(有)花沢不動産

趣味の話など

三億円事件の40年後 その5:補足

2010-07-21 | 三億円
最近、三億円事件をネタにした映画「ロストクライム・閃光」が公開され、
再び(マニアの間だけかもしれませんが)注目を浴びつつあるようです。

事件ゆかりの地で、今までもれてしまってた箇所を今回訪ねてきました。

その3:盗難関係の補足

犯行に用いられた緑色カローラ(銀行から第3現場まで現金輸送車を
追跡)が盗難された料亭跡。土台の石垣が昔の姿を物語っています。



上の写真左側の歩行者道を降りていくと、目と鼻の先には平山住宅が
見えます。この近辺では、偽白バイや犯行直前それに掛けられていた
(そのうえ第1現場まで引きずった)スバル360のカバーも盗まれており、
とても狭い範囲で犯行が行われています。



ちなみにカローラが盗まれた料亭は、戦前は平山住宅の部分が遊園地
であったなど、広大な敷地を有していたそうです。

「立川グループ」関係の補足

事件当初、容疑者として挙がったのが、立川グループと呼ばれる素行
不良の少年達。大型バイクや自動車の運転に通じていたうえ、三億円
と同様に発煙筒を爆弾に見せかけて強盗をはたらく手口の別の事件を
起こしており、関連が疑われました。
写真はその現場となった立川駅北口のスーパー稲毛屋跡。



国分寺から西武国分寺線で1駅の恋ヶ窪駅。



この恋ヶ窪という所、いかにも現金を埋めたのではと思わせる雑木林
があちこちにあり、現金が入っていたジュラルミンケースに付着して
いた土の成分がここのものに近いと鑑定されたり、事件直前の日本
信託銀行への脅迫状の差出人が、偽名ながらも近くの住所が用い
られていたり、最重要参考人と目されながら直後に自殺したS少年
の自宅があったりなど、色々いわくがあります。


以前の記事はまとめてコチラで。
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番外編:三億円事件の30年後・在りし日の…

2009-09-26 | 三億円
実は府中の現場には95年に初めて訪れているのですが、知人のS君
(事件マニア)に「当時はまだ日本信託銀行があった」などという話を
したところ、「見たい!見たい!」との熱烈なリクエストを受けましたの
で(笑)、当時の写真を公開します。(1995年4月撮影)

かなり現代的な外観になっていますが、紛れもなく「日本信託銀行」の
文字が読めます。
前の記事のローソンの写真と見比べても面白いかもしれません。



なんと銀行の裏側まで撮ってました(笑)



私はてっきり現金輸送車はここから出発したと思いこんでいたのですが、
後年見た本や再現映像によると、表側で堂々と現金の入ったジュラルミン
ケースをセドリックのトランクに積み込んで、という描写が多いです。
(だからやられたんだと突っ込みたくなりますが)

明星学苑近くの案内標識。
モダンなデザインですが、最近このタイプの標識は見かけなくなりました。



多磨霊園まで歩いて行けないこともない距離なのは意外です。
もっとも当時は、そんな所まで見に行くなどという酔狂な事は思いつきも
しませんでしたが(笑)

そして、三億円事件の現場!!



…と思いきや、あまりに興奮したのか、場所を思いっきり間違ってます(笑)
実際の事件現場はもっと向こうですね。
何しろ当時は、資料として三好徹の「三億円事件の謎」という文庫本しか
持ち合わせてなかったのでご容赦下さい。

場所は若干異なるものの、現在のものより高かった塀の様子は分かると
思います。威圧感を避けるためか?ミョーな壁画が施されているのには
驚きました。

事件現場にほど近い、今はなき哨舎。



これを見たとき、こんなに現場に近ければ看守も事件を目撃していたの
ではないか?と思いましたが、確かに当時の看守は事件の一部始終を
目撃していたものの、現金強奪ということまでは把握できなかったよう
です。(第1現場での目撃者は意外なことに何人もいたのですが、事件
解決には寄与しておりません)

それにしても刑務所のこんな場所の写真を撮って、職質を受けたりしない
かと、当時はドキドキものでした(笑)
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三億円事件の40年後 その4: ●-●シルシワ トクベツチュウイ

2009-09-22 | 三億円
09年9月22日new!

三億円事件の数か月前、1968年4月から実に5回にも渡って行われた
多磨農協への脅迫も、三億円と同一犯の仕業ではないかとされています。

当時の多磨農協の建物は、JAマインズと名を変え現在も残っています。



多磨農協の向かい側の建物。
2回目の脅迫状は、当時写真右端辺りにあった電話ボックスに置かれ、
犯人からの電話を受けた近くの府中市役所東部出張所の人間によって
多磨農協に持ち込まれています。



一連の農協脅迫事件の番外編として、怪文書事件も挙げられます。
これは多磨霊園近くの住宅2軒に、時限爆弾による放火を予告する怪文
書が置かれ、実際に近所の火葬場の小屋が全焼したという事件で、同一
犯の仕業と見られています。

怪文書が投函された歯科医宅。



偶然か同一犯か、1968年7月の5回目の農協脅迫とほぼ同時に、多磨
駐在所に爆破予告電話がかかり、ターゲットとなった地域を警察が巡回
したものの、空振りに終わっています。

多磨霊園の一角にある多磨駐在所。(上記の歯科医宅とも近所です)



以上の一連の脅迫が、三億円事件の数日前の日本信託銀行支店長宛
への脅迫状、それに続いて発煙筒を爆発物に見せかけ現金輸送車を奪う
という、前代未聞の手口への巧妙な伏線となるわけです。

<完>
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三億円事件の40年後 ~その3・パクリの巣窟~

2009-09-22 | 三億円
09年9月22日new!

冒頭の写真は府中警察署。京王府中駅の北向かい側にあります。
三億円事件の特別捜査本部は、府中警察署の裏庭にあったプレハブ
の2階に設けられました。

さて、三億円事件の特徴の一つとして、事件に用いられた車両の数が
極めて多く、しかもそれらは全て盗難車であることが挙げられます。

偽白バイが盗まれたのは、日野市の平山団地(現・平山住宅)22号棟。
豊田駅から南西1kmほどのところです。



驚いたことに、当時のままと思われる建物がまだ残っていました。

ちなみに事件当時、偽白バイが第1現場まで引きずってしまったカバー
はスバル360用のもので、同じく平山団地の16号棟で盗まれたものです。

また現金輸送車を、銀行から第3現場(偽白バイとの交代地点)まで追跡
するのに用いられた緑色カローラが盗まれたのは、この団地のごく近所に
あった料亭(現存せず)の女将のものでした。

現金乗せ替え後の逃走用に用いられた「多摩五郎」こと濃紺カローラが
盗まれたのは、同じく日野市の多摩平団地。豊田駅から北東1km弱ほど
の所になります。こちらは建て替えられてしまったようです。



「多摩五郎」が小金井の本町住宅(第4現場)で数か月に渡り放置されて
いた際、被せられていたカバーはスバル1000用のもので、府中市の晴海
町団地で盗まれたものでした。



この晴海町団地、府中刑務所の南隣と事件現場からほど近いこともあり
(現場は府中刑務所の北隣)、ここに犯人のアジトがあったのではないか
との説を唱える関係者もいました。
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三億円事件の40年後~その2:第1、2、4現場

2009-09-22 | 三億円
(09年1月11日の記事に補足します)

現金輸送車は学園通りを西(写真奥)に向かって走ります。
ニセ白バイがショートカットした道(写真右の建物の手前)との再合流地点
です。



西に向かった先は府中刑務所の北側で、よく知られている事件現場(第1
現場)です。



当時の写真を見ると、壁がへの字に曲がっている辺りの上部に看守塔が
あったようですが、現在は見当たりません。壁そのものも当時とは異なる
ようで、より低くなったのか威圧感が薄れています。

犯人に奪われた現金輸送車は、そのまま先の府中街道(案内板の水平
方向の道)に向かって猛スピードで走り去って行きました。



ちなみに現金輸送車の目的地は、事件現場からちょうどすぐ先にある
東芝府中工場で、冬のボーナスだったために多額でした。



ちなみにこの塔、エレベータの試験用の設備らしいのですが、事件当時
には既に存在していたようです。

奪われた現金輸送車は、府中街道をそのまま北上せず、裏道に入って
いきます。('09-09-22: 写真追加)



写真手前から奥に向かっているのが府中街道で、信号のところで右折
しています。(もちろん当時デニーズはありません(笑))

当時はこれほど開けてはなく未舗装の道で、しかも当日は雨だったため、
猛スピードで走った現金輸送車はここで盛大に泥はねをしてしまい、通報
されています。('09-09-22: 補足・写真追加)



結局、奪われた現金輸送車は、現場からわずか数百mほど北の、史跡
国分寺・七重塔跡付近で発見され、第2現場と呼ばれます。
犯人はここで青色のカローラに乗換え、現金の入ったジュラルミンケース
3個も乗せ替えて逃走しました。



ちなみに現金輸送車は「H家代々之墓」のすぐ脇に置かれていましたが、
このお墓は現存しています。(写真左側の茂みの辺り)
当時この辺りは竹藪・栗林であまり知られていない場所のため、発見が
遅れたようですが、第1現場からは徒歩で行けるほど近く、犯人の大胆さ
には驚かされます。

逃走する犯人が最後に目撃されたのは、上記の史跡・国分寺から少し
東に行ったこの地点です。('09-09-22: 補足・写真追加)



写真の手前から奥に向かっていた逃走車が、T字路で左から来た別の
車とあわや衝突しそうになります。
逃走車はあわててバックした後、何度も切り返しをして右折(東方向)し、
その後の行方が途絶えました。

結局、逃走に用いられた濃紺のカローラ「多摩五郎」(ナンバーの「多摩
5ろ3519」をもじった呼び名)が見つかったのは、国分寺から東に駅一つ
向こうの小金井の「本町住宅」の駐車場で、第4現場と呼ばれます。



車の中にジュラルミンケースが残っていましたが、もちろん中身はカラで
した。

なお、多摩五郎が見つかったのは、カバーがかぶせられていたとはいえ、
事件発生から4ヶ月も後、その上のちに航空写真によって事件翌日には
ここに置かれていたことが判明したという、警視庁の大失態でした。
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三億円事件の40年後~その1:銀行・第3現場

2009-09-22 | 三億円
(09年1月11日の記事に補足します)

以前東京でやってたバンドが、国分寺駅前のライブハウスを本拠地と
していて、そこに行くたびに「三億円事件」という文字が頭にチラついて
しょうがありませんでした(笑)
東京在住時にじっくり見ておけばよかったのですが、事件(1968年12
月)から40周年記念(不謹慎?)ということで、訪京の際にあらためて
訪れてみました。

ということで、まず手始めに、3億円を積んだ現金輸送車が出発した
日本信託銀行国分寺支店跡。
合併により日本信託銀行という会社は既に存在せず、建物もマンション
に変わってました。ローソンの辺りがそれで、画像右側の道を真っ直ぐ
行った先が国分寺駅です。



写真差し替えました('09-09-22)

実はコレ、「ストビュー」の画像です。
現存せぬことを知らずトンチンカンな写真を撮ってきてしまい後の祭り、
というお粗末な話のためで、初っ端からすみません。


現金輸送車は国分寺街道を南下し、明星(めいせい)学苑の前で西に
向って右折します。(写真で車が止まっている信号)



犯人は緑のカローラで現金輸送車の動きをワッチし、明星学苑の少し手前
で、ニセ白バイにスイッチしました。



写真左側が国分寺街道、エネオスの辺りが犯人が車と白バイを置いて
いた空地の「第3現場」とされています。写真で水平方向の道路は、事件
当時は存在してなかった東八道路です。

エネオスの辺りのクローズアップ。
ニセ白バイはショートカットのために写真中央の抜け道を通って、現金
輸送車を追尾していきました。



スピードも相当出したはずで、あらためて見ると路地が狭いのには驚き。
現在は逆方向の一方通行となっています。
しかも目と鼻の先には交番があり、バッテリー直結ゆえエンジンかけっ
放しで、シートをかぶっていたバイクが、不審車両としてよくパクられ
なかったものだと思います。
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新証言!三億円事件 40年目の謎を追え!

2009-04-06 | 三億円
大仰なタイトルですみません。

ビデオテープを整理していて見つけたのですが、どうも昨年末にフジ
系で放映されたものを録画したっきり、すっかり忘れてしまっていた
ようです。
どうせしょーもない再現ドラマかと大して期待もせず見てみたところ、
意外にも当時のニュース映像等がふんだんに用いられていて、つい
つい引き込まれてしまいました。
1月に東京に行ったのは、特にこの番組を見たからというわけでは
なく偶然だったのですが、「おお、ここ行った行った」という場所も
結構登場してきました。

この番組の主軸となっているのは、重要参考人でありながら、事情
聴取の直前に自殺したS少年と、事件時のS少年のアリバイを証言
するK氏の話であり、その他に紹介された内容も含めて、三億円事件
マニア(悪趣味)にとって特に目新しい話はありませんでした。

再現ドラマで、主人公の若手刑事役には山本耕史、昭和の名刑事・
平塚八兵衛役には(井伊大老こと?)中村梅雀が熱演していました。

三億円事件に関わった刑事や目撃者など、今まで関係者本人への
インタビューは見たことがなかったので、これは新鮮でした。

なぜ発炎筒ごときに4人の銀行員がいとも簡単に騙されたのかという、
今にして思えば笑い話(*)のようであり、素朴な疑問でもありますが、
当時は発炎筒というものは車への搭載義務がなく、マニアだけが知る
存在だったそうです。

* 現金輸送車が走り去り、発煙筒が路上に転がっているのにも関わ
 らず、それが燃え尽きるまで呆然とするだけでした。

突然「爆発するぞ!」と言われ、見たことがないような炎と煙を発する
物体への恐怖は、間近で事件を目撃していた府中刑務所の看守の
「(自分も)死ぬかと思った」という発言に如実に表れています。

現時点の心残り(備忘録)
日本信託銀行跡の撮り直し(笑)
・多磨農協…事件の伏線として、8ヶ月も前から何度にも渡り脅迫。
・晴美町団地…第一現場近く。盗難車の置場。
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