求めずただ与えているだけなのでしょうね

いろいろな人にいただいている優しさ

優しさをあなたにもおすそ分けします

いつもともに
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存在

2009-04-15 17:29:20 | 生きる
そばにいてくれないから

会えないから

声が聞けないから

寂しい

孤独

でもそれは本当の寂しさや孤独じゃないんだろうね

きっと甘えられる相手

よりかかる相手がいないということなんだろうね

だって24時間そばにいたら

24時間話をしていたら

それで心が埋められるかというと

きっとそうではないと思うよ

なんだろうね

先日遠く離れて生きている大切な人から一通のメールが届きました

「あなたのために生きていく」

そういうことだと思うよ

そばにいなくても

いつも声を聴くことができなくても

そこに存在を感じ

心を感じることができますか

それはね理解するとか認め合うとかそういうものでもない

ただその存在そのものが生きる喜びなのかもしれない

愛ということなのかな

社会という現実のなかで

思いどおりにならないことはいっぱいあるよ

でもね

心というものだけはどこにでもとんでいけるし

どこにでも感じることができる

絶対的な愛かな

そういうものを知ったなら

きっと迷いはなくなるだろうね


あなたと私

存在そのものが生きる糧となれたなら

幸せです

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答えない

2009-04-14 20:43:29 | 生きる
問われても答えることはなく

なぜならあなたはその答えを知っているから

答えはすべてあなたの中にあるのだから

あなたはそれを知っていて問うてくる

なぜ問うてくるのか

それは認めて欲しいから

肯定して欲しいから

何も指示しない

それが指導者としてのもっともよい指導の仕方だろう

それは

なにがあっても認めることができるから

何があっても包むことができるから

あなたには自由の翼がある

自由に羽ばたけばいい

そして疲れたらいつでも

翼を休めにおいで

私は

いつも

あなたの帰る場所として

両手と心を広げて待っている


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幸せはいつも誰かの犠牲の元に

2009-04-13 07:30:16 | 生きる
幸せ

幸せに浸っているときは

まわりがみえなくなっているのかもしれない

今の幸せをみつめていけば

きっとみえてくるものがある

泣いている人

我慢をしている人

今の幸せを支えている人

いろいろな人の姿がみえてくる

今の幸せは誰かの犠牲のもとに成り立っている

ありがとうの言葉

いつも忘れないでいたい

いつもともに
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地蔵菩薩のように

2009-04-10 20:53:02 | 生きる
心を透明に保ちながら

決して作為の気持ちを持たない

人の悲しみ

苦しみ

欲望

すべてを受け入れる

道を示すこともなく

ただ歩く姿をみつめている

ただそれだけのことなのだけれど

自らの中に少しでも欲があると

自己を狂わせ他者を狂わすことことにもなる

何も持たず

何も与えず

ただみつめ

ただ受け入れなさい

それが地蔵菩薩の癒しなのである

いつもともに
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