(有)花沢不動産

趣味の話など

鉄道関係小ネタあれこれ

2008-08-31 | Weblog
連続での鉄ネタですみません。

さて、かつての新快速専用車両だった117系、原色のものは最近では
京都以東・湖西線でよく見かけてましたが、先日行った新山口~下関
のあたりでも原色の117系を見かけたのはびっくりしてしまいました。

元々は宮原からの貸出しだったようですが、昨秋正式に下関へ転属して
きたようで、パチ当てのように見える区名標記が、それからあまり日が
経っていないことを物語っています。



まだ習熟中なのか、運転士さんの他に3人もの乗務員が同乗し、一斉に
指差呼称をしていたのは壮観でした。



話は変わって…

「夜に着いても"あさ"駅とは、これいかに?」というにのは、小学生向け
の本にでも載ってそうな古典的なネタです(笑) 漢字で書くと「厚狭」です。



「ペットボトル」というのは、確か和製英語だったと思います(笑)

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伝説の有名撮影地にて ~旧・布原信号場~

2008-08-24 | 一寸お出かけ(中国)
新見は、いち鉄道ファンとしてもちょっと気になっていた地名でした。

かつて非電化だった頃の伯備線は、急勾配の区間でD51の三重連が
貨物列車を牽引することで知られており、SL現役時代はピンとこない
私でさえ、その有名な撮影地として「布原信号場」の名前を聞いたこと
があります。
冒頭の写真は、布原信号場付近で撮られた余りに有名なアングルの
デゴイチ三重連の写真です。(ネットで拾ってきた写真ですみません)

そんな伝説の布原信号場が、現在どうなっているのかちょっと興味が
あったので、以前の一連の岡山行のついでに寄り道しました。

旧布原信号場(現布原駅)は、新見から米子方面にひと駅行ったところ
で、鉄道も急勾配がある難所であれば、道路も乗用車がやっとのような、
狭くて険しいワインディングで、行くのに往生しました。布原駅は狭い
山間にあり、周囲の人家もまばらで平均乗降客数は1日1人、まさに
秘境の駅といった感じです。

現・布原駅の様子。



JR発足時に信号場から駅に格上げされていますが、まるで仮設のよう
な短いプラットホームは当時のままのようです。伯備線の列車は全て
この駅を通過し、芸備線の列車が一日に数本止まるだけです。

駅から新見側に数百mほど行くと、かつての有名撮影地であった第23
西川橋梁があります。この写真のちょうど右上あたりの斜面が、列車
撮影の「お立ち台」だったようです。



冒頭の写真と全く同じ角度で列車の写真を撮りたかったのですが、この
写真からも分かる通り、木が生い茂っているうえ、すごい急斜面のよう
なので断念しました。
今は人影まばらな静かな山間ですが、1972年3月の三重連ラストデー
が近付くにつれ大フィーバーとなり、何百人というファンが大挙してここ
でカメラを構えていたようです。

第23西川橋梁を真横から見た新旧比較。



あまり変化していないようです。



腕木式信号機の名残り。



線路より随分離れた位置に立っていますが、見ようによってはシュール
レアリズムかも?(笑)

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有名撮影地にて 須磨~塩屋間

2008-08-24 | 写真館
鉄道写真の超有名撮影地というのがうちの近所にあり、盆休み最終日
にちょっと冷やかしに行ってきました(笑)
鉄道写真の場合、実はこのようなカーブで望遠で撮るほうが、直線区間
で広角で撮るよりもラクで、慣れればコンパクトデジカメでも、このような
よくありがちな(笑)鉄道写真が撮れてしまったりします。

新快速と快速の並走。



ちなみに、写真左側に見える三角屋根は須磨平磯海づり公園です。
地元の方でしたら、このカーブがどこか特定できるのではないでしょうか。

写真右側の2本の列車線を通過する列車は新快速が主ですが、その
合間を縫って時折貨物列車や特急列車も通過します。
これは、播但線経由で山陰に行く特急「はまかぜ」。



神戸から大阪に行くのに、わざわざ特急料金を払って、このオンボロ特急
に冷やかしで乗ったことが2~3回ほどあります。なお所要時間は新快速
と変わりません。(というか、後ろから新快速に追っかけられているような
ダイヤのため、老骨にムチ打って走っているような感じがします)

長編成の貨物列車も、こんな感じでバッチリ収まります。

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100万ドルの夜景・その2

2008-08-14 | 写真館
だいぶ以前にリクエストを頂いた、六甲山からの夜景を撮ってきました。
摩耶ロープウェイ終点近くの掬星台というところになります。

この日はなぜか風が強く、三脚があってもブレたりして、長時間露出は
一苦労でした。

さて、特に素晴らしいのが大阪側の夜景。
大阪湾の向こうまで連続した夜景は、まさに100万ドルの名に恥じません。

こちらは神戸側の夜景。
左上方がポーアイ、中央が三宮のあたりです。



三宮~神戸港付近のクローズアップです。


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青海島・静ヶ浦

2008-08-12 | 一寸お出かけ(中国)
萩から西へ約20kmほど行った長門市・仙崎の先端にある島、青海島
静ヶ浦からの光景です。この断崖絶壁は「海上アルプス」という名が
付けられています。

静ヶ浦の駐車場のオヤジが、「いや~ここからの眺めは感動するヨ」
などとウンチクを垂れるので、ホンマかいな?と半信半疑で行った
ところ、いや確かになかなかの絶景でした。

ちなみに、青海島の周囲をぐるりと回る遊覧船もあるようです。

<山口周辺お出かけ記・完>
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歴史の町・萩を巡る

2008-08-12 | 一寸お出かけ(中国)
山口県は歴代の総理大臣を最も多く輩出した地として知られてますが、
萩を観光するにあたってガイドブックを事前に調べてみたら、まあ歴史上
の人物の名前が次から次へとバンバン出てくること!(ちょうど今「篤姫」
でやっているような幕末~明治維新にかけての人物ですね)
私は歴史は全くダメですが、歴史好きにとってはたまらんでしょうなあ、
ここは。

さて、前述の菊屋家住宅がある一角は萩城城下町と呼ばれますが、
近くには木戸孝允旧宅があります。



萩にとって、やはり吉田松陰は別格の存在のようです。
吉田松陰が若くして教鞭をふるった藩校・明倫館跡。
ついつい冒頭の写真のような立派な木造校舎に目を奪われてしまいます
が、これはあくまで市立・明倫小学校の本館(但しこれも文化財)です。
明倫館としての史跡は、こちらの南門や明倫館碑等、校内のあちこちに
点在しています。



市内の東の外れには、あまりに有名な松下村塾があります。
まるで掘立小屋のようです。



隣接して、吉田松陰幽囚ノ旧宅があります。
何だかこちらのほうが立派に見えます。



松下村塾からも徒歩で行ける場所に、伊藤博文の旧宅もあります。
伊藤博文といえば千円札、と思ってしまう私はもうトシなのでしょうか?



隣接して伊藤博文別宅もあります。
こちらは、東京・大井から移築したものだそうです。

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小京都・萩を巡る

2008-08-12 | 一寸お出かけ(中国)
萩は津和野よりずっと大きな町ですが、同様に小京都と呼ばれています。

ところで、京都には「城」というイメージはあまりありませんが、「小京都」
はおもに城下町を形容している語というのは面白いと思います。

冒頭の写真は萩城跡です。
この近くには、長さが50mあるという厚狭毛利家の武家屋敷もあります。

「いかにも萩の風景」といえば、まず藍場川。



やはり鯉が泳ぐ藍場川ですが、この旧湯川家屋敷では建物の中にも川
の水が引き込まれ、(料亭のいけすの如く?)鯉が泳いでいる姿が見ら
れるのには驚きます。優雅ですなあ。



続いて「いかにも萩の風景・その2」。藩の御用商人・菊屋家住宅です。



正面よりも、むしろ側面のなまこ壁のほうが、「いかにも萩の風景」かも
しれません。



迎賓館としての役割もあったとのことで、このような立派な庭もあります。
カゴでここまで乗り付けてきたなどという話を聞かされると、まるで時代
劇のようで「おお~」と思ってしまいます。


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秋芳洞・秋吉台

2008-08-12 | 一寸お出かけ(中国)
秋芳洞は日本最大級の鍾乳洞とのことで、総延長10kmのうち1kmが
観光コースとして公開されています。中は非常に広く、アップダウンも
それほどきつくはありません。

見所の奇岩は色々ありますが、冒頭の写真は高さが15mあるという
「黄金柱」。この前で記念写真を撮っていく人が多かったです。(何しろ
高さがあるので、ソレと分かるようにストロボでうまく写っているのか、
他人事ながら少々心配?)

秋芳洞の入口。
洞内の温度は年間を通じて17℃一定だそうで、夏の今は入った瞬間
ひんやりとします。「寒い!」という声も。



秋芳洞といえばやはりコレですね。
「百枚皿」です。



秋芳洞のちょうど真上にあたる秋吉台のカルストロードを通過して、次の
目的地に向かいます。

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小京都・津和野にて

2008-08-11 | 一寸お出かけ(中国)
「SLやまぐち号」の行先は津和野で、折り返しの列車までは約3時間
ほど間が開いてます。
過去2回訪れた時は、駅前の貸自転車屋で自転車を借り、少し離れた
県道沿いの「道の駅」の温泉につかってマッタリと過ごしてましたが、
今回は町内観光をしてみることにしました。

「いかにも津和野」の風景といえば、昔ながらの街並みに、掘割で泳ぐ
鯉の姿ですね。



津和野カトリック教会。
洋館も意外と街並みにマッチしています。教会の中は畳敷きだったりします。



メインストリートを過ぎ、さらに先に進むと文豪・森鴎外の旧宅があります。



冒頭の写真は、朱塗が印象的な太鼓谷稲成神社です。(よくよく見たら、
稲成と書くんですね)
この神社は山の中腹にあり、山口線の車窓からも見えます。
特徴的なのは、参道に連続して立つ鳥居で、約1,000本あると言われて
います。



何だか大林映画にでも出てきそうな、雰囲気のある参道です。

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SLやまぐち号

2008-08-11 | 一寸お出かけ(中国)
私が物心ついた時には、蒸気機関車はもう既に現役を引退していて
馴染みがなかったこともあり、鉄道好きながら興味の対象外だったの
ですが、ふとしたきっかけでこの「やまぐち号」に乗って感動して以来、
夏の恒例行事みたいな感じで、もうかれこれ3回程乗っています。
ふだんは、C57が5両の「レトロ風客車」を牽引していますが、夏休み
シーズンの土日には、マイテ49という、かつて博物館入りしていたよう
なホンマの大昔の一等展望車が増結され、牽引する機関車もC57+
C56の重連となり、お値打ち感があってオススメです。
(初めて乗ったときも、マイテと重連がなければ、多分そこまで感動は
しなかったと思います)

行きはC57、帰りはC56が先頭に立ちます。



実は、今回は残念ながらSL重連の日の切符が取れなくて、この写真は
乗った日の前日に撮ったものだったりします(^^;

客車だけではなく、乗務員の制服も昭和風だったり、「やまぐち号」停車
駅の駅名票もこのようなレトロな演出もされています。



長門峡という駅名が「うゃきんもうゃち」と書かれているに至っては、すぐ
に読めなかったです(笑)

なお、起点の「りほごお」こと小郡は、現在は新山口に改称されてます
が、駅名票は1箇所だけそのまま残っています。
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