竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百六六 巻十四 これも難訓歌ですか

2016年04月16日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百六六 巻十四 これも難訓歌ですか

 以前、数回に渡って有名な難訓歌についてその訓じを紹介しました。将来的にはそれらを集めて万葉集難訓歌対する総合的な読解にしたいと考えております。今回は以前に遊びました難訓歌への訓じ(第134 「東国の歌、訓じで遊ぶ」)を、総合編集の準備のために焼き直しをしています。まったくに重複していますが、ご容赦を願います。

 万葉集巻十四は東歌の巻とも称され、岐阜・三河以東の東国地方の国々の歌と防人の歌だけで編纂されたものです。そして、この巻十四に載る歌は、原則、一字一音万葉仮名で表記された「万葉平仮名歌」の巻の様相を呈しています。つまり、歌は大和言葉一音に漢字文字一字を当てたような形式で表記されていますから、古語が理解できていれば、巻十四の万葉歌に読解不能として「難訓」という名前で処理されるものは存在しないはずです。
 ところが、一般に巻十四の歌々に難訓歌が存在し、多数の歌が意味未詳となっているとします。例として集歌3450の歌の「乎具佐受家乎等」、集歌3553の歌の「許弖多受久毛可」などが一字一音の音字として解釈しても意味未詳とされています。つまり、与えた訓じが正解なのか、どうかも不詳と云う扱いなのです。確かに万葉集は日本人が日本語で歌を詠ったはずですが、万葉集の専門家を以てしても一字一音万葉仮名で表記された「万葉平仮名歌」の一部が読めないという状況があります。
 ただ、ご存知のように建設作業員が開く弊ブログで扱う全万葉集歌には難訓歌はありません。基本に忠実に、そして、色眼鏡なく古語に従えば、歌はままに訓じることが出来ますし、意味不詳と云う状況は生まれません。今回は復習のようなものですが、巻十四の中で難訓として扱われる歌を紹介します。

集歌3356 不盡能祢乃 伊夜等保奈我伎 夜麻治乎毛 伊母我理登倍婆 氣尓餘婆受吉奴
訓読 富士の嶺(ね)のいや遠長(とほなが)き山路(やまぢ)をも妹がりとへば日(け)に及(よ)ばず来ぬ
私訳 富士の嶺の裾野が遥かに遠く長い、そのような遠く長い山路を愛しいお前の許へと思うと、一日もかからずにやって来た。
注意 原文の「氣尓餘婆受吉奴」を「気(又は息)に及ばずに来ぬ」と訓じるものもありますが、「気」ですと正訓になりますので、ここでは音仮名の「日」と訓じています。


集歌3362 相模祢乃 乎美祢見所久思 和須礼久流 伊毛我名欲妣弖 吾乎祢之奈久奈
訓読 相模嶺の小峰(をみね)見しくし忘れ来(く)る妹が名呼びて吾(あ)を哭(ね)し泣くな
私訳 相模の峰々の小さな峰を眺めたように、小さくなる姿を見て後に残して来る、そのお前が私の名前を呼びかけて、私に声を挙げさせて泣かさないでくれ。
注意 原文の「乎美祢見所久思」の「所」を「可」の誤記とするものもありますが、訓じの「見しくし」は「見+しく+し」の言葉としています。誤記説での「見隠くし」のようには訓じていません。また、古語の「忘れる」には「後に残す」の意味があります。


集歌3401 中麻奈尓 宇伎乎流布祢能 許藝弖奈婆 安布許等可多思 家布尓思安良受波
訓読 中(なか)真砂(まな)に浮き居(を)る舟の漕ぎて去(な)ば逢ふこと難(かた)し今日(けふ)にしあらずは
私訳 川の真ん中の砂地の傍に浮いて泊まる舟が漕ぎ去る。そのように私が去って行ったなら、もう逢うことは難しい。今日、貴女に逢えなかったら。
注意 原文の「中麻奈尓」は時に意味不詳の難訓とします。ここでは四文字に対して五音が必要なために「中」の文字を漢語扱いとして訓じ「なかまなに=中真砂に」と解釈しています。一方、「なかまなに」と同じ訓じですが「あの・しきりに・うるさい音を立てている」と云うような形容詞とする考えもあるようです。


集歌3407 可美都氣努 麻具波思麻度尓 安佐日左指 麻伎良波之母奈 安利都追見礼婆
試訓 髪(かみ)付(つ)けぬ目交(まぐ)はし間門(まと)に朝日さしまきらはしもなありつつ見れば
試訳 私の黒髪を貴方に添える、その貴方に抱かれた部屋の入口に朝日が射し、お顔がきらきらとまぶしい。こうして貴方に抱かれていると。
注意 原文の「可美都氣努麻具波思麻度尓」を「髪付けぬ目交はし間門に」と歌の裏の意図を想定して試みに訓じてみました。一般には「上野(かみつけ)ぬ真妙(まくは)し円(まと)に」と訓じ「上野国にある円」と云う地名と解釈します。ただし、このように解釈した時の地名の「円」についてはその存在が確認できないために場所未詳と処理します。


集歌3409 伊香保呂尓 安麻久母伊都藝 可奴麻豆久 比等登於多波布 伊射祢志米刀羅
試訓 伊香保(いかほ)ろに天(あま)雲(くも)い継(つ)ぎ予(か)ぬま付(つ)く人とお給(たは)ふいざ寝(ね)しめ刀羅(とら)
試訳 伊香保にある峰に空の雲がつぎつぎと懸かるように、先々のことをしっかり考える人間だとお褒めになる。さあ、そんなしっかりした私に、お前を抱かせてくれ。刀羅よ。
注意 ここでは、原文の「可奴麻豆久」の訓じ「かぬまづく」は「予ぬ+ま+付く」、「於多波布」の訓じ「おたはふ」は「お+給ふ」と試みに解釈しました。「可奴麻豆久」に対して地名とは処理していません。一般には「かぬまづく」、「おたはふ」は意味未詳とし、時に「かぬまづく」は、鹿沼づく、神沼づくではないかという説、「おたはふ」は、叫ぶ、騒ぎ立てる、というような意味ではないかという説があります。ただ、その解釈でも歌意は未詳とするようです。


集歌3419 伊可保世欲 奈可中次下 於毛比度路 久麻許曽之都等 和須礼西奈布母
訓読 伊香保(いかほ)背(せ)よなかなかなつぎし思(お)も人(ひと)ろ隅(くま)こそ為(し)つと忘れせなふも
私訳 伊香保の愛しい貴方。私との仲を隠す、私が恋い焦がれる貴方。人目を避けた隠れ家で貴方に抱かれたこの体をお忘れにならないでください。
注意 巻十四の歌は、原則、音仮名での万葉仮名による表記と考えますと、原文の「奈可中次下」は五文字ですので難訓です。本来、二句目は七文字のはずですが、特別に「中」と「次」の文字を漢語として「なかなかつぎし」と訓じてみました。他に「なかちうしげ」と訓じて、「今にも・動き出そう(出発しょう)として」と解釈する人もいるようです。


集歌3450 乎久佐乎等 乎具佐受家乎等 斯抱布祢乃 那良敝弖美礼婆 乎具佐可利馬利
訓読 乎久佐(をくさ)壮子(を)と乎具佐(をぐさ)つけ壮士と潮舟(しほふね)の並べて見れば乎具佐かりめり
私訳 乎久佐に住む男と小草を身に巻き着けた男とを潮舟のように並べて比べると、なるほど、魔よけの小草を身に巻き着けた男の方が優れている。
注意 この歌、原文の「乎具佐受家乎等」が難訓により歌意未詳と処理されています。ただし、古くからの風習で五月の節句に菖蒲などの葉(小草=をぐさ)を魔よけとして頭や腰に巻き付け、病気などを避けるというものがあります。歌はそのような風習を下にした地名と風習との言葉遊びと考えられます。


集歌3459 伊祢都氣波 可加流安我乎乎 許余比毛可 等能乃和久胡我 等里弖奈氣可武
試訓 稲(いね)搗(つ)けば皹(かか)る吾(あ)が緒を今夜(こよひ)もか殿の若子(わくこ)が取りて嘆かむ
試訳 稲を搗くと手足がざらざらになる私、その私の下着の紐の緒を、今夜もでしょう、殿の若殿が取り解き、私の体の荒れようを見て嘆くでしょう。
注意 原文の「可加流安我乎乎」の「乎乎」は、一般に「手乎」の誤記として「皹る吾が手を」と訓じます。ただ、「手乎」ですと「手」が正訓になりますので、巻十四では特殊な表記になります。一般的な「乎乎」の最初の「乎」が「手」の誤記を採用するより、万葉集表記論からしますと似た書記となる「弖」の誤記とするのが良いと思われます。ここでは、原文のままに試訓をしています。卑猥ですが肉体労働する階級の女性にとって貴族階級の男性に「手を握られる」というより「体を求められ、抱かれる」の方が当時の感覚としては受けが良いのではないでしょうか。


集歌3505 宇知比佐都 美夜能瀬河泊能 可保婆奈能 孤悲天香眠良武 曽母許余比毛
試訓 うち日(ひ)さつ宮能瀬川の貌花(かおはな)の恋ひてか寝(ぬ)らむそも今夜(こよひ)も
試訳 日が射し照らす宮、その言葉のひびきではないが、宮能瀬川に生える貌花のような美しい貴女の顔(かんばせ)を恋焦がれて夜を過ごす。また、今夜も。
注意 一般には原文の「曽母許余比毛」に「伎」の字を追加して「伎曽母許余比毛」として「昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も」と訓じます。当然、字を追加しますから歌意は変わります。なお、歌の「可保婆奈=貌花」とはヒルガオとされています。
一般での解釈
訓読 うち日(ひ)さつ宮能瀬川の貌花(かおはな)の恋ひてか寝(ぬ)らむ昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も
意訳 光り輝く宮の瀬川ぞいの昼顔が、夜は花を閉じて眠るように、あの子は私を恋いつつ眠っているだろうか。昨夜も、今夜も。


集歌3506 尓比牟路能 許騰伎尓伊多礼婆 波太須酒伎 穂尓弖之伎美我 見延奴己能許呂
試訓 新室(にひむろ)の子時(ことき)に至ればはだ薄(すすき)穂(ほ)に出(で)し君が見えぬこのころ
試訳 未通娘が成女になる儀式をする新室を立てる娘子の時期になると、薄の穂が出る、その言葉のひびきではないが、秀でたあの御方の姿が(新室に籠っているので)お目にできないこのころです。
注意 原文の「許騰伎尓伊多礼婆」は、一般に「蚕時(ことき)に至れば」と訓じます。ここでは巻十一の旋頭歌にちなんで訓みました。歌は腰巻祝いで未通娘と腰結役の男が部屋に籠って成女式を行っている風景と想定しています。


集歌3507 多尓世婆美 弥羊尓波比多流 多麻可豆良 多延武能己許呂 和我母波奈久尓
訓読 谷狭(せば)みやよに延(は)ひたる玉葛(たまかづら)絶えむの心吾(わ)が思(も)はなくに
私訳 谷が狭いので、谷いっぱいに生え延びた玉葛、その蔓が切れないように二人の気持は切れて絶えるとは私は決して思わない。
注意 原文の「弥羊尓波比多流」は、一般に「弥年尓波比多流」の誤記として「嶺に延ひたる」と訓じます。ここでは原文のままに訓じています。なお、「弥羊尓=やよに」は感動語として扱っています。


集歌3518 伊波能倍尓 伊可賀流久毛能 可努麻豆久 比等曽於多波布 伊射祢之賣刀良
訓読 石(いは)の上(へ)にい懸(かか)る雲の予(か)ぬま付(つ)く人とお給(たは)ふいざ寝(ね)しめ刀良
私訳 巌のあたりにいつも懸かる雲のように、先々のことをしっかり考える人間だとお褒めになる。さあ、そんなしっかりした私に、お前を抱かせてくれ。刀良よ。
注意 先に紹介しました集歌3409の「伊香保呂尓」の歌と同じ様に、「可努麻豆久」の「かぬまづく」は「予ぬ+ま+付く」、於多波布の「おたはふ」は「お+給ふ」と解釈しました。一般解釈のような意味未詳と扱ってはいません。


集歌3553 安治可麻能 可家能水奈刀尓 伊流思保乃 許弖多受久毛可 伊里弖祢麻久母
試訓 安治可麻(あぢかま)の可家(かけ)の水門(みなと)に入る潮(しほ)の小手(こて)たずくもが入りて寝まくも
試訳 安治可麻の可家の入江に入って来る潮がやすやすと満ちるように、やすやすとお前の床に入り込んで共寝がしたいものだ。
注意 原文の「許弖多受久毛可」は難訓です。ここでは「小手+助ずく+も」の意味で試訓を行っています。一般には「許弖多受久毛可=凝りて立つ雲か」、「許弖多受久毛可=こて立す来もか」、「許弖多受久毛可=こてたずくもが(意味未詳)」などの試訓があります。なかなか、一首の歌意として扱うのは難しいようです。


集歌3566 和伎毛古尓 安我古非思奈婆 曽和敝可毛 加未尓於保世牟 己許呂思良受弖
試訓 吾妹子に吾(あ)が恋ひ死なば其(そ)侘(わ)へかも神に負(おほ)ほせむ心知らずて
試訳 私の愛しいあの娘に私が恋焦がれて死んだなら、その死を戸惑うだろう。神の祟りのせいにして。私の気持ちも知らないで。
注意 原文の「曽和敝可毛」は難訓です。ここでは試訓として「其(そ)+侘(わ)へ+かも」として訓じています。

 どうでしょうか、紹介しました歌々は一般的な万葉集解説本では難訓歌として意味未詳の形で紹介されています。実に不思議と思いませんか、一字一音での万葉仮名歌ですから、言葉としての「音」は取れているはずです。でも、その音字解釈では大学などの万葉集を専門に研究する立場からは日本語の歌として意味を持ったものにはならないとします。それゆえにこれらの歌を難訓歌と分類します。
 結局は、万葉集は素人の歌好きが原文から楽しむもののようです。およそ、ここで紹介しましたものは、その由来が素人酔論からの解釈です。まずは眉に唾を付け、千に三もない千無いものとして御笑納下さい。まずは富山から見れば「トンデモ学」に分類される遊びです。まず、学問じゃありません。

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