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墨子 巻十五 號令(原文・読み下し)

2022年12月25日 | 新解釈 墨子 現代語訳文付
墨子 巻十五 號令(原文・読み下し・現代語訳)
「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」準拠

《號令》:原文
安國之道、道任地始、地得其任則功成、地不得其任則労而無功。人亦如此、備不先具者無以安主、吏卒民多心不一者、皆在其将長。諸行賞罰及有治者、必出於王公。數使人行労賜守邊城関塞、備蠻夷之労苦者、挙其守率之財用有餘、不足、地形之當守邊者、其器備常多者。邊縣邑視其樹木悪則少用、田不辟、少食、無大屋草蓋、少用桑。多財、民好食。
為内堞、内行棧、置器備其上、城上吏卒養、皆為舍道内、各當其隔部。養什二人。為符者曰養吏一人、辨護諸門、門者及有守禁者、皆無令無事者得稽留止其旁、不従令者戮。
敵人且至、千丈之城、必郭迎之、主人利。不盡千丈者勿迎也、視敵之居曲衆少而應之、此守城之大體也。其不在此中者、皆心術與人事参之。凡守城者以亟傷敵為上、其延日持久以待救之至、明於守者也。不能此乃能守城。
守城之法、敵去邑百里以上、城将如今、盡召五官及百長、以富人重室之親、舍之官府、謹令信人守衛之、謹密為故。
及傅城、守将営無下三百人、四面四門之将、必選擇之有功労之臣及死事之後重者、従卒各百人。門将并守他門、他門之上必夾為高樓、使善射者居焉。女郭、馮垣一人、一人守之、使重室子。
五十步一撃。因城中里為八部、部一吏、吏各従四人、以行衝術及里中。里中父老小不挙守之事及會計者、分里以為四部、部一長、以苛往来、不以時行、行而有他異者、以得其姦。吏従卒四人以上有分者、大将必與為信符、大将使人行守操信符、信不合及號不相應者、伯長以上輒止之、以聞大将。當止不止及従吏卒縦之、皆斬。諸有罪自死罪以上、皆遝父母、妻子、同産。
諸男女有守於城上者、什、六弩、四兵。丁女子、老少、人一矛。
卒有驚事、中軍疾撃鼓者三、城上道路、里中巷街、皆無得行、行者斬。女子到大軍、令行者男子行左、女子行右、無並行、皆就其守、不従令者斬。離守者三日而一徇、此所以備姦也。
里正與皆守宿里門、吏行其部、至里門、正與開門内吏。與行父老之守及窮巷幽閒無人之處。姦民之所謀為外心、罪車裂。正與父老及吏主部者、不得皆斬、得之、除、又賞之黄金、人二鎰。
大将使使人行守、長夜五循行、短夜三循行。四面之吏亦皆自行其守、如大将之行、不従令者斬。
諸灶必為屏、火突高出屋四尺。慎無敢失火、失火者斬、其端失火以為事者、車裂。伍人不得、斬、得之、除。救火者無敢讙譁、及離守絕巷救火者斬。其正及父老有守此巷中部吏、皆得救之、部吏亟令人謁之大将、大将使信人将左右救之、部吏失不言者斬。諸女子有死罪、及坐失火皆無有所失、逮其以火為乱事者如法。
圍城之重禁、敵人卒而至厳令吏民無敢讙囂、三最、並行、相視、坐泣流涕、若視、挙手相探、相指、相呼、相麾、相踵、相投、相撃、相靡以身及衣、訟駮言語及非令也而視敵動移者、斬。伍人不得、斬、得之、除。伍人踰城歸敵、伍人不得、斬、與伯歸敵、隊吏斬、與吏歸敵、隊将斬。歸敵者父母、妻子、同産皆車裂。先覚之、除。當術需敵離地、斬。伍人不得、斬、得之、除。
其疾門卻敵於術、敵下終不能復上、疾門者隊二人、賜上奉。而勝圍、城周里以上、封城将三十里地為関内侯、輔将如令賜上卿、丞及吏比於丞者、賜爵五大夫、官吏、豪傑與計堅守者、十人及城上吏比五官者、皆賜公乗。男子有守者、爵人二級、女子賜錢五千、男女老小先分守者、人賜錢千。復之三歳、無有所與、不租税。此所以勧吏民堅守勝圍也。
卒侍大門中者、曹無過二人。勇敢為前行、伍坐、令各知其左右前後。擅離署、戮。門尉晝三閲之、莫、鼓撃門閉一閲、守時令人参之、上逋者名。鋪食皆於署、不得外食。守必謹微察視謁者、執盾、中涓及婦人侍前者、志意、顏色、使令、言語之請。及上飲食、必令人嘗、皆非請也、撃而請故。守有所不説謁者、執盾、中涓及婦人侍前者、守曰断之、衝之、若縛之。不如令、及後縛者、皆断。必時素誡之。諸門下朝夕立若坐、各令以年少長相次、旦夕就位、先佑有功有能、其餘皆以次立。五日官各上喜戲、居處不莊、好侵侮人者一。
諸人士外使者来、必令有以執将。出而還若行縣、必使信人先戒舍室、乃出迎、門守乃入舍。為人下者常司上之、隨而行、松上不隨下。必須XX隨。
客卒守主人、及其為守衛、主人亦守客卒。城中戍卒、其邑或以下寇、謹備之、數錄其署、同邑者、弗令共所守。與階門吏為符、符合入、労、符不合、牧、守言。若城上者、衣服、他不如令者。
宿鼓在守大門中、莫、令騎若使者操節閉城者、皆以執圭。昏鼓鼓十、諸門亭皆閉之。行者断、必繫問行故、乃行其罪。晨見掌文、鼓縦行者、諸城門吏各入請籥、開門已、輒復上籥。有符節不用此令。寇至、樓鼓五、有周鼓、雑小鼓乃應之。小鼓五後従軍、断。命必足畏、賞必足利、令必行、令出輒人隨、省其可行、不行。號、夕有號、失號、断。為守備門而署之曰某程、置署街街衢階若門、令往来者皆視而放。諸吏卒民有謀殺傷其将長者、與謀反同罪、有能捕告、賜黄金二十斤、謹罪。非其分職而擅取之、若非其所當治而擅治為之、断。諸吏卒民非其部界而擅入他部界、輒收、以屬都司空若候、候以聞守、不收而擅縦之、断。能捕得謀反、賣城、踰城歸敵者一人、以令為除死罪二人、城旦四人。反城事父母去者、去者之父母妻子。
悉挙民室材木、瓦若藺石數、署長短小大、當挙不挙、吏有罪。諸卒民居城上者各葆其左右、左右有罪而不智也、其次伍有罪。若能身捕罪人若告之吏、皆構之。若非伍而先知他伍之罪、皆倍其構賞。
城外令任、城内守任、令、丞、尉亡得入當、満十人以上、令、丞、尉奪爵各二級、百人以上、令、丞、尉免以卒戍。諸取當者、必取寇虜、乃聴之。
募民欲財物粟米以貿易凡器者、卒以賈予。邑人知識、昆弟有罪、雖不在縣中而欲為贖、若以粟米、錢金、布帛、他財物免出者、令許之。傳言者十步一人、稽留言及乏傳者、断。諸可以便事者、亟以疏傳言守。吏卒民欲言事者、亟為傳言請之吏、稽留不言諸者、断。
縣各上其縣中豪傑若謀士、居大夫、重厚口數多少。
官府城下吏卒民家、前後左右相傳保火。火発自燔、燔曼延燔人、断。諸以衆彊凌弱少及彊姦人婦女、以讙譁者、皆断。
諸城門若亭、謹候視往来行者符、符傳疑、若無符、皆詣縣廷言。請問其所使、其有符傳者、善舍官府。其有知識、兄弟欲見之、為召、勿令里巷中。三老、守閭令厲繕夫為答。若他以事者微者、不得入里中。三老不得入家人。傳令里中有以羽、羽在三所差、家人各令其官中、失令、若稽留令者、断。家有守者治食。吏卒民無符節、而擅入里巷官府、吏、三老、守閭者失苛止、皆断。
諸盜守器械、財物及相盜者、直一錢以上、皆断。吏卒民各自大書於桀、著之其署隔。守案其署、擅入者、断。城上日壹発席蓐、令相錯発、有匿不言人所挾蔵在禁中者、断。
吏卒民死者、輒召其人、與次司空葬之、勿令得坐泣。傷甚者令歸治病家善養、予医給薬、賜酒日二升、肉二斤、令吏數行閭、視病有瘳、輒造事上。詐為自賊傷以辟事者、族之。事已、守使吏身行死傷家、臨戶而悲哀之。
寇去事已、塞禱。守以令益邑中豪傑力門諸有功者、必身行死傷者家以弔哀之、身見死事之後。城圍罷、主亟発使者往労、挙有功及死傷者數使爵禄、守身尊寵、明白貴之、令其怨結於敵。
城上卒若吏各保其左右、若欲以城為外謀者、父母、妻子、同産皆断。左右知不捕告、皆與同罪。城下里中家人皆相葆、若城上之數。有能捕告之者、封之以千家之邑、若非其左右及他伍捕告者、封之二千家之邑。
城禁、使、卒、民不欲寇微職和旌者、断。不従令者、断。非擅出令者、断。失令者、断。倚戟縣下城、上下不與衆等者、断。無應而妄讙呼者、断。縦失者、断。誉客内毀者、断。離署而聚語者、断。聞城鼓聲而伍後上署者、断。人自大書版、著之其署隔、守必自謀其先後、非其署而妄入之者、断。離署左右、共入他署、左右不捕、挾私書、行請謁及為行書者、釋守事而治私家事、卒民相盜家室、嬰兒、皆断無赦。人挙而籍之。無符節而横行軍中者、断。客在城下、因數易其署而無易其養、誉敵、少以為衆、乱以為治、敵攻拙以為巧者、断。客、主人無得相與言及相籍、客射以書、無得誉、外示内以善、無得應、不従令者、皆断。禁無得挙矢書、若以書射寇、犯令者父母、妻子皆断、身梟城上。有能捕告之者、賞之黄金二十斤。非時而行者、唯守及摻太守之節而使者。
守入臨城、必謹問父老、吏大夫、諸有怨仇讐不相解者、召其人、明白為之解之。守必自異其人而籍之、孤之、有以私怨害城若吏事者、父母、妻子皆断。其以城為外謀者、三族。有能得若捕告者、以其所守邑、小大封之、守還授其印、尊寵官之、令吏大夫及卒民皆明知之。豪傑之外多交諸侯者、常請之、令上通知之、善屬之、所居之吏上數選具之、令無得擅出入、連質之。術郷長者、父老、豪傑之親戚、父母、妻子、必尊寵之、若貧人食不能自給食者、上食之。及勇士父母親戚妻子皆時賜酒肉、必敬之、舍之必近太守。守樓臨質宮而善周、必密塗樓、令下無見上、上見下、下無知上有人無人。
守之所親、挙吏貞廉、忠信、無害、可任事者、其飲食酒肉勿禁、錢金、布帛、財物各自守之、慎勿相盜。葆宮之牆必三重、牆之垣、守者皆累瓦釜牆上。門有吏、主者門里、筦閉、必須太守之節。葆衛必取戍卒有重厚者。請擇吏之忠信者、無害可任事者。
令将衛、自築十尺之垣、周還牆門、閨者、非令衛司馬門。
望気者舍必近太守、巫舍必近公社、必敬神之。巫祝史與望気者必以善言告民、以請上報守、守獨知其請而已。無與望気妄為不善言驚恐民、断弗赦。
度食不足、食民各自占、家五種石升數、為期、其在蓴害、吏與雑訾、期盡匿不占、占不悉、令吏卒覹得、皆断。有能捕告、賜什三。收粟米、布帛、錢金、出内畜産、皆為平直其賈、與主券人書之。事已、皆各以其賈倍償之。又用其賈貴賤、多少賜爵、欲為吏者許之、其不欲為吏、而欲以受賜賞爵禄、若贖出親戚、所知罪人者、以令許之。其受構賞者令葆宮見、以與其親。欲以復佐上者、皆倍其爵賞。某縣某里某子家食口二人、積粟六百石、某里某子家食口十人、積粟百石。出粟米有期日、過期不出者出王公有之、有能得若告之、賞之什三。慎無令民知吾粟米多少。
守入城、先以候為始、得輒宮養之、勿令知吾守衛之備。候者為異宮、父母妻子皆同其宮、賜衣食酒肉、信吏善待之。候来若復、就閒、守宮三難、外環隅為之樓、内環為樓、樓入葆宮丈五尺為復道。葆不得有室。三日一発席蓐、略視之、布茅宮中、厚三尺以上。発候、必使郷邑忠信、善重士、有親戚、妻子、厚奉資之。必重発候、為養其親、若妻子、為異舍、無與員同所、給食之酒肉。遣他候、奉資之如前候、反、相参審信、厚賜之、候三発三信、重賜之。不欲受賜而欲為吏者、許之二百石之吏。守珮授之印。其不欲為吏而欲受構賞禄、皆如前。有能入深至主國者、問之審信、賞之倍他候。其不欲受賞、而欲為吏者、許之三百石之吏。扞士受賞賜者、守必身自致之其親之其親之所、見其見守之任。其欲復以佐上者、其構賞、爵禄、罪人倍之。
出候無過十里、居高便所樹表、表三人守之、比至城者三表、與城上烽燧相望、晝則挙烽、夜則挙火。聞寇所従来、審知寇形必攻、論小城不自守通者、盡葆其老弱粟米畜産。遺卒候者無過五十人、客至堞去之。慎無厭建。候者曹無過三百人、日暮出之、為微職。空隊、要塞之人所往来者、令可以跡者、無下里三人、平明而跡。各立其表、城上應之。候出越陳表、遮坐郭門之外内、立其表、令卒之半居門内、令其少多無可知也。即有驚、見寇越陳去、城上以麾指之、遮坐撃鼓正期、以戦備従麾所指、望見寇、挙一垂、入竟、挙二垂、狎郭、挙三垂、入郭、挙四垂、狎城、挙五垂。夜以火、皆如此。
去郭百步、牆垣、樹木小大盡伐除之。外空井、盡窒之、無令可得汲也。外空窒盡発之、木盡伐之。諸可以攻城者盡内城中、令其人各有以記之。事以、各以其記取之。事為之券、書其枚數。當遂材木不能盡内、即焼之、無令客得而用之。
人自大書版、著之其署忠。有司出其所治、則従淫之法、其罪射。矜色謾正、淫囂不静、當路尼衆、舍事後就、踰時不寧、其罪射。讙囂駴衆、其罪殺。非上不諫、次主凶言、其罪殺。無敢有楽器、獘騏軍中、有則其罪射。非有司之令、無敢有車馳、人趨、有則其罪射。無敢散牛馬軍中、有則其罪射。飲食不時、其罪射。無敢歌哭於軍中、有則其罪射。令各執罰盡殺、有司見有罪而不誅、同罰、若或逃之、亦殺。凡将率門其衆失法、殺。凡有司不使去卒、吏民聞誓令、代之服罪。凡戮人於市、死上目行。
謁者侍令門外、為二曹、夾門坐、鋪食更、無空。門下謁者一長、守數令入中、視其亡者、以督門尉與其官長、及亡者入中報。四人夾令門内坐、二人夾散門外坐。客見、持兵立前、鋪食更、上侍者名。
守室下高樓、候者望見乗車若騎卒道外来者、及城中非常者、輒言之守。守以須城上候城門及邑吏来告其事者以験之、樓下人受候者言、以報守。
中涓二人、夾散門内坐、門常閉、鋪食更、中涓一長者。環守宮之術衢、置屯道、各垣其両旁、高丈、為埤倪、立初雞足置、夾挾視葆食。而札書得必謹案視参食者、即不法、止詰之。屯道垣外術衢街皆為樓、高臨里中、樓一鼓壟灶。即有物故、鼓、吏至而止。夜以火指鼓所。城下五十步一廁、廁與上同圂。請有罪過而可無断者、令杼廁利之。

字典を使用するときに注意すべき文字
任、克也、用也。 こくする、もちいる、の意あり。
道、又従也。 よりいく、したがう、の意あり。
門、守也。又聞也 まもる、きく、の意あり。
傷、損也。 そこなう、やぶる、の意あり。
此、巳也、止也。 やむ、やめる、の意あり。
曰、於也,之也。 おいて、なり、の用法あり。
數、義同、猶度也 さだめ、きてい、の意あり。
絕,過也、又度也。 すぎる、わたる、の意あり。
需、一曰疑也。弱也。 うたがう、ひるむ、の意あり。
衝、視也、臨、猶制也。 せいする、みる、の意あり。
素、又誠也。 まこと、ほんしつ、の意あり。
術、又道也。 みち、の意あり。
亡、又逃也。 にげる、の意あり。
者、又此也。 ここ、これ、の意あり。
去、又藏也、猶匿也。 ためる、かくす、転じて、つなぐ、とじこめる、の意あり。
構、男女構精、萬物化生。 ほうび、せいか、の意あり。
牧、治也、又校也。 おさめる、とりしらべる、の意あり。
當、田相値也。 だいしょう、つぐない、の意あり。
莫、日且冥也。 くれ、の意あり。
始、公卽位者,一國之始。 転じて、くらいをさずける、の意あり。
得、行有所得也。 転じて、まんぞくする、みたす、の意あり。
発、行也。起也。 おこない、こうどう、の意あり。
遣、縱也。 ゆるす、の意あり。
訾、又量也。 はかる、の意あり。
請、墓地不請。又告也。 きよい、つげる、の意あり。
擊、殺也。 ころす、すてる、の意あり。
松、猶公,又事也。 つかえる、の意あり。
窒、塞也、又満也。 ふさぐ、みたす、の意あり。
須、又待也、又用也。 まつ、もちいる、の意あり。
口,空也、又食也。 くうふく、くらう、の意あり。
以、與似同。 ともに、の意あり。
射、法度也。 はっと、きそく、の意あり。
殺、克也、又任也。 しょばつ、ばつをおこなわせる、の意あり。
誅、罰也、責也。 ばつ、せめ、の意あり。
参、承也,覲也。 しょうちする、かくにんする、の意あり。
食、又僞也。 いつわり、の意あり。
詰、責也。問罪也。 せむ、つみをとふ、の意あり。
蓴、純也、猶皆也。 みな、すうりょう、の意あり。
夾、左右持也。 ふたり、の意あり。

《號令》:読み下し
國を安むずるの道は、地を任(こく)する道(よ)り始まり、地に其の任を得れば則ち功は成り、地に其の任(こく)するを得ずば則ち労(つ)かれ而して功は無し。人も亦た此の如し、備への先ず具はざる者は以って主を安むずるは無く、吏・卒・民の多心を一にせざる者は、皆其の将長に在り。諸(もろもろ)の賞罰を行い及び治有る者は、必ず王公に出る。數(しばしば)、人をして行きて邊城(へんじょう)関塞(かんさい)を守り、蠻夷(ばんい)に備ふるの労苦者に労賜(ろうし)し、其の守率(しゅそつ)の財用の有餘(いうよ)、不足、地形の當に邊を守るべし者、其の器備の常に多きものを挙げ使む。邊(へん)の縣邑(けんゆう)には其の樹木の悪しければ則ち用少なく、田は辟(ひら)けざれば、食は少なく、大屋無くして草蓋(そうがい)なれば、用桑(ようそう)の少なきを視しむ。多財なれば、民は好食す。
内堞(ないちょう)、内行(ないこう)に棧(さん)を為り、器を置きて其の上に備へ、城上の吏(り)、卒(そつ)、養(よう)は、皆舍を道内に為り、各(おのおの)は其の隔部に當る。養は什(じゅう)に二人。符を為(つく)る者を養吏(ようり)と曰ひ、一人、諸門を辨護し、門者及び守禁有る者、皆の事無き者は稽留(けいりゅう)して其の旁に止めることを得(え)令(し)むる無く、令に従がはざる者は戮(りく)す。
敵人の且(まさ)に至らば、千丈の城、必ず郭(かく)に之を迎へて、主人に利あり。千丈に盡さざるものは迎ふる勿かれ、敵の居曲(きょきょく)の衆の少なきを視て而して之に應へ、此は守城の大體(だいたい)なり。其の此の中に在らざるものは、皆、心術(しんじゅつ)と人事(じんじ)に之を参ずる。凡そ守城は亟(すみやか)に敵を傷(やぶ)るを以って上と為し、其の日を延べて久しきを持し以って救の至るを待つは、守るに明かなる者なり。此(や)むを能(あた)はざれば、乃ち城を守るは能(あた)ふ。
城を守るの法、敵の邑を去ること百里以上にして、城将は今(このとき)に如(したが)ひ、盡く五官及百長を召し、富人重室の親を以って、是を官府に舍し、謹しみて信人をして之を守衛せ令め、謹密(きんみつ)の故(こと)を為す。
城に傅(つ)くに及び、守る将営は三百人を下だること無く、四面四門の将は、必ず功労有るの臣及び事に死するの後重(ごじゅう)の者を選擇し、従卒は各百人。門将并せて他門を守るは、他門の上(ほとり)に必ず高樓を為すを夾み、善射の者をして居せ使(し)める。女郭(じょかく)、馮垣(ひょうえん)は一人、一人が之を守り、重室の子を使(つか)ふ。
五十步に一撃あり。城中の里に因りて八部を為り、部に一吏あり、吏は各四人を従へ、以って衝術(しょうすい)及び里中を行(めぐ)る。里中の父老をして小、守の事及び會計に挙(あづか)らざる者は、里を分かちて以って四部と為し、部に一長あり、以って往来を苛(か)し、時を以って行(ゆ)かず、行きて而に他異(たい)有る者は、以って其の姦(かん)を得る。吏の卒四人以上を従え分(ぶん)有(あ)る者には、大将は必ず與(ため)に信符を為り、大将は人をして行守(こうしゅ)し信符を操(と)ら使(し)め、信の合わず及び號の相(あい)應(こた)へず者は、伯長(はくちょう)以上は輒(すなわ)ち之を止め、以って大将に聞(ぶん)す。當に止めるべくして止めず及び吏卒の之を縦(ゆる)すに従はば、皆斬(ざん)す。諸(もろもろ)の有罪自り死罪以上は、皆父母、妻子、同産に遝(およ)ぶ。
諸の男女の城上に守る有るは、什(じゅう)に、六弩、四兵。丁(よぼろ)の女子、老少は、人に一矛。
卒(にはか)に驚事(きょうじ)有れば、中軍は疾く鼓を撃つもの三、城上の道路、里中の巷街(こうがい)、皆行くを得る無く、行く者は斬(ざん)す。女子の大軍が到れば、行く者をして男子は左を行き、女子は右を行き、並び行くこと無く、皆其の守に就き、令に従はざる者は斬(ざん)し令む。守を離れる者は三日にして而して一徇(じゅん)す、此れ姦(かん)に備える所以(ゆえん)なり。里正(りせい)は與(とも)に皆守って里門に宿し、吏は其の部を行(めぐ)り、里門に至れば、正は與(ため)に門を開き吏を内(い)れる。與(とも)に父老の守及び窮巷(きゅうこう)幽閒(ゆうかん)の人無きの處を行(めぐ)る。姦民の謀りて外心を為す所の、罪は車裂。正(せい)と與(とも)に父老及び吏の部を主る者、得ざれば皆斬(ざん)し、之を得れば、除(ゆる)す、又た之に黄金を賞し、人ごとに二鎰(いつ)。大将は人をして行守せ使め、長夜は五循行(じゅんこう)し、短夜は三循行(じゅんこう)す。四面の吏亦た皆自ら其の守を行(めぐ)ること、大将の行(こう)の如くし、令に従はざる者は斬(ざん)す。
諸灶(しょそう)は必ず屏を為り、火突(かとつ)は高く屋を出だすこと四尺。慎みて敢て火を失すること無く、火を失する者は斬(ざん)し、其の端に火を失して以って事を為す者は、車裂す。伍人(ごじん)の得ざれば、斬(ざん)し、之を得れば、除(ゆる)す。火を救ふ者は敢て讙譁(かんこう)すること無く、及び守を離れ巷(こう)を絶(わた)り火を救ふ者は斬(ざん)す。其の正及び父老の守有り此の巷中の部吏は、皆之を救うことを得、部吏は亟(すみやか)かに人をして之を大将に謁(つ)げ令(し)め、大将は信人をして左右を将(ひきい)て之を救は使む、部吏(ぶり)の失して言はざる者は斬(ざん)す。諸(もろもろ)、女子に死罪有り。及び失火に坐する皆の失ふ所の有るを無し、其の火を以って乱事(らんじ)を為す者に逮(いた)るまで法の如くす。
圍城(いじょう)の重禁は、敵人の卒(にはか)に而して至れば厳に吏民に令(れい)し敢て讙囂(かんこう)すること無からしめ、三最(さんさい)し、並び行き、相視て、坐泣(ざきゅう)流涕(りゅうてい)し、若しくは視て、手を挙げ相(あい)探(さぐ)り、相(あい)指(さ)し、相(あい)呼(よ)び、相(あい)麾(まね)き、相(あい)踵(ふ)み、相(あい)投(とう)じ、相(あい)撃(う)ち、相(あい)靡(び)するに身及び衣を以ってし、訟駮(しょうはく)言語(げんご)し及び令(れい)に非ずして而して敵の動移を視る者は、斬す。伍人(ごじん)の得ざれば、斬し、之を得れば、除(ゆる)す。伍人の城を踰(こ)えて敵に歸し、伍人を得ざれば、斬し、與(とも)に伯(はく)と敵(てき)に歸すれば、隊吏(すいり)を斬し、與に吏と敵に歸すれば、隊将(すいしょう)を斬す。敵に歸する者の父母、妻子、同産は皆車裂す。先づ之を覚(さと)れば、除(ゆる)す。術(すい)に當り敵に需(ひる)み地を離れば、斬す。伍人の得ざれば、斬し、之を得れば、除す。
其の疾く門(まも)りて敵を術(みち)に卻(しりぞ)ぞけ、敵を下して終ひに復た上る能はざれば、疾く門(まも)る者は隊に二人、上奉(じょうほう)を賜ふ。而(も)し圍(い)に勝つこと、城の周里以上ならば、城将は三十里地に封じ関内侯と為し、輔将(ほしょう)如しくは令(れい)は上卿を賜ひ、丞(じょう)及び吏(り)の丞に比する者は、爵(しゃく)五大夫を賜ひ、官吏、豪傑與(とも)に堅守を計る者、十人及び城上の吏の五官に比する者は、皆公乗(こうじょう)を賜ふ。男子の守り有る者は、爵人(しゃくじん)ごとに二級、女子は錢五千を賜ひ、男女老小の先ず分守の者は、人ごとに錢千を賜ひふ。之の三歳、與(あづか)る所の有るを無しに、租税せずを復(ふたたび)す。此は吏民の堅守し圍に勝つを勧むる所以(ゆえん)なり。
卒(そつ)の大門の中に侍する者、曹(そう)に二人を過ぎるは無し。勇敢なるを前行と為し、伍坐(ござ)し、各(おのおの)をして其の左右前後を知ら令めむ。擅(ほしいまま)に署を離れるは、戮(りく)す。門尉は晝(ひる)に三たび之を閲(えつ)し、莫(くれ)に、鼓を撃ち門を閉じて一たび閲(えつ)し、守は時に人をして之を参(さん)し、逋者(ほしゃ)の名を上(たてまつ)ら令め。鋪食(ほしょく)は皆署に於てし、外食するを得ず。守は必ず謹みて微察(びさつ)し謁者(えつしゃ)、執盾(しつじゅん)、中涓(ちゅうけん)及び婦人の前に侍する者の、志意(しい)、顔色(がんしょく)、使令(しれい)、言語(げんご)の請(しょう)を視る。飲食を上(たてまつ)るに及びては、必ず人をして嘗(な)め令(し)め、皆請(せいけつ)に非ざれば、撃(すて)て而(しかる)に故(ゆえ)を請(しら)べる。守の謁者、執盾、中涓及び婦人の前に侍する者に説(よろこ)ばざる所有れば、守に曰(おい)て之を断(だん)じ、之を衝(せい)し、若しくは之を縛(しば)る。令の如くせず、及び後れて縛(ばく)する者は、皆断ずる。必ず時に素(まこと)に之を誡(いまし)む。諸の門下に朝夕立ち若しくは坐するに、各の年の少長をして以って相(あい)次(じ)せ令(し)め、旦夕(たんせき)に位に就くに、先づ有功有能を佑(みぎ)し、其の餘の皆は次を以って立つ。五日ごとに官は各の喜戲(きぎ)し、居處(きょしょ)の莊(そう)ならず、好みて人を侵侮(しんぶ)する者を上(たてまつ)ること一たびす。
諸の人士の外使者の来れば、必ず以って将をして執るを有ら令む。出でて而に還る若しくは縣を行(めぐ)れば、必ず信人をして先づ舍室を戒(いまし)め使(し)め、乃び出でて迎へ、守に門(き)き乃(すなは)ち舍に入る。人の下(いやしき)と為る者は常に上の之(ゆ)くを司(うかが)ひ、隨(したが)ひて而(しかる)に行き、上に松(つか)へて下(いやしき)に隨はず。必ずXXの隨ふを須(ま)つ。(XX二字欠字)。
客卒(きゃくそつ)は主人を守り、及ち其の守衛を為せば、主人も亦た客卒を守る。城中の戍卒(じゅうそつ)は、其の邑(いふ)或(ある)いは以(すで)に寇に下らば、謹みて之に備へ、數(しばしば)其の署を錄し、同邑の者は、守る所を共にせ令むる弗(な)し。階門(かいもん)の吏の與(ため)に符を為り、符の合すれば入れ、労(いたわ)り、符の合せざれば、牧(とりしら)べ、守に言ふ。城に上る者の、衣服、他の令(れい)の如くならざる者の若し。
宿鼓(しゅくこ)は大門の中を守るに在り、莫(くれ)には、騎(き)若しくは使者(ししゃ)をして節を操(と)ら令(し)め、城を閉じる者は、皆以って圭(けい)を執る。昏鼓(こんこ)に鼓すること十、諸(もろもろ)の門亭は皆之を閉ず。行く者は断じ、必ず繫いで行く故を問ひ、乃ち其の罪を行う。晨見(しんけん)に文(ぶん)を掌(つかさど)り、鼓して行く者を縦(ゆる)す。諸の城門の吏は各の入りて籥(かぎ)を請ひ、門を開き已れば、輒(すなわ)ち復(ま)た籥(かぎ)を上(たてまつ)る。符節(ふせつ)有れば此の令を用ひず。
寇の至れば、樓鼓(ろうこ)は五たびし、有(ま)た周(あまね)く鼓し、小鼓を雑(まじ)へて乃ち之に應ず。小鼓の五たびして後(おくれ)て軍に従ふは、断ず。命は必ず畏るるに足り、賞は必ず利するに足り、令は必ず行ひ、令の出づれば輒(すなわ)ち人は隨(したが)ひ、其の行ふ可きの、行はずを省(かえりみ)る。號は、夕に號有り、號を失すれば、断ず。
守備の門を為し而に之を署して某程(ぼうてい)と曰ひ、街街(がいがい)衢階(くかい)若しくは門に置署(ちしょ)し、往来の者をして皆視て而(しかる)に放(なら)は令(し)む。
諸の吏卒民に其の将長を殺傷せむと謀る者有れば、謀反と罪を同じくし、能く捕へて告ぐる有るは、黄金二十斤を賜ふ、謹みて罪す。其の分職に非ずして而(しかる)に擅(ほしいまま)に之を取り、若しくは其の當(まさ)に治むべき所に非ずして而に擅(ほしいまま)に之を治為(ちい)するを、断ず。諸の吏卒民の其の部界に非ずして而に擅(ほしいまま)に他の部界に入れば、輒(すなわ)ち收(おさ)めて、以って都司空(としくう)若しくは候(こう)に屬(ぞく)し、候は以って守に聞(ぶん)す。收めずして而に擅(ほしいまま)に之を縦(ゆる)せば、断ず。能く謀反し、城を賣り、城を踰(こ)へて敵に歸する者一人を捕へ得ば、令(れい)を以って為(ため)に死罪二人、城旦(じょうたん)四人を除(ゆる)す。城に反(そむ)き父母に事(つか)へるを去(すて)る者の、者(この)の父母妻子を去(つな)ぐ。
悉く民室の材木、瓦若しくは藺石の數を挙げ、長短小大を署す、當に挙ぐべくして挙げざれば、吏に罪有り。諸の卒民の城上に居る者は各の其の左右を葆(ほう)し、左右に罪有りて而に智(し)らざれば、其の次(じ)伍(ご)に罪有り。若し能く身の罪人を捕へ若しくは之を吏に告げば、皆之を構(ほうび)す。若し伍に非ずして而に先づ他の伍の罪を知れば、皆其の構賞(こうしょう)を倍す。
城外に令を任じ、城内に守を任ず。令、丞、尉が亡(にげ)れば當(つぐない)を入れることを得、満十人以上なれば、令、丞、尉の爵を奪うこと各二級、百人以上なれば、令、丞、尉を免じ以って卒を戍(まも)る。諸の當(つぐない)を取る者は、必ず寇虜(こうりょ)を取りて、乃ち之を聴(ゆる)す。
民の財物(ざいぶつ)粟米(ぞくべい)を以って凡器(はんき)に貿易せむと欲する者を募り、卒(ことごと)く以って賈(か)を予(あた)ふ。邑人(ゆうじん)の知識(ちしき)、昆弟(こんてい)の罪有り、縣中に在らずと雖も而(しかる)に贖(あがな)ふことを為さむと欲し、若しくは粟米、錢金、布帛、他財物を以って免出する者は、之を許(ゆる)さ令(し)む。
傳言(でんげん)の者(もの)は十步に一人、言を稽留(けいりゅう)し及び乏傳(ぼうでん)する者は、断ず。諸の以って事に便(べん)す可き者は、亟(すみやか)かに疏(そ)を以って守に傳言(でんげん)す。吏卒民の事を言はむと欲する者は、亟(すみやか)かに傳言(でんげん)を為し之を吏に請(こ)ひ、稽留(けいりゅう)して言諸(げんしょ)せざる者は、断ず。
縣は各の其の縣中の豪傑若しくは謀士、居大夫、重厚口數の多少を上(たてまつ)る。
官府城下の吏卒民家は、前後左右相ひ傳(つた)へて火を保(ほ)す。火を発して自ら燔(や)け、燔(や)けて曼延して人を燔けば、断ず。
諸の衆彊(しゅうきょう)を以って弱小を凌(しの)ぎ、及び人の婦女を彊姦(きょうかん)し、以(とも)に讙譁(かんかん)する者は、皆断ず。
諸の城門若しくは亭、謹みて往来し行く者の符を候視(こうし)し、符傳(ふでん)の疑はしく、若しくは符無ければ、皆縣廷(けんてい)に詣(いた)りて言ふ。其の使(せし)むる所を請問(しんもん)す。其の符傳有る者は、善く官府に舍す。其の知識、兄弟の之を見むと欲する有れば、為に召すも、里巷(りこう)の中に令(し)むる勿(な)し。三老、守閭(しゅりょ)の繕夫(ぜんぶ)に厲(しょく)せしめ答(とう)を為さ令む。若しくは他の事を以ってする者の微者(びしゃ)は、里中に入るを得ず。三老は家人に入るを得ず。令を里中に傳ふるに以って羽(う)を有し、羽は三所の差(さ)に在り、家人は各(おのおの)の其の官中に令し、令を失し、若しくは令を稽留(けいりゅう)する者は、断ず。家に守者(しゅしゃ)有り食を治む。吏(り)卒(そつ)民(みん)の符節(ふせつ)無くして、而に擅(ほしいまま)に里巷(りこう)に入り、官府、吏、三老、守閭の者の苛止(かし)を失すれば、皆断ず。
諸の守の器械、財物を盗み及び相盜む者は、直(あたい)一錢以上は、皆断ず。吏卒民の各の自ら桀(けつ)に大書し、之を其の署隔(しょかく)に著(あらわ)す。守は其の署を案じ、擅(ほしいまま)に入る者は、断ず。城上の日に壹(ひと)たび席蓐(せきじょく)を発(ひら)き、相(あい)錯(さく)を発せ令め、人の挾蔵(きょうぞう)する所にして禁中に在るを匿(かく)して言はざる有る者は、断ず。
吏卒民の死する者、輒(すなわ)ち其の人を召して、次を與(あたえ)へ司空は之を葬り、坐泣(ざきゅう)を得(え)令(し)むること勿(な)し。傷の甚だしき者は歸りて病を治(い)め令め家に善く養ひ、医を予(あた)へ薬を給ふ、酒は日二升、肉は二斤を賜ひ、吏をして數(しばしば)閭(りょ)に行きて、病を視て瘳(い)ゆる有れば、輒(すなわ)ち造(いた)りて上に事(つか)へせ令む。詐(いつは)りて自ら賊傷(ぞくしょう)し以って事を辟(さ)くるを為す者は、之を族(ぞく)す。事已めば、守は吏をして身ら死傷の家に行き、戸に臨みて而に之を悲哀(ひあい)せ使む。
寇去り事が已めば、塞禱(そくとう)す。守は令を以って邑中の豪(ごう)傑力(かいりき)に諸の功有る者を門(き)き、必ず身(みずか)ら死傷者の家に行きて以って之を弔哀(ちょうあい)し、身ら事に死する後を見るを益(すす)む。城圍罷(や)めば、主は亟(すみやか)に使者を発して往きて労せしめ、有功及び死傷者の數を挙げて爵禄せ使(し)め、守は身(みづか)ら尊寵(そんろう)し、明白に之を貴び、其の怨(うらみ)をして敵に結ば令む。
城上の卒(そつ)若しくは吏(り)の各(おのおの)の其の左右を保し、若し城を以って外の為に謀(はか)らむと欲する者は、父母、妻子、同産の皆を断ず。左右の知って捕告(ほこく)せざるは、皆與(とも)に罪を同じくす。城下里中の家人皆相(あい)葆(ほう)すること、城上の數(さだめ)の若し。能く之を捕告する者有れば、之を封ずるに千家の邑を以ってし、若し其の左右に非ず及び他の伍(ご)を捕告する者は、之を二千家の邑に封ず。
城禁、卒、民をして寇の微職(びし)和旌(わせい)を欲する者は下(おと)せ使(し)め、断ず。令に従はざる者は、断ず。非(あら)ずに擅(ほしいまま)に令を出す者は、断ず。令を失う者は、断ず。戟(げき)に倚(よ)りて縣(か)けて城を下り、上下するに衆と等しくせざる者は、断ず。應無くして而に妄(みだり)に讙呼(かんこ)する者は、断ず。縦失(じゅうしつ)する者は、断ず。客を誉め内を毀(けな)する者は、断ず。署を離れ而に聚語(じゅうご)する者は、断ず。城鼓の聲を聞きて而に伍後(ごご)に署に上る者は、断ず。人は自ら版に大書し、之を其の署隔(しょかく)に著(あらわ)し、守は必ず自ら其の先後を謀(はか)り、其の署に非ずして而に妄(みだり)に之に入る者は、断ず。署の左右を離る、共に他の署に入る、左右は捕へず、私書を挟む、請謁(せいえつ)を行い及び為に行書(こうしょ)する者、守事(しゅじ)を釋(す)て而に私家の事を治むる、卒民の家室、嬰兒を相盗む、皆断じて赦すは無し。
人を挙げて而して之を籍(せき)す。符節無くして而に横(ほしいまま)に軍中を行く者は、断ず。客の城下に在れば、因りて數(しばしば)其の署(しょ)を易へ而に其の養(よう)を易へるは無し。敵を誉め、少(しょう)を以って衆(おお)しと為し、乱れを以って治まると為し、敵が攻めること拙(せつ)なるを以って巧(こう)と為す者は、断ず。客、主人とは相(あい)與(とも)に言(かた)り及び相(あい)籍(か)るを得ること無く、客の射るに書を以ってするも、誉(よ)は得ること無しく、外に内を示すに善を以ってし、應ずるを得ること無く、令に従はざる者は、皆断ず。禁ずるに矢書(ししょ)を挙げ、若しくは書を以って寇に射るを得るは無く、令を犯す者は父母、妻子の皆を断じ、身は城上に梟(さら)す。能く之を捕告(ほこく)する者有れば、之に黄金二十斤を賞す。時に非ずして而に行く者は、唯(ただ)、守及び太守の節を摻(と)つて而に使する者のみ。
守の城に入りて臨めば、必ず謹みて父老、吏大夫に問ひ、諸の怨(えん)仇(きゅう)讐(しゅう)有りて相(あい)解(と)けざる者は、其の人を召して、明白に之が為に之を解く。守は必ず自ら其の人を異にして而に之を籍(せき)し、之を孤(こ)し、私怨を以って城若しくは吏事を害する者有れば、父母、妻子の皆は断ず。其の城を以って外の為に謀(はか)る者は、三族す。能く得る若しくは捕告する者有れば、其の守る所の邑の、小大を以って之を封し、守は其の印を還授(かんじゅ)し、尊寵(そんちょう)して之を官し、吏大夫及び卒民をして皆に明らかに之を知ら令む。
豪傑の外に多くの諸侯に交わる者は、常に之を請(こ)ひ、上をして之を通知せ令め、善く之を屬(ぞく)し、居る所の吏は上に數(しばしば)之を選具(せんぐ)し、擅(ほしいまま)に出入するを得るを無から令め、之を連質(れんち)す。術郷(すいごう)の長者、父老、豪傑の親戚、父母、妻子は、必ず之を尊寵(そんちょう)し、若し貧しき人の自ら食を給する能はざる者は、上は之を食(くは)す。及び勇士の父母親戚妻子は皆時に酒肉を賜り、必ず之を敬ひ、之を舎するに必ず太守の近くにす。守樓(しゅろう)は質宮(ちきゅう)に臨みて而して善く周(あまね)くす。必ず密に樓を塗り、下より上を見る無く、上より下を見、下より上に人は有り人は無しを知るを無から令む。
守の之の親しむ所は、吏(り)の貞廉(ていれん)、忠信(ちゅうしん)、無害(むがい)にして、事を任ず可き者を挙げ、其の飲食酒肉は禁ずる勿(な)く、錢金(せんきん)、布帛(ふはく)、財物(ざいぶつ)の各の自ら之を守り、慎みて相盜む勿からしむ。葆宮(ほうきゅう)の牆(しょう)は必ず、牆の垣を三重にし、守る者は皆瓦(がい)釜(ふ)を牆上(しょうじょう)に累ねる。門に吏は有り、者(もろもろ)の門里(もんり)の、筦閉(かんへい)を主(つかさど)り、必ず太守の節を須(ま)つ。葆衛(ほえい)は必ず戍卒(じゅうそつ)の重厚有る者を取る。吏の忠信なる者を擇び、無害にして事を任す可き者を請(もち)ふ。将に衛(まも)ら令め、自ら十尺の垣を築き、周く牆門(しょうもん)に還(めぐ)らせ、閨者(けいしゃ)には、司馬門を衛(まも)ら令めるに非ず。
望気者(ぼうきしゃ)の舍は必ず太守に近くし、巫(ふ)の舍は必ず公社に近くし、必ず敬みて之を神をす。巫(ふ)祝(しゅく)史(し)と望気者(ぼうきしゃ)は必ず善言を以って民に告げ、請(しょう)を以って守に報を上(たてまつ)り、守は獨り其の請を知る而已(のみ)。無を與(あた)へ望気が妄(みだり)に不善の言を為して民を驚恐(きょうきょう)さすれば、断じて赦すは弗(な)し。
食を度(はか)り足らざれば、食民(しょくみん)の各(おのおの)自(みずか)らの、家の五種の石升(せきしょう)の數を占(せん)し、期(き)を為し、其の蓴(じゅん)害(がい)在らば、吏は與(よ)く雑(こもご)も訾(はか)りて、期盡きて匿して占せず、占するも悉(つく)さざれば、吏卒をして微(うかが)(見+微)ひ得(え)令(し)め、皆断ず。能く捕告する有れば、什(じゅう)の三を賜ふ。粟米、布帛、錢金を収め、畜産が内に出れば、皆為に其の賈(あたい)を平直(へいちょく)し、主券(しゅけん)を人に與へ之を書す。事が已れば、皆各の其の賈(あたひ)を以って之を倍償す。又た其の賈の貴賤、多少を用いて爵を賜ひ、吏と為るを欲する者は之を許し、其の吏と為るを欲さざるは、而して以って賜賞(ししょう)の爵禄を受け、若しくは親戚、所知る所の罪人の贖(あがな)ひ出ださむと欲する者は、令を以って之を許す。其の構賞(こうしょう)を受ける者は葆宮(ほうきゅう)に見(まみ)え令(し)め、以って其の親に與(あた)ふ。以って復た上を佐けむと欲する者、其の爵(しゃく)賞(しょう)を倍す。某縣某里某子の家の食口二人、積粟(せきぞく)六百石、某里某子の家の食口十人、積粟百石。粟米を出だすに期日有り、期を過ぎて出ださざるものの出(しゅつ)は王公は之を有し、能く若しくは之を告ぐる有れば、之の什(じゅう)の三を賞す。慎しみて民をして吾が粟米の多少を知ら令めること無かれ。
守の城に入れば、先づ候(こう)を以って始を為し、得(うけ)れば輒(すなわ)ち之を宮に養ふも、吾が守衛の備(そなえ)を知ら令めること勿(な)かれ。候者(こうしゃ)に異宮を為(つく)り、父母妻子の皆其の宮を同じくし、衣食酒肉を賜ひ、信吏(しんり)は善く之を待す。候が来り若しくは復すれば、就(しゅう)を閒(と)ひ。守宮は、外環を三難し隅に之の樓を為(つく)り、内環に樓を為り、樓より葆宮に入ること丈五尺にして復た道を為す。葆には室有るを得ず。三日に一たび席蓐(せきじょく)を発(ひら)き、之を略視(りゃくし)し、茅(ぼう)を宮中に布き、厚さ三尺以上とす。候が発(おこな)ふには、必ず郷邑(きょうゆう)の忠信(ちゅうしん)、善重(ぜんちゅう)の士を使ひ、親戚、妻子の有れば、厚く之を奉資(ほうし)す。必ず候の発(おこなひ)を重じ、為に其の親、若しくは妻子を養い、異舍を為り、員(いん)と所(しょ)を同じくすること無く、之に酒肉を給食す。
他候(たこう)を遣(ゆる)せば、之の奉資すること前候の如くし、反(かへ)りて、相(あい)参(さん)して審信(しんしん)なれば、厚く之に賜ひ、候が三たび発(おこなひ)し三たび信なれば、重く之を賜ふ。賜を受けるを欲せずして而に吏と為るを欲する者は、之に二百石の吏を許す。守は之に印を珮授(はいじゅ)す。其の吏と為るを欲せず而に賞禄を受構するを欲するは、皆前の如し。能く入ること深く主國に至る者有り、之を問ふて審信なれば、之を賞すること他候の倍す。其の賞を受けるを欲せず、而に吏に為るを欲する者は、之に三百石の吏を許す。
扞士(かんし)の賞賜を受ける者は、守は必ず身の自ら之の其の親の、其の親の所に致して、其の任の見守りを見む。其の復(また)以って上を佐けむと欲す者は、其の構賞、爵禄、罪人の之を倍す。
候が出づるは十里を過ぎること無く、高便(こうびん)の所に居り表(ひょう)を樹(た)て、表は三人が之を守り、城に至る比(ころ)には三表あり、城上の烽燧(ふうすい)と相望み、晝は則ち烽(ほう)を挙げ、夜は則ち火を挙げる。寇の従って来たる所を聞き、審(つまびらか)に寇の形の必ず攻むるを知り、小城の自ら守通(しゅつう)せざるものを論じ、盡く其の老弱、粟米、畜産を葆つ。卒(すみやか)に候を遣す者は五十人を過ぎるは無く、客が堞に至れば之を去る。慎みて厭建(えんけん)すること無し。候者(こうしゃ)の曹は三百人を過ぎるは無く、日暮れて之を出だし、微職(きし)を為す。空隊(くうすい)、要塞(ようさい)の人の往来する所の者の、以って跡(せき)す可から令むる者は、里に三人を下ること無く、平明にして而して跡(せき)す。各(おのおの)に其の表を立て、城上は之に應(おう)ず。候は出でて陳表(ちんひょう)を越へ、遮(せき)は郭門の外内に坐し、其の表を立て、卒の半をして門内に居ら令め、其の少多をして知る可きこと無から令む。即(も)し驚(きょう)有(あ)りて、寇の陳去(ちんきょ)を越ゆるを見れば、城上より麾(き)を以って之を指し、遮(せき)は坐して鼓を撃ち正期(せいき)し、以って戦備し麾(き)の指す所に従ひ、寇を望見すれば、一垂(いちすい)を挙げ、竟(きょう)に入れば、二垂を挙げ、郭(かく)を狎(こう)すれば、三垂を挙げ、郭に入らば、四垂を挙げ、城を狎すれば、五垂を挙ぐ。夜は火を以ってし、皆此の如し。
郭を去ること百步、牆垣(しょうえん)、樹木の小大盡く之を伐除す。外の空井(くうせい)は、盡く之を窒(うづ)め、汲むを得(う)可(べ)から令むるは無し。外の空窒(くうまん)は盡く之を発(あば)き、木は盡く之を伐る。諸(もろもろ)の以って城を攻む可きものは盡く城中に内(い)れ、其の人をして各(おのおの)の以って之を記(しる)すを有ら令む。事を以って、各の其の記を以って之を取る。事には之の券を為(つく)り、其の枚數を書す。當に遂に材木の盡く内(い)るるの能はざるは、即ち之を焼き、客をして得て而して之を用ひ令めるは無し。
人は自ら版に大書し、之を其の署忠に著す。有司は其の治める所を出だし、則ち従淫(じゅういん)の法、其の罪を射(はっと)する。色を矜(ほこ)り正を謾(あなど)り、淫囂(いんごう)は静かならず、路に當りて衆を尼(とど)め、事を舍(す)てて後れて就き、時を踰(こ)えて寧(ねい)せざるは、其の罪を射(はっと)する。讙囂(こうごう)の衆を駴(おどろ)かすは、其の罪は殺。上を非(そし)りて諫(いさ)めず、次(ほしいまま)に凶言(きょうげん)を主(いた)すは、其の罪は殺。敢て楽器(がっき)、獘騏(えんえき)が軍中に有るは無く、有れば則ち其の罪を射(はっと)する。有司の令に非ざれは、敢て車を馳せること有るは無く、人の趨(はし)ること、有れば則ち其の罪は射(はっと)する。敢て牛馬を軍中に散ずるは無く、有れば則ち其の罪は射(はっと)する。飲食の時ならずは、其の罪は射(はっと)する。敢て軍中に歌哭(かこく)するは無く、有れば則ち其の罪は射(はっと)する。各(おのおの)をして罰を執り盡く殺(しょばつ)さ令む、有司の有罪を見て而に誅(ばつ)せざるは、同じく罰し、若し之を逃(の)がす或(あ)れば、亦た殺(しょばつ)する。凡そ将率(しょうすい)が其の衆に門(き)くに法を失はば、殺(しょばつ)する。凡そ有司の卒、吏、民をして誓令(せいれい)を聞くを去(おこ)なは使めざれば、之に代わりて罪に服す。凡そ人を市に戮(りく)するに、死を行うを上は目(み)る。
謁者(えつしゃ)は令門(れいもん)の外に侍し、二曹(にそう)を為(つく)り、門を挟んで坐し、鋪食(ほしょく)は更(かわるがわる)して、空しくすること無し。門下の謁者に一長(いちちょう)あり、守は數(しばしば)中に入れ令め、其の亡者(ぼうしゃ)を視て、以って門尉(もんい)と其の官長とを督(とく)し、亡者あるに及(およ)べば中を入れて報ぜしむ。四人の令門を挟んで内に坐し、二人は散門を挟んで外に坐す。客の見ゆるときは、兵(つわもの)を持して前に立ち、鋪食(ほしょく)は更(かはるがわる)して、侍者の名を上(たてまつ)る。
守室の下に高樓、候者の車に乗り若しくは騎卒の道の外より来る者、及び城中の非常の者を望見すれば、輒(すなわ)ち之を守に言ふ。守は以って城上の候(こう)の城門及び邑吏の其の事を来り告ぐ者を須(ま)ち以って之を験し、樓下の人は候者の言を受けて、以って守に報ず。
中涓(ちゅうけん)に二人、散門を挟んで内に坐り、門は常に閉ぢ、鋪食(ほしょく)は更(かわるがわる)し、中涓に一長者あり。守宮を環(めぐ)る術衢(すいく)には、屯道(とんどう)を置き、各(おのおの)の其の両旁に垣すること、高は丈、埤倪(へいげい)を為(つく)り、立つること初めに雞足(けいそく)を置き、夾は挾視(きょうし)し葆食(ほしょく)す。而(ま)た札書を得れば必ず謹みて案視(あんし)し食(いつわり)を参(しら)べ、即(も)し不法ならば、之を止め詰(せ)む。
屯道(とんどう)・垣外(えんがい)の術衢街(すいくがい)に皆樓を為(つく)り、高く里中に臨み、樓に一鼓(いちこ)壟灶(ろうそう)あり。即し故なる物有らば、鼓し、吏の至らば而(しかる)に止む。夜は火を以って鼓所(こしょ)を指す。城下は五十步に一(いち)廁(し)、廁は圂(こん)と同じくして上に與(お)く。罪過(ざいか)に請(しょう)有りて而して断ずる無かる可き者、廁を杼(じょ)して之を利(り)せ令(し)む。

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墨子 巻十五 號令(現代語訳)

2022年12月25日 | 新解釈 墨子 現代語訳文付
墨子 巻十五 號令(原文・読み下し・現代語訳)
「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」準拠

《號令》:現代語訳
注意:軍事用語については、「墨子 巻十六 墨子軍事用語集」を参照してください。

国家を安定させる方法は、土地の条件を克服することより始まり、土地のその条件を克服することを得れば、きっと、成功することが出来、土地のその条件を克服することが得られないのであれば、国家建設の労働は報われず、成功は無い。人の事業もまたこのようなものであり、備えについて、まずその備えが無いもの者は、それにより、主君を安心させることは出来ず、官人、士卒、民衆が心を一つにしない場合は、その原因は、皆、その将軍や長官にある。もろもろの賞罰を行い、また、統治が十分に行われているのは、それは必ず王公の指導にある。しばしば、人を任命して領地を巡視させ、国境の辺城、関所、要塞の守り、また、域外の外敵の侵攻に備えて苦労する者をねぎらい、褒賞を与え、さらにまた、その守備の兵卒の物資が十分か、不足か、地形は適切か、などの辺境を守るものごと、守備のその器材備品が常に十分であることなどを報告させる。辺境の県邑で、その地の樹木の生育が悪ければ、きっと、用いることが出来る材木は少なく、田が開けていなければ、食料は少なく、大きな屋根の家が無くて、草葺き屋根の家であれば、(現金収入となる帛の材料の)桑樹が少ないかどうかを観察させる。収入が多ければ、(田畑が不足していても)民は十分に食える。
「内堞」や「内行」に棧を造り、兵器を取り置いて棧の上に備え置き、城上の官吏、兵卒、炊事夫は、皆、その宿舎は大道の内側に造り、おのおのにその分担する部署の任務に当たる。炊事夫は兵卒十人に二人を当てる。割符を担当する者を養吏と言い、養吏一人を門に置き、諸門を監視し、門を警備する者および城からの入退城に関わる「守禁」の命令書を有する者、以外の皆は、用事の無い者が立ち止まってその門の傍らにたむろすることをさせないようにし、命令に従わない者は誅殺する。
敵人が来襲して来たら、城周千丈の城の場合は、必ず城郭で敵軍を迎へれば、城主の人に有利である。城の大きさが千丈に満たな城は敵を迎え撃ってはいけなく、敵の部隊の軍勢の多寡を偵察して、敵軍に応対する。このことは守城の大体である。ここまでに示したことがらの中に無かったものは、皆、心理の術策と人事にこれを交えて対処する。およそ守城は速やかに敵を破ることをもって上策とし、その籠城の日を繰り延べて、持久戦により救援が来るのを待つのは、守城の戦術に詳しい者が取るものである。他に、これらのことがらに該当しなければ、きっと、城を守ることは出来る。
城を守る方法は、敵が、まだ、村を離れること百里以上の距離にあるとき、城将はこの間合いで、すべての五官及び百長を招集し、また、富人や重室の親を人質として、この者たちを官府に収容し、慎重に信頼の置ける者を任命して人質の守衛をさせる、厳重に注意して任務に当たらせる
敵軍が城に取り付く足下では、守る大将の陣営の士官は三百人を下だることは無く、四面を守る四門の将官は、必ず功労の有る臣下や戦争に死亡した遺族の者を選抜し、士官の従卒はおのおの百人を当てる。門将がその担当する守備の門と併せて他の門を守る場合は、他の門との間に必ず高樓を建設して挟み、射撃の上手な者を任命し、その高樓に駐屯させる。女郭や馮垣には士官一人を任命し、士官一人がこれを守備し、士官には重室の子を任命する。
五十步毎の割合で「撃」一隊を置く。城中の里を八部に分割し、それぞれの部ごとに官吏一人を置き、官吏はおのおの四人の兵卒を従え、それにより、「衝術」及び里中を巡視する。里中の父老を「小」と称す。里中の守備の事について、そして里中の会計の任務に関与しない、残りの「小」の者により、里を分割して四部を作り、その部ごとに長一人を置き、部の長により往来を尋問し、時間外の通行を制限し、通行に不審が有る者は、尋問などにより、部の長は部内の悪事を摘発する。官吏は兵卒四人以上を従え、それ以上の人数で分守している者は、大将は必ず、その者のために信符を作り、大将は人を任命して城内を巡視するときは信符を携帯させ、信符が合わず、また、合言葉に答えられない者で、伯長以上の立場の者なら、この者を引き留め、このことを大将に報告する。もし、引き留めるはずの者を引き留めず、または、官吏や兵卒がこの者が行くことを赦したなら、皆を処罰する。もろもろの罪があって(死体を晒す、車割き刑などの)死罪以上の重罰の場合は、刑罰は、皆、その父母、妻子、同じ親に産れた者に及ぶ。
もろもろの男女にあって城上に居り城を守る者は、十人毎に弩兵六人、兵卒四人を当てる。徴発された女子、老人や年少者には、人一人に矛一丁を当てる。
にわかに危急のことが生じたら、中軍は速やかに鼓を撃つこと三打、城上の道路や里中の街路など、皆、外出を禁止し、外出する者は処罰する。女子が城を防衛する「大軍」に参加する場合で、隊列行動するときは、男子は左を行き、女子は右を行き、男女が並び混じって行動することを禁止し、また、皆、その守備の持ち場に就き、命令に従わない者は処罰する。守備の持ち場を離れる休息する者を三日に一回の割合で割り当て、このことは敵の襲撃に備えるためである。里正は住民と共に皆を守って里門に宿泊し、官吏はその担当する里中の部を巡視し、里門に来た場合、里正は官吏のために門を開き官吏を里に入れる。里正と官吏は共に父老が守備しているところ、行き止まりの路地、寂しい人が居ない場所などを巡視する。姦悪の民が謀反を企て、敵と連携を行った場合、その罪は車裂とする。里正と共に父老および官吏で部を管理する者は、姦悪の民を摘発できなければ、皆、処罰し、姦悪の民を摘発した場合は、連帯責任を赦し、また、この者に黄金を褒賞し、摘発した人たち、その人毎に二鎰を与える。大将は人を任命して巡視を行わせ、冬の長夜は五回、巡視し、夏の短夜は三回、巡視する。四面の四門の官吏、また、皆、自らその守備する部署を巡視することは、大将の巡視のようにし、命令に従わない者は処罰する。
もろもろの竈は必ず防火塀を作り、煙突は高くし屋根より突き出す高さは四尺とする。慎重に火を扱い、失火を起こさないようにし、失火した者は処罰し、何事かの企ての一端で失火し事故を起こす者は、車裂にする。伍人組で事前に摘発が出来なければ、処罰し、事前に摘発出来れば、連帯責任を赦す。火を消火する者は騒ぎ立てることをせず、また、守備の部署を離れ、巷をむやみに動き回り消火に当たる者は処罰する。その部の里正および父老で守備を担当する者、これらの巷を担当する部の官吏たち、皆は、消火活動をすることが出来、部を担当する官吏はすみやかに人を任命し、火事を大将に報告させ、大将は信頼おける人を任命し、左右の兵卒を率いて消火活動を行わせ、部を担当する官吏で報告することを失念して、報告しなかった者は処罰する。火事に関係するもろもろのことにおいて、女子にも死罪の処罰がある。また、失火に連座する、全員に対し、それまでの処罰で罪の贖いなどのことがらが有る場合はそれを無効とし、その火事により乱事を企てる者に至るまで処罰は法の規定に従うこと。
城を囲まれたときの重い禁令のものは、敵兵がにわかに城に殺到すれば、厳しく官吏や住民に命令して勝手に騒ぎ立てないようにし、三人が集まったり、二人が連れ添ったり、互いに見つめ合って、泣いたり涙を流したり、または目配せして、手を挙げ相手を探り合ったり、相手を指さしたり、互いに呼び合ったり、互いに招き寄せたり、互いに相手の足を踏んだり、互いに相手を投げ飛ばしたり、互いに相手を殴ったり、互いに相手を撫でたりするのに体や衣服を用いて行ったり、互いに相手を訴えて口喧嘩したり、また、命令が無いのに敵の動向を探る者は、厳重に処罰する。伍人組がこのような者を摘発できなければ、厳重に処罰し、事前に摘発出来れば、連帯責任を赦す。伍人組の者が城を越えて敵に投降した場合、伍人組で摘発が出来なければ、厳重に処罰し、共に伯長と敵に投降すれば、隊吏を厳重に処罰し、共に官吏と敵に投降すれば、隊将を厳重に処罰する。敵に投降する者の父母、妻子、同じ親に産まれた者は、皆、車裂にする。最初に、投降することに気が付けば、連座を赦す。隧道の掘削に当たり、敵に怯んで隧道掘削の持ち場を離れたら、厳重に処罰する。伍人組が摘発できなければ、厳重に処罰し、持ち場の離脱を摘発すれば、連帯責任を赦す。
速やかに城を守り、敵を進撃路に撃退し、敵を降してその後に再び攻撃できないようにした場合、速やかに城を守った者をそれぞれの隊から二人を、上奏して褒賞を賜る。もし、包囲戦に勝った場合、城の周囲一里以上ならば、城将は城から三十里以内の土地に封じ関内侯と爵位を与え、輔将もしくは司令の者は上卿の爵位を賜り、丞及び官吏の丞に対応する立場の者は、爵位として五大夫を賜り、官吏、豪傑共に堅守を行った者から十人を選び、また、城上の官吏で五官の等級に対応する者は、皆、公乗の名誉を賜る。男子で守備の任命の等級を持つ者は、爵を持つ人ごとにその爵を二級進め、女子は錢五千を賜り、男女老小の、それぞれの小隊の分隊長の者は、人ごとに錢千を賜る。これより後三年間は、賦役に関わることがらがあっても無効とし、三年間は租税しないことを公布する。これらのことがらは官吏と住民が城を堅守し、包囲戦に勝つ戦法として進めるものである。
兵卒で大門の中に駐屯する者は、「曹」への駐屯は兵卒二人までとする。勇敢な兵卒を前行に任命し、伍人連座制を敷き、おのおのがその左右前後の者の責任を取らせる。勝手に部署を離れる者を処罰する。門尉は日中に三回、兵卒を査閲し、夕刻に、鼓を打ち、門を閉じて、一回、査閲し、太守は時に人を派遣してこの実行に参加させ、命令違反で逮捕した者の名を上奏させる。食事はすべて部署内で取り、外食を行うことを禁じる。太守は必ず慎重に細かく観察し、謁者、執盾、中涓および婦人の御前に侍従する者の、志意、顔色、使令、言語などの状況を探偵する。飲食を国君に奉る場合は、必ず人を任命して毒見を行い、すべてが、規定通りでない場合は、食事を捨て、その理由を調べる。太守への謁者、執盾、中涓および婦人の御前に侍従する者に不審なことがらが有れば、太守は即日にこの者に処罰を降し、この者を断罪し、もしくはこの者を束縛する。命令に従わず、および、遅延して集合する者は、すべて処罰する。必ず、その時に当たって、誠実にこの者を戒める。兵卒がもろもろの門の下に朝夕に警護に立ち、もしくは、座る場合は、おのおのの年の年少、年長を考慮して、当番の順番を決め、朝夕に任務に当たるに、整列順は先ず有功有能の者を右にし、それ以外の者の皆は、その次に立つ。五日ごとに官は、おのおのの勤務でふざけている者、日常生活がたるんでいる者、好んで他人を侮辱する者、これらを調べて報告することを、五日に一回、行う。
もろもろの人士に外からの使者が来た場合は、必ず、(太守は)城将を任じて、使者との対応を執らせる。(入城する者が、)城より出て再び帰城して味方する、もしくは、地方の県を巡行し帰城した場合、必ず、信頼の置ける者に命じて、最初に、その帰城し見方する者が使う宿舎を点検させ、その後に出向いて帰城した者を迎え、門守に確認して、その後に宿舎に入らせる。帰城し見方する者の部下となる者は常にその者の行くところを確認してから、随行し、その者に付き従うが、その者が連れて来た下の者の指示には従わない。必ず、XXが随行することを待つ。(XX二字欠字)。
(城下以外の地域からの)「客卒」は主人を守る、つまり、その城の防衛を行えば、主人もまた客卒を守る。城中の兵卒は、その村を同じとする、あるいは、その村が既に敵軍に降っていたら、慎重にこれらの兵卒を処遇し、時折、その担当する部署を入れ替え、同じ村の者は、守備する場所を同じ場所とならないようにする。「階門」の官吏のために割符を作り、割符が合っていれば門の中に入れ、労をねぎらい、割符が合っていなければ、取り調べ、太守に報告する。城に入場する者で、衣服や他の持ち物が命令の通りで無い者への取り調べは規定通りである。
「宿鼓」は大門の中を守るところに置き、暮時には、騎馬武者もしくは使者に命じて「節」の執行を執らせ、城を閉じる者は、皆、規則に執り行う。夕刻の昏鼓を告げる鼓は十打し、もろもろの門亭は、皆、昏鼓を聞いて門を閉じる。(昏鼓以降に)外出する者を処罰し、必ず、束縛し外出する理由を尋問し、そして、その罪への処罰を行う。早暁に文鼓を管理し、鼓を打ち、(文鼓以降の)外出を許す。もろもろの城門の官吏はおのおのの担当する部署に出向き、城門の鍵を請求し、門を開き終えたら、また、城門の鍵を返納する。割符と「節」を保有していたら、この禁令を適用しない。
敵が襲撃して来たら、樓鼓を五回連打し、また、何度もこの鼓の合図を繰り返し、(各部署は)小鼓を交えて、この樓鼓の合図に応える。小鼓を五回連打し、遅れて軍に集合する者は、処罰する。命令は必ず人々が畏れるのに足りるようにし、褒賞は、必ず、人々が利と感じるものに足りるようにし、命令は必ず実行し、命令が出たら必ず人々は従い、命令が実行されるべきところが実行されていなければ、その理由を調査する。合言葉は、夕刻には夕刻の合言葉が有り、合言葉を間違えていたら、処罰する。
守備の門には規定を作り、これを太守が署名して「某程」と称し、街の区画ごと、街の階段ごと、もしくは、門ごとに掲示し、往来する者、皆に、見させて認知させる。
もろもろの官吏、兵卒、住民にその将官や長を殺傷しようと謀る者が居たら、謀反と同罪とし、これを捕捉し、報告する者には、黄金二十斤を賜り、慎重に捕捉した者を取り調べ処罰する。その分担する職務ではないのに、勝手にその職務に就き、もしくは、その正当に業務を行うべきことがらでないのに、勝手にその業務を行う者を処罰する。もろもろの官吏・兵卒・住民が、その居るべき部の区域に居ないで、勝手に他の区域に入れば、ただちにその者を捕縛・収容し、都司空、もしくは、候の監視下に入れ、候は太守に報告する。捕縛・収容せずに、勝手にこのようなことを許せば、関係者を処罰する。謀反する者、城を売る者、城を脱走して敵に降伏する者、これらの者一人を捕らえたら、命令によりこの功績に対し、(その者に関わる人で)死罪の刑罰の者二人、「城旦」に関わる刑罰の者四人を功績の代償として罪を赦す。城に背き父母に仕えることを捨てた者の、この者の父母妻子を逮捕・拘留する。
すべての民間の材木、瓦、もしくは、藺石の数を調査・報告し、そのものの長短大小を記録し、対象とすべきものを対象としなかった場合は、官吏に罪がある。もろもろの兵卒・住民で城上に居住する者は、おのおのの、その左右の者と連帯保証とし、左右の者に罪が有って、それを報告しなかった場合、その伍人組に連帯責任の罪が有る。もし、伍人組内の罪人を捕らえた場合、もしくは、この者を官吏に報告した場合、伍人組の皆にこのことを褒賞する。もし、伍人組内では無く、最初に他の伍人組内の犯罪を知り報告した場合、その伍人組内の皆に、その本来、与えられる褒賞を倍とする。
城外の防衛に令を任命し、城内の防衛に守を任命する。令、丞、尉の部下が逃亡した場合は罰の代償を入れることを許し、逃亡者の人数が満十人以上であれば、令、丞、尉の爵位をおのおの二級引き下げ、人数が百人以上であれば、令、丞、尉の階級を剥奪して兵卒として守備に当たらせる。もろもろ罪の代償を行う者は、必ず、敵の捕虜を捕まえた後、代償を入れることを許す。
民間の財物や粟米を用いて「凡器」に交換することを希望する者を募集し、希望すれば、すべてを購入せよ。また、村人の知り合い関係や兄弟に罪人が居り、または、県中に在住していない、などであっても、罪を代償しようと希望する者、もしくは、粟米、錢金、布帛、他の財物により、罪を代償することを希望する者は、これを許す。
伝言を担当する者は十步毎の割合で一人を選任し、伝言することを滞留させたり、伝言の内容が不足させたりした者は、処罰する。もろもろのことがらで利便があると思われるものは、速やかにそれを太守に報告する。官吏・兵卒・住民に関わることがらを提言したいと願う者、速やかに提言の報告を行い、これを官吏に請願し、請願の上奏を遅延させ、または、上奏しなかった者は、処罰する。
県令はおのおののその県の中の豪傑、もしくは、謀士、居大夫、性格が重厚な人物、人口の数の多少を上奏する。
官府城下の官吏・兵卒・住民の家は、その家の前後左右の住民と連携して防火の連帯保証を行う。火事を発生させ、自宅が焼け、さらに火元となり延焼して他の人の家を焼けば、処罰する。
もろもろの人々を集めて弱小者を脅迫し、人の婦女を強姦し、集まって騒ぎ立てる者は、皆、処罰する。
もろもろの城門もしくは亭にあって、慎重に往来して行く者の割符を取り調べ、割符や伝書が疑わしい、もしくは、割符を保持しなければ、その者の皆を、県廷に連行し報告する。その往来させた背景を詰問する。任務の割符や伝書を保持する者は、規則に従い官府に宿営させる。その往来する者の知り合い、また、その兄弟で面会を希望する者がいれば、面会の為に官府に召し出すが、里や街中で面会を許可しない。三老や守閭は繕夫に嘱託して面談への対応を行わせる。もしくは、他の職務を行う者で微職な者は、里中に入ることを許さない。三老は庶民の家に入ることは許可しない。命令を里中に伝える者は鳥の羽の目印を付け、目印の羽は三か所の「差」で管理し、庶民の家はおのおののその「官中」に命令を伝言し、命令を失う、もしくは、命令の伝達を遅延する者は、処罰する。家には警備を配置し食料を管理する。官吏・兵卒・住民で割符や節を保持しない者が、勝手に里中や街に入った場合、官府、官吏、三老、守閭の者が制限しなかった場合、関係者の全員を処罰する。
もろもろの守備する器械、財物を盗み、また、集団で盗む者、盗む財貨の値が一錢以上は、皆、処罰する。官吏・兵卒・住民の、おのおのの名前を木札に大書し、これをその所属する部署に掲げる。太守はその部署を確認し、その所属しない者が勝手に部署にいる者を、処罰する。城上では毎日、一回は敷物を持ち上げ、敷物を交換させ、人が敷物の下に隠し持つ物で禁中に指定されたものを隠して報告していない者は、処罰する。
官吏・兵卒・住民で死亡した者は、その死亡した人の家族を呼び寄せ、慰労金を与え司空は死亡者を葬るが、家族が死体に取り付いて泣くことは許可しない。戦病傷が甚だしい者は家に帰り、病傷を治療させ家で十分に保養を行い、医師の診察を与え、薬を給付し、酒は一日二升、肉は一日二斤を支給し、官吏に命じて、しばしば、里中の家に行かせ、病傷の状況を視て、その病傷が癒えたようであれば、報告書を提出して上の者に仕えさせる。偽って自ら傷を付け、職務を避けることを行うは、この者と三族にまでに処罰を行う。戦争が止めば、太守は官吏に命じて、官吏自ら死傷者の家に行き、門戸において死傷者への哀悼を行わせる。
敵が去り、戦争が終われば、塞祷を催す。太守は命令により邑中の豪傑・傑力の者のもろもろの者で戦功が有る者を聞き取り、また、必ず太守自ら死傷者の家に行き、死傷者を弔哀し、太守自ら戦争で戦死した者の後のことを確認することを行う。敵による城の包囲が終われば、城主は速やかに使者を関係する者たちの許に行かせ、関係するものたちの労をいたわり、戦功が有る者、および、死傷者の数を挙げて、爵位・俸禄を与え、太守は自ら祖廟に尊寵し、明白に祖先を貴び、その死傷者たちの怨みを敵に向けさせる。
城上の兵卒、もしくは、官吏のおのおののその左右に連帯保証を持たせ、もし、城に対して外の勢力の為に謀を企む者がおれば、父母、妻子、同じ親に産まれた者、その皆を処罰する。連帯保証の左右の者が、企みを知っていて捕縛や通告をしなかった場合は、連帯保証の皆を、共に罪を同じくとする。城下や里中の庶民も、皆、連帯保証をおこなうことは、城上の定めることと同じとする。謀を企てる者を捕縛や通告をする者がいれば、この者の褒賞として役を封ずるのに千家の邑の長の身分をもって行い、もし、その連帯保証関係の左右の者でなく、他の伍人組の者を捕縛や通告する者ならば、この者を二千家の邑の長に封ずる。
城の禁止事項として、兵卒、住民に対し敵の旗印や軍団の旗印を求める者は欲する者は罰に落とし、処罰する。命令に従わない者は、処罰する。その立場に無いのに勝手に命令を出す者は、処罰する。命令を取り違える者は、処罰する。檄に拠り駆けて城を下り、また、戦況に応じて城を上下するのに他の者と同じ行動を取れない者は、処罰する。合図に合わせた応答ではないのに、勝手に大声を出す者は、処罰する。勝手にものを失う者は、処罰する。敵を誉め見方をけなす者は、処罰する。部署を離れ私語を発する者は、処罰する。城の鼓の音を聞き、遅れて部署に集合する者は、処罰する。人は自らの名前を名札の板に大書し、これをその部署に掲げ、太守は必ず自らその先後を視察し、その部署ではないのに、勝手にこの部署に入り込む者は、処罰する。部署の同輩左右の者とその部署を離れ、同輩と共に他の部署に入る、連帯保証関係の同輩左右の者が謀反の者を捕らない、私書を隠し持つ、請願や拝謁を願うことを行い或は他人の為に敵への手紙を書く者、敵から城を守備する事を忘れて自分の一家の事を行う、戦死した住民の妻や嬰児を盗む、これらの皆は、断じて赦すことは無い。
城上の人を確認して、これを名簿に記録する。割符や「節」を保持せずに勝手に軍中を移動する者は処罰する。敵が城下に駐屯すれば、これにより、しばしば、その部署への配属を変えるが、炊事夫を変えることはしない。敵を誉め、敵が少数なのに多いとみなし、敵が乱れている姿に対し混乱は治まっているとみなし、また、敵が攻撃する戦法が拙速なのに巧妙と評価する者は、処罰する。敵と城の主人とが、互いに語り合い、互いに物の貸し借りがあってはならず、敵が矢を射るに矢文を用いても、読み上げることは無く、外の敵が内の見方に有利な条件を示して、応じることは無く、命令に従わない者は、これらの皆、処罰する。禁ずることとして、敵への矢文を挙げ、もしくは書を用いて敵に矢を射ることを行わず、命令を犯す者は父母、妻子の皆を処罰し、身は城上に晒す。このような犯罪を行う者を捕縛・報告する者がいれば、この者に黄金二十斤を褒賞する。時間外に、外出する者は(処罰する)、ただ、太守および太守の「節」を所持して使者となる者だけである。
太守が城に入り防衛に臨めば、必ず、慎重に父老、官吏、大夫に質問し、もろもろの怨恨関係、仇関係、復讐関係があって、互いに打ち解けない関係にある者は、その人を招集して、明白に城の防衛のためにこれらの打ち解けない関係を解きほぐす。太守は、必ず、自らその人を他の人と区別し、これらの者を記録し、これらの者をその怨恨関係者などと隔離させ、私怨により城、もしくは、官吏のものごとを害する者がいれば、父母、妻子、その皆を共に処罰する。その城に対し外部の敵の為に謀る者は、三族共に誅罰する。敵に謀る者の情報を得た者、もしくは、その者を捕縛や報告した者がいれば、その守備する所の邑の、大小の規模に応じてこの者を長に封じ、太守はその邑長の印を授け、尊重・寵愛し、この者を官職任用し、官吏・大夫及び兵卒・住民に対し、その皆に明らかにこの者を周知させる。
邑の豪傑の外に多くの諸侯と交遊を持つ者は、常にこの者を召して、上の者に対しその者が常に太守に拝謁していることを邑人に通知させ、十分のこの者を味方に所属させ、居住する所の官吏は上の者に対し報告し、しばしば、この者に神祀りの餞俱を提供させ、また、勝手に諸侯や豪傑がその者のところに出入することが無いようにさせ、この者から関連の親族の人質を取る。各郷村の長者、父老、豪傑の親戚・父母・妻子、必ず、これらの者たちを尊敬・寵愛し、もし、貧しくて自ら食料を自給できない者がおれば、上はこの者に食料を給付する。また、勇士の父母・親戚・妻子には、皆、時に酒肉を賜り、必ず、この者たちを敬い、この者たちが居住する場所は、必ず、太守の近くにする。「守樓」は人質を置く「質宮」を監視できる場所に置き、そして、注意が行き届くようにする。必ず、密にその守樓の壁を土で塗り、また、守樓は下から上を見えないようにし、上から下を監視し、下から上に人が居るか居ないかを判らないようにする。
太守が民との信頼関係を保つこととは、官吏は貞廉、忠信、無害であって、ものごとを任せられる人物を登用し、城上での飲食・酒・肉をとることを禁止することをせず、錢金、帛布、財物などはおのおの自分自身でこれらのものを守り、厳重に互いに盗み合うことが無いようにする。葆宮の牆は必ず、牆の垣を三重にし、さらに葆宮を警備するものとして、皆、音が出る瓦や釜を牆上に積み重ねる。門には官吏を配備し、もろもろの里区域の門の、開閉を管理し、必ず、太守の「節」の携帯を必要とする。葆宮の警護には、必ず、兵士で重厚なる者を任用する。官吏で忠信なる者を選任し、害を起こすことなく、ものごとを任せられる人物を登用する。これらの者に部署を警護させ、太守は葆宮に十尺の高さの垣を築き、垣は葆宮の牆門に連絡させて周囲に廻らせ、太守の閨閥関係にある者を、「司馬門」の護衛を命じることは無い。
吉凶を見る望気者の宿舎は必ず太守の宿舎の近隣に置き、巫の宿舎は必ず公社の近隣に置き、必ず、巫を敬って巫に神事を行わせる。巫・祝・史と望気者は、必ず、善き言葉によりを民衆に告げ、太守の請問により太守に神の「報」を奉り、太守は独りその請問への神の報を知るだけである。この者たちが民衆に中身の無い報を与え、望気の報が妄言として不善の言葉を発し、民衆を驚き恐れさせれば、断じて赦すことは無い。
食料の備蓄を調べ不足していなければ、食料を自給する住民に対しおのおのが自らの、家の五種の穀物の備蓄の数量を見積もらせ、期限を定め報告させ、その数量に問題点があれば、官吏はよくこもごも、その数量を集計・計画し、報告の期限が過ぎ、隠匿して備蓄の見積もりをせず、または備蓄の見積もりをしても全数で無い場合は、官吏・兵卒に命じて調査・確認をさせ、このような場合は、皆、処罰する。隠匿の事情を知って報告する者がいれば、その備蓄の十分の三を与える。粟米、布帛、錢金を収容し、畜産物が城内にあれば、皆、官の収容のためにその代価を平時の価格に直し、(供出・収容を証する)主券を供出した人に与え、その代金を書す。戦争が終われば、皆、おのおののその代金の金額により賠償する。また、その購入代金の高い低い、多い少ない、その高を用いて爵位を賜い、官吏となることを希望する者はこれを許し、その官吏となることを希望しない者は、購入代金の高により賜賞の爵位・俸禄を受け、もしくは、その者の親戚や関係者で罪人が居り、その罪の贖いとして財物を出すことを希望する者は、命令によりこれを許す。その恩賞を受ける者は葆宮に太守との拝謁をさせ、拝謁ではその者に代わり、その親に褒賞を授与する。また、さらに御上を助けようと願う者は、褒賞となるその爵位・報償を倍にする。(備蓄の見積もり書は、)「某県の某里の某子の家の食する人口二人、備蓄穀物六百石、某里の某子の家の食する人口十人、備蓄穀物百石。」(のようにする。)粟米を供出するのに期日を定め、期限を過ぎて供出しない者の供出は、王公はこれを没収し、供出していないことを、知り報告する者がいたら、その没収する量の十分の三を褒賞する。慎重に情報を管理し、住民に我が城上内の粟米の備蓄量を知らせてはいけない。
太守が城へ入城すれば、最初に斥候の選任を手始めとし、斥候を獲得できれば、この者を宮内に宿泊させ、我が守衛の備えを敵に知られないようにする。斥候の為に特別な宮を建て、その者の父母妻子の皆を、其の特別な宮に同宿させ、衣食酒肉を支給し、信用できる官吏が、十分にこの者たちをもてなす。斥候が到着、もしくは、任務から帰着したら、偵察の首尾を問う。太守の宮には、外環を三重に巡らし四隅に太守の宮の樓を造り、内環にも樓を造り、樓より葆宮に連絡する環の幅は一丈五尺とし、これを道とする。葆には居室を造らない。三日に一回、敷物を挙げて、敷物を取り調べ、茅を宮中に布き、厚さ三尺以上とする。斥候を敵地に派遣するには、必ず郷邑の忠信で、善重の士を選任し、親戚、妻子が居れば、手厚くこの者たちをもてなす。必ず斥候の敵地への派遣を重要視し、そのためにその親、もしくは妻子の衣食を給付し、特別な宿舎を建て、関係者と衆人とを同じ場所に集合させることをせず、この者たちに酒肉を支給する。
他の斥候を派遣するときは、この者への待遇・処遇は前の斥候と同じようにし、帰還して、互いに参集して報告が信用できれば、厚くこの者たちに恩賞を賜い、斥候を三回、派遣され、三回ともに信用が出来れば、重くこの者に恩賞を賜う。恩賞を賜うことを希望せず、官吏となることを希望する者は、この者に二百石の官吏として任用する。太守はこの者に二百石の官吏の印を珮授する。その官吏となることを希望せず、恩賞の俸禄を受けることを希望する者は、皆、前の例と同じようにする。斥候で深く敵の主な国内に侵入する者がいて、この情報を質問して審らかで信用が出来れば、この者を褒賞することは他の斥候の恩賞の倍とする。その恩賞を受けることを希望せず、官吏になることを希望する者は、この者に三百石の官吏として任用する。
国防の士としての褒賞を受ける者は、太守は必ず自身自らこの国防の士のその親の、その親の所に出向いて、その報償の授与の見守りに立ち会う。その者が再び御上を助けようと希望した者へは、その報償、爵禄、その者の関係者の罪人の罪の贖いなどの規定の適用を倍にする。
斥候の派遣は城下から十里以上に出さず、高く測候に便利な所にいて、目印を立て、目印は三人でこれを監視し、そこから城に至るまでには三箇所の目印があり、城上の狼煙と互いに見えるようにし、昼間は狼煙を挙げ、夜間は火を掲げる。敵が押し寄せて来た情報を住民から聞き、審らかに敵の陣形から必ず攻撃態勢を確認し、小城で自ら敵の進撃を守備出来ないことを判断し、すべてのその地区の老人弱者、粟米、畜産を保全する。迅速に斥候を派遣する者は五十人を超えることは無く、敵が堞に到達すれば目印の場所から離れる。慎重に判断して遅延してはいけない。斥候の「曹」の駐屯では三百人を越えることは無く、日が暮れて斥候を偵察に出し、目印の徽章を付ける。空の坑道、要塞などの敵人が行き来する場所には、敵人を追跡させる者を、里毎に三人を下回らないように配置し、夜明けに出発して追跡させる。詰め所の「曹」のおのおの場所にその目印を立て、城上はこの「曹」との連絡を取る。斥候は「曹」を出発し、「陳」の目印を越えること。「遮」は郭門の内外に駐屯し、その目印を立て、兵卒の半数を門内に駐屯させ、その兵卒の人数の多少を敵に判らせないようにする。もし、敵の急襲があって、敵が「陳」の目印を越えるのを確認すれば、城上より指図の旗によりこの事態を指し、「遮」は郭門に駐屯したままで、鼓を打ち、合図の旗を整えて、それにより戦いの準備を整え、指図の旗の指す所に従い、敵を確認すれば、一旗の旗を掲げ、城下の境界線に入れば、二旗の旗を掲げ、城郭に取り付けば、三旗の旗を掲げ、城郭に侵入したら、四旗の旗を掲げ、城を取り囲んだら、五旗の旗を掲げる。夜は火を用い、火の数、その皆は、旗を掲げるのと同じようにする。
城郭の外側百步の区画に対し、牆垣、樹木の大小にかかわらずすべての樹木を伐採除去する。城郭の外の使用していない井戸は、すべてこれを埋め、水を汲むことが出来ないようにする。城郭の外の無人の家屋はすべて解体するし、庭木はすべて伐採する。もろもろのそれにより城を攻撃するのに使用できるものは、すべて、城中に入れ、その所有者おのおののものを記録させ置く。戦争が終わって、おのおののその記録により城内に収容したものを受け取る。戦争にあっては収容したものの証書の券を作り、その発行した証書の枚数を記録する。木材について、すべてを城内に収容出来ないものは、これを焼き払い、敵が材木を収容して、これを利用できないようにする。
住民は自ら木版名札に自分の名前を大書し、名札をその人が所属する部署に掲げる。有司はその管理する部署・区域を規定し、そこでの従うべき処罰規定を定め、その処罰規定から罪を取り締まる。身分を誇り正義を侮り、淫らに騒ぎ立てて静穏を保たず、路にあってはたむろし、職務を忘れ処理を遅延し、時機を失って親を避難させないなど、その罪を取り締まる。やかましく騒ぎ立てる者共を処罰し、その罪を断罪する。上を誹り、上を諫めず、勝手気ままに不吉な発言をする者は、その罪を処罰する。勝手に楽器を演奏する、賭博を行うことは軍中では許さず、それを行えば、その罪を取り締まる。有司の命令でなければ、勝手に馬車を走らせることは許さず、人が走ること、このようなことが有れば、その罪を取り締まる。勝手に牛馬を軍中に放すことは許さず、このことが有れば、その罪を取り締まる。飲食が規定の時間に取らない場合は、その罪を取り締まる。勝手に軍中で歌い、また、泣くことは許さず、このことが有れば、その罪を取り締まる。おのおのの罪に対して罰を執り行い、ことごとく、処罰し、有司がある者に罪が有ることを見て処罰しない場合は、有司を同じように罰し、もし罪があることを見逃すことがあれば、また、処罰する。およそ将官・軍師がその部下を指揮するのに法度を失念していたら、処罰する。およそ有司が、兵卒・官吏・住民に対して誓約・命令を周知すること行わなかった場合は、罪を犯した者の代わりに有司が罪に服す。およそ人を市中に殺人した場合には、死刑の刑罰を行うには上の意見を確認する。
「謁者」は「令門」の外に侍し、令門に二つの「曹」の詰め所を建て、門を挟んで待機し、食事は交代で取り、曹に人が居ない状況を作らない。門下に侍する謁者には長一人を配置し、太守はしばしば、太守の許に報告書を提出させ、その戦死者の名簿を見、また、門尉とその官長とを監督し、戦死者が発生したら太守の許に報告させる。四人の謁者は令門を挟んで内に駐屯し、二人の謁者は散門を挟んで外に駐屯する。客が拝謁を願う時は、謁者は武器を帯びて門前に立ち、食事は交代で取り、警護に就く侍者の名を報告する。
太守の室の下に高樓を建て、候者は、馬車に乗り、もしくは、騎馬兵卒で道を門外から来る者、および、城中で非常のものごとを発見したら、ただちにこれを太守に報告する。太守はこれにより城上の発見した城門及び邑吏が関わるその非常のことがらを参上し、報告する者を待ち、報告により非常のことがらを確認し、樓下の者は発見者の報告を受けて、それにより太守に報告する。
「中涓」に兵卒二人を配置し、散門を挟んで内に駐屯し、門は常に閉じ、食事は交代で取り、中涓には長者一人を任命する。守宮を巡らす「術衢」には、「屯道」を置き、おのおののその両側に垣を設け、高さは一丈、「埤倪」の樓を造り、埤倪を造る最初に「雞足」を置き、監視の兵卒二人は監視を保ちつつ食事を行う。また札書を受け取ると、必ず、慎重に札書を取り調べ、偽りの有無を調べ、もし、偽りの札書で不法であれば、拝謁を求める者を止め、詳細を詰問する。
屯道の垣の外、路の巷に、皆、樓を造り、高く里中を監視し、その樓には鼓一基と壟灶を置く。もし、なにごとかが起きれば、鼓を打ち鳴らし、官吏が到着したら止める。夜は火を用いて鼓所の場所を示す。城下は五十步毎の割合で廁一か所を置き、廁は圂と同じように上に造り置く。罪の過ちの請求があるが処罰するほどでもない者は、廁を掃除させて、厠を人々に利用させる。

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万葉集 集歌3975から集歌3979まで

2022年12月23日 | 新訓 万葉集
集歌3975 和賀勢故邇 古非須敝奈賀利 安之可伎能 保可尓奈氣加布 安礼之可奈思母
訓読 吾(わ)が背子に恋ひすべながり葦垣(あしかき)の外(ほか)に嘆かふ吾(あれ)し悲しも
私訳 私の尊敬する貴方を慕っても甲斐がありません。葦の垣根のように隔てた外で嘆いている私は、辛い。
三月五日、大伴宿祢池主
左注 三月五日に、大伴宿祢池主

昨暮来使、幸也以垂晩春遊覧之詩、今朝累信、辱也以貺相招望野之歌。一看玉藻、稍寫欝結、二吟秀句、已蠲愁緒。非此眺翫、孰能暢心乎。但惟下僕、稟性難彫、闇神靡瑩。握翰腐毫、對研忘渇。終日目流、綴之不能。所謂文章天骨、習之不得也。豈堪探字勒韻、叶和雅篇哉。抑聞鄙里少兒、古人言無不酬。聊裁拙詠、敬擬解咲焉
(如今、賦言勒韵、同斯雅作之篇。豈殊将石間瓊、唱聾遊之曲欤。抑小兒譬濫謡。敬寫葉端、式擬乱曰)

七言一首
杪春餘日媚景麗 初巳和風拂自軽
来燕銜泥賀宇入 帰鴻引蘆迥赴瀛
聞君肅侶新流曲 禊飲催爵泛河清
雖欲追尋良此宴 還知染懊脚玲酊 (玲は、王偏が足偏の当字、酊は酉偏が足偏の当字)

標訓 昨暮(さくぼ)の来使は、幸(さきは)ひに晩春遊覧の詩を垂れ、今朝の累信(るいしん)は、辱(たかじけな)くも相招(さうせう)望野(ぼうや)の歌を貺(たま)ふ。一たび玉藻を看(み)て、稍(やくや)く欝結(うつけつ)を寫(のぞ)き、二たび秀句を吟(うた)ひて、已(すで)に愁緒(しうしよ)を蠲(のぞ)く。此の眺翫(てつぐわん)あらづは、孰(たれ)か能く心を暢(の)べむ。ただ、惟(これ)、下僕(やつかれ)、稟性(ひんせい)彫(ゑ)り難く、闇神(あんしん)瑩(みが)くこと靡(な)し。翰(ふで)を握(と)りて毫(がう)を腐(くた)し、研(すずり)に對(むか)ひて渇くことを忘る。終日(ひねもす)に目流(もくる)して、綴(つづ)れども能(あた)はず。所謂(いはゆる)文章は天骨にして、習ひて之を得ず。豈(あに)、字を探り韻を勒(ろく)すを堪(あ)へ、雅篇に叶和(けふわ)するや。抑(そもそも)鄙里(ひり)の少兒(せうに)に聞くに、古人は言(こと)に酬(こた)へぬこと無しといへり。聊(いささ)かに拙詠を裁(つく)り、敬みて解咲(かいせう)に擬(なぞ)ふ。
(如今(いまし)、言を賦し韵を勒(ろく)し、斯(そ)の雅作の篇に同ず。豈、石を将(も)ちて瓊(たま)に間(まじ)へ、聾に唱(とな)へこの曲に遊ぶに殊ならめや。抑(よそもそも)小兒の濫(みだり)に謡(うた)ふが譬(ごと)し。敬みて葉端に寫し、式(も)ちて乱に擬(なぞ)へて曰はく)

杪春(びょうしゅん)の餘日媚景(びけい)は麗(うるは)しく 初巳(しょし)の和風は拂ひて自(おのづか)らに軽し
来燕(らいえん)は泥(ひぢ)を銜(ふふ)みてを宇(いへ)を賀(ほ)きて入り 帰鴻(きこう)は蘆(あし)を引きて迥(はる)かに瀛(おき)に赴く
聞く君が侶(とも)に肅(しゅく)して流曲を新たにし 禊飲(けいいん)に爵(さかづき)を催(うなが)して河清に泛(うか)び
追ひて良く此の宴(うたげ)を尋ねむとすれども 還りて知る懊(やまひ)に染みて脚の玲酊(れいてい)なることを

標訳 昨日夕刻の使者はうれしくも晩春遊覧の詩を届けてくれ、今朝の重ねてのお便りは、有り難くも野遊びへの誘いの歌を下さいました。最初の御文を見て多少憂うつな心の晴れるのを感じ、再び秀れた歌を吟じてすでに愁いの気分が除かれました。この風光を眺め楽しむ以外に、なにがよく心をのびやかにするものがありましょう。ただ、私は生まれつき文章を起こす素質がなく、愚鈍な心は磨くところがありません。筆を取っても筆先を腐らせるだけですし、硯に向かっても水が乾くのもわからないほどに考えるばかりです。一日中眺めていても文を綴ることができません。いわゆる文章というものは天性のもので、習って得られるものではありません。どうして、言葉を探し韻を踏んで詩を起こし、あなたの風雅な詩にうまく応じられましょうか。しかし、そもそも村里の子供に聞いても、昔の人は贈られた文章には答えないことはないと云います。そこで拙い詩を作り、謹んでお笑い草といたします。
(今、詩を起こし韻を踏み、貴方の風雅な御作に答えます。どうして、それが石をもって玉の中に雑じえ、声を上げて詠って自分の歌を喜ぶことと他なりましょうか。そもそも子供がやたらに歌うようなものです。謹んで紙の端に書き、それを乱れの真似ごととし、云うには)

暮春の残影の明媚な景色はうららかに、上巳のなごやかな風は吹き来て自ずから軽やかである
飛来した燕は泥を口に含んで家に入り祝福し、北へ帰る雁は蘆を持って遠く沖へ赴く
聞くに貴方は友と共に詩歌を吟じ曲水の歌を新たにし、上巳の禊飲に盃を勧め清き流れに浮かべ
出かけて行ってこの佳き宴を尋ねようと思うが、還って知る。病に染まり足がよろめくのを

短謌
集歌3976 佐家理等母 之良受之安良婆 母太毛安良牟 己能夜万夫吉乎 美勢追都母等奈
訓読 咲けりとも知らずしあらば黙(もだ)もあらむこの山吹を見せつつもとな
私訳 咲いていることも知らないままでいたなら黙っていたのですが、山吹の花を見せながら、空しい。

集歌3977 安之可伎能 保加尓母伎美我 余里多々志 孤悲家礼許古婆 伊米尓見要家礼
訓読 葦垣(あしかき)の外(ほか)にも君が寄り立たし恋ひけれここば夢(いめ)に見えけれ
私訳 葦の垣根のように隔てた外からでも貴方が立ち寄って居て、私に気に掛けて貴方が来るから夢に見えたのです。
三月五日、大伴宿祢家持臥病作之
左注 三月五日に、大伴宿祢家持の病に臥して之を作る

述戀緒謌一首并短謌
標訓 戀の緒(こころ)を述べたる謌一首并せて短謌
集歌3978 妹毛吾毛 許己呂波於夜自 多具敝礼登 伊夜奈都可之久 相見波 登許波都波奈尓 情具之 眼具之毛奈之尓 波思家夜之 安我於久豆麻 大王能 美許登加之古美 阿之比奇能 夜麻古要奴由伎 安麻射加流 比奈乎左米尓等 別来之 曽乃日乃伎波美 荒璞能 登之由吉我敝利 春花之 宇都呂布麻泥尓 相見祢婆 伊多母須敝奈美 之伎多倍能 蘇泥可敝之都追 宿夜於知受 伊米尓波見礼登 宇都追尓之 多太尓安良祢婆 孤悲之家口 知敝尓都母里奴 近有者 加敝利尓太仁母 宇知由吉氏 妹我多麻久良 佐之加倍氏 祢天蒙許万思乎 多麻保己乃 路波之騰保久 關左閇尓 敝奈里氏安礼許曽 与思恵夜之 餘志播安良武曽 霍公鳥 来鳴牟都奇尓 伊都之加母 波夜久奈里那牟 宇乃花能 尓保敝流山乎 余曽能未母 布里佐氣見都追 淡海路尓 伊由伎能里多知 青丹吉 奈良乃吾家尓 奴要鳥能 宇良奈氣之都追 思多戀尓 於毛比宇良夫礼 可度尓多知 由布氣刀比都追 吾乎麻都等 奈須良牟妹乎 安比氏早見牟
訓読 妹も吾(われ)も 心は同じ 副(たぐ)へれど いや懐(なつか)しく 相見れば 常(とこ)初花(はつはな)に 心ぐし めぐしもなしに 愛(は)しけやし 吾(あ)が奥妻 大王(おほきみ)の 御言(みこと)畏(かしこ)み あしひきの 山越え野行き 天離る 鄙治めにと 別れ来し その日の極み あらたまの 年往(ゆ)き返り 春花の 移(うつ)ろふまでに 相見ねば 甚(いた)もすべなみ 敷栲の 袖返しつつ 寝(ぬ)る夜おちず 夢には見れど うつつにし 直(ただ)にあらねば 恋しけく 千重(ちへ)に積(つ)もりぬ 近くあらば 帰りにだにも うち行きて 妹が手枕(たまくら) さし交(か)へて 寝ても来(こ)ましを 玉桙の 道はし遠く 関さへに 隔(へな)りてあれこそ よしゑやし 縁(よし)はあらむぞ 霍公鳥(ほととぎす) 来鳴かむ月に いつしかも 早くなりなむ 卯の花の にほへる山を 外(よそ)のみも 振り放(さ)け見つつ 近江(あふみ)道(ぢ)に い行き乗り立ち あをによし 奈良の吾家(わぎへ)に ぬえ鳥の うら嘆(な)けしつつ 下恋に 思ひうらぶれ 門(かど)に立ち 夕占(ゆふけ)問(と)ひつつ 吾(あ)を待つと 寝(な)すらむ妹を 逢ひてはや見む
私訳 愛しい貴女も私も心は同じ。いっしょに居てもますます心が惹かれ、逢うと常初花のようにいつも、心を作ったり、眼差しを繕ったしないで、愛らしい私の心の妻よ。大王の御命令を謹んで、足を引くような険しい山を越え野を行き、都から離れる鄙を治めると、貴女と別れて来て、その日を最後に、年の気を改める、年も改まり、春の花が散ってゆくまで、貴女に逢えないと、心が痛むがどうしようもない、敷栲の袖を折り返しながら寝る夜は、いつも夢に見えても、現実に、直接に逢うこともできないので、恋しさは幾重にも積もった。都が近かったら、ちょっと帰ってでも行って、愛しい貴女の手枕をさしかわし寝ても来ようものを、立派な鉾を立てる官路は遠く関所までも間を隔てていることだ。ままよ、何か良い機会もあるだろう。ホトトギスが来て鳴く月にいつかは、すぐになるだろう。卯の花の美しく咲く山を外ながらにも遠く見ながら、近江路を辿っていって、青葉が美しい奈良のわが家に到り、ぬえ鳥の、その言葉のひびきのように、うら嘆きつつ(=心の底から嘆きつつ)、心の底からの恋に侘びしく思いつつ門に出ては、夕占を問いながら私を待って寝ているだろう愛しい貴女に、早く逢いたいものです。

集歌3979 安良多麻之 登之可敝流麻泥 安比見祢婆 許己呂毛之努尓 於母保由流香聞
訓読 あらたまの年返るまで相見ねば心もしのに思ほゆるかも
私訳 年の気が新たになる、その年が改まるまで貴女に逢えないと、心も萎れるように感じられます。

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万葉集 集歌3970から集歌3974まで

2022年12月22日 | 新訓 万葉集
集歌3970 安之比奇能 夜麻佐久良婆奈 比等目太尓 伎美等之見氏婆 安礼古悲米夜母
訓読 あしひきの山桜花(さくらはな)一目だに君とし見てば吾(あれ)恋(こ)ひめやも
私訳 葦や檜の生える山の、その山桜の花を一目だけでも、貴方と思ってみたら、どうして私はこんなに貴方に会いたいと思うでしょうか。

集歌3971 夜麻扶枳能 之氣美等眦久々 鴬能 許恵乎聞良牟 伎美波登母之毛
訓読 山吹の茂み飛びくく鴬の声を聞くらむ君は羨(とも)しも
私訳 山吹の茂みを飛び潜る鶯の鳴く声を聞いているでしょう、その貴方が羨ましい。

集歌3972 伊泥多々武 知加良乎奈美等 許母里為弖 伎弥尓故布流尓 許己呂度母奈思
訓読 出で立たむ力を無(な)みと隠(こも)り居て君に恋ふるに心神(こころと)もなし
私訳 出で立つと思う気力が無いと部屋に隠り居て、貴方に会いたいと思うが、その気力が湧きません。
三月三日、大伴宿祢家持
左注 三月三日に、大伴宿祢家持

七言、晩春三日遊覧一首并序
標訓 七言、晩春の三月三日に遊覧せる一首并せて序
上巳名辰、暮春麗景、桃花昭瞼以分紅、柳色含苔而競緑。于時也、携手曠望江河之畔、訪酒迥過野客之家。既而也、琴樽得性、蘭契和光。嗟乎、今日所恨徳星己少欠。若不扣寂含之章、何以壚逍遥野趣。忽課短筆、聊勒四韻云尓、 (壚は、土偏でなく手偏の当字)
餘春媚日宜怜賞 上巳風光足覧遊
柳陌臨江縟袨服 桃源通海泛仙舟
雲罍酌桂三清湛 羽爵催人九曲流
縦酔陶心忘彼我 酩酊無處不淹留
三月四日、大伴宿禰池主

標訓 上巳の名辰(めいしん)は、暮春の麗景(れいけい)、桃花(とうくわ)瞼を昭(あ)かし以ちて紅(くれなゐ)を分ち、柳は色を含みて苔(こけ)と緑を競う。その時に、手を携へて曠(はる)かに江河の畔を望み、酒を訪(とぶら)ひて迥(はる)かに野客の家を過ぐ。既にして、琴樽(きんそん)の性(さが)を得、蘭契(らんけい)光を和(やわら)ぐ。嗟乎(ああ)、今日、恨むるは徳星己(すで)に少きことか。若(も)し寂(じゃく)を扣(たた)き之の章を含(ふふ)まずは、何を以ちて野を逍遥する趣(こころ)を壚(の)べむ。忽(たちま)ちに短筆に課(おほ)せ、聊(いささ)かに四韻を勒(ろく)し云ふに、

餘春の媚日(びじつ)は怜賞(あは)れぶに宜(よろ)しく 上巳(じやうし)の風光は覧遊するに足る
柳陌(りうはく)は江に臨みて袨服(げんふく)を縟(まだらか)にし 桃源は海に通ひて仙舟を泛(うか)ぶ
雲罍(うんらい)に桂(けい)を酌(く)みて三清を湛(たた)へて 羽爵(うしゃく)は人を催(うなが)して九曲に流る
縦酔(しょうすい)に心を陶して彼我(ひが)を忘れて 酩酊し處として淹留(えんりう)せぬなし

三月四日に、大伴宿禰池主

標訳 三月三日の佳日には、暮春の風景は美しく、桃花は瞼を輝かしその紅色を見せ、柳は色を含んで苔とその緑を競う。その時に、友と手を携えて遥かに入り江や川のほとりを眺め、酒を供に遠くの野に住む人の家を行き過ぎる。そして、琴を奏で酒を楽しむことを得、君子の交わりは人の気を和らぐ。ああ、今日の日を怨むことは賢人を最初から欠くことでしょうか。もし、この風景に心を結びて文章としなければ、何をもって野をそぞろ歩く、その趣を顕そう。そこで拙い文才でもって、いささかな四韻の詩をしるし云うには、

暮春の媚日は称賛するにふさわしく、 三月三日の風光は遊覧するのに十分だ。
堤の柳は入り江に臨んで晴れの姿を美しくし、 桃源郷は海に通じて仙人の舟が浮かぶ。
雲雷の酒樽に桂の酒を酌んで盃に清酒を湛え、 羽爵の盃は人に酒を勧めて曲水を流れる。
酔うままに心は陶酔してすべてを忘れ、 酩酊して一つ所に留まることはない。

三月三日に、大伴宿禰池主。

昨日述短懐、今朝汗耳目。更承賜書、且奉不次。死罪々々。
不遺下賎、頻恵徳音。英雲星氣。逸調過人。智水仁山、既韞琳瑯之光彩、潘江陸海、自坐詩書之廊廟。騁思非常、託情有理、七歩成章、數篇満紙。巧遣愁人之重患、能除戀者之積思。山柿謌泉、比此如蔑。彫龍筆海、粲然得看矣。方知僕之有幸也。敬和謌。其詞云
標訓 昨日短懐(たんくわい)を述べ、今朝耳目(じもく)を汗(けが)す。更に賜書(ししょ)を承(うけたまは)り、且、不次(ふじ)を奉る。死罪々々。
下賎を遺(わす)れず、頻(しきり)に徳音を恵む。英雲星氣あり。逸調(いつてう)人に過ぐ。智水仁山は、既に琳瑯(りんらう)の光彩を韞(つつ)み、潘江(はんかう)陸海は、自(おのづ)から詩書の廊廟(ろうべう)に坐す。思(おもひ)を非常に騁(は)せ、情(こころ)を有理に託(よ)せ、七歩章(あや)を成し、數篇紙に満つ。巧みに愁人の重患を遣り、能く戀者(れんしゃ)の積思(せきし)を除く。山柿の謌泉は、此(これ)に比(くら)ぶれば蔑(な)きが如し。彫龍(てうりゅう)の筆海は、粲然(さんぜん)として看るを得たり。方(まさ)に僕が幸(さきはひ)あることを知りぬ。敬みて和(こた)へたる謌。その詞に云ふに、
標訳 昨日、拙い思いを述べ、今朝、貴方のお目を汚します。さらにお手紙を賜り、こうして、拙い便りを差し上げます。死罪々々(漢文慣用句)。
下賤のこの身をお忘れなく頻りにお便りを頂きますが、英才があり優れた気韻があって、格調の高さは群を抜いています。貴方の智と仁とはもはや美玉の輝きを含んでおり、潘岳や陸機の如き貴方の詩文は、おのずから文学の殿堂に入るべきものです。詩想は高く駆けめぐり、心は道理に委ね、たちどころに文章を作り、多くの詩文が紙に満ちることです。愁いをもつ人の心の重い患いを巧みに晴らすことができ、恋する者の積る思いを除くことができます。山柿の歌はこれに比べれば、物の数ではありません。龍を彫るごとき筆は輝かしく目を見るばかりです。まさしく私の幸福を思い知りました。謹んで答える歌。その詞は、

集歌3973 憶保枳美能 弥許等可之古美 安之比奇能 夜麻野佐婆良受 安麻射可流 比奈毛乎佐牟流 麻須良袁夜 奈邇可母能毛布 安乎尓余之 奈良治伎可欲布 多麻豆佐能 都可比多要米也 己母理古非 伊枳豆伎和多利 之多毛比尓 奈氣可布和賀勢 伊尓之敝由 伊比都藝久良之 餘乃奈加波 可受奈枳毛能曽 奈具佐牟流 己等母安良牟等 佐刀眦等能 安礼邇都具良久 夜麻備尓波 佐久良婆奈知利 可保等利能 麻奈久之婆奈久 春野尓 須美礼乎都牟等 之路多倍乃 蘇泥乎利可敝之 久礼奈為能 安可毛須蘇妣伎 乎登賣良婆 於毛比美太礼弖 伎美麻都等 宇良呉悲須奈理 己許呂具志 伊謝美尓由加奈 許等波多奈由比
訓読 大王(おほきみ)の 御言(みこと)畏(かしこ)み あしひきの 山野(やまの)障(さは)らず 天離る 鄙も治むる 大夫(ますらを)や なにか物思ふ 青丹(あをに)よし 奈良道来(き)通(かよ)ふ 玉梓の 使絶えめや 隠(こも)り恋ひ 息づきわたり 下(した)思(もひ)に 嘆かふ吾(わ)が背 古(いにしへ)ゆ 言ひ継ぎくらし 世間(よのなか)は 数なきものぞ 慰むる こともあらむと 里人の 吾(あれ)に告ぐらく 山傍(やまび)には 桜花散り 貌鳥(かほとり)の 間(ま)なくしば鳴く 春の野に 菫(すみれ)を摘むと 白栲の 袖折り返し 紅の 赤裳裾引き 娘女(をとめ)らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋(こひ)すなり 心ぐし いざ見に行かな 事はたなゆひ
私訳 大王の御命令を尊んで、足を引くような険しい山や野も障害とせず、都から離れた鄙も治める立派な大夫が、どうして物思いをしましょうか。青葉が美しい奈良への道を行き来する立派な梓の杖を持つ官の使いがどうして途絶えるでしょう。部屋に隠って人恋しく、ため息をついて心の底から嘆いている私の大切な貴方、昔から語り継いできたように、世の中は取るに足らないもののようです。貴方の気持ちを慰めることができないかと、里の人が云うには「山には桜花が散り、郭公が間も空けず続けて鳴く、春の野に菫を摘もうと紅の赤い裳の裾を引き、娘女たちは心を乱して恋人を待っていると、心の内で恋している」と。鬱陶しいことです。さあ、会いに行きましょう。行くことは決まっているのです。

集歌3974 夜麻夫枳波 比尓々々佐伎奴 宇流波之等 安我毛布伎美波 思久々々於毛保由
訓読 山吹は日(ひ)に日に咲きぬ愛(うるは)しと我が思ふ君はしくしく思ほゆ
私訳 山吹は日一日と咲きます。うるわしいと私が思う貴方のことは、しきりに気に掛ります。

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万葉集 集歌3965から集歌3969まで

2022年12月21日 | 新訓 万葉集
守大伴宿祢家持贈掾大伴宿祢池主悲謌二首
標訓 守大伴宿祢家持の掾大伴宿祢池主に贈れる悲(かな)しびの謌二首
忽沈枉疾、累旬痛苦。祷恃百神、且得消損。而由身體疼羸、筋力怯軟、未堪展謝。係戀弥深。方今、春朝春花、流馥於春苑、春暮春鴬、囀聲於春林。對此節候琴尊可翫矣。雖有乗興之感、不耐策杖之勞。獨臥帷幄之裏、聊作寸分之謌、軽奉机下、犯解玉頤。其詞曰
標訓 忽(たちま)ちに枉疾(わうしつ)に沈み、旬(しゅん)を累(かさ)ねて痛み苦しむ。百神(ももかみ)を祷(の)み恃(たの)みて、且(かつ)、消損(せうそん)を得たり。しかも由(なお)身體疼(いた)み羸(つか)れ、筋力怯軟(けふなん)にして、未だ展謝(てんしゃ)に堪(あ)へず。係戀(けいれん)弥(いよいよ)深し。方今(いまし)、春朝には春花、馥(にほい)を春苑に流(つた)へ、春暮には春鴬(しゅんあう)、聲を春林に囀(さえず)る。此の節候に對(むか)ひて琴尊(きんそん)翫(もてあそ)ぶべし。なお、興に乗る感あれども、杖を策(つ)く勞に耐(あ)へず。獨り帷幄(ゐあく)の裏(うち)に臥して、聊(いささ)かに寸分の謌を作り、軽(かろがろ)しく机下(きか)に奉り、玉頤(ぎょくい)を解かむことを犯す。その詞に曰はく
標訳 突然の病魔に沈み、十日以上も日々を重ねて病に痛み苦しむ。多くの神に祈り願って、ようやく、病魔が消え去ることを得た。しかし、まだ、身体は痛み疲れ、筋力は弱り力が出ることなく、未だに見舞いのお礼を申し上げら得ません。お逢いしたい思いは一層に募ります。今、春の朝には春花が咲き、その匂いを春の苑に流れ、春の暮れには春の鶯が、声を春の林に囀る。この時節に対しては琴を奏で酒を楽しむべきでしょう。それなのに、春の時節に楽しむ気持ちはあるのだけど、杖をつく労力にも体が耐えられません。独り寝屋の内に伏して、いささかのちょっとした歌を作り、軽はずみのようですが貴方の机下に奉り、貴方の正装の髪飾りを取り、気を緩めてもらうことをします。その歌に云うには、

集歌3965 波流能波奈 伊麻波左加里尓 仁保布良牟 乎里氏加射佐武 多治可良毛我母
訓読 春の花今は盛りににほふらむ折りて插頭(かざ)さむ手力(たぢから)もがも
私訳 春の花は今を盛りに咲き誇っているでしょう。それを手折ってかざしにする手力が欲しい。

集歌3966 宇具比須乃 奈枳知良須良武 春花 伊都思香伎美登 多乎里加射左牟
訓読 鴬の鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折(たお)り插頭(かざ)さむ
私訳 鶯の鳴き散らしているでしょう、その春の花。いつかは貴方と手折ってかざしにしよう。
天平廿年二月廿九日、大伴宿祢家持
左注 天平廿年二月廿九日に、大伴宿祢家持

忽辱芳音、翰苑凌雲。兼垂倭詩、詞林舒錦。以吟以詠、能蠲戀緒。春可樂。暮春風景、最可怜。紅桃灼々、戯蝶廻花舞、 翠柳依々、嬌鴬隠葉謌。可樂哉。淡交促席、得意忘言。樂矣、美矣。幽襟足賞哉。豈慮乎、蘭恵隔藂、琴罇無用、空過令節、物色軽人乎。所怨有此、不能點已。俗俗語云、以藤續錦。聊擬談咲耳
標訓 忽(たちま)ちに芳音(ほういん)を辱(かたじけな)くし、翰苑(かんゑん)は雲を凌(しの)ぐ。兼ねて倭詩(やまとのうた)を垂れ、詞林(しりん)錦(にしき)を舒(の)ぶ。以ちて吟じ以ちて詠じ、能く戀緒を蠲(のぞ)く。春は樂しむべし。暮春の風景は、最も怜(あはれ)ぶべし。紅桃は灼々(しゃくしゃく)にして、戯蝶(ぎてん)は花を廻りて舞ひ、 翠柳(すいりう)は依々(いい)にして、嬌鴬(けうあう)葉に隠りて謌ふ。樂しむべきや。淡交に席(むしろ)を促(ちかづ)け、意(こころ)を得て言(ことば)を忘る。樂しきや、美しきや。幽襟賞(め)づるに足るや。豈、慮(はか)らめや、蘭恵(らんけい)藂(くさむら)を隔て、琴罇(きんそん)用(もちゐ)る無く、空しく令節を過(すぐ)して、物色人を軽みせむとは。怨むる所此(ここ)に有り、點已(もだ)をるを能はず。俗俗(ぞく)の語(ことば)に云はく「藤を以ちて錦に續ぐ」といへり。聊(いささ)かに談咲に擬(なぞ)ふるのみ。
標訳 早速に御便りを頂戴し、その文筆の立派さは雲を越えています。併せて和歌を詠われ、その詠われる詞は錦を広げたようです。その歌を吟じ、また詠い、今までの貴方にお逢いしたい思いは除かれました。春は楽しむべきです。暮春の風景は、もっとも感動があります。紅の桃花は光輝くばかりで、戯れ飛う蝶は花を飛び回って舞い、緑の柳葉はやわらかく、声あでやかな鶯は葉に隠れて鳴き歌う。楽しいことです。君子の交わりに同席し、同じ風流の意識に語る言葉を忘れる。楽しいことですし、美しいことです。深き風流の心はこの暮春の風景を堪能するのに十分です。ところが、どうしたことでしょうか、芳しい花々を雑草が隠し、宴での琴や酒樽を使うことなく、空しくこの佳き季節をやり過ぎて、自然の風景が人を楽しませないとは。季節をやり過ごすことを怨む気持ちはここにあり、語らずにいることが出来ずに、下々の言葉に「藤蔓の布を以て錦布に添える」と云います。僅かばかりに、貴方のお笑いに供するだけです。

集歌3967 夜麻我比尓 佐家流佐久良乎 多太比等米 伎美尓弥西氏婆 奈尓乎可於母波牟
訓読 山峽(やまかひ)に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ
私訳 山峡に咲いた桜を、ただ一目、病の床に伏す貴方に見せたら、貴方はどのように思われるでしょうか。

集歌3968 宇具比須能 伎奈久夜麻夫伎 宇多賀多母 伎美我手敷礼受 波奈知良米夜母
訓読 鴬の来(き)鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも
私訳 鶯がやって来て鳴く、その山吹は、すこしも貴方の手が触れずにその花を散らすことは決してないでしょう。
沽洗二日、掾大伴宿祢池主
左注 沽洗(こせん)二日、掾大伴宿祢池主

更贈謌一首并短謌
標訓 更に贈れる謌一首并せて短謌
含弘之徳、垂恩蓬軆、不貲之思、報慰陋心。戴荷未春、無堪所喩也。但以稚時不渉遊藝之庭、横翰之藻、自乏于彫蟲焉。幼年未逕山柿之門、裁謌之趣、詞失于聚林矣。爰辱以藤續錦之言、更題将石間瓊之詠。因是俗愚懐癖、不能黙已。仍捧數行、式酬嗤咲。其詞曰  (酬は、酉+羽の当字)
標訓 含弘(がんこう)の徳は、恩を蓬軆(ほうたい)に垂れ、不貲(ふし)の思は、陋心(ろうしん)に報(こた)へ慰(なぐさ)む。未春(みしゅん)を戴荷(たいか)し、喩(たと)ふるに堪(あ)ふることなし。但、稚き時に遊藝(いうげい)の庭に渉(わた)らざりしを以ちて、横翰(わうかん)の藻は、おのづから彫蟲(てんちゆう)に乏し。幼き年にいまだ山柿の門に逕(いた)らずして、裁謌(さいか)の趣は、詞を聚林(じゅうりん)に失ふ。爰(ここ)に藤を以ちて錦に續ぐ言(ことば)を辱(かたじけな)くして、更に石を将ちて瓊(たま)に間(まじ)ふる詠(うた)を題(しる)す。因より是俗愚(ぞくぐ)をして懐癖(かいへき)にして、黙已(もだ)をるを能(あた)はず。よりて數行を捧げて、式(も)ちて嗤咲(しせう)に酬(こた)ふ。その詞に曰はく、  (酬は、酉+羽の当字)
標訳 貴方の心広い徳は、その恩を賤しい私の身にお与えになり、測り知れないお気持ちは狭い私の心にお応え慰められました。春の風流を楽しまなかったことの慰問の気持ちを頂き、喩えようがありません。ただ、私は稚き時に士の嗜みである六芸の教養に深く学ばなかったために、文を著す才能は自然と技巧が乏しい。幼き時に山柿の学風の門に通うことをしなかったことで、詩歌を創る意趣で、どのような詞を選ぶかを、多くの言葉の中から選択することが出来ません。今、貴方の「藤を以ちて錦に續ぐ」と云う言葉を頂戴して、更に石をもって宝石に雑じらすような歌を作歌します。元より、私は俗愚であるのに癖が有り、黙っていることが出来ません。そこで数行の歌を差し上げて、お笑いとして貴方のお便りに応えます。その詞に云うには、
集歌3969 於保吉民能 麻氣乃麻尓々々 之奈射加流 故之乎袁佐米尓 伊泥氏許之 麻須良和礼須良 余能奈可乃 都祢之奈家礼婆 宇知奈妣伎 登許尓己伊布之 伊多家苦乃 日異麻世婆 可奈之家口 許己尓思出 伊良奈家久 曽許尓念出 奈氣久蘇良 夜須家奈久尓 於母布蘇良 久流之伎母能乎 安之比紀能 夜麻伎敝奈里氏 多麻保許乃 美知能等保家波 間使毛 遣縁毛奈美 於母保之吉 許等毛可欲波受 多麻伎波流 伊能知乎之家登 勢牟須辨能 多騰吉乎之良尓 隠居而 念奈氣加比 奈具佐牟流 許己呂波奈之尓 春花之 佐家流左加里尓 於毛敷度知 多乎里可射佐受 波流乃野能 之氣美豆妣久々 鴬 音太尓伎加受 乎登賣良我 春菜都麻須等 久礼奈為能 赤裳乃須蘇能 波流佐米尓 々保比々豆知弖 加欲敷良牟 時盛乎 伊多豆良尓 須具之夜里都礼 思努波勢流 君之心乎 宇流波之美 此夜須我浪尓 伊母祢受尓 今日毛之賣良尓 孤悲都追曽乎流
訓読 大王(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 級(しな)離(さか)る 越を治めに 出(い)でて来(こ)し 大夫(ますら)吾(われ)すら 世間(よのなか)の 常しなければ うち靡き 床に臥(こ)い伏し 痛けくの 日に異(け)に増せば 悲しけく 此処(ここ)に思ひ出 いらなけく 其処(そこ)に思ひ出 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山き隔(へな)りて 玉桙の 道の遠けば 間使(まつかひ)も 遣(や)る縁(よし)も無(な)み 思ほしき 言(こと)も通はず たまきはる 命惜しけど 為(せ)むすべの たどきを知らに 隠(こも)り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに 春花の 咲ける盛りに 思ふどち 手折(たお)り插頭(かざ)さず 春の野の 茂み飛びくく 鴬の 声だに聞かず 娘女(をとめ)らが 春菜(はるな)摘(つ)ますと 紅(くれなゐ)の 赤裳の裾の 春雨に にほひひづちて 通ふらむ 時の盛りを 徒(いたづら)に 過ぐし遣(や)りつれ 偲(しの)はせる 君が心を 愛(うる)はしみ この夜すがらに 寝(ゐ)も寝ずに 今日もしめらに 恋ひつつぞ居(を)る
私訳 大王の御任命によって、都の輝きから離れて、越の国を治めるために出立して来た、立派な大夫である私でも、世の中がいつもそうでないように、身を横たえ床に倒れ伏し、身体が痛むことが日に日にまさるので、悲しいことをここに思い浮かべ、辛いことをそこに思い浮かべ、嘆く身は心安らぐこともなく、もの思う身は苦しいのだが、足を引くような険しい山を隔たり、立派な鉾を立てる官道が遠いので使いを送り遣る事も出来ないので、思うことの伝言を伝えることも出来ず、寿命を刻む、その命は惜しいけど、どのようにして良いやら判らずに、部屋に隠って居て、物思いを嘆き、慰められる気持ちもないままに、春花が咲く盛りに、気の合う友と花枝を手折りかざすこともなく、春の野の茂みを飛びくぐぐる鶯の声すら聞かず、娘女たちが春菜を摘もうと紅の赤い裳の裾を春雨にあでやかに濡れ染めて、通っているでしょう、その時の盛りを、空しくやり過ごしてしまったので、私を気にかけてくれる貴方の気持ちを有り難く思い、この夜一晩中、寝ることもせずに、今日一日も、貴方を慕っています。

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