![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/8c/10ae607c11727c5083ff1f9c4f9de0d0.jpg)
愛媛の伊予西条駅に隣接し、昨年にオープンした新しい資料館です。
核となる四国鉄道文化館には、0系新幹線の先頭車と、四国に縁が
深いディーゼル機関車DF50 1号機が保存されています。
ところで0系新幹線、冒頭の写真の角度だとサマになっていますが、
実は半分の長さに切られてます(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/ee/14e1981502c3ee8cb51fee4bc79fe9dc.jpg)
保存されている0系は、俗に「大窓車」と呼ばれている初期の車両で、
室内や運転台も公開されています。
最近の新幹線は、運転台がこれよりもはるかに狭く、とても何人も入る
ことはできないらしいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/db/f01306ee2b7e75f3689cfac2b702e5e0.jpg)
でもマニア的なお目当ては、0系よりもこちらのDF50ですね(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/ac/6aa15712670b6b2e4b6b68c6e4edff4d.jpg)
初の本線用のディーゼル機関車ですが、非力だったため完全に蒸気
機関車を置き換えるまでには至りませんでした。
初号機ながら最後まで残ったDF50で、その後も準鉄道記念物として
多度津工場で大切に保管されていたため状態は良好です。
こちらの内部は運転台のみが公開されています。
機関室の中も見たかったのですが、やはり安全上の問題とかもあるの
でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/1a/6a48e9a2df3ba83d39ddc831861d9a63.jpg)
鉄道ファンの多くがそうかと思いますが、舶用エンジンのメーカーである
スルザー(ズルツァー)とかマンといった名前を知ったのは、この機関車
がきっかけだったりします(笑)
四国鉄道文化館に隣接し、十河信二記念館があり、遺品の展示や氏
の書斎が再現されていたりします。
この十河氏、西条出身の第4代国鉄総裁で、島技師長とともに「新幹線
の父」と呼ばれています。
1955年の就任当時、既に71才の高齢で、就任の挨拶では「鉄路を枕に
討ち死にの覚悟」といった、いささか時代がかった発言で記者から失笑
を買うなど、色々名語録も多い方です。
四国鉄道文化館をバックに、十河氏の胸像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/a5/3919fd589634eef1cee3e1e0beef3593.jpg)
明治生まれの雷オヤジの、現代を想う気持ちはいかに?
核となる四国鉄道文化館には、0系新幹線の先頭車と、四国に縁が
深いディーゼル機関車DF50 1号機が保存されています。
ところで0系新幹線、冒頭の写真の角度だとサマになっていますが、
実は半分の長さに切られてます(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/ee/14e1981502c3ee8cb51fee4bc79fe9dc.jpg)
保存されている0系は、俗に「大窓車」と呼ばれている初期の車両で、
室内や運転台も公開されています。
最近の新幹線は、運転台がこれよりもはるかに狭く、とても何人も入る
ことはできないらしいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/db/f01306ee2b7e75f3689cfac2b702e5e0.jpg)
でもマニア的なお目当ては、0系よりもこちらのDF50ですね(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/ac/6aa15712670b6b2e4b6b68c6e4edff4d.jpg)
初の本線用のディーゼル機関車ですが、非力だったため完全に蒸気
機関車を置き換えるまでには至りませんでした。
初号機ながら最後まで残ったDF50で、その後も準鉄道記念物として
多度津工場で大切に保管されていたため状態は良好です。
こちらの内部は運転台のみが公開されています。
機関室の中も見たかったのですが、やはり安全上の問題とかもあるの
でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/1a/6a48e9a2df3ba83d39ddc831861d9a63.jpg)
鉄道ファンの多くがそうかと思いますが、舶用エンジンのメーカーである
スルザー(ズルツァー)とかマンといった名前を知ったのは、この機関車
がきっかけだったりします(笑)
四国鉄道文化館に隣接し、十河信二記念館があり、遺品の展示や氏
の書斎が再現されていたりします。
この十河氏、西条出身の第4代国鉄総裁で、島技師長とともに「新幹線
の父」と呼ばれています。
1955年の就任当時、既に71才の高齢で、就任の挨拶では「鉄路を枕に
討ち死にの覚悟」といった、いささか時代がかった発言で記者から失笑
を買うなど、色々名語録も多い方です。
四国鉄道文化館をバックに、十河氏の胸像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/a5/3919fd589634eef1cee3e1e0beef3593.jpg)
明治生まれの雷オヤジの、現代を想う気持ちはいかに?
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