竹取翁と万葉集のお勉強

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山部赤人を鑑賞する  春の野の歌 そして

2010年11月20日 | 万葉集 雑記
春の野の歌
 万葉集巻八 春雑謌に配置される山部赤人の春の歌四首ですが、現在の季節感からすると新暦新春一月から四月に亘るほど、季節には幅があります。また、集歌1424の歌の「すみれ」は鄙の女性のような感覚があり、花を女性の比喩とした詠った歌でしょう。つまり、ここでの連続する四首の歌には、集歌1426と集歌1427との関連性の可能性を除いて、それぞれの歌には連絡性はないと思っています。
 参考に万葉集では「あしひきの山桜」で始まる歌は三首ありますが、歌それぞれに、その背景は違います。

山部宿祢赤人謌四首
標訓 山部宿祢赤人の謌四首
集歌1424 春野尓 須美礼採尓等 来師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来
訓読 春の野にすみれ摘みにと来(こ)し吾そ野をなつかしみ一夜(ひとよ)寝(ね)にける
私訳 春の野にすみれを摘みにと、来た私です。この野を心が引かれ、ここで夜を過しました。

集歌1425 足比奇乃 山櫻花 日並而 如是開有者 甚戀目夜裳
訓読 あしひきの山桜花日(け)並(なら)べてかく咲きたらばいたく恋ひめやも
私訳 足を引くような険しい山の山桜の花、何日もこのように咲いているのならば、どうして桜の花に心を引かれるでしょうか。

集歌1426 吾勢子尓 令見常念之 梅花 其十方不所見 雪乃零有者
訓読 吾が背子に見せむと念(おも)ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば
私訳 私の愛しい貴方に見せましょうと想った梅の花、その花がどこにあるのか判らない。雪が降ったので。

集歌1427 従明日者 春菜将採跡 標之野尓 昨日毛今日毛 雪波布利管
訓読 明日(あす)よりは春菜摘まむと標(し)めし野に昨日(きのふ)も今日(けふ)も雪は降りつつ
私訳 明日からは春の若菜を摘もうと。その人の立ち入りが禁じられた野に、昨日も今日も雪が降り続く。

参考歌
集歌2617 足日木能 山櫻戸乎 開置而 吾待君乎 誰留流
訓読 あしひきの山桜戸(と)を開け置きて吾(あ)が待つ君を誰れか留(とど)むる
私訳 葦や桧の生える山の山桜の木で作った戸を開けたままにして、私が待つ貴方を誰が留めているのでしょうか。

集歌3970 安之比奇能 夜麻佐久良婆奈 比等目太尓 伎美等之見氏婆 安礼古悲米夜母
訓読 あしひきの山桜花(はな)一目だに君とし見しば吾(あ)れ恋(こい)ひめやも
私訳 葦や桧の生える山の山桜、その咲く花を少しだけでも貴女として思えるのなら、私はこの恋をこれほどに苦しむでしょうか。


百済野の歌
 この歌は、万葉集巻八 春雑歌に分類される歌です。この歌一首が前後の歌と連絡なく単独に置かれていますので、歌の背景も詠われた時期も不明の歌です。
 さて、この歌を分類すると「詞の洒落」を楽しむ歌になるのでしょう。そうしたとき、この歌の表面上の洒落は、「鶯」、「鶏」、「鵡(オウム)」と「鴨」の四種類の鳥の名前を織り込んでいるところです。ここで、ちょっとしたことですが、その洒落のついでで、啼く鶯を「啼鶯」と書くと「ていおう」と詠みます。その漢詩の世界での約束では鶯が鳴くと花は散ることになるようです。時代は下りますが、雰囲気が似た漢詩がありますので次に紹介しておきます。
 参考に、万葉集の歌の中で百済野の地名が詠われているのは、この歌を含めて全部で二首だけです。残りのもう一首の歌は柿本人麻呂が詠った高市皇子尊城上殯宮の歌です。神亀六年二月にクーデタで殺された長屋王(現在では、親王以上の位であった可能性がある)はその高市皇子の長男ですので、もし、この歌が「啼鶯」と云う意味で天平年間の初期に詠われたのですと、非常に意味深長な歌となり、「春の雑歌」の分類にも納得がいきます。
 遊びですが、「鳴尓鶏鵡鴨」は「鵡鴨」を「武をとり、申しとり」と分解すると「鷄之鳴 吾妻乃國之 御軍士乎 喚賜而(鶏が鳴く吾妻の国の御軍士を喚し賜ひて)」のもじりのような遊びも想像できます。


山部宿祢赤人謌一首
標訓 山部宿祢赤人の謌一首

集歌1431 百濟野乃 芽古枝尓 待春跡 居之鴬 鳴尓鶏鵡鴨
訓読 百済(くだら)野(の)の萩の古枝(ふるえ)に春待つと居(を)りし鴬鳴きにけむかも
私訳 百済野の萩の古い枝に春を待つように留まっている鶯は、もう、啼き出したかなあ。

参考歌 
喜遷鶯 鶯の遷るを喜ぶ
曉月墜 宿雲微 曉に月は墜(お)ち、雲は微(かすか)に宿る
無語 枕頻欹 語(ことば)無く枕を頻(しきり)に欹(そばだ)つ
夢回芳草 思依依 夢は芳草を回りて、思ひ依依(いい)たり
天遠雁聲稀 天遠く、雁聲(かりのこえ)稀なり
啼鶯散 餘花亂 啼鶯(ていおう)は散じ、餘花(よか)は亂(ち)る
寂寞畫堂深院 寂寞たる畫堂(ちゅうどう)、深院たり
片紅休掃 儘從伊 片紅の掃くを休(や)め、儘(ただ)、伊(そ)に從ふ
留待舞人歸 留めて、舞人の歸るを待つ


集歌1471の謌 霍公鳥

 この歌は、万葉集巻八 夏雑歌に分類され、霍公鳥に因んだ歌を集めた中に載せられています。このため、山部赤人が詠う集歌1471の歌には霍公鳥の姿はありませんが、隠された歌の言葉の中に霍公鳥の姿を見るのが決まりとなっています。
 そうしたとき、キーワードとして「藤浪」に注目すると、霍公鳥と藤浪とを詠う歌が参考歌のようにあります。人は集歌1944の歌を集歌1471の歌の背景としますが、私は集歌1991の歌の方を背景と見ました。なお、季節を秋に変えただけで、ほぼ、集歌1471の歌と同じ歌が万葉集に見ることができますので、詠い手は男女が入れ替わっていますが、どちらが先行するかは興味があります。

山部宿祢赤人謌一首
標訓 山部宿祢赤人の謌一首

集歌1471 戀之家婆 形見尓将為跡 吾屋戸尓 殖之藤浪 今開尓家里
訓読 恋しけば形見にせむと吾が屋戸(やと)に植ゑし藤波(ふぢなみ)今咲きにけり
私訳 貴女が恋しくて思い出にしようと私の家に植えた藤浪は、今ごろ、咲きました。

参考歌その一 霍公鳥と藤浪の歌
集歌1944 藤浪之 散巻惜 霍公鳥 今城岳叨 鳴而越奈利
訓読 藤波(ふぢなみ)の散らまく惜(を)しみ霍公鳥今城(いまき)の岳(をか)と鳴きて越ゆなり
私訳 藤浪の散るのを惜しんで、霍公鳥が今城の岳でしきりに鳴きながら越えて行く。

集歌1991 霍公鳥 来鳴動 岡部有 藤浪見者 君者不来登夜
訓読 霍公鳥来鳴き響(とよ)もす岡部なる藤波(ふぢなみ)見には君は来じとや
私訳 霍公鳥が遣ってきて鳴き声を響かせる丘にある藤浪を観に貴女はやってこないと云われるのですか。

参考歌その二
集歌2119 戀之久者 形見尓為与登 吾背子我 殖之秋芽子 花咲尓家里
訓読 恋しくは形見にせよと吾(あ)が背子が植ゑし秋萩花咲きにけり
私訳 「私が愛しく恋しいのなら、その面影にしなさい」と私の愛しい貴方が植えた秋萩の花が咲きました。


春の鴬を詠める謌

 集歌1431の歌と連作のような春の鶯の情景です。ただし、伝聞の歌として書き記したものですので、解説者により「山部宿祢明人」を「山部宿祢赤人」と同一人物と認めない場合もあります。

山部宿祢明人、詠春鴬謌一首
標訓 山部宿祢明人(あかひと)の、春の鴬を詠める謌一首

集歌3915 安之比奇能 山谷古延氏 野豆加佐尓 今者鳴良武 宇具比須乃許恵
訓読 あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鴬の声
私訳 足を引く険しい山や谷を越えて、野の高みに今は鳴いているでしょう鶯の声よ。

左注 右、年月所處、未得詳審。但、随聞之時記載於茲
注訓 右は、年月と所處(ところ)を未だ詳審(つばびらか)にすることを得ず。但、聞きし時のままにここに記(しる)し載(の)す。

 この集歌3915の歌は、巻十七に載る歌です。その巻十七での記載の順から推定すると天平十三年四月頃に何かの宴で詠われた歌を聞いたままに忘備録に書き残したと思われます。記録者としては家持の可能性は高いのですが、巻十七は大伴池主が記録したのではないかとの比定がありますので、宴において誰が古歌を詠い、それを記録したかは不明です。
 また、万葉集の巻で先行して配置される歌が霍公鳥を詠う歌ですから、季節感と配置からするとこの歌には何らかの隠れたメッセージがあるのかもしれません。

参考歌
別訓 あしひきの山谷越えて野(の)官(つかさ)に今は鳴くらむ鴬の声
別訳 葦や桧の生い茂る山や谷を越えて、荒野の朝廷(御陵)には、今は啼くでしょう「ていおう」と呼ばれる鶯の声よ。

おわりに
 山部赤人の歌を全歌紹介しましたが、このように一括に紹介しますと、なぜ、山部赤人が宮廷歌人と称されるのかは疑問に感じるのではないでしょうか。山部赤人を評価する上での前提条件である仮名序の評価を除けば、歌の風流人である山部赤人が折々の歌を詠んだのが本来であることが判るのではないでしょうか。
 ここで、集歌372の歌や集歌1431の歌に示す洒落から、素人考えで巻十六に載る集歌3837の歌の作者ではないかと邪推してしまいます。なお、集歌3837の歌の作者はその左注に記載するように正史には名を残しませんが、その時代では有名な歌人ですし、歌の内容はちょっとまねの出来ない高度な頓智の歌です。(ここは、ブログ「万葉集巻十六を鑑賞する」を参照下さい) その時、山部赤人は、その「山部」の姓が示すように武人であり右の兵衛の士であることは、至極当然になります。
 さて、最後まで与太話となりました。この素人の長々しい与太話にお付き合いしていただきありがとうございます。


参考歌
集歌3837 久堅之 雨毛落奴可 蓮荷尓 渟在水乃 玉似将有見
訓読 ひさかたの雨も降らぬか蓮葉(はちすは)に渟(とど)まる水の玉に似る見む

私訳 遥か彼方から雨も降って来ないだろうか。蓮の葉に留まる水の玉に似たものを見たいものです。

右謌一首、傳云有右兵衛。(姓名未詳) 多能謌作之藝也。于時、府家備設酒食、饗宴府官人等。於是饌食、盛之皆用荷葉。諸人酒酣、謌舞駱驛。乃誘兵衛云開其荷葉而作。此謌者、登時應聲作斯謌也

注訓 右の謌一首は、傳へて云はく「右兵衛(うひょうえ)なるものあり(姓名は未だ詳(つばび)らならず)。 多く謌を作る藝(わざ)を能(よ)くす。時に、府家(ふか)に酒食(しゅし)を備へ設け、府(つかさ)の官人等(みやひとら)を饗宴(あへ)す。是に饌食(せんし)は、盛るに皆荷葉(はちすは)を用(もち)ちてす。諸人(もろびと)の酒(さけ)酣(たけなは)に、謌舞(かぶ)駱驛(らくえき)せり。乃ち兵衛なるものを誘ひて云はく『其の荷葉を開きて作れ』といへば、此の謌は、登時(すなはち)、聲に應(こた)へて作れるこの謌なり」といへり。

注訳 右の歌一首は、伝えて云うには「右の兵衛府にある人物がいた。姓名は未だに詳しくは判らない。多くに歌を作る才能に溢れていた。ある時、兵衛府の役所で酒食を用意して、兵衛府の役人達を集め宴会したことがあった。その食べ物は盛り付けるに全て蓮の葉を使用した。集まった人々は酒宴の盛りに、次ぎ次ぎと歌い踊った。その時、右の兵衛府のある人物を誘って云うには『その荷葉を開いて歌を作れ』と云うので、この歌は、すぐにその声に応えて作ったと云う歌」と云う。


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