竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集 集歌3960から集歌3964まで

2022年12月20日 | 新訓 万葉集
相歡謌二首
標訓 相歡(よろこ)びたる謌二首
集歌3960 庭尓敷流 雪波知敝之久 思加乃未尓 於母比氏伎美乎 安我麻多奈久尓
訓読 庭に降る雪は千重(ちへ)敷く然(しか)のみに思ひて君を吾(あ)が待たなくに
私訳 庭に降る雪は千重に大地を覆い積もる、しかしその程度に思って貴方を私が待っていたのではありません。

集歌3961 白浪乃 余須流伊蘇末乎 榜船乃 可治登流間奈久 於母保要之伎美
訓読 白波の寄する礒廻(いそま)を榜(こ)ぐ船の楫取る間(ま)なく思ほえし君
私訳 白波が打ち寄せる磯の廻りを操って行く船の楫を艫の穴に差し込む後の隙間もないほどに慕っていた貴方よ。
右、以天平十八年八月、掾大伴宿祢池主、附大帳使、赴向京師、而同年十一月、還到本任。仍設詩酒之宴、弾縿飲樂。是也、白雪忽降、積地尺餘。此時也、復、漁夫之船、入海浮瀾。爰守大伴宿祢家持、寄情二眺、聊裁所心
左注 右は、天平十八年八月を以ちて、掾(じやう)大伴宿祢池主、大帳(だいちやうの)使(つかひ)に附きて、京師(みやこ)に赴向(おもむ)きて、同年十一月に、本任(もとつまけ)に還り到れり。仍(よ)りて詩酒の宴(うたげ)を設けて、弾縿(だんし)飲樂す。是に、白雪の忽(たちま)ちに降りて、地(つち)に積むこと尺餘なり。この時に、復(また)、漁夫の船、海に入りれ瀾(なみ)に浮かぶ。ここに守大伴宿祢家持、情(こころ)を二つ眺めて寄せて、聊(いささ)かに所心(おもひ)を裁(つく)れり。

忽沈狂疾、殆臨泉路。仍作謌詞、以申悲緒一首并短謌
標訓 忽(たちま)ちに狂疾(きうしつ)に沈み、、殆(ほとほと)に泉路に臨めり。仍りて謌詞(かし)を作りて、以ちて悲緒(ひしよ)を申べたる一首并せて短謌
集歌3962 大王能 麻氣能麻尓々々 大夫之 情布里於許之 安思比奇能 山坂古延弖 安麻射加流 比奈尓久太理伎 伊伎太尓毛 伊麻太夜須米受 年月毛 伊久良母阿良奴尓 宇津世美能 代人奈礼婆 宇知奈妣吉 等許尓許伊布之 伊多家苦之 日異益 多良知祢乃 婆々能美許等乃 大船乃 由久良々々々尓 思多呉非尓 伊都可聞許武等 麻多須良牟 情左夫之苦 波之吉与志 都麻能美許登母 安氣久礼婆 門尓餘里多知 己呂母泥乎 遠理加敝之都追 由布佐礼婆 登許宇知波良比 奴婆多麻能 黒髪之吉氏 伊都之加登 奈氣可須良牟曽 伊母毛勢母 和可伎兒等毛婆 乎知許知尓 佐和吉奈久良牟 多麻保己能 美知乎多騰保弥 間使毛 夜流余之母奈之 於母保之伎 許登都氏夜良受 孤布流尓思 情波母要奴 多麻伎波流 伊乃知乎之家騰 世牟須辨能 多騰伎乎之良尓 加苦思氏也 安良志乎須良尓 奈氣枳布勢良武
訓読 大王(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 大夫(ますらを)し 心振り起し あしひきの 山坂越えて 天離る 鄙に下り来(き) 息だにも いまだ休めず 年月も いくらもあらぬに うつせみの 世の人なれば うち靡き 床に臥(こ)い伏し 痛(いた)けくし 日し異(け)し益(ま)さる たらちねの 母の命(みこと)の 大船の ゆくらゆくらに 下恋(したこひ)に 何時(いつか)かも来むと 待たすらむ 心寂しく はしきよし 妻の命(みこと)も 明けくれば 門に寄り立ち 衣手を 折り返しつつ 夕されば 床打ち払ひ ぬばたまの 黒髪敷きて 何時(いつ)しかと 嘆かすらむぞ 妹(いも)も兄(せ)も 若き児どもは 彼此(をちこち)に 騒き泣くらむ 玉桙の 道をた遠(とほ)み 間使(まつかひ)も 遺(や)るよしもなし 思ほしき 言伝(ことつ)て遣らず 恋ふるにし 心は燃えぬ たまきはる 命惜しけど 為(せ)むすべの たどきを知らに かくしてや 荒(あら)し男(を)すらに 嘆き伏せらむ
私訳 大王の御任命に従って、立派な男である大夫の心を振り起こし、足を引きずるような険しい山坂を越えて、都から離れた鄙に下り来て、息さえも未だ休めず、年月も幾らも経っていないのに、現実のこの世の人間だから、打ち倒れて床に横倒れ伏し、身が痛むことは日一日と勝ってゆく。心を満たしてくれる母上の、大船のように思いを揺らして、心の内は、いつかは帰って来ると待たしているでしょうと、私の気持ちはさみしい。愛しい妻の貴女も、朝が明ければ家の門に寄り立ち衣の袖を折り返して、夕方になれば床を打ち刷き払い、漆黒の黒髪を床に靡きかせ敷いて、何時になれば逢えるのかと、嘆いているでしょう。妹も兄も、若い子供たちは、あちらこちらに騒ぎ泣くでしょう。立派な鉾を立てる官道が遠いので、使者をやるすべもない。思うことを言伝として遣ることもなく、貴女を慕うのに気持ちは燃える。寿命を刻む、その命は惜しいけど、命を永らえるのにどうしてよいのか方法が判らないので、このように荒々しい男ですら、嘆き伏している。

集歌3963 世間波 加受奈枳物能可 春花乃 知里能麻我比尓 思奴倍吉於母倍婆
訓読 世間(よのなか)は数(かづ)なきものか春花の散りの乱(まが)ひに死ぬべき思へば
私訳 人のこの世は数えることが出来ないものでしょうか。春の花の散り乱れる、その季節にまぎれてこのまま死ぬはずだと思うと。

集歌3964 山河乃 曽伎敝乎登保美 波之吉余思 伊母乎安比見受 可久夜奈氣加牟
訓読 山川の退方(そきへ)を遠み愛(は)しきよし妹を相見ずかくや嘆かむ
私訳 都と隔てる山川の果てが遠く、愛しい貴女に逢うことないので、このように嘆くのでしょう。
右、天平十九年春二月廿日、越中國守之舘、臥病悲傷、聊作此謌
左注 右は、天平十九年春二月廿日に、越中國の守の舘にして、病に臥し悲傷(かな)しびて、聊(いささ)かに此の謌を作れり。

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万葉集 集歌3955から集歌3959まで

2022年12月19日 | 新訓 万葉集
集歌3955 奴婆多麻乃 欲波布氣奴良之 多末久之氣 敷多我美夜麻尓 月加多夫伎奴
訓読 ぬばたまの夜は更(ふ)けぬらし玉櫛笥(たまくしげ)二上山に月傾(かたぶ)きぬ
私訳 漆黒の夜は更けていくようだ。美しい櫛笥の蓋、その言葉のひびきのような二上山に月が傾く。
右一首、史生土師宿祢道良
左注 右の一首は、史生(ししやう)土師宿祢道良

大目秦忌寸八千嶋之館宴謌一首
標訓 大目(だいさくわん)秦忌寸八千嶋の館にして宴(うたげ)せし謌一首
集歌3956 奈呉能安麻能 都里須流布祢波 伊麻許曽婆 敷奈太那宇知氏 安倍弖許藝泥米
訓読 奈呉(なご)の海人(あま)の釣する舟は今こそば為(し)成(な)棚(たな)打ちしあへて漕ぎ出め
私訳 奈呉の海人が釣りをする舟は、今、この潮時に取り付ける船べりを船に取り付けた。さあ、進んで漕ぎ出しなさい。
注意 原文の「敷奈太那宇知氏」は、「為成す」+「(舟)棚」+「打ちし」の言葉と解釈しています。一般には「船棚打ちて」と訓みますので歌意が違います。ここで「為成す棚」を簡単な波除けの船べりと考えています。
右、館之客屋、居望蒼海。仍主人八千嶋作此謌也
左注 右は、館(やかた)の客屋(きゃくおく)にして、居ながら蒼海(おほうみ)を望む。仍りて主人(あるじ)八千嶋の此の謌を作れり

哀傷長逝之弟謌一首(并短謌)
標訓 長逝(ちょうせい)し弟(おと)を哀傷(かな)びたる謌一首(并せて短謌)
集歌3957 安麻射加流 比奈乎佐米尓等 大王能 麻氣乃麻尓末尓 出而許之 和礼乎於久流登 青丹余之 奈良夜麻須疑氏 泉河 伎欲吉可波良尓 馬駐 和可礼之時尓 好去而 安礼可敝里許牟 平久 伊波比氏待登 可多良比氏 許之比乃伎波美 多麻保許能 道乎多騰保美 山河能 敝奈里氏安礼婆 孤悲之家口 氣奈我枳物能乎 見麻久保里 念間尓 多麻豆左能 使乃家礼婆 宇礼之美登 安我麻知刀敷尓 於餘豆礼能 多婆許登等可毛 婆之伎余思 奈弟乃美許等 奈尓之加母 時之婆安良牟乎 婆太須酒吉 穂出秋乃 芽子花 尓保敝流屋戸乎 (言斯人為性好愛花草花樹而多値於寝院之庭 故謂之花薫庭也) 安佐尓波尓 伊泥多知奈良之 暮庭尓 敷美多比良氣受 佐保能宇知乃 里乎徃過 安之比紀乃 山能許奴礼尓 白雲尓 多知多奈妣久等 安礼尓都氣都流  (佐保山火葬 故謂之佐保乃宇知乃佐力乎由吉須疑)
訓読 天離る 鄙(ひな)治(をさ)めにと 大王(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 出でて来し 吾(われ)を送ると 青丹(あをに)よし 奈良山過ぎて 泉川 清き河原に 馬留め 別れし時に 真幸(まさき)くて 吾(われ)帰り来む 平(たひ)らけく 斎(いは)ひて待てと 語らひて 来(こ)し日の極(きは)み 玉桙の 道をた遠み 山川の 隔(へな)りてあれば 恋しけく 日(け)長きものを 見まく欲(ほ)り 思ふ間(あひだ)に 玉梓の 使の来(け)れば 嬉しみと 吾(あ)が待ち問ふに 逆言(およづれ)の 狂言(たはこと)とかも 愛(は)しきよし 汝弟(なおと)の命(みこと) 何しかも 時しはあらむを はだ薄(すすき) 穂に出(づ)る秋の 萩の花 にほへる屋戸(やと)を (言ふところは、その人、性、花草・花樹を好愛(め)でて、多く寝院の庭に植る。故に花(はな)薫(にほ)へる庭といへり) 朝庭に 出で立ち平(なら)し 夕庭に 踏み平(たいら)げず 佐保の内の 里を行き過ぎ あしひきの 山の木末(こぬれ)に 白雲に 立ち棚引くと 吾(あれ)に告げつる  (佐保山に火葬(ほふむ)れり。 故に佐保の内の里を行き過ぎと謂ふ)
私訳 都から遠く離れた鄙を治めなさいと大王の御任命に従って出発してきた私を送ると、青葉が美しい奈良の山を過ぎて、泉川の清らかな河原に馬を留め、別れた時に「無事に私は帰って来よう、元気で私の無事を祈って待ちなさい」と語らって、この越中国にやって来た日を最後として、立派な鉾を立てる官道をはるか遠く、山川の隔てがあると、恋しく思う日々も長く、会いたいと思っている間に、立派な梓の杖を持つ官の使いがやって来ると、「嬉しい便りでしょう」と私が使いを待って問うと、逆言でしょうか、狂言でしょうか、愛しい私の弟の貴方が、どうしたのでしょうか、そのような時でもないのに、はだ薄の穂が出る秋の、萩の花が咲き誇る家を(語るところは、その人、性格は花草・花樹を愛して、多くを寝院の庭に植える。そのため、花薫る庭と云われた)朝の庭に出て立ち尽くし、夕べの庭に足を踏み立つこともせず、「佐保の内の里を通り過ぎ、葦や檜の生える山の梢に、その人は白雲に立ち、棚引く」と私に告げました。(佐保山に火葬をした。それで「佐保の内の里を行き過ぎ」と云う)

集歌3958 麻佐吉久登 伊比氏之物能乎 白雲尓 多知多奈妣久登 伎氣婆可奈思物
訓読 真幸(まさき)くと云ひてしものを白雲に立ち棚引くと聞けば悲しも
私訳 「無事でいて下さい」と云っていたのに、その貴方が白雲に立ち、棚引くと聞くと悲しいことです。

集歌3959 可加良牟等 可祢弖思理世婆 古之能宇美乃 安里蘇乃奈美母 見世麻之物乎
訓読 かからむとかねて知りせば越の海の荒礒(ありそ)の波も見せましものを
私訳 このようになると前から知っていたら、越の海の荒磯の波も見せたかったのですが。
右、天平十八年秋九月廿五日、越中守大伴宿祢家持遥聞弟喪、感傷作之也
左注 右は、天平十八年秋九月廿五日に、越中守大伴宿祢家持の遥かに弟(おと)の喪(も)を聞き、感傷(かな)しびて作れり。

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墨子 巻十五 旗幟(原文・読み下し・現代語訳)

2022年12月18日 | 新解釈 墨子 現代語訳文付
墨子 巻十五 旗幟(原文・読み下し・現代語訳)
「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」準拠

《旗幟》:原文
守城之法、木為蒼旗、火為赤旗、薪樵為黄旗、石為白旗、水為黒旗、食為菌旗、死士為倉英之旗、竟士為雩旗、多卒為雙兔之旗、五尺童子為童旗、女子為梯末之旗、弩為狗旗、戟為旌旗、剣盾為羽旗、車為龍旗、騎為鳥旗。凡所求索旗名不在書者、皆以其形名為旗。城上挙旗、備具之官致財物、之足而下旗。
凡守城之法、石有積、樵薪有積、菅茅有積、雚葦有積、木有積、炭有積、沙有積、松柏有積、蓬艾有積、麻脂有積、金鐵有積、粟米有積、井灶有處、重質有居、五兵各有旗、節各有辨、法令各有貞、軽重分數各有請、主慎道路者有経。
亭尉各為幟、竿長二丈五、帛長丈五、廣半幅者大。寇傅攻前池外廉、城上當隊鼓三、挙一幟、到水中周、鼓四、挙二幟、到藩、鼓五、挙三幟、到馮垣、鼓六、挙四幟、到女垣、鼓七、挙五幟、到大城、鼓八、挙六幟、乗大城半以上、鼓無休。夜以火、如此數。寇卻解、輒部幟如進數、而無鼓。
城為隆、長五十尺、四面四門将長四十尺、其次三十尺、其次二十五尺、其次二十尺、其次十五尺、高無下四十五尺。
城上吏卒置之背、卒於頭上、城中吏卒民男女、皆辨異衣章微職、令男女可知。城下吏卒置之肩。左軍於左肩、中軍置之胸。各一鼓、中軍一三。每鼓三、十撃之、諸有鼓之吏、謹以次應之、當應鼓而不應、不當應而應鼓、主者斬。
道廣三十步、於城下夾階者、各二、其井置鐵甕。於道之外為屏、三十步而為之圓、高丈。為民圂、垣高十二尺以上。巷術周道者、必為之門、門二人守之、非有信符、勿行、不従令者斬。
諸守牲格者、三出卻適、守以令召賜食前、予大旗、署百戶邑若他人財物、建旗其署、令皆明白知之、曰某子旗。牲格内廣二十五步、外廣十步、表以地形為度。
勒卒、中教解前後左右、卒労者更休之。

字典を使用するときに注意すべき文字
貞、定也。 さだめ、きそく、の意あり。
情、實也、分明也。 じつ、じつじょう、の意あり。
経、法也、度之也。 のり、きてい、はっと、の意あり。
適、古多假借適爲敵 てき、かたき、の意あり。
更、代替也。 こうたい、かわるがわる、の意あり。
斬、裁也。 しょばつ。の意あり。


《旗幟》:読み下し
守城の法、木を蒼旗(そうき)と為し、火を赤旗(せきき)と為し、薪樵(しんそう)を黄旗(こうき)と為し、石(せき)を白旗(はくき)と為し、水を黒旗(こくき)と為し、食を菌旗(きんき)と為し、死士を倉英(そうえい)の旗と為し、竟士(きょうし)を雩旗(うき)と為し、多卒(たそつ)を雙兔(そうと)の旗と為し、五尺童子を童旗(どうき)と為し、女子を梯末(ていまつ)の旗と為し、弩を狗旗(くき)と為し、戟を旌旗(せいき)と為し、剣盾を羽旗(うき)と為し、車を龍旗(りゅうき)と為し、騎を鳥旗(ちょうき)と為す。凡そ求索(きゅうさく)する所の旗名(きめい)の書に在らざるものは、皆其の形を以って旗の名と為す。城上に旗を挙げ、備(び)具(ぐ)の官の財物を致(いた)し、之が足れば而して旗を下ろす。
凡そ守城の法、石の積は有り、樵薪(せいしん)の積は有り、菅茅(かんぼう)の積は有り、雚葦(かんい)の積は有り、木の積は有り、炭の積は有り、沙(しゃ)の積は有り、松柏(しょうはく)の積は有り、蓬艾(ほうがい)の積は有り、麻脂(まし)の積は有り、金鐵(きんてつ)の積は有り、粟米(ぞくべい)の積は有り、井灶(せいそう)の處は有り、重質(じゅうしつ)の居は有り、五兵の各の旗は有り、節(せつ)の各(おのおの)の辨は有り、法令の各(おのおの)の貞(さだめ)は有り、軽重(けいちょう)分數(ふんすう)の各(おのおの)に請(しょう)は有り、道路を慎(めぐ)るを主(つかさど)る者の経(きそく)は有る。
亭尉は各(おのおの)の幟を為(つく)り、竿の長さ二丈五、帛の長さ丈五、廣は半幅のものは大なり。寇(こう)が前池(ぜんち)の外廉(がいれん)に傅(つ)き攻(せ)むれば、城上に當(まさ)に隊(すい)の鼓は三、一幟を挙げ、水の中周(ちゅうしゅう)に到れば、鼓は四、二幟を挙げ、藩(はん)に到れば、鼓は五、三幟を挙げ、馮垣(ひょうえん)に到れば、鼓は六、四幟を挙げ、女垣(じょえん)に到れば、鼓は七、五幟を挙げ、大城(たいじょう)に到れば、鼓は八、六幟を挙げ、大城(たいじょう)の半以上に乗れば、鼓を休み無くせしむ。夜は火を以ってすること、此の數の如くす。寇(こう)が卻(しりぞ)き解(と)ければ、輒(すなわ)ち幟を部すこと進(すす)む數の如くし、而(しかる)に鼓すること無し。
城の隆(こう)を為(つく)るに、長さ五十尺、四面の四門は将に長さ四十尺、其の次は三十尺、其の次は二十五尺、其の次は二十尺、其の次は十五尺、高さは四十五尺を下ること無し。
城上の吏卒(りそつ)の之を背に置き、卒は頭上に於いてし、城中の吏卒民の男女、皆の衣章(いしょう)微職(きし)を辨異(べんい)し、男女を知る可(べ)く令(し)む。城下の吏卒は之を肩に置き。左軍は左の肩に於いてし、中軍は之を胸(むね)に置く。
各に一鼓、中軍は一(はじめ)に三つす。每鼓に三つ、之を十撃し、諸(もろもろ)の有鼓の吏(り)、謹(つつし)みて次を以って之に應(おう)ず。鼓に應ずるに當(あた)りて而(しかる)に應ぜず、應ずるに當(あた)らざりて而(しかる)に鼓に應ずるは、主(つかさど)る者を斬(ざん)とす。
道の廣さ三十步、城下の階(かい)を夾(はさ)むもの、各(おのおの)は二つ。其の井に鐵甕(てつへい)を置く。道の外に屏を為(つく)り、三十步にして而して之を圓(かん)に為(つく)り、高さは丈。民圂(みんこん)を為(つく)り、垣の高さ十二尺以上。巷術(かいすう)周道(しゅうどう)は、必ず之の門を為(つく)り、門に二人は之を守り、信(しん)符(ふ)の有るに非ざれば、行くこと勿(な)く、令に従はざる者は斬(ざん)にす。
諸(もろもろ)の牲格(せいかく)を守る者は、三たび出でて適(てき)を卻(しりぞ)ければ、守は令を以って召して食を前に賜ひ、大旗を予(あた)へ、百戸の邑(いふ)に署(しょ)し若(も)し他人の財物ならば、旗を其の署(しょ)に建て、皆に明白に之を知ら令(し)め、某子(ぼうし)の旗と曰ふ。牲格(せいかく)の内は廣さ二十五步、外は廣さ十步、表は地形を以って度(ど)を為(つく)る。
卒を勒(ろく)し、教(きょう)に中(あた)らしめ前後左右を解(わか)らせしむ、卒の労(ろう)する者は更(かはるがはる)に之を休ましむ。


《旗幟》:現代語訳
注意:軍事用語については、「墨子 巻十六 墨子軍事用語集」を参照してください。

守城の方法にあって、木を扱う部隊の隊旗を蒼旗とし、火を扱う部隊の隊旗を赤旗とし、薪樵を扱う部隊の隊旗を黄旗とし、石を扱う部隊の隊旗を白旗と為し、水を扱う部隊の隊旗を黒旗とし、食を扱う部隊の隊旗を菌旗と為し、決死隊の部隊の隊旗を倉英の旗とし、「竟士」の部隊の隊旗を雩旗とし、「多卒」の部隊の隊旗を雙兔の旗とし、「五尺童子」の部隊の隊旗を童旗とし、女子の部隊の隊旗を梯末の旗とし、弩士の部隊の隊旗を狗旗と為し、戟士の部隊の隊旗を旌旗とし、剣盾の士の部隊の隊旗を羽旗とし、車を扱う部隊の隊旗を龍旗と為し、騎馬の部隊の隊旗を鳥旗とする。およそ、探し求める部隊の旗名が隊旗規定書に無いものについては、その部隊が担当するものの形を使って隊旗の名前とする。それぞれの部隊は城上に旗を挙げ、備品・用具で官が管理する財物を要求し、要求したものが足りたならば旗を下ろす。
およそ守城の方法にあって、石の蓄積は有り、樵薪の蓄積は有り、菅茅の蓄積は有り、雚葦の蓄積は有り、木の蓄積は有り、炭の蓄積は有り、砂の蓄積は有り、松柏の蓄積は有り、蓬艾の蓄積は有り、麻脂の蓄積は有り、各種金属と鉄の蓄積は有り、粟米の蓄積は有り、井戸及び炊事場などは有り、重要な人質を収容する住居は有り、各種部隊のおのおのの部隊と隊旗は有り、「節」のおのおのの辨は有り、軍法・法令のおのおのの規定は有り、「軽重」・「分數」のおのおのに要請は有り、道路を巡視することを主管する者の規則は有る。
亭尉はおのおのの隊の幟を造り、竿の長さ二丈五尺、帛の長さ一丈五尺、幅が半尺幅のものは大の分類である。敵軍が城の前の池の外側の淵に取り付き攻撃を始めたら、城上に初めに軍事の鼓を三つ打ち、幟一旗を挙げ、池の中周に到れば、鼓を四つ打ち、幟二旗を挙げ、敵兵が城壁に至れば、鼓は五つ打ち、幟三旗を挙げ、「馮垣」に至れば、鼓は六つ打ち、幟四旗を挙げ、「女垣」に至れば、鼓は七つ打ち、幟五旗を挙げ、大城に至れば、鼓は八つ打ち、幟六旗を挙げ、大城の半以上に敵が乗り込んで着たら、鼓を休みなく連打する。夜は幟の代わりに火を用いて行い、火を掲げる数は幟の数と同じようにする。敵軍が退却し包囲を解けば、敵の退却に合わせて幟を挙げる数は、敵の進撃の時の数に合わせるが、鼓を打つことはしない。
城に(階段状祭祀壇となる)「隆」を構築するには、土地の(一辺の)長さは五十尺四方とし、四面の四門を置く位置の長さは四十尺、その次(の段の一辺の長さ)は三十尺、その次(の段の一辺の長さ)は二十五尺、その次(の段の一辺の長さ)は二十尺、その次(の最終段の一辺の長さ)は十五尺、高さは四十五尺を下回ることはない。
城上の吏卒の衣章は服の背に付け、卒は頭巾の上に付け、城中の吏・卒・民の男女は、皆が服に付けた衣章や微職により区分し、また、男女の区分を判るようにする。城下の吏卒は衣章を肩に置き。左軍は衣章を左の肩に置き、中軍は衣章を胸に置く。
おのおのの部隊に鼓を一つ配備し、中軍は初めに鼓を三打する。毎回の鼓による合図では三打し、これを十回繰り返し、諸部隊・部署の鼓を配備しているところの官吏は、慎重に鼓を中継して鼓の合図に応じる。鼓の合図に応じるに時に、本来の鼓の合図に応じる時に応じない、また、鼓の合図に応じなくても良い時に応じた場合は、鼓の合図を掌る者を処罰する。
道の幅は三十步とし、城下の階段を挟む道は、おのおの二本とする。その井戸には鉄製の甕を置く。井戸への通路の外側に屏を造り、直径は三十步とし、これを「圓」の形に作り、高さは一丈とする。「民圂」を造り、垣の高さは十二尺以上とする。「巷術」や周道は、必ず之の門を造り、門に二人はこれを守り、信符の所持が無ければ、通行を許さず、命令に従わない者は処罰する。
色々な(祭祀で奉げる)「牲格」を警備する者は、(戦勝祈願をして)三回出撃して敵を撃退すれば、国君は命令を出して、この者を召し、食事をこの者に賜い、大旗を与え、百戸の村の村役場に任命し、もし、その村が他人の財物であれば、大旗をその村役場に建て、村民皆に、明白にこの者の武勇を知らせ、これを某子の旗と呼ぶ。「牲格」の内の広さは二十五步、外の広さは十步、(牲格を飼う)「表」は地形に合わせて建設する。
卒を招集し、軍事教練に参加させ、号令の前後左右を判らせ、兵卒で疲労する者は交代で休息を取らせる。

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万葉集 集歌3950から集歌3954まで

2022年12月16日 | 新訓 万葉集
集歌3950 伊敝尓之底 由比弖師比毛乎 登吉佐氣受 念意緒 多礼賀思良牟母
訓読 家にして結(ゆ)ひてし紐を解き放けず思ふ心を誰れか知らむも
私訳 都の家で結んだ契の紐を解き衣を脱がず、貴女を慕う私の気持ちを誰が気付くのでしょうか。
右一首、守大伴宿祢家持作
左注 右の一首は、守大伴宿祢家持の作

集歌3951 日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之
訓読 ひぐらしの鳴きぬる時は女郎花(をみなへし)咲きたる野辺を行(ゆ)きつつ見べし
私訳 蜩が鳴く時節には、女郎花が咲いた野辺を出かけて行って眺めるべきです。
右一首、大目秦忌寸八千嶋
古謌一首(大原高安真人作) 年月不審。但随聞時記載茲焉
左注 右の一首は、大目(だいさくわん)秦忌寸八千嶋
古き謌一首(大原高安真人の作) 年月は審(つまび)らかならず。但し聞きし時のまにまに茲(ここ)に記し載す。

集歌3952 伊毛我伊敝尓 伊久里能母里乃 藤花 伊麻許牟春毛 都祢加久之見牟
訓読 妹が家に伊久里の杜(もり)の藤し花今(いま)来(こ)む春も常(つね)如此(かく)し見む
私訳 愛しい貴女の家に行く、その言葉のひびきのような伊久里の杜の藤の花、今年やって来る春も、いつものように眺めましょう。
右一首、傳誦僧玄勝是也
左注 右の一首は、傳(つた)へ誦(うた)へるは僧玄勝、是なり

集歌3953 鴈我祢波 都可比尓許牟等 佐和久良武 秋風左無美 曽乃可波能倍尓
訓読 雁がねは使ひに来むと騒(さわ)くらむ秋風寒みその川の上(へ)に
私訳 雁は遠くからの使いとしてやって来るとばかりに鳴き騒いでいるようだ。秋風が寒い、その川のほとりで。

集歌3954 馬並氏 伊射宇知由可奈 思夫多尓能 伎欲吉伊蘇末尓 与須流奈弥見尓
訓読 馬(むま)並(な)めていざ打ち行かな渋谿(しふたに)の清き礒廻(いそみ)に寄する波見に
私訳 馬を並べて、さあ打ち揃って行こう。渋谷の清らかな磯廻に打ち寄せる波を眺めに。
右二首、守大伴宿祢家持
左注 右の二首は、守大伴宿祢家持
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万葉集 集歌3945から集歌3949まで

2022年12月15日 | 新訓 万葉集
集歌3945 安吉能欲波 阿加登吉左牟之 思路多倍乃 妹之衣袖 伎牟餘之母我毛
訓読 秋の夜は暁(あかとき)寒し白栲の妹が衣手着む縁(よし)もがも
私訳 秋の夜は暁時が寒い、共寝で着る白栲の貴女の衣の袖をこの身に掛ける、その機会がありません。

集歌3946 保登等藝須 奈伎氏須疑尓之 乎加備可良 秋風吹奴 余之母安良奈久尓
訓読 霍公鳥(ほととぎす)鳴きて過ぎにし岡傍(おかび)から秋風吹きぬよしもあらなくに
私訳 ホトトギスが鳴いて飛び過ぎていった丘のほとりから秋風が吹く。貴女に逢う機会もないのに。
右三首、掾大伴宿祢池主作
左注 右の三首は、掾(じよう)大伴宿祢池主の作

集歌3947 家佐能安佐氣 秋風左牟之 登保都比等 加里我来鳴牟 等伎知可美香物
訓読 今朝の朝明(あさけ)秋風寒し遠つ人雁が来鳴かむ時近みかも
私訳 今朝の朝明けに秋風が寒い。胡に嫁いで行った人の便りを伝えると云う雁が、北の辺地から飛び来て鳴き声を上げる、その季節が近いのでしょう。

集歌3948 安麻射加流 比奈尓月歴奴 之可礼登毛 由比氏之紐乎 登伎毛安氣奈久尓
訓読 天離る鄙に月経ぬしかれども結ひてし紐を解きも開(あ)けなくに
私訳 都から遥かに離れた鄙に暮らして月日が経ったけれど、貴女が結んだ紐を自ら解いて衣を脱ぐことはないのだが。
右二首、守大伴宿祢家持作
左注 右の二首は、守大伴宿祢家持の作

集歌3949 安麻射加流 比奈尓安流和礼乎 宇多我多毛 比母毛登吉佐氣氏 於毛保須良米也
訓読 天離る鄙にある吾(われ)をうたがたも紐も解き放(さ)けて思ほすらめや
私訳 都から遥かに離れた鄙に暮らしている私を、もしかして鄙の女と衣の紐を解いてその衣を脱ぐと、貴女は想像しているのでしょうか。
右一首、掾大伴宿祢池主
左注 右の一首は、掾(じょう)大伴宿祢池主
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