みちしるべの伝説

音楽と希望は刑務所でも奪えない。

貝殻を拾う!

2021年06月25日 | 雑記
1週遅れだけど、6/18の高橋源一郎/飛ぶ教室、巻頭後半の話がとても響く内容だったので、
ちょっと長いけれど、文字に起こしておこう。

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先日海岸に散歩に行こうとすると、珍しく妻が一緒についてきました。
そして海岸に着くとゆっくり歩きながら、貝殻を拾い始めたのです。
知人から何か細工に使うために拾ってきてほしいと言われたようでした。
「どんなのを拾えばいいの?」と僕が尋ねると、
「自分で綺麗と思ったもの」と妻は言いました。
だから普段なら早く歩く僕も貝殻を拾いながら、いつもよりずっとゆっくり歩きました。
あたりの様子を窺いながら。
晴れた日で、海岸のあちこちに若いカップルがくっついて座り、海の向こうを眺めていました。
いい風景だと思いました。
家に戻ると妻は拾ってきた貝殻を大きな皿にあけ、リビングのテーブルの上に置きました。
そして僕たちはしばらく、その皿の上の貝殻たちを眺めていました。
「いいね」と僕は言いました。「なんだかすごく」
「そうね」と妻も言いました。「海岸の砂の上にあった時はそんなこと感じなかったのにね。」
そうです。砂の上には貝殻などありふれていて誰も気に留めません。
けれど、それがいったん皿の上に乗せられ、テーブルの上に置かれると、燦然と輝くように見えたのでした。
命を持っていた体はとうに無くなって、ただ殻だけが残ったのに。
その美しさに気づくためには、いったん家まで遠くまで運んでゆく必要があったのでした。
もっといろいろ考えてみたいなと思いました。
そこには考えるべき何かがあるような気がしたからです。
でも、もういい! 十分だ!
この貝殻を知人に進呈したら、この次は自分たちのために貝殻を拾いに行こう、そう思ったのでした。
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NHK R1 6/18高橋源一郎 飛ぶ教室 より
https://www4.nhk.or.jp/gentobu/

確かに、いろいろ考えてみたくさせるエピソードだ。
「貝殻」は「美」や「大切なもの」の比喩として読み替えることができそう。
作家にとっては、後世に残す自身の著作も「貝殻」かもしれない。
意図しない美、場所を変えて見えてくる美・・・、現代アートのヒントがになりそう。

でも、最後の段で「もういい、十分だ!」(It's enough!)となってみて、あれこれ考えを巡らすことは野暮なことかもしれない、と思った。
そう、素直に、何も考えずに、貝殻を拾いに行こう!

お宝発見! こんなYoutubeが!
高橋源一郎の飛ぶ教室「冒頭集 2020」


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