竹取翁と万葉集のお勉強

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女性が好む剣太刀 触れて死なせて

2009年09月11日 | 万葉集 雑記
女性が好む剣太刀 触れて死なせて

 万葉集に載る恋の相聞歌で、女性が好んだ「剣太刀」と云う表現があります。万葉集の歌においてこの「剣太刀」の表現は、普段の万葉集の解説では剣太刀は身に添えるものであるから身に添えることを意味した口調の良い枕詞との扱いをする場合が多いようです。
 ここでは、万葉集の歌が詠われた時代には枕詞などの平安後期以降の和歌の技巧が、まだ、誕生していない時代であることを踏まえて、女性が好んだ「剣太刀」の表現について考えてみたいと思います。女性が好む「剣太刀」の表現ですから、集歌2635の歌に示すように常に「剣太刀」を身に帯びる大夫(高級貴族)の位を表わす代名詞として扱われたものは取り上げません。あくまで女性が好んだ「剣太刀」の表現について鑑賞して行きます。

集歌2635 剱刀 身尓佩副流 大夫也 戀云物乎 忍金手武
訓読 剣太刀身に佩(は)き副(そ)ふる大夫(ますらを)や恋といふものを忍(しの)ひかねてむ
私訳 剣太刀を身に佩き帯びるような立派な貴族である私であるが、恋と云うものを隠しきれない。

 さて、武器である剣や太刀は抜き身では身に帯びる人も危険ですから、普段では太刀は鞘に納めます。これは、次の集歌1272の旋頭歌に示すように万葉の時代も同じです。

集歌1272 劔 鞘納野 葛引吾妹 真袖以 著點等鴨 夏草苅母
訓読 剣(つるぎ)大刀(たち)鞘(さや)ゆ入野に葛(ふぢ)引く吾(わぎ)妹(も) 真(ま)袖(そで)もち著(つ)けてむとかも夏草(なつくさ)刈るも
私訳 剣太刀を鞘に入れる、その入野で藤の花蔓を引くかわいい子。 立派な衣の袖を掛けてあげよう。夏草を刈ったとしても。

 この歌にあるように、やはり、今も古代も剣や太刀は鞘に納めるもののようです。ところが、次の歌では「諸刃に触れて身を切られて死ぬ」と詠っていますから、女性の前では男の身に副ふ剣や太刀は抜き身の状況です。なぜ、鞘に入っていないのでしょうか。実に不思議です。

集歌2498 剱刀 諸刃利 足踏 死々 公依
訓読 剣(つるぎ)太刀(たち)諸刃(もろは)の利(と)きに足踏みて死なば死なむよ君に依(よ)りては

集歌2636 剱刀 諸刃之於荷 去觸而 所殺鴨将死 戀管不有者
訓読 剣(つるぎ)太刀(たち)諸刃(もろは)の上(うへ)に触れ逝きて殺(し)ぬかも死なむ恋ひつつあらずは

 それでは、いったい、女性の前では抜き身の剣や太刀とは、どんな、状況なのでしょうか。そこで、万葉集の歌では一番初めに「剣太刀」の表現を使った人麻呂の歌を見てみたいと思います。以下に示す、集歌217の歌では「敷栲の 手枕(たまくら)まきて 剣(つるぎ)刀(たち) 身に副(そ)へ寝(ね)けむ」と詠っていますし、集歌194の歌では「柔(にぎ)膚(はだ)すらを 剣(つるぎ)刀(たち) 身に副(そ)へ寝(ね)ねば」と詠っています。ここでは、大夫(ますらを)の身分を示し、常に身に帯びる「剣太刀」の代わりに、女性の体が恋人の男性との閨の床で寄り添う意味合いを示していると考えて良いのではないでしょうか。ただ、人麻呂が詠う、この集歌217や集歌194の歌の表現では、常に身に帯びる大切な大夫の印である「剣太刀」の代わりに恋人の女性を抱き寄せる意味合いだけで、それ以上はないと思われます。

吉備津釆女死時柿本朝臣人麻呂作謌一首并短謌
標訓 吉備津釆女の死し時に柿本朝臣人麻呂の作れる歌一首并せて短歌 より
集歌217 秋山 下部留妹 奈用竹乃 騰遠依子等者 何方尓 念居可 栲紲之 長命乎 露己曽婆 朝尓置而 夕者 消等言 霧己曽婆 夕立而 明者 失等言 梓弓 音聞吾母 髣髴見之 事悔敷乎 布栲乃 手枕纒而 劔刀 身二副寐價牟 若草 其嬬子者 不怜弥可 念而寐良武 悔弥可 念戀良武 時不在 過去子等我 朝露乃如也 夕霧乃如也

訓読 秋山し したへる妹し なよ竹の とをよる子らは いかさまに 念(おも)ひ居れか 栲(たく)縄(なは)し 長き命を 露こそば 朝(あした)に置きに 夕(ゆふへ)は 消(き)ゆといへ 霧こそば 夕し立ちに 朝(あした)は 失(う)すといへ 梓弓 音(おと)聞く吾も 髣髴(おほ)し見し こと悔しきを 敷栲の 手枕(たまくら)まきに 剣(つるぎ)刀(たち) 身に副(そ)へ寝(ね)けむ 若草し その嬬(つま)し子は 寂(さぶ)しみか 念(おも)ひに寝(ぬ)らむ 悔しみか 念(おも)ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが 朝露の如(ごと) 夕霧の如(ごと)

私訳 秋山の木々の間に光が差し込め、美しく輝く貴女、なめらかな竹のようなしなやかな体をした貴女は、どう思ったのか、栲の繩のように長い命を、露だったら朝に降りて夕べには消え、霧だったら夕べに立ち込めて朝には消え失せるという、采女の貴女が神を呼ぶ梓の弓をかき鳴らす音を聞いた私も、その姿をかすかにしか見なかったことが残念で、閨の寝具の上で手枕を交わして剣や太刀を身に添えるように寄り添って寝た、若草のような貴女の若い恋人は、貴女を亡くした寂しさか、思い出して夜を寝られるでしょう。悔しみか、思い出して恋しがるでしょう。思いもかけず、亡くなった貴女は、朝露のようで、夕霧のようです。


柿本朝臣人麻呂獻泊瀬部皇女忍坂部皇子謌一首并短謌
標訓 柿本朝臣人麻呂泊瀬部皇女と忍坂部皇子に獻つりし歌一首并せて短歌 より
集歌194 飛鳥 明日香乃河之 上瀬尓 生玉藻者 下瀬尓 流觸經 玉藻成 彼依此依 靡相之 嬬乃命乃 多田名附 柔庸尚乎 劔刀 於身副不寐者 烏玉乃 夜床母荒良無 所虚故 名具鮫魚天 氣田敷藻 相屋常念而 玉垂乃 越乃大野之 旦露尓 玉裳者埿打 夕霧尓 衣者沾而 草枕 旅宿鴨為留 不相君故

訓読 飛ぶ鳥し 明日香の川し 上(かみ)つ瀬に 生ふる玉藻は 下(しも)つ瀬に 流れ触らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 靡かひし 嬬(つま)の命(みこと)の たたなづく 柔(にぎ)膚(はだ)すらを 剣(つるぎ)刀(たち) 身し副(そ)へ寝(ね)ねば ぬばたまの 夜(よ)床(とこ)も荒るらむ そこ故に 慰めて けだしくも 逢ふやと思ひに 玉垂の 越智の大野し 朝露に 玉藻はひづち 夕霧に 衣(ころも)は沾(ぬ)れに 草枕 旅(たび)寝(ね)かもする 逢はぬ君故

私訳 飛ぶ鳥の明日香の河の上流の瀬に生える美しい藻、下流の瀬に流れ触れ合う美しい藻が、このように寄りそのように寄るように靡かれた妻の夫の皇子に重ねあった柔肌すらも剣刃のように皇子の身に寄り添って夜を共に過ごされると、漆黒の夜の床もさびれ荒れるでしょう。そのために慰めることが出来なくて、きっと再び逢うことが出来るとお思いになって差し通す薬玉を薬狩する越智の大野の朝露に美しい裾裳は濡れ、夕霧に衣は濡れて草を枕にするような旅の宿のように夜通しいらっしゃるのか、もう、逢えない皇子のために。

 先の集歌2498と集歌2636との歌に戻ってみますと、常に大夫の身に帯びる「剣太刀」を踏む可能性を示していますから、「剣太刀」は床の上に置かれています。男女との出会いで、「剣太刀」は男の体から離れ床の上にありますから、まず、二人は抱き合っていると考えて良いでしょう。集歌2498の歌は、闇の中で二人が抱き合う閨で、床のそばに置いた剣太刀を踏む情景です。およそ、女性が大切な剣太刀を闇の中で蹴飛ばしたのでしょう。これなら、抜き身の状況が想像出来ます。ただし、この女性は、剣太刀の言葉に恋人に抱かれる意味合いを強く持たしています。ところが、集歌2636の歌は、集歌2498の歌とは少し違います。ここでの剣太刀は、最初から抜き身の雰囲気です。つまり、集歌2636の歌を詠った女性は、剣太刀の言葉に恋人に抱かれる意味合いと「剣大刀鞘ゆ入野」の意味合いの両方を持たしているようです。つまり、剣太刀の言葉を男性のシンボルの比喩としていると思われます。剣太刀の言葉を、身を添える意味合いから一歩進めて、男に抱かれ、そのシンボルで貫かれる行為まで及んでいるのです。当然、このような意味合いで女性から男性に剣太刀の歌を詠って贈る場面は限られているでしょうから、妻問ひ婚の時代であれば恋の勝利宣言に等しいとも考えられます。恋する女性としては、詠いたいテーマではないでしょうか。
 この女性が想う剣太刀の言葉の意味合いで、もう一度、万葉集の歌を見てみましょう。

集歌2498 剱刀 諸刃利 足踏 死々 公依
訓読 剣(つるぎ)太刀(たち)諸刃(もろは)し利(と)きし足踏みに死なば死なむよ君し依(よ)りては
私訳 二人で寝る褥の側に置いた貴方が常に身に帯びる剣や太刀の諸刃の鋭い刃に、私が足を踏んで死ぬのなら死にましょう。貴方のお側に寄り添ったためなら。

集歌2636 剱刀 諸刃之於荷 去觸而 所殺鴨将死 戀管不有者
訓読 剣(つるぎ)太刀(たち)諸刃(もろは)し上(うへ)に触れ去(さ)りにそ殺(し)ぬかも死なむ恋ひつつあらずは
私訳 立派な貴方の剣や太刀のような鋭い刃のような「もの」に触れてしまったら、それで殺されるなら死にましょう。恋の行いを続けることが出来ないのならば。

集歌604 劔太刀 身尓取副常 夢見津 何如之恠曽毛 君尓相為
訓読 剣(つるぎ)太刀(たち)身(み)に取り副(そ)ふと夢(いめ)し見つ如何(いか)し怪(け)もそも君に相(あ)はむため
私訳 大夫が身に帯びる剣や太刀を受け取って褥の横に置いて抱かれる夢に見ました。この夢はどうしたことでしょうか。貴方に会いたいためでしょうか。

集歌2637 嚏 鼻乎曽嚏鶴 劔刀 身副妹之 思来下
訓読 うち鼻(はな)ひ鼻(はな)をそひつる剣(つるぎ)太刀(たち)身に副(そ)ふ妹し思ひけらしも
私訳 訪れる私を待つために寝化粧をしておまじないの鼻を鳴らして、身に帯びる剣や太刀のように私の体に寄り添って寝た貴女を思い浮かべています。

集歌3148 玉釼 巻寝志妹乎 月毛不經 置而八将越 此山岫
訓読 玉(たま)釼(つるぎ)纏(ま)き寝(ね)し妹を月も経ず置きてや越えむこの山し岬(さき)
私訳 玉のように美しい剣太刀のような貴女を抱いて寝た、その貴女を抱きあってから一月も経たない内に里に置いて、私は越えるこの山の峯を。

集歌3485 都流伎多知 身尓素布伊母乎 等里見我祢 哭乎曽奈伎都流 手兒尓安良奈久尓
訓読 剣(つるぎ)太刀(たち)身に副(そ)ふ妹を取り見がね哭(ね)をぞ泣きつる手児(てこ)にあらなくに
私訳 剣太刀を身に着けるように抱いた貴女を、構うことが出来なくて恨めしく泣いたことよ。貴女は手伝いに来るような娘ではないのだから。

 たぶん、万葉集の歌に詳しい方は「異議有り」と云われると思います。特に、集歌3148の歌は、表記自体も違うと指摘されると思います。ここまで、女性が好むとする剣太刀の言葉の意味合いは、普段の万葉集の解説では、その可能性すら考慮されていません。そのため、集歌3148の歌の「玉釼」では、歌の意味が取れないから誤字である。本来は「玉釵」と書くとされています。つまり、

集歌3148 玉釵 巻寝志妹乎 月毛不經 置而八将越 此山岫
訓読 玉(たま)釵(くしろ)纏(ま)き寝(ね)し妹を月も経ず置きてや越えむこの山の岬(さき)
意訳 玉くしろを手にまく、手枕をまいて寝た妻を一月もたたずに残して、越えるのだろうかこの山の岬を。

と、訓読と意訳を行わなければいけません。
「釵」の漢字を使った事例:

集歌41 釵著 手節乃埼二 今今毛可母 大宮人之 玉藻苅良哉
訓読 釵(くしろ)著く手節(たふし)の崎に今もかも大宮人の玉藻刈むや
私訳 美しいくしろを手首に着ける、手節の岬で今日もあの大宮人の麻続王は玉藻を刈っているのでしょうか。

集歌2865 玉釵 巻宿妹母 有者許増 夜之長毛 歡有倍吉
訓読 玉(たま)くしろ纏(ま)き寝る妹もあらばこそ夜の長けくも嬉しくあるべき
私訳 玉くしろを手にまいて寝るあの娘がいるからこそ、夜の長いのが嬉しいはずです。

 ただし、きちんと原文を読めば判りますが、集歌3148の歌と集歌2865の歌は「玉釼 巻寝志妹乎」と「玉釵 巻宿妹母」とで良く似た漢字表記ですが、状況や意味は違います。集歌3148の歌は同棲した女性ですが、集歌2865の歌は昼間に見た手首に腕輪をした女性です。
 この違いが判らないから、専門家は集歌3148の歌の「玉釼」を誤字とします。これが、江戸時代からの権威ある万葉集です。万葉集古義をベースにする解説や訓読み和歌は、古来の「一字不違」の伝統と思想を取っていませんので、この例からして、「彼の万葉集の訓読みからの解説からすると」と理解する方が良いと思います。

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