昨日は学校行事で子供たちの探検の付き添いでした
初めは列を作って、一定の秩序を保って歩いていたのですが・・・
20分位たって最初の目的地に着いたとたんに、なんだか怪しくなって
子供がだいたい集中できる時間は約20分くらいといいますが
まさにその通りかな、それからは、だらだらと、親は後方から黙って見
守ってと言われていましたが、そういうわけにもいかず、ときどき合の手を入れることに
今何時だったっけ、あとどこへ行かなくてはいけないんだったっけ等々
約2時間の探検は、時間の遅れもあっていつのまにか痴話げんかにまで
疲労の限界もあったのでしょうね、いつもまにか団体で行動が個人主義に変化していく
リミットを見極める、これは大切なことなんでしょうね
ここを誤ると思わぬ事故につながることもあるのでしょう
自主性に任せるといってもそこには限界があって、例えば心の問題の解決は本人のなかに答えがあるといっても、それを引き出すカウンセラーやセラピストが必要なように、その限界を見極めていく人が必要となってくる
逆を言えばその限界を経験することで、人はまたいろいろな気づきとともに、強くなっていくのだと思う
ぬるま湯のなかに使っていては、人はそこから動くことができないのかもしれないけれど、リミットを見極めないと人は立ち上がれなくなってしまうのかもしれない
自立や自主性という言葉は大切だけど、そこには、それを見守り、そして支える心が必要となってくる
ともに生きるということ、相互存在とは双方の自主性、自立ということをおもんじながらも、リミットを見極めて介入することも必要でである
仏は何も言うことなくただあなたに道を示しているが、ときには菩薩となって、あなたを支えていく
いつもともに
リトリート