竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集 「撫ず」を鑑賞する

2011年07月24日 | 万葉集 雑記
万葉集 「撫ず」を鑑賞する

 万葉集に載る「撫ず」の歌を鑑賞しますが、例によって、紹介する歌は、原則として西本願寺本の原文の表記に従っています。そのため、紹介する原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いです、ここでは原文・訓読み・私訳があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話で、学問ではありません。
 なお、今回、飛鳥・奈良時代の貴族階級は神仙道教房中術を教養として身に付けていたとの前提で「歌を裏」から特殊に鑑賞していますので、房中術と併せてご理解下さい。ご存じと思いますが、この房中術では男女の良好な“目合ひ(まぐわひ)”は保養長寿のための高度な医療行為の過程であるとされています。

男の務
 万葉集の歌を見て行くと他の古典の和歌集とは特徴的に違い、男女の「目合ひ」を直接的に表現したものが多々あることに気付きます。ここでは、その直接的な「目合ひ」をテーマにした歌に焦点を当てて鑑賞して見ました。なお、今回の題目に「目合ひ」では気が引けますので、愛撫を意味する「撫ず」を題目にしています。

集歌3163 吾妹兒尓 觸者無二 荒礒廻尓 吾衣手者 所沾可母
訓読 吾妹子(わぎもこ)に触(ふ)るるは無(な)みに荒礒廻(ありそみ)に吾(あ)が衣手(ころもて)は濡れにけるかも

私訳 私の愛しい貴女と身を交わしたこともないのに、波打つ荒磯を廻り行くに、私の衣の袖は濡れたようです。


 古語では「触る」の詞に「男女の契りを交わす・目合う」の意味があります。この詞の意味に注目すると、集歌3163の歌から推定するに、万葉時代では男が床で女の体に触ると、その床で互いの体に懸ける白栲の衣の袖が女性の「愛の潤い」で「染付くように濡れる(沾の語感)」のが約束です。また、当時の成人する男の児に添臥の女性が実技教育をする風習からして、女の体をそのような状態にするのは一人前の男の務だとの約束があったと思われます。
 この男女の約束事を前提に、次の歌を鑑賞します。

集歌2949 得田價異 心欝悒 事計 吉為吾兄子 相有時谷
訓読 うたて異(け)に心いぶせし事(こと)計(はか)りよくせ吾が背子逢へる時だに

私訳 どうしたのでしょう、今日は、なぜか一向に気持ちが高ぶりません。何か、いつもとは違う楽しくなるやり方を工夫してください。ねえ、貴方。こうして二人が抱き合っているのだから。


 集歌3163の歌に示すように、「吾妹子」の詞から推定される継続して肉体関係を保つ男女の関係では、前戯を行い、女を潤い濡れた状態にするのが時代の約束なのでしょう。この約束事を下に集歌2949の歌を鑑賞すると、歌の「相有時谷」の表記を前提に、女は夜の床で男に「いつもと同じやり方だと気持ちが一向に高ぶらない。今日は少し変わった方法を試しましょう」と求めています。
 さて、歌でのその「事計吉為=少し変わった楽しい方法」とはどのような事でしょうか。それを推定するために、当時の「いつもの男女のやり方」を考えてみたいと思います。そこで、それをまだ男女の関係について経験が浅い女に対する歌から推定してみます。


玉勝間の業
 玉勝間の言葉は、玉と勝間(かつま)との二つの言葉に分けられるようです。この「勝間(かつま)」とは、古語で「無目堅間(マナシカタマ)」からきた言葉で「竹の籠」のことを示し、その中子(身)と蓋の「大きさが合い、蓋をする」と云う動作の言葉から「逢う」の枕詞とされています。

集歌2916 玉勝間 相登云者 誰有香 相有時左倍 面隠爲
訓読 玉かつま逢はむと云ふは誰(たれ)なるか逢へる時さへ面(おも)隠しする

私訳 美しい竹の籠(古語;かつま)の中子と蓋が合う、その言葉ではないが、逢うために私の部屋に来て下さいと云ったのは誰ですか。こうして抱き合っている時にでも、貴女は顔を隠す。


 歌は、女から男に抱かれたいとの思いを告げ、その願いが叶い男と共寝をする時でも、女は恥じらいに顔を隠すと詠います。およそ、原文の「相登云者 誰有香」の用字の語感から、男は女に覆い被さり、上から下に女の顔や体を眺めています。男女の経験が浅い女が示す態度から推測して、この形が普段の男女のいつものやり方なのでしょう。なお、歌は教養ある階級の男女の相聞ですから、枕が二つ並ぶ敷栲の床での会話が前提です。野良の野合ではありません。
 ここで一度、夜の営みでは女性は潤い濡れるのが約束との視点に戻り、女性の中心を「芽・芽子」の言葉で比喩することに注目しますと、集歌2259の歌のような、とても意味深長な歌に出会います。

集歌2259 秋芽子之 上尓白露 毎置 見管曽思努布 君之光儀乎
訓読 秋萩の上に白露置くごとに見つつぞ偲(しの)ふ君が姿を

私訳 秋萩の上に白露が置くたびに、その姿を眺めながら思い浮かべる。貴女の姿を。


 古語で「見る」には「男女が関係を結ぶ」との意味合いもあり、「偲ふ」には「賞美する・堪能する」との意味合いもあります。万葉の世界では、夜の営みでは女性は潤い濡れるのが約束です。こうした時、集歌2259の歌は、男は女の姿形をしっかり見知っていることを前提としていますから、二人には万葉歌の約束として肉体関係があります。すると、抱いた相手だけが分かる「歌の裏」として、紐解く女性の芽子から露が湧き出て置く情景を詠ったとも解釈が可能となります。この解釈があるのなら、男は自分のする愛撫に相手の高まりの様子を眺めながら、楽しんでいたとの妄想も可能です。ここで、集歌2949の歌と重ね合わせると、万葉の時代では教養ある男は女が潤い濡れるように努力して、その湧き出る潤いを確認して堪能するのが男としての責任だったのでしょうし、それが「事計」の示すものと思います。ただ、この解釈が成り立つなら、この歌を詠った男の、その時の顔の位置が気にかかります。
 さて、この与太話は置いて、万葉人の戀歌のバイブルである人麻呂歌集の歌を見てみますと、

集歌2389 烏玉 是夜莫明 朱引 朝行公 待苦
訓読 ぬばたまのこの夜な明けそ朱(あか)らひく朝(あさ)行く公(きみ)を待たば苦しも

私訳 漆黒の闇のこの夜よ明けるな、貴方によって私の体を朱に染めている、その朱に染まる朝焼けの早朝に帰って行く貴方を、また次に逢うときまで待つのが辛い。


 集歌2399の歌に「朱引秦不経雖寐心異我不念」と詠う歌があります。その歌と共通で万葉集の中で、ただ二回だけ人麻呂歌集の歌の中で使われる原文の「朱引」を、人麻呂独特の恋する女の肌を示す言葉と解釈しています。ここには、貴方の手によって黒髪の流れる白き私の肌を朱に染めると詠う情景があります。その夜に肌を朱に染めた女はどうであったかと云うと、

集歌2390 戀為 死為物 有 我身千遍 死反
訓読 恋するに死するものにあらませば我が身は千遍(ちたび)死にかへらまし

私訳 貴方に抱かれる恋の行いをして、そのために死ぬのでしたら、私の体は千遍も死んで生き還りましょう。

と、夜の床で男性の“剣太刀”で何度も身を貫かれたその夜の名残の思いを女は詠います。また、その夜の女は、男から見て次のような姿を見せています。


集歌2391 玉響 昨夕 見物 今朝 可戀物
訓読 玉(たま)響(とよ)む昨日(きのふ)の夕(ゆふべ)見しものを今日(けふ)の朝(あした)に恋ふべきものを

私訳 美しい玉のような響きの声。昨日の夜に抱いた貴女の姿を思い出すと、(後朝の別れで家に帰り着いた)今日の朝刻には、もう恋しいものです。

 ここで、集歌2391の歌の原文での「玉響」には諸訓があり、「玉あへば」、「玉ゆらに」、「玉さかに」、「玉かぎる」等の訓みがありますが、ここでは「玉とよむ」と原文のままに訓み、解釈しています。するとそこには、男の濃やかな愛撫に全身で答える女の姿があります。ただし、残念なことに、このような解釈がこの三首にあったとしても、歌から愛の営みに満ち足りた女の感情は想像できますが、そこまでへの過程はこれらの歌からは明らかではありません。
 ここで話題を戻して、では、夜の床で女が求める集歌2949の歌の「事計」の業とは、男が女の体をじっと視る以外に、どのようなものがあったのでしょうか。


乳母への業
 集歌2949の歌の「事計」の言葉に注目して、次の集歌2925と2926の歌を鑑賞して見ます。
 一般には、この二首は母親のような年上の女が、まだ若く恋の経験の薄い男を、軽くたしなめるような感覚の歌として鑑賞します。ところが、歌を交わす二人の年齢が逆としますと、想像で乳房の豊満な若い女と家を構える壮年の男との関係が現れ、歌の情景は夜の営みの情景へと変わります。つまり、歌は若い女から乳房が好きな男への夜の誘いの歌となります。


集歌2925 緑兒之 為社乳母者 求云 乳飲哉君之 於毛求覧
訓読 緑児(みどりこ)の為こそ乳母(おも)は求むと云ふ乳(ち)飲めや君の乳母(おも)求むらむ

私訳 「緑児の為にこそ、乳母は探し求められる」と云います。でも、さあ、私の乳房をしゃぶりなさい。愛しい貴方が乳母(乳房)を求めていらっしゃる。


集歌2926 悔毛 老尓来鴨 我背子之 求流乳母尓 行益物乎
訓読 悔(くや)しくも老いにけるかも我が背子が求むる乳母(おも)に行かましものを

私訳 残念なことに年老いてしまったようです。私の愛しい貴方が請い願う乳母(乳房)として、堂々と、女である私から貴方の許に行きたいのですが。


 万葉の時代では、身分有る家の娘は自分から恋する男の許に行くことは慎むこととされています。それを前提として、上総の珠名の娘子を「胸別之 廣吾妹 腰細之 須軽娘子」と高橋連蟲麻呂が形容するように若く乳房が豊かであることは、世の男が惹かれる重要な要素です。そのような胸を自慢する娘が「貴方の許に行けないのは、私は年老いているから」と男に謎懸けて話しかけることは有り得ると思います。つまり、「私からは行けないから、貴方からやって来て下さい」との甘えた願いになりますし、「乳飲めや君」とは訪れる男に対する「乳房への愛撫」のお願いにもなります。これはちょうど、大伴田主と石川女郎との相聞で女郎が「賤しき嫗に似せる」との情景に通じるものがあります。
 ここで、この歌の解釈で、胸豊かな若い娘と家を構える男との関係と認めますと、男は娘の乳房を口で愛撫することが好きですし、娘はそれが好ましいと感じています。万葉時代の貴族が使っていたと思われる愛の指南書である「玉房秘訣」では乳頭に対して男は「用嘴吮吻、並用齒輕咬」を行うことを推薦していますから、歌の世界から想像する業と一致します。つまり、当時においても現在と変わらず、男女の愛撫に口を使う行為も自然であったとの邪推が可能となります。


東人の業
 貴族の詠う歌は、男女を詠っていてもその状況を比喩で示されると真意に気付かない場合が過半と思います。ここで、比喩ではないかとの個人的な思い込みの例として巻七の詠月の歌を紹介します。歌で詠う「月」を「月人壮士」のような「男」の比喩としても、歌の鑑賞は成り立ちますし、その時、これらを恋の相聞とする方がより理解しやすいと思います。


集歌1071 山末尓 不知夜歴月乎 将出香登 待乍居尓 夜曽降家類
訓読 山の末(は)にいさよふ月を出でむかと待ちつつ居(を)るに夜(よ)ぞ更けにける

私訳 山の際で出て来るのをためらっている月を、もう出て来るのかと待っている内に夜が更けていく。


集歌1072 明日之夕 将照月夜者 片因尓 今夜尓因而 夜長有
訓読 明日(あす)の夕(よひ)照らむ月夜(つくよ)は片寄りに今夜(こよひ)に寄りて夜(よ)長(なが)くあらなむ

私訳 明日の宵に照るだろう月夜は、少し分け寄せて今夜に寄せ加えて、今、この夜が長くあってほしい。


集歌1073 玉垂之 小簾之間通 獨居而 見驗無 暮月夜鴨
訓読 玉垂(たまたれ)の小簾(をす)の間(ま)通(とひ)しひとり居(ゐ)て見る験(しるし)なき暮(ゆふ)月夜(つくよ)かも

私訳 美しく垂らす、かわいい簾の隙間を通して独りで部屋から見る、待つ身に甲斐がない煌々と道辺を照らす満月の夕月夜です。


集歌1074 春日山 押而照有 此月者 妹之庭母 清有家里
訓読 春日山おして照らせるこの月は妹が庭にも清(さや)けくありけり

私訳 春日山を一面に押しつぶすかのように煌々と照らすこの月は、愛しい貴女の庭にも清らかに輝いていました。


 比喩歌では、その鑑賞において何を比喩したのかの判断で、それぞれの歌の解釈に幅や振れが生じるでしょう。そこで、もう少し直線的に見てみたいと思います。
 さて、飛鳥・奈良時代は、当然のこととして庶民は雑居生活で、若い娘が独立した部屋を持つことはありません。つまり、若い娘の「人との出会い」は野良が舞台です。そのような男女の様子を詠う歌が、東国の歌にあります。そして、これらの歌を万葉集巻十四の中に採歌したのは都人ですから、その為す東人の業を十分に理解していたはずです。


集歌3530 左乎思鹿能 布須也久草無良 見要受等母 兒呂我可奈門欲 由可久之要思母
訓読 さ牡鹿(をしか)の伏すや草群(くさむら)見えずとも子ろが金門(かなと)よ行(ゆ)かくし良(え)しも

私訳 立派な角を持つ牡鹿が伏すだろう、その草むらが見えないように、姿は見えなくても、あの娘のりっぱな門を通るのは、それだけでも気持ちが良い。


 この歌は通説のままでは歌意が不明として、牡鹿を陰茎、草群を女性の柔毛、金門を陰門の比喩として解釈することがあります。この時、男はまだ柔毛の生え揃わない若い娘の下腹部の様子を眺めながら腰を使っていますから、男は上から女を抱いていることになります。なお、この歌は男からの一方的な行為だけで、女の応接は不明です。ここで、歌の鹿、草、見、門の四字だけは正訓で、そこに採歌者の意図があるとの指摘があります。


集歌3531 伊母乎許曽 安比美尓許思可 麻欲婢吉能 与許夜麻敝呂能 思之奈須於母敝流
訓読 妹をこそ相見に来しか眉引(まよひ)きの横山(よこやま)辺(へ)ろの鹿猪(しし)為(な)す思へる

私訳 愛しいお前だからこそ逢いに来ただけだのに、まるで眉を引いたような横山の辺りの鹿や猪かのように扱われる(追い払われる)と思ってしまう。


 集歌3531の歌の訓読の「鹿猪為す思へる」は「まるで鹿や猪がしているように思ってしまう」とも意を取ることも可能です。このとき、訓読の「妹をこそ相見に来しか」は「愛しいお前だからこそ抱きに来たのだが、」と解釈できます。この解釈が可能なら、この歌は集歌3530の歌の男女とは違い「相見」の関係ですから、娘の体に慣れ親しんだ男は、娘の衣服の汚れるのを気にしたのか、または、男の切羽詰まった感情で、野原で後から女を鹿や猪のように抱いていることになります。


集歌3532 波流能野尓 久佐波牟古麻能 久知夜麻受 安乎思努布良武 伊敝乃兒呂波母
訓読 春の野に草(くさ)食(は)む駒の口やまず吾(あ)を偲(しの)ふらむ家の子ろはも

私訳 春の野で草の新芽を食べる駒が常に口をもぐもぐと動かすように、いつも話題に出して遠くに居る私を恋しく思っているでしょう、家に残した愛しい貴女よ。


 集歌3532の歌は、男女の野良の情景を詠う歌ではありません。同じ家で生活していた男女の情景の歌です。これを前提に、訓読の「偲ふ」には「遠く離れた人を恋しく思う」の意の他に「賞賛する・堪能する」の意があります。この場合、言葉を話さない馬を口を動かす動作の比喩に持ってきた意図と集歌3530や3531の歌の流れから、別の意味合いで「口をもぐもぐと休むことなく動かして私を堪能した、私の家に住む愛しい貴女よ」とも解釈できます。
 なお、万葉集には他に「口不息 吾戀兒矣(口(くち)息(や)まず 吾が恋ふる児を)」と表現する長歌があり、その反歌に

集歌1794 立易 月重而 難不遇 核不所忘 面影思天
訓読 たち替わり月(つき)重(かさ)なりて逢はねどもさね忘らえず面影(おもかげ)にして

私訳 この月も替わり月が積み重なり、貴女には逢えないけども、貴女をどうしても忘れることが出来ない。貴女の姿を思い浮かべると。


と詠われていて、原文の「核不所忘」の「核(さね)」の詞を副詞とするか、名詞とするかの考え様で歌の意味は大きく変わります。一般には「核」は強調語としての副詞です。もし、宴会で墨書して披露する歌と考え、裏の訳として名詞と考える場合は「核」は女性の中心部分を意味します。そのとき、「口不息 吾戀兒矣(口息まず 吾が恋ふる児を)」は、「私がしっかりと口で核を愛撫する貴女」のような訳も成り立ちますし、先の集歌3532の歌の解釈の幅が広がることもご理解いただけるものと思います。
 このような「歌の裏」があるのでしたら、それは当時の男女の日常です。公の歌会(歌垣をサロンで行うようなものを想定)や肆宴などでの歌は「表の歌」でしょうが、宴が乱れたときに披露する歌もあったと思います。その一部が、先に披露したものと思います。そして、その「歌の裏」で想像できる行為(触、見、吻、挿の行為の手段や事前、事後等の行為の形)が、集歌2949の歌での「事計」の言葉で示す女が求める内容と思います。

 さて、万葉の歌を鑑賞する時、万葉人の時代以前に中国から醫心方、素女經、玉房秘訣等の書籍が到来していて、漢語と万葉仮名で和歌を詠えるような貴族は、教養や医療行為の一環として、その内容を理解していたと推定されます。それらの書籍は医薬書として扱われ、壮年の男性の養生保気には若き女性の愛液や高みで生まれる唾液は摂取すべき薬として位置付けられていますし、女性もまた男性の精は摂取すべきものとなっています。その実践として、玉房秘訣では男性向けに女性から多くの「精」を得るために五徴十動の法などが示されていますし、その「精」の摂取法は「吻」と「挿」で行うと推薦されています。神仙道教の房中術栽接法では男女同等とされていますから、摂取法において女性も同等であったと推定されます。
 このように男性が女性に夜の床で十分に喜びを与えることが自身の養生保気の一環として自然であった時代に、歌の比喩において、牡鹿や剣太刀は男性を、芽子や露が女性を表わすとすると、表向きの歌意とは違った大人の楽しみとしての歌意を楽しむことが可能ではないでしょう。今回は、そのような観点から「歌を裏」から鑑賞してみました。

 参考資料として、万葉時代の貴族たちが読んでいた醫心方房内篇や玉房秘訣などのエッセンスを現代の中国の方が説明した文がありますので、以下に紹介します。なお、訳は割愛いたします。

古人房中術的愛撫技巧、是從手指尖到肩膀、足趾尖到大腿、彼此輕緩地愛撫。脚、是先從大拇趾及第二趾開始、而後逐漸向上游移、因為腿部的神經末梢是由上而下分布的。手、則由中指開始、而及食指與無名指、三指交互摩擦。先磨擦手背、而後進人由掌心向上游移、用四指在手臂內側專心愛撫、漸上肩膀。在手脚的愛撫動作完畢後、男人的左手就緊抱女子的背梁、右手再向女子重要的感帶愛撫、同時進行接吻。接吻也是依順序漸進的、要先吻頸、再吻額。男人也用嘴吮吻對方的喉頭、頸部和乳頭、並用齒輕咬耳朶等女子的敏感帶。經過上述的程序、充分愛撫女子身體的各主要部位後、再慢慢進行「九淺一深」或「八淺二深」的交合方式、對方就得到十分快感、顯現出非常滿足的樣子。 愛撫女子經絡、則對方的感應是非常敏銳快速而自然的。俗云「九淺一探、右三左三、擺若鰻行、進若蛭步」。這十六字足以描繪男人在交合時應有的技巧。其最主要的目的、還是在教男人自行理智控制、盡量使女子快樂。達到高潮、而自己能避免過早洩精。陽具先淺進九次、使女子青春蕩漾、心猿意馬、然後再作很深入的一撃、是謂九淺一深。因為在九次淺進時、女子能感受溫柔的撫擦的快感、然後又受到狠命的一插、心動氣顫、男人龜頭直抵陰戶深處、女子即刻會陷入極度的興奮狀態、陰道發生反覆膨脹及不斷緊縮的現象。癒是如此、則對陽具的介入、更能體會出交合快感。除了九淺一深外、陽具還需左衝右突、摩擦女子陰戶右邊三次、再左邊三次、此際、女子又復感受到不同的快感、來自陰道兩壁、性慾便更是高漲、不能自已。此外、男人陽具在進出陰道時、不可呆板地一抽一送、必須像鰻魚游進、向擺動身體、以使女子陰道兩壁都能感受到陽具的衝突。或是在進出陰道時、採用像蛭蟲走路一般、一上一下地縱著身體拱進。如此女子的陰道上下壁也能明確地感受到陽具插擦快感、終而神魂顛倒、樂不可支而達到高潮。

「玉房秘訣」、其中載有「八淺二深、死往生還、右往左往」。九淺一深也好、八淺二深也好、都是殊途同歸、指的是性交的韻律。同時限制深人的次數、除非很特殊的例子、女子才需要每次的插人、都要直抵陰道最深處、因為每次都深人、這種強烈的快感、極易導至性感的麻痺不覺、反而弄巧成拙。正像在背上搔抓止癢。若是過於用力而次數又太多、很容易便造成疼痛的後果。「死往生還」、指的是男子陽具在陰戶內因受內壁的蠕動緊縮和溫度的刺激、很容就會不自主地洩精、因此在發現陽具感動而堅硬時、應立即抽出陰道、待它稍軟後、再行插入、也就是所謂的死往生還、也就弱入強出的意思。「右往左往」、是指陽具必須在陰道兩壁、交互磨擦。

なお、推定で飛鳥時代以降の宮中での房中術栽接法の導師は、藤原氏の家業と思われます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 万葉集 言霊の国の愛 | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

万葉集 雑記」カテゴリの最新記事