竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 三〇四 今週のみそひと歌を振り返る その一二四

2019年02月02日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 三〇四 今週のみそひと歌を振り返る その一二四

 今週は巻十二の「悲別歌」と「問答」に部立される歌々を鑑賞しています。好みで「問答」に区分される組歌二首、二組を再度鑑賞します。

弊ブログでの組歌
集歌3213 十月 鍾礼乃雨丹 沾乍哉 君之行疑 宿可借疑
訓読 十月(かむなつき)時雨(しぐれ)の雨に濡れつつや君し行くらむ宿(やど)か借(か)るらむ
私訳 神無月の時雨の雨に濡れながら愛しい貴方は、ここから帰って行くのでしょうか。途中で雨宿りの宿を借りることがあるのでしょうか。

集歌3214 十月雨 〃間毛不置 零尓西者 誰里之間 宿可借益
訓読 十月(そつき)雨(あめ)雨(あま)間(ま)も置かず降りにしば誰(た)が里し間(ま)し宿(やど)か借らまし
私訳 突然の神無月の時雨の雨があちらこちらで間も置かずに降ったならば、だれの郷の所(他の女性の家の意味)で雨宿りの宿を借りましょうか。


萬葉集釋注での組歌
歌3213 十月 鍾礼乃雨丹 沾乍哉 君之行疑 宿可借疑
訓読 十月(かむなづき)しぐれの雨に濡れつつか君が行くらむ宿(やど)か借りらむ
意訳 もう十月、冷たいしぐれの雨に濡れながら、あの方は今頃旅を続けておられるのだろうか、それとも、どこかで宿を借りておられるのであろうか。

集歌3214 十月 雨間毛不置 零尓西者 誰里之間 宿可借益
訓読 十月(かむなづき)雨間(あまま)も置かず降りにせばいづれの里の宿(やど)か借らまし
意訳 この寒い十月というのに、晴れ間もなしに雨が降り続いたなら、いったいどこの村里の宿を借りたらよいのであろうか。

 最初に二首組歌の訓じとその意訳を対で紹介しました。標準的に萬葉集釋注では原歌表記を紹介しませんが、校本万葉集の原歌表記に問題があるものについてはその歌を鑑賞する原歌表記を紹介し訓じの根拠を明確します。この二首組歌はそのような校本万葉集と西本願寺本万葉集とで異同のあるものとなっています。
 その異同は集歌3214の歌の初句と二句目において西本願寺本では「十月雨 〃間毛不置」ですが、校本万葉集では「十月 雨間毛不置」と表記します。萬葉集釋注はこの標準的な「十月 雨間毛不置」を採用することで、初句「十月」を共に「かむなづき」とする訓じを得ています。逆に伝統訓が共に「かむなづき」であるがために、集歌3214の歌の初句を「十月雨」から「十月」に校訂しなければいけなかったわけであって、本来表記である「十月雨」では「かむなづき」とは訓じられないからです。萬葉集釋注ではその原歌表記の異同を承知で、萬葉集釋注での訓じの源を示すため採用した伝統訓で訓じた根拠として原歌としてその表記を載せ、紹介しています。
 他方、萬葉集釋注では二首ともに現れる末句の「宿」の表記に注目し、この「宿」と云う漢字は旅先だけで使われる漢字とします。そのため、歌は遠く離れた地方に旅立った男と故郷に残された女との相聞歌の関係を見出します。対して、弊ブログではこの組歌二首は宮中や貴族の館での宴会で詠われた歌と考えており、都の中心部と郊外の村里程度の距離感しか感じていません。そのため、雨は「十月雨」と詠うように日本全国に降る梅雨のような雨ではなく、大和盆地内での時雨の感覚となります。
 弊ブログでは校本万葉集が否定した表記において同じ「十月」を「十月鍾礼乃雨丹」と「十月雨〃間毛不置」とにおいて発声の訓じが違う面白みや頓智と取っています。宴会での女歌と男歌の組歌ですと、それは歌垣歌のような掛け合いの競い歌となります。つまり、歌い手の技量を示す場ですから、「十月鍾礼乃雨」と「十月雨〃間」との相違における面白みであり頓智です。さらに女歌が「宿可借疑」において雨宿りのために軒先を借りる意味合いに対し、男歌では「誰里之間 宿可借益」と詠い雨宿りと称して里の女の床の間に入り込む寓意を示しその反歌とします。これも歌垣歌としての頓智であり返しです。

 次に集歌3217の歌と集歌3218の歌、二首組歌に遊びます。

弊ブログでの組歌
集歌3217 荒津海 吾幣奉 将齊 早速座 面變不為
訓読 荒津(あらつ)し海(み)吾(われ)幣(ぬさ)奉(まつ)り斎(いは)ひてむ早(とく)く速(いき)ませ面(おも)変(かは)りせず
私訳 荒津の海に私は幣をささげて、貴方の無事をお祈りしましょう。障害なく早く行き着きなさい。旅でやつれることなく。

集歌3218 且〃 筑紫乃方乎 出見乍 哭耳吾泣 痛毛為便無三
試訓 行きし行く筑紫の方(かた)を出で見つつ哭(ね)のみぞ吾が泣くいたもすべ無(な)み
試訳 ただ船はまっすぐに航行していく。筑紫の方角を船室から出て眺めながら声を挙げて泣くばかりです。そんな私がこのように泣いてもどうしようもありません。


萬葉集釋注での組歌
集歌3217 荒津海 吾幣奉 将齊 早還座 面變不為
訓読 荒津の海我(わ)れ幣(ぬさ)奉(まつ)り斎(いは)ひてむ早(はや)帰(かへ)りませ面(おも)変(かは)りせず
意訳 荒津の海、この海の神様に私は弊帛を捧げ、身を清めて祈っていましょう。一日も早くお帰りになって下さいませ。旅やつれなどせずに。

集歌3218 旦〃 筑紫乃方乎 出見乍 哭耳吾泣 痛毛為便無三
訓読 朝(あさ)な朝(さ)な筑紫の方を出(い)で見つつ音(ね)のみぞ我(あ)が泣くいたもしべなみ
意訳 毎朝毎朝、船上に出てははるか筑紫の方を見やりながら、声をあげて泣くばかりだ。どうにもやるせなくて。

 最初に集歌3217の歌の四句目「早速座」の「速」は、一般に「還」の誤字とします。また、集歌3218の歌の初句「且〃」は、一般に「旦〃」の誤字とします。
 このように西本願寺本万葉集と校本万葉集では扱う歌が違います。そのため、まず、歌が示す方角や場面が全くに違います。万葉集では集歌3215の歌から集歌3220の歌まで二首組歌三組が筑紫の豊国を詠います。これから集歌3217の歌で詠う荒津海は博多湾の港を詠うものと考えられます。そうした時、四句目「早速座」か、「早還座」かでは全くに女の立場が変わります。つまり、奈良の都からの官僚が大宰府に里の女を残して帰って行くのか、それとも大宰府からどこかへの出張なのかの差があります。弊ブログでは官僚が大船に乗って奈良の都へと帰京する場面に女に歌を贈ったと考えています。
 弊ブログはあくまで西本願寺本に載る原歌表記に従い歌を解釈し、校本万葉集では最初に歌の解釈がありそれに原歌表記を校訂した感があります。その相違がありますから、歌の解釈は相当に相違することになります。

 弊ブログの酔論・与太話は斯様な背景によります。建設作業員の強みとして鎌倉以来の伝統をただただ無批判に拝受することはしませんので、このようなものとなります。

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