みちしるべの伝説

音楽と希望は刑務所でも奪えない。

小池昌代さん~マクダウェルの「野ばらに」

2008年01月16日 | 
このところ、小池昌代さんの「タタド」「裁縫師」「ルーガ」を続けて読んだ。
小池さんの文章、すっきり、くっきりしてるし、詩的な比喩、表現がとても素敵だなと思う。時折、顔を覗かせるエロティシズムの蕾や花もいい感じ。

あと、人間の暗い側面、孤独だったり、死だったり、喪失だったりが、よく出てきて、けっこう重かったりもするが、上っ面だけでない、人間性への深い洞察があると思う。

あと、決定的にいいなと思ったのは、以下のようなピアノについての一節に出会ったからだろうか。

裁縫師に収められた「野ばら 」より
 美知子の弾ける曲はいくつもない。とりわけ好きなのは、マクダウェルの「森のスケッチ」と題された一連の曲だ。その楽譜の冒頭にあるのがTo a Wild Rose「野ばらに寄す」という一曲で、父が好きで美知子にすすめたものである。地味な小曲だが愛らしい。父はこの曲が、素朴な美知子にとても似合うといった。美知子はバラでも、野ばらある。野ばらは風姿はあでやかではない。だが、なかなか香りがよいのである。
 最初は片手ずつ。右手、左手。つっかえてもいい、毎日、少しずつ、少しずつ、とにかく、毎日、ピアノに触ること。昨日よりも今日は、少しだけ進んでいる。
いつかかならず、「野ばらに寄す」を、譜面なしで弾けるようになる。そのとき「野ばら」は美知子自身だ。なんでもいい、一曲だけでいい、ひとつの曲をしあげてみな。弾けるようになるっていうのは、素晴らしいことなんだ。音楽が流れだすってことは、血が流れだすこと。それが生きるってことなんだから。
 父はそう言って、美知子をピアノの前に座らせた。
 鍵盤に指をしずめる。すると鍵盤のそこのほうからも、美知子をかすかに押し上げるものがある。その抵抗が美知子にはうれしい。ピアノと静かに対話しているようである。
 美知子はそうして日々、ピアノに向かった。やがて「野ばらに寄す」を暗譜で弾けるようになった。弾いているあいだは、なにもかもを忘れていた。自分のことをも忘れていた。それはすばらしい「無の時」だった。

ピアノの魅力、面白さが、うまく表現されてると思う。作者、恐らくは、ピアノを弾かれる方なんだろうなと思う。ピアノの喜びを知る人でないと、こうは書けないだろう。他の作品にも、人から譲り受けたピアノの中から手紙が出てくる話もあったなあ。

ということで、強引にピアノ的にしてしまった感もありますが、小池さんの作品、お勧めですね。

ちなみに、マクダウェルの「野ばらに」はこちらで、視聴できて、楽譜も入手できます。少し不安感が入り混じりつつ詩的な曲で、なるほど、小池さんの作品とうまく符合するなと思う。

裁縫師
小池 昌代
角川書店

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