万葉雑記 色眼鏡 二二六 今週のみそひと歌を振り返る その四六
今週は女性の髪形に焦点をあて、歌に遊びました。
集歌1244 未通女等之 放髪乎 木綿山 雲莫蒙 家當将見
訓読 未通女(をとめ)らし放(はなり)し髪を木綿(ゆふ)し山雲な蒙(おほ)ふな家しあたり見む
私訳 少女たちがお下げ髪を結う、その言葉のひびきのような、真白い木綿を垂らすような雪を頂く山に、雲よ覆うな。恋人の家の辺りを見つめたい。
この集歌自体を見ますと、特別な歌ではありません。ある種の「木綿(ゆふ)」と云う言葉での「結う」と「木綿(ゆふ)」との同音異義語の言葉遊びですし、穿って、楮や大麻などの草木の繊維をほぐして漂白した「木綿」に真白いという景色を見ますと、彼方の山の頂には雪があるとの比喩になります。ただ、可能性の比喩ですが、雪は谷筋に残る残雪の雰囲気です。
さて、歌に「放髪」とあります。つまり、少女においておカッパ髪とも称される肩付近まで伸びた髪型です。ただ、言葉遊びで「木綿(ゆふ)」から「結う」を表現していますから、そろそろ、伸びた髪を束ねるような時期の少女です。
そうしたとき、同じような髪型で少女の様子を詠った有名な歌があります。それが巻二に載る三方沙弥の歌です。
三方沙弥娶園臣生羽之女、未經幾時臥病作謌三首
標訓 三方沙弥の園臣生羽の女(むすめ)を娶(ま)きて、いまだ幾(いくばく)の時を経ずして病に臥して作れる歌三首
集歌123 多氣婆奴礼 多香根者長寸 妹之髪 此来不見尓 掻入津良武香 (三方沙弥)
訓読 束(た)けば解(ぬ)れ束(た)かねば長き妹し髪このころ見ぬに掻(か)き入れつらむか
私訳 束ねると解け束ねないと長い、まだとても幼い恋人の髪。このころ見ないのでもう髪も伸び櫛で掻き入れて束ね髪にしただろうか。
集歌124 人皆者 今波長跡 多計登雖言 君之見師髪 乱有等母 (娘子)
訓読 人皆(ひとみな)は今は長しと束(た)けと言へど君し見し髪乱れたりとも
私訳 他の人は、今はもう長いのだからお下げ髪を止めて束ねなさいと云うけれども、貴方が御覧になった髪ですから、乱れたからと云ってまだ束ねはしません。
集歌125 橘之 蔭履路乃 八衢尓 物乎曽念 妹尓不相而 (三方沙弥)
訓読 橘し蔭(かげ)履(ふ)む路の八衢(やちまた)に物をぞ念(おも)ふ妹に逢はずに
私訳 橘の木陰の下の人が踏む分かれ道のように想いが分かれて色々と心配事が心にうかびます。愛しい恋人に逢えなくて。
この三方沙弥の歌は、実際は三方沙弥が還俗し山田史三方と名乗って官僚時代のものと推定されています。奈良時代は国家統制で僧侶の生活も管理されていましたから、沙弥と云う僧侶の立場で妻を娶ることはありません。その山田三方ですが、歌では髪を束ねるとすぐに解けるし、だからと云って束ねないと長いと詠います。つまり、相当に若い幼な妻を娶ったと云うことです。貴族階級の家長家族におけるある種の許婚のような関係があり、裳着が終わったとたんの婚姻生活の雰囲気があります。
集歌1244の歌も似た関係なのでしょう。相手の女性は未通女ですから、まだ、裳着や腰巻祝いをしていませんし、髪も束ねるのには短い放髪です。ですが、男からすると目を付けた愛しい乙女と云う雰囲気です。簡単な若者の生活を詠うような歌ですが、当時の風習などを想像すると色々と男女の関係、乙女の年齢と風体など、語ってくれます。
言いがかりのような鑑賞ですが、このようなものもあることを御笑納ください。
今週は女性の髪形に焦点をあて、歌に遊びました。
集歌1244 未通女等之 放髪乎 木綿山 雲莫蒙 家當将見
訓読 未通女(をとめ)らし放(はなり)し髪を木綿(ゆふ)し山雲な蒙(おほ)ふな家しあたり見む
私訳 少女たちがお下げ髪を結う、その言葉のひびきのような、真白い木綿を垂らすような雪を頂く山に、雲よ覆うな。恋人の家の辺りを見つめたい。
この集歌自体を見ますと、特別な歌ではありません。ある種の「木綿(ゆふ)」と云う言葉での「結う」と「木綿(ゆふ)」との同音異義語の言葉遊びですし、穿って、楮や大麻などの草木の繊維をほぐして漂白した「木綿」に真白いという景色を見ますと、彼方の山の頂には雪があるとの比喩になります。ただ、可能性の比喩ですが、雪は谷筋に残る残雪の雰囲気です。
さて、歌に「放髪」とあります。つまり、少女においておカッパ髪とも称される肩付近まで伸びた髪型です。ただ、言葉遊びで「木綿(ゆふ)」から「結う」を表現していますから、そろそろ、伸びた髪を束ねるような時期の少女です。
そうしたとき、同じような髪型で少女の様子を詠った有名な歌があります。それが巻二に載る三方沙弥の歌です。
三方沙弥娶園臣生羽之女、未經幾時臥病作謌三首
標訓 三方沙弥の園臣生羽の女(むすめ)を娶(ま)きて、いまだ幾(いくばく)の時を経ずして病に臥して作れる歌三首
集歌123 多氣婆奴礼 多香根者長寸 妹之髪 此来不見尓 掻入津良武香 (三方沙弥)
訓読 束(た)けば解(ぬ)れ束(た)かねば長き妹し髪このころ見ぬに掻(か)き入れつらむか
私訳 束ねると解け束ねないと長い、まだとても幼い恋人の髪。このころ見ないのでもう髪も伸び櫛で掻き入れて束ね髪にしただろうか。
集歌124 人皆者 今波長跡 多計登雖言 君之見師髪 乱有等母 (娘子)
訓読 人皆(ひとみな)は今は長しと束(た)けと言へど君し見し髪乱れたりとも
私訳 他の人は、今はもう長いのだからお下げ髪を止めて束ねなさいと云うけれども、貴方が御覧になった髪ですから、乱れたからと云ってまだ束ねはしません。
集歌125 橘之 蔭履路乃 八衢尓 物乎曽念 妹尓不相而 (三方沙弥)
訓読 橘し蔭(かげ)履(ふ)む路の八衢(やちまた)に物をぞ念(おも)ふ妹に逢はずに
私訳 橘の木陰の下の人が踏む分かれ道のように想いが分かれて色々と心配事が心にうかびます。愛しい恋人に逢えなくて。
この三方沙弥の歌は、実際は三方沙弥が還俗し山田史三方と名乗って官僚時代のものと推定されています。奈良時代は国家統制で僧侶の生活も管理されていましたから、沙弥と云う僧侶の立場で妻を娶ることはありません。その山田三方ですが、歌では髪を束ねるとすぐに解けるし、だからと云って束ねないと長いと詠います。つまり、相当に若い幼な妻を娶ったと云うことです。貴族階級の家長家族におけるある種の許婚のような関係があり、裳着が終わったとたんの婚姻生活の雰囲気があります。
集歌1244の歌も似た関係なのでしょう。相手の女性は未通女ですから、まだ、裳着や腰巻祝いをしていませんし、髪も束ねるのには短い放髪です。ですが、男からすると目を付けた愛しい乙女と云う雰囲気です。簡単な若者の生活を詠うような歌ですが、当時の風習などを想像すると色々と男女の関係、乙女の年齢と風体など、語ってくれます。
言いがかりのような鑑賞ですが、このようなものもあることを御笑納ください。