竹取翁と万葉集のお勉強

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高橋連虫麻呂歌集を鑑賞する  富士の嶺の歌

2010年11月22日 | 柿本朝臣人麻呂歌集及び万葉集に載る歌集
はじめに
 高橋連虫麻呂の歌および高橋連虫麻呂歌集を鑑賞しますが、例によって、紹介する歌は、原則として西本願寺本の原文の表記に従っています。そのため、紹介する原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。
 また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や解説があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話で、学問ではありません。


高橋連虫麻呂を考える
 この本人また本人が詠ったと思われる三十四首の歌について見てみますと、歌は長歌十四首、旋頭歌一首、短歌十九首に分類されます。また、歌が詠われた地域は、駿河・房州・常陸の東国と畿内です。この地域性と集歌971の歌が藤原宇合の西海道節度使に就任する状況を詠ったものであるため、高橋虫麻呂は藤原宇合の随員ではないかとの推測があります。ただし、「高橋連虫麻呂」は、正史には現れないことや万葉集の標や左注でもその人物像が探れないために、公式には、未だ、その人物像や生涯については不明の人物です。歌を鑑賞した感覚として、高橋虫麻呂は大伴旅人の筑波山への登山に同行し、関東各地を同行して旅をしたようですが、対する藤原宇合は筑波山に登らなかったのではないかと思える節があります。そこから、素人ではありますが、従来の解説は本当に正しいのか疑問を抱いています。
 なお、高橋虫麻呂に関係する歌で詠われた年が確定出来るのは、天平四年(732)の集歌971の「藤原宇合卿遣西海道節度使」の時の歌と神亀元年(724)の集歌1747の「諸卿大夫等下難波」の時の歌だけです。その他の歌は、万葉集でのその歌の配置関係や藤原宇合の年賦から推測するものが過半です。ここで、高橋虫麻呂が詠う歌が藤原宇合の常陸国守就任と関係するとしますと、およそ、養老・神亀年間から天平初期に活躍した人物となります。
 ところで、公表されている情報によると、東大寺正倉院文書の天平十四年(742)の年号を記す書類に「優婆塞秦調曰佐酒人」を貢進した人物として「少初位上高橋虫麿」の名が登場するそうです(原文未確認)。そこから高橋連虫麻呂は、最終の官位が少初位上であったのではないか、また、天平十四年の段階でも生存していたとする説があります。ただし、東大寺正倉院文書に載る記事が公式文書に相当するのですと、文書での「姓(かばね)」の有無から「高橋連虫麻呂」と「少初位上高橋虫麿」なる人物とは区分するのが相当ではないでしょうか。つまり、提案されている人物像の根拠に対して、律令体制での規則や身分制度などから疑問を提示すると、高橋連虫麻呂については、その生涯や人物像は、現在も未解決の人物となってしまいます。
 参考に、高橋朝臣は膳部(かしはで)氏の支流に当たり、宮中で天皇の御食を掌る内膳に代々就任していて、名目上の志摩国の国守を勤める立場です。一方、高橋連は物部氏の支流に当たり、朝廷直属の一族と河内国に土着の一族とに分かれます。高橋虫麻呂はその姓から物部氏の支流に相当しますが、本貫を右京とするのか、河内国とするのかを含めて不明です。一部に、高橋朝臣と高橋連とに混乱が見られますが、ここでは高橋連虫麻呂は物部氏の支流の高橋連の一族と考えますので、宮内省や内膳との直接の関係を見ていません。



富士の嶺の歌
 物議を醸す歌です。集歌319の歌と集歌320の歌を高橋連蟲麿の歌とみなすか、それとも山部赤人の詠う集歌317の歌と集歌318の富士山の歌と、誰か他の人 (目録に笠朝臣金村歌中之出の書入れがある) の詠う集歌319と集歌320の歌の富士山のものと同じジャンルでの参考歌とするかについて、議論があります。
 ここでは、「布士」と「不盡」との表記の差から高橋連蟲麿の歌とはせずに参考歌とさせていただきます。なお、「田菜引物緒」の表記を見ると、富士の嶺に宿る神々に稲や青菜を供えて祭ったような感覚になります。

集歌321 布士能嶺乎 高見恐見 天雲毛 伊去羽斤 田菜引物緒
訓読 布士(ふぢ)の嶺(ね)を高み恐(かしこ)み天雲もい行きはばかりたなびくものを
私訳 富士の嶺の高さに恐縮して、天空の雲も流れ去ることをはばかって棚引くようです。
左注 右一首、高橋連蟲麿之謌中出焉。以類載此
注訓 右の一首は、高橋連蟲麿の謌の中に出づ。類ひを以つて此に載す。

参考歌
詠不盡山謌一首并短謌
標訓 不尽の山を詠める歌一首并せて短歌
集歌319 奈麻余美乃 甲斐乃國 打縁流 駿河能國与 己知其智乃 國之三中従 出之有 不盡能高嶺者 天雲毛 伊去波伐加利 飛鳥母 翔毛不上 燎火乎 雪以滅 落雪乎 火用消通都 言不得 名不知 霊母 座神香 石花海跡 名付而有毛 彼山之 堤有海曽 不盡河跡 人乃渡毛 其山之 水乃當焉 日本之 山跡國乃 鎮十方 座祇可間 寳十方 成有山可聞 駿河有 不盡能高峯者 雖見不飽香聞
訓読 なまよみの 甲斐(かひ)の国 うち寄する 駿河(するが)の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出(い)で有る 不尽(ふじ)の高嶺(たかね)は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上(のぼ)らず 燃ゆる火を 雪もち消(け)ち 降る雪を 火もち消(け)ちつつ 言ひも得ず 名付けも知らず 霊(くす)しくも 座(いま)す神か 石花(せ)の海と 名付けてあるも その山の つつめる海ぞ 不尽河(ふぢかわ)と 人の渡るも その山の 水の激(たぎ)ちぞ 日の本の 大和の国の 鎮(しづめ)とも 座(いま)す神かも 宝とも 生(な)れる山かも 駿河なる 不尽の高嶺は 見れど飽かぬかも
私訳 吾妻と名付けた甲斐の国と、浪打ち寄せる駿河の国と、あちこちの国の真ん中にそびえたつ富士の高峰は、天雲も流れ行くのをはばかり、空飛ぶ鳥も山を飛び越えることもせず、山頂に燃える火を雪で消し、また、降る雪を燃える火で溶かし消し、どう表現したらよいのか、その名付けの理由も知らず、貴くいらっしゃる神なのでしょう。石花の海と名付けているのも、その山を取り囲む海です。尽きることの無い富士の川として人が渡るとしても、その山の水の激しい流れです。日の本の大和の国の鎮めといらっしゃる神とも、国の宝ともなる山でしょう。駿河にある富士の高嶺は見ても見飽きることはないでしょう。

反謌
集歌320 不盡嶺尓 零置雪者 六月 十五日消者 其夜布里家利
訓読 不尽(ふぢ)の嶺(ね)に降り置く雪は六月(みなつき)の十五日(もち)に消(き)ぬればその夜(よ)降りけり
私訳 富士の嶺に降り積もる雪は、夏の終わりの六月の十五日に消えるのだが、その夜には新しい年の雪が降ってくる。


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