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墨子 巻九 非命下(原文・読み下し・現代語訳)

2022年09月04日 | 新解釈 墨子 現代語訳文付
墨子 巻九 非命下(原文・読み下し・現代語訳)
「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」準拠

《非命下》:原文
子墨子言曰、凡出言談、則必可而不先立儀而言。若不先立儀而言、譬之猶運鈞之上而立朝夕焉也。我以為雖有朝夕之辯、必将終未可得而従定也。是故言有三法。何謂三法。曰、有考之者、有原之者、有用之者。悪乎考之。考先聖大王之事。悪乎原之。察衆之耳目之請。悪乎用之。発而為政乎國、察萬民而観之。此謂三法也。
故昔者三代聖王禹湯文武方為政乎天下之時、曰、必務挙孝子而勧之事親、尊賢良之人而教之為善。是故出政施教、賞善罰暴。且以為若此、則天下之乱也、将屬可得而治也、社稷之危也、将屬可得而定也。若以為不然、昔桀之所乱、湯治之、紂之所乱、武王治之。當此之時、世不渝而民不易、上變政而民改俗。存乎桀紂而天下乱、存乎湯武而天下治。天下之治也、湯武之力也、天下之乱也、桀紂之罪也。若以此観之、夫安危治乱存乎上之為政也、則夫豈可謂有命哉。故昔者禹湯文武方為政乎天下之時、曰必使飢者得食、寒者得衣、労者得息、乱者得治、遂得光誉令問於天下。夫豈可以為命哉。故以為其力也。今賢良之人、尊賢而好功道術、故上得其王公大人之賞、下得其萬民之誉、遂得光誉令問於天下。亦豈以為其命哉。又以為力也。然今夫有命者、不識昔也三代之聖善人與、意亡昔三代之暴不肖人與。若以説観之、則必非昔三代聖善人也、必暴不肖人也。然今以命為有者、昔三代暴王桀紂幽厲、貴為天子、富有天下、於此乎、不而矯其耳目之欲、而従其心意之辟、外之敺騁、田獵、畢弋、内湛於酒楽、而不顧其國家百姓之政、繁為無用、暴逆百姓、遂失其宗廟。其言不曰吾罷不肖、吾聴治不強、必曰吾命固将失之。雖昔也三代罷不肖之民、亦猶此也。不能善事親戚君長、甚悪恭倹而好簡易、貪飲食而惰従事、衣食之財不足、是以身有陷乎飢寒凍餒之憂。其言不曰吾罷不肖、吾従事不強、又曰吾命固将窮。昔三代偽民亦猶此也。
昔者暴王作之、窮人術之、此皆疑衆遲樸、先聖王之患之也、固在前矣。是以書之竹帛、鏤之金石、琢之盤盂、傳遺後世子孫。曰何書焉存。禹之総德有之曰、允不著、惟天民不而葆、既防凶心、天加之咎、不慎厥德、天命焉葆。仲虺之告曰、我聞有夏、人矯天命、于下、帝式是增、用爽厥師。彼用無為有、故謂矯、若有而謂有、夫豈為矯哉。昔者、桀執有命而行、湯為仲虺之告以非之。太誓之言也、於去発曰、悪乎君子。天有顯德、其行甚章、為鑑不遠、在彼殷王。謂人有命、謂敬不可行、謂祭無益、謂暴無傷、上帝不常、九有以亡、上帝不順、祝降其喪、惟我有周、受之大帝。昔者紂執有命而行、武王為太誓、去発以非之。曰、子胡不尚考之乎商周虞夏之記、従十簡之篇以尚、皆無之、将何若者也。
是故子墨子曰、今天下之君子之為文学出言談也、非将勤労其惟舌、而利其脣吻也、中實将欲為其國家邑里萬民刑政者也。今也王公大人之所以蚤朝晏退、聴獄治政、終朝均分、而不敢怠倦者、何也。曰、彼以為強必治、不強必乱、強必寧、不強必危、故不敢怠倦。今也卿大夫之所以竭股肱之力、殫其思慮之知、内治官府、外斂関市、山林、澤梁之利、以實官府、而不敢怠倦者、何也。曰、彼以為強必貴、不強必賤、強必栄、不強必辱、故不敢怠倦。今也農夫之所以蚤出暮入、強乎耕稼樹藝、多聚叔粟、而不敢怠倦者、何也。曰、彼以為強必富、不強必貧、強必飽、不強必飢、故不敢怠倦。今也婦人之所以夙興夜寐、強乎紡績織紝、多治麻絲葛緒捆布縿、而不敢怠倦者、何也。曰、彼以為強必富、不強必貧、強必煖、不強必寒、故不敢怠倦。今雖毋在乎王公大人、蕢若信有命而致行之、則必怠乎聴獄治政矣、卿大夫必怠乎治官府矣、農夫必怠乎耕稼樹藝矣、婦人必怠乎紡績織紝矣。王公大人怠乎聴獄治政、卿大夫怠乎治官府、則我以為天下必乱矣。農夫怠乎耕稼樹藝、婦人怠乎紡織績紝、則我以為天下衣食之財将必不足矣。若以為政乎天下、上以事天鬼、天鬼不使、下以持養百姓、百姓不利、必離散不可得用也。是以入守則不固、出誅則不勝、故雖昔者三代暴王桀紂幽厲之所以共抎其國家、傾覆其社稷者、此也。是故子墨子言曰、今天下之士君子、中實将欲求興天下之利、除天下之害、當若有命者之言、不可不強非也。曰、命者、暴王所作、窮人所術、非仁者之言也。今之為仁義者、将不可不察而強非者、此也。

字典を使用するときに注意すべき文字
屬、又恭也。 つつしむ、うやまう、の意あり。
而、曰然。猶乃也。 しかるに、すでに、すなわち、の用法あり。
防、備也。 そなふ、の意あり。
雖、推也。 おしはかる、の用法あり。
術、迹也。又道也。 あと、したがう、の意あり。
去、収蔵也。 おさめた、の意あり。


《非命下》:読み下し
子墨子の言いて曰く、凡そ言談を出だすに、則ち必ず而(もつ)て先づ儀を立て而(しかる)に言はざる可かざる。若(も)し先づ儀を立てて而(しかる)に言はざれば、之を譬へば猶運鈞(うんきん)の上にして而して朝夕を立つるがごとしなり。我(おのれ)の以為(おもへ)らく朝夕の辯(ことわり)有りと雖(いへど)も、必ず将に終(つい)に未だ得て而して従ひ定む可からざらむとす。是の故に言に三法は有り。何を三法と謂うか。曰く、之を考ふる者有り、之を原(もと)にする者有り、之を用ふる者有り。悪(いずく)にか之を考ふる。先の聖大王の事に考ふ。悪(いずく)にか之を原(もと)とせむ。衆(しゅう)の耳目の請(しょう)に察す。悪(いずく)にか之を用ふらむ。発して而して政(まつりごと)を國に為し、萬民を察し而して之を観る。此を三法と謂うなり。
故に昔の三代の聖王禹湯文武の政(まつりごと)を天下に為す時に方(はか)りて、曰く、必ず務めて孝子を挙げ而して之に親へ事(つか)ふることを勧め、賢良の人を尊びて而して之に善を為すことを教へむ。是の故に政(まつりごと)を出だし教を施し、善を賞し暴を罰す。且(ま)た以為(おも)らく此の若(ごと)くなれば、則ち天下の乱や、将に屬(つつしみ)を得て而して治む可きなり。社稷の危や、将に屬(つつしみ)を得て而して定む可きなり。若(も)し以って然らずと為さば、昔の桀の乱す所、湯は之を治め、紂の乱す所、武王は之を治めむ。當(まさ)に此の時、世は渝(かは)らずして而して民は易(かは)らざるも、上が政(まつりごと)を變ずれば而して民は俗を改めむ。桀紂に在りては而(しかる)に天下は乱れ、湯武に在りては而(しかる)に天下は治まる。天下の治まるや、湯武の力なり、天下の乱るるや、桀紂の罪なり。若(も)し此を以って之を観れば、夫れ安危(あんき)治乱(ちらん)は上の政(まつりごと)を為すに在り。則ち夫れ豈(あ)に命(めい)は有りと謂う可けむや。
故に昔の禹湯文武の政(まつりごと)を天下に為す時に方(あた)りて、曰く、必ず飢ゑたる者をして食を得、寒(こご)える者をして衣を得、労したる者をして息(そく)を得、乱れるる者をして治を得(え)使(し)めむ。遂に光誉(こうよ)令問(れいもん)を天下に得たり。夫れ豈に以って命を為す可けむや。故に以って其の力と為すなり。今、賢良の人、賢を尊び而して好みて道術(どうじゅつ)を功(おさ)む、故に上には其の王公大人の賞を得、下には其の萬民の誉(よ)を得、遂に天下に光誉(こうよ)令問(れいもん)を得る。亦た豈に以って其の命(めい)と為さむや。又た以って力と為さむや。
然らば、今、夫れ命(めい)を有りとする者は、識らず昔の三代の聖善の人なるか。意(おも)ふに亡(な)き昔の三代の暴(ぼう)不肖(ふしょう)の人なるか。若(かくのごと)き説を以って之を観れば、則ち必ず昔の三代の聖善(せいぜん)の人に非ざるなり、必ず暴(ぼう)不肖(ふしょう)の人なり。然らば、今、命(めい)を以って有りと為す者は、昔の三代の暴王桀紂幽厲なり、貴きことは天子と為り、富は天下に有り、此に於いてか、其の耳目の欲を矯(た)むること而(あた)はずして、而(しかる)に其の心意(しんい)の辟(へき)を従(ほしいまま)にし、之を外にしては敺騁(くてい)、田獵(でんれい)、畢弋(ひつよく)し、内には酒楽に湛(ふけ)り、而に其の國家百姓の政(まつりごと)を顧(かへり)みず、繁く無用を為し、百姓に暴逆し、遂に其の宗(そう)廟(びょう)を失ふ。
其の言(かたる)は吾の罷(ひ)不肖(ふしょう)にして、吾は治を聴くことを強(つと)めずと曰はず、必ず吾の命(めい)は固(もと)より将に之を失はむとすと曰ふ。昔の三代の罷(ひ)不肖(ふしょう)の民と雖(いへど)も、亦た猶此のことし。善く親戚君長に事(つか)ふること能はずして、甚だ恭倹(きょうけん)を悪(にく)み而して簡易(かんい)を好み、飲食を貪(むさぼ)りて而して事に従うを惰(おこた)り、衣食の財は足らず、是を以って身は飢寒(きかん)凍餒(とうたい)の憂に陷(おちい)る有り。其の言に吾の罷(ひ)不肖(ふしょう)にして、吾は事に従ふこと強(つと)めずと曰はず、又た吾の命(めい)は固(もと)より将に窮せむとすと曰ふ。昔の三代の偽民(ぎみん)も亦た猶此のごとし。
昔の暴王の之を作(はじ)め、窮人(きゅうじん)は之に術(したが)ひ、此れ皆の衆遲樸(ちぼく)を疑はしめむ。先の聖王の之を患(うれ)ふるや、固(もと)より前(まえ)に在る。是を以って之を竹帛(ちくはく)に書し、之を金石に鏤(ろう)し、之を盤盂(ばんう)に琢(たく)し、後世の子孫に傳(つ)たへ遺(のこ)す。曰く、何の書に焉(すなは)ち存するや。禹の総德(そうとく)に之は有り、曰く、允(まこと)に著(あら)はれざらむや、惟(こ)れ天、民は葆(たも)つこと而(あた)はず、既に凶心に防(そな)すれば、天は之を咎(とが)に加へむ。厥(そ)の德を慎(つつし)まずんば、天命は焉(なん)ぞ葆(ほ)せむ。仲虺(ちゅうき)之告(しこう)に曰く、我が有夏(ゆうか)の、人は天命を矯(た)めて、下に、帝(てい)は式(もつ)て是を增(うら)み、用て厥(そ)の師(し)を爽(うしな)はしむと聞く。彼の無きを用て有と為す、故に矯(た)むと謂ふ。若(も)し有りて而して有りと謂はば、夫れ豈に矯(た)むと為さむや。
昔の、桀は命(めい)は有るを執(と)り而して行ひ、湯は仲虺(ちゅうき)之告(しこう)を為(つく)り以って之を非とす。太誓(たいせい)の言は、去に於いて発して曰く、悪乎(ああ)君子(くんし)。天に顯德(けんとく)は有り、其の行(おこなひ)は甚(はなは)だ章(あきらか)なり、鑑(かん)を為すこと遠からず、彼の殷王に在る。人は命(めい)は有りと謂ひ、敬(けい)は行(おこな)ふ可からずと謂ひ、祭(まつり)に益(えき)は無しと謂ひ、暴(ぼう)は傷(そこな)ふこと無しと謂ふ。上帝(じょうてい)は常(たす)けず、九有以って亡(ほろ)ぶ。上帝は順(したが)はず、祝(た)ちて其の喪(そう)を降(くだ)す。惟れ我の有周(ゆうしゅう)、之を大帝(たいてい)に受(う)く。昔の紂は命(めい)は有るを執(と)り而して行ひ、武王は太誓(たせい)を為し、去を発し以って之を非とす。曰く、子は胡(なむ)ぞ尚(かみ)は之を商周(しょうしゅう)虞夏(ぐか)の記(き)に考(かんが)へざるや、十簡(じつかん)の篇(へん)従(よ)り以尚(いじやう)、皆之は無し。将に何を若(かくのごと)くせむものぞ。
是の故に子墨子の曰く、今、天下の君子の文と学を為(もち)いて言談を出だすや、将に其の惟舌(こうぜつ)を勤労して、而して其の脣吻(しんぶん)に利せむとするに非ざるなり。中實(まこと)に将に其の國家邑里萬民の刑政を為すと欲するものなり。今や王公大人は蚤(はや)く朝(ちょう)し晏(おそ)く退(しりぞ)き、獄を聴き政を治め、終朝(しゅうちょう)均分(きんぶん)、而して敢(あえ)て怠倦(たいけん)せざる所以(ゆえん)の者は、何ぞや。曰く、彼(か)の以為(おもへ)らく強(つと)むれば必ず治まり、強(つと)めざれば必ず乱れ、強(つと)むれば必ず寧(やす)く、強(つと)めざれば必ず危(あやう)し、故に敢て怠倦(たいけん)せず。今や卿大夫は股肱(ここう)の力を竭(つく)し、其の思慮の知を殫(つく)し、内には官府を治め、外には関市、山林、澤梁の利を斂(おさ)め、以って官府を實(みた)し、而して敢て怠倦(たいけん)せざる所以(ゆえん)のものは、何ぞや。曰く、彼(か)の以為(おもへ)らく強(つと)むれば必ず貴く、強(つと)めざれば必ず賤しく、強(つと)めれば必ず栄え、強(つと)めざれば必ず辱(はずか)しめらる。故に敢て怠倦(たいけん)せず。
今や農夫は蚤(はや)く出(い)で暮(くれ)に入り、耕稼(こうか)樹藝(じゅげい)を強(つと)め、多く叔粟(しゅくぞく)を聚(あつ)め、而(しかる)に敢て怠倦(たいけん)せざる所以(ゆえん)のものは、何ぞや。曰く、彼(か)の以為(おもへ)らく強(つと)めれば必ず富み、強(つと)めざれば必ず貧しく、強(つと)めれば必ず飽(ほう)、強(つと)めざれば必ず飢(き)、故に敢て怠倦(たいけん)せず。今や婦人は夙(つと)に興(お)き夜(よひ)に寐(ゐ)ね、紡績(ぼうせき)織紝(しょくじん)に強(つと)め、多く麻絲(まし)葛緒(かつちょ)を治(おさ)め布縿(ふさん)を捆(お)りて、而(しかる)に敢て怠倦(たいけん)せざる所以(ゆえん)のものは、何ぞや。曰く、彼(か)の以為(おもへ)らく強(つと)めれば必ず富み、強(つと)めざれば必ず貧しく、強(つと)めれば必ず煖(あたた)かく、強(つと)めざれば必ず寒(さむ)し、故に敢て怠倦(たいけん)せず。
今、雖毋(ただ)王公大人に在りて、蕢(つい)に若(かくのごと)く命(めい)は有りを信じて而して之を致行(ちこう)せば、則ち必ず獄を聴き政を治めるを怠(おこた)り、卿大夫は必ず官府を治めるを怠(おこた)り、農夫は必ず耕稼(こうか)樹藝(じゅげい)を怠り、婦人は必ず紡績(ぼうせき)織紝(しょくじん)を怠(おこた)る。王公大人は獄を聴き政を治めるを怠(おこた)り、卿大夫は官府を治めるを怠(おこた)らば、則ち我(おのれ)は以為(おもへ)らく天下は必ず乱れむ。農夫は耕稼(こうか)樹藝(じゅげい)を怠(おこた)り、婦人は紡織(ぼうしょく)績紝(しょくじん)を怠(おこた)らば、則ち我は以為(おもへ)らく天下の衣食の財は将に必ず足らず。
若(かくのごと)く以って天下に政を為し、上には以って天鬼に事(つか)ふれば、天鬼は使(したが)はず、下には以って百姓を持養(じよう)すれば、百姓は利あらず、必ず離散して得て用ふ可からずなり。是を以って入りて守れば則ち固(かた)からず、出でて誅(ちゅう)すれば則ち勝たず。故に昔の三代の暴王桀紂幽厲は其の國家を共抎(きょううん)し、其の社稷(しゃしょく)を傾覆(けいふく)する所以(ゆえん)のものと雖(おしはかる)も、此なり。是の故に子墨子は言いて曰く、今、天下の士君子、中實(まこと)に将に天下の利を興(おこ)し、天下の害を除くことを求めむと欲せば、當(まさ)に命(めい)は有りとする者の言の若(ごと)きは、強(つと)めて非(ひ)とせざる可からざりとせむ。曰く、命(めい)は、暴王の作(はじま)る所、窮人(きゅうじん)の術(したが)ふ所、仁者に非(あら)ざる言(ことば)なり。今、之の仁義を為す者は、将に察して而して強(つと)めて非(ひ)とせざる可からずとは、此なり。


《非命下》:現代語訳
子墨子が語って言われたことがある、『およそ、言談を行うには、まず必ず、最初に儀を立て、それから言論を行わなければいけない。もし、最初に儀を立て、それから言論を行わなければ、これを例えると、まるで回転する轆轤の上に朝夕の時を示す日時計を据え置いたもののようなもので、回転すれば訳が分からなくなる。自分自身に朝夕の時を刻む日時計のような理があるとしても、必ず結局は、己自身が未だ知らないことがらを得、そこから新しい視点でのことがらを得て、それに従わなければいけないとなるだろう。』と。このようなことで言論には三つの法が有る。どのようなものを三つの法と言うのか。言うことには、『このものごとを考えるものが有り、このものごとを原点とするものが有り、このものごとを用いるものが有る。どのような場面からこれを考えるのか。先の時代の聖なる大王の事績に言論の三つの法を考える。どのような場面からこれを原点とするのか。民衆の聞いたこと見たことの情報にそれを考察する。どのような場面からこれを用いるのか。言論を発し、政治を国家に行い、万民を考察して、言論の成果を観察する。これらのことがらを三法と言うのだ。』と。
昔の三代の聖王の禹王、湯王、文王、武王が政治を天下に行うときに統治を計って、言うことには、『必ず、努めて孝行のことを取り上げて、人々に親に仕えることを勧め、賢良の人を尊び、人々に善行を為すことを教えよう。』と。このようなことで政治を行い、民への教化を施し、善行を賞し暴行を罰する。また、考えるに、世の中がこのようになれば、きっと、天下の乱れは、人々の自制を得て、そして、治まるであろう。乱世での社稷の危うきことも、世の中の自制を得て、そして、平安に定まるであろう。もし、このようなことがそうでは無いとするならば、昔の桀王が天下を乱したことがらは、湯王がこれを治め、紂王が天下を乱したことがらは、武王がこれを治めた。聖王が乱世を治めた、その時、世の中は変わらないままであり、人民もまた変わらないにも関わらず、上が治世を変革すれば、民衆は風俗を改めた。桀王や紂王の治世にあって天下は乱れ、湯王や武王の治世にあって天下は治まった。天下が治まったことは湯王や武王の努力の結果であり、天下が乱れたのは桀王や紂王の罪である。もし、これらのことがらにより、世の様を観察すると、天下の安定・危機・治政・乱世は、上の者の政治を行うことがらに在る。つまり、それでもなお、天命は有ると言うことが出来るであろうか。
昔の禹王、湯王、文王、武王が政治を天下に行うときに当たり、言うことには、『必ず、飢えた人には食料を得させ、寒さに凍える人には暖衣を得させ、労苦した人には休息を得るようにし、世の中が乱れた社会の人々には治世を得られるようにしよう。』と。そしてついには、輝かしい名誉と美しい尊称を天下に得た。このことは、どうして、天命が行ったと出来るのであろうか。これらのことがらは、その聖王の努力で行ったことである。今、賢良の人は、賢なる行いを尊び、そして、好んで良き統治への道の方法を修めることを行い、このようなことで、上には賢良の人は、その仕える王公大人からの賞賛を得、下にはその万民からの栄誉を得、ついには、天下に輝かしい名誉と美しい尊称を得る。このことは、どうして、天命が行ったと出来るのであろうか。これらのことがらは、賢良の人の努力が行ったことである。
それならば、今、天命は有るとの説を執る者は、それかどうかは知らないが、昔の三代の聖善の人なのであろうか。考えてみるに、それとも既に亡き昔の三代の暴なる不肖の人なのであろうか。このような論説を用いて、このことを観察すると、必ず、天命は有るとの説を執る者は、昔の三代の聖善の人では無いであろう、必ず、暴なる不肖の人である。それならば、今、天命は有るとの説を執る者は、昔の三代の暴王の桀王、紂王、幽王、厲王と似た者なのだろう、彼ら暴王は貴きことには天子と為り、富は天下に有り、このような立場になって、その聞いたこと見たことへの欲望を抑制することが出来なくなって、そして、その心は欲望にほしいままとなり、欲望の暴走から外には馬を走らせて田野に狩りの宴を催し、内には酒と宴会に溺れ浸り、その国家や百姓への統治を顧みず、頻繁に無用な事業を行い、百姓に暴虐を行い、ついには、その宗廟を失った。
その暴王が語ることとは、『私は天子の地位を罷免された不肖の者であり、私は統治への民の声を聴くことに努めず。』とは言わず、必ず、『私の天命は、もともと、国は破れ宗廟を失うとなっていた。』と言う。昔の三代の天子を罷免された不肖のその天子の民と言っても、また、おなじようなものである。十分に親や君長に仕えることが出来ず、ただただ、上に恭しくし、日々に倹約することを嫌い、簡便安易を好み、飲食に貪り、仕事に従事することを怠り、その結果、衣食の財物は足らず、これにより身は飢饉や冬の寒さに凍死や餓死への憂いに陥る。そのときに語ることとは、『私は今の立場を罷免された不肖の者であり、私は仕事に従事することに努めなかった。』とは言わずに、また、『私の天命は、もともと、困窮するようになっていた。』と言う。昔の三代の治世の時代の、その己の行いを偽る民も、また、このようなありさまであった。
昔の暴王がこのような言い訳を始めに作り、困窮した民もこの言い訳に従い、これらのことは、皆、民衆で遅鈍で素朴な人々を惑わせた。先の時代の聖王のこのような状況への憂いは、元より、以前からある。この憂いにより、このことを竹簡や帛布に書き、このことを金や石に刻み鏤し、このことを盤盂に彫り琢し、後世の子孫に伝えて遺した。言うことには、『どのような書に、それが残されているのか。』と。禹の『総德』にこのことが残されており、言うことには、『まことに、著わさない訳にはいかない、これ、天、民は民だけでわが身を保つことが出来ない、既に民の心に凶心が備わっていれば、天はこの凶心に咎を加える。民はその德心を慎まなければ、天命は、どうして、民の身を保つであろうか。』と。『仲虺之告』に言うことには、『我が有夏の、その人は天命と偽って、下に偽りの天命を降す。天帝はそれによりこの偽りの天命を降したことを怨み、それにより、その人の軍団を失わせたと聞く。』と。その天命が無いことを以って、有りと為す、このことを偽りと言う。もし、天命が有り、それを有ると言うならば、どうして、それを偽りと言うだろうか。
昔の桀王は天命が有るとの説を執り、そして統治を行い、湯王は『仲虺之告』を作ることにより、このことを非難した。『太誓』の言葉、それに収蔵した言葉を発して言うことには、『ああ、君子よ。天には顕かなる徳は有り、天の行いは甚だ明らかであり、その鑑を為すことは遠からず、かの殷王に在る。その人、桀王は、天命は有ると言い、改めて天を敬うことを行う必要は無いと言い、更なる祭祀に益は無いと言い、暴の行いは国を損なうことは無いと言う。これにより、上帝は桀王を助けず、九州は滅亡した。上帝は桀王の天命への願いに従わず、願いを絶って桀王の滅亡を天の意として降した。これ、我は周に有り、天意を大帝から受けた。』と。昔の紂王は、天命は有るとの説を執り、そして統治を行い、武王は『太誓』を作り、それに収蔵する言葉を発して天命が有る説を非難した。言うことには、『貴方は、どうして、上古に遡り、天命の有無を虞、夏、商、周の記録の中に考察しないのか、十簡の篇よりこのかた、皆、この天命は無いと。いったい、何をもって、天命は無いとしないのか。』と。
このようなことにより、子墨子が言うことには、『今、天下の君子が、文章と学問を用いて、言談を行うこととは、そもそも、その喉舌を労し、その唇を動かすことを目的とするものではない。誠実にその国家・邑里・万民の刑罰と統治を行うことを願って行うものである。今、王公大人は、朝早く朝廷を開き、夕刻、遅く朝廷を退出し、訴訟を聴き政治を治め、夜明けから終日、まったく職務を怠ったり、職務に倦んだりしない理由とは、何であろうか。言うことには、『それを考えてみると、職務に励めば、必ず、世の中は治まり、職務に励まなければ、必ず、世の中は乱れ、職務に努めれば、必ず、世の中は安寧になり、職務に努めなければ、必ず、危機が訪れ、このような理由で、職務を怠ったり、職務に倦んだりしないのであろう。』と。今、卿大夫は己の力を尽くし、己の思慮の知を尽くし、内には官府を治め、外には関市、山林、澤梁の利を納め、これにより官府の財政を満たす。そして、職務を怠ったり、職務に倦んだりしない理由とは、何であろうか。言うことには、『それは考えてみると、職務に努めると、必ず、身分は貴く、職務に努めないと、必ず、身分は賤しく、職務に努めると、必ず、己自身は栄え、職務に努めないと、必ず、己自身は貧しくなり辱められる。このような理由で、職務を怠ったり、職務に倦んだりしないのであろう。』と。
今、農夫は朝早く家を出て日暮れに家に入り、耕稼樹藝の農作業に努め、多くの穀物の収穫物を集め、そして、強いて、農作業を怠けたり倦んだりしない理由とは、どのようなことであろうか。言うことには、『それを考えてみると、農作業に努めれば、必ず、富み、努めないと、必ず、貧しくなり、農作業に努めれば、必ず、豊作となり、努めないと、必ず、飢饉となり、このために、敢えて、農作業を怠けたり倦んだりしないのであろう。』と。今、婦人は早朝に起き、宵に寝て、紡績や織紝の作業に努め、多くの麻糸や葛緒の布を納め、布縿を織るが、しかしながら、敢えて、その紡織などの作業を怠けたり倦んだりしない理由とは、どのようなことであろうか。言うことには、『それを考えてみると、紡織などに努めれば、必ず、富み、努めないと、必ず、貧しくなり、紡織などに努めると、必ず、冬に暖衣を得て暖かさを得られ、努めないと、必ず、冬に暖衣を得られずに寒さに凍え、このような理由で、敢えて、紡織作業などを怠けたり倦んだりしないのであろう。』と。
今、王公大人の立場にあって、それでもこのようなことで、天命は有るとの説を信じて、そして、このようなそれぞれの職務に努めることを十分にしなければ、きっと、必ず、訴訟を聴き政治を治めることを怠り、卿大夫は必ず官府を治めることを怠り、農夫は必ず耕稼樹藝の農作業を行うことを怠り、婦人は必ず紡績織紝の務めを行うことを怠るだろう。王公大人は、訴訟を聴き政治を治めることを怠り、卿大夫は官府を治めることを怠ったら、きっと、私が考えるには、天下は必ず乱れるだろう。農夫は耕稼樹藝を怠り、婦人は紡織績紝を怠ったら、きっと、私が考えるには、天下の衣食の財物は、必ず、不足するだろう。
天命が有る説を執って天下に政治を行い、上には天命が有るとして天帝・鬼神に仕えれば、天帝・鬼神は人々の願いに適わず、下には天命が有るとして百姓に施策を行えば、百姓には利はなく、必ず、百姓人民の心は離散して、百姓たちの信頼を得て百姓たちを使うことが出来なくなるだろう。このような状況で敵の攻撃に対し城に入って国を守れば、きっと、守備は堅守ではなく、出撃して敵に誅罰を加えても、きっと、勝てないだろう。このために、昔の三代の暴王の桀王、紂王、幽王、厲王はその国家を共に失い、その社稷を破滅させた、その理由の背景を考えてみると、この天命が有るとの説を執ったからである。このような理由で、子墨子は語って言うことには、『今、天下の士君子が、誠実に天下の利を興し、天下の害を除くことを求めることを願うならば、天命は有るとの説を執る者の言論のごときものは、努めて非難しない訳にはいけないのである。』と。さらに言うことに、『天命が有るとの説は、暴王が始めたことがらであって、困窮した人たちが、言い訳として従うことがらであって、仁者の言論には有りえない言葉である。今、天下の政治で仁と正義を行う者は、誠実にこのことを考察して、天命が有るとの説を努めて非難しないといけないとは、このことである。』と。

注意:
1.「徳」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは韓非子が示す「慶賞之謂德(慶賞、これを徳と謂う)」の定義の方です。つまり、「徳」は「上からの褒賞」であり、「公平な分配」のような意味をもつ言葉です。
2.「利」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは『易経』で示す「利者、義之和也」(利とは、義、この和なり)の定義のほうです。つまり、「利」は人それぞれが持つ正義の理解の統合調和であり、特定の個人ではなく、人々に満足があり、不満が無い状態です。
3.「仁」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。『礼記禮運』に示す「仁者、義之本也」(仁とは、義、この本なり)の定義の方です。つまり、世の中を良くするために努力して行う行為を意味します。
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