(有)花沢不動産

趣味の話など

シーサイドライナーに乗る

2020-02-25 | 一寸お出かけ(九州)
我らがS電のキャッチワード?、「シーサイドエクスプレス」とは異なります。

標題の「シーサイドライナー」とは、長崎-佐世保間を大村線経由で結ぶ快速列車
の愛称で、この3連休に乗りに行ってきました。

主力で運用されているのはキハ66・67という旧国鉄時代の一般形気動車で、わずか
2両×15編成(現時点で14編成残存)という小所帯ながら、画期的な車両といわれて
います。
キハ66・67の車体は側扉の配置が若干中央に寄せた2箇所で、それまでのキハ23・
45などの一般形気動車と同様ですが、扉間の座席はボックスシートに代わり転換
クロスシートを配置したというのが斬新(国鉄としては。民鉄には実績多数)で、
当時の急行型車両(キハ58, 65など)をも上回る接客設備でした。約5年後に登場
した新快速用の117系電車にも、ほぼ同様のレイアウトが踏襲されたという点で、
当系列の先進性が評価されています。



キハ66・67自体は当時の国鉄の財政事情で少数派に終わり、以来40数年九州北部
だけでひっそり生息していたこの珍車も、とうとう次のダイヤ改正でハイブリッド
気動車に置き換えられることになりました。ゆえの葬式鉄です。

初めて現車を見たのは、社会人になって初めての夏休みに18きっぷで経由した博多
駅だったと記憶しますが、(特急「はまかぜ」の旧車両キハ181系と同系統の)12
気筒エンジンからは猛烈な白煙と騒音をまき散らして発車する様子には驚きました。
エンジンはのちに同程度の出力の直噴6気筒のものに換装されたことで、爆煙を吐く
ことはなくなったいっぽう、加速はかえって良くなっています。
また乗り心地は、キハ181系やキハ65と比較し、よりシンプルな構成の車体直結方式
の台車が功を奏してか、国鉄型気動車の中では最も良いほうだと思います。



シーサイドライナー塗装



のちの117系と比べると、キハ66・67の車端には小さい側窓が一つ余計にあり、
気動車の車体長の長さが伺われます。また車端が低屋根になっているのは、
冷却に泣かされた旧エンジン時代に、強制通風式のラジエータがあった跡です。



オリジナル復活塗装(国鉄急行色)



最も見たかった車両。タイミングが合わず乗車こそ叶いませんでしたが、写真
に収めることができました。
一見、停車中のように見えますが、この諫早駅は近年橋上駅舎化され、車両は
濃い影の下となるため、発車後に加速中のところでシャッター。

ハウステンボス塗装



大村線は大村湾沿いを走り、風光明媚な路線です。



沿線にはハウステンボスがあって、ここでの乗降も多いです。



博多から長崎への間の長崎線では、諫早湾越しに見える雲仙岳も見事です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たけるんの青春デンデケデケデケ: 2010年代・その4

2020-02-12 | 私のバンド歴
3. ビートルズバンド関連(続き)

(4)SM氏との出会い

①Scarabeats(2015-2016、たけるん on Drs)
 N山君とSilver Cricketsで活動していた当時、彼が真面目に取り組んでいるという
 (こういう遠慮のない発言が彼らしい)別バンドの音源を聞かせてもらったところ、
 演奏のみならず、コーラスの完璧さに驚かされました。2014年4月にN山君の誘い
 でそのバンドを実際に見に行ったところ、特にポール役が歌うMy Loveの圧倒的な
 歌唱力に驚き、狭い神戸でまだ未知のこんな凄いプレイヤーがいたのかと衝撃を
 受けました。(その時の気持ちを例えるなら、原田巧の剛速球を初めて目にした
 永倉豪のよう。…何のこっちゃ分からない方、すみません)
 私のイベントのデンデケVol.3への出演を熱望しましたが、都合が合わなかったこと
 に加え、直後にそのバンドが解散してしまい断念。しかしそれから半年程経って、
 件のポール役SM氏からScarabeatsに誘われたときはマジで嬉しかったです。ところ
 が、2015-16年にかけて私は、年間の半分が海外出張だったこともあり、Scarabeats
 で十分な活動ができなかったのが心残りです。なお、デンデケには、念願のSM氏に
 Vol.4以降全て出演頂きました。
・余談ながら、Scarabeatsのジョン役A氏とは非バンド関係で共通の知人がいること
 が偶然分かり、さらに、私が香川在住時だった15年以上も前に、私とA氏がその知人
 の結婚式二次会で一度顔を合わせていたことが奇跡的に判明しました。当時A氏が
 ギター持参で来ていたことでビートルズ好きと知り、二次会のカラオケでは知人を
 含めた3人でShe Loves You他をハモリ、周囲から「レコードみたい」と褒められた、
 という昔話が鍵でした。

②ビートルズ de ランデヴー
 セラミックけいたバンドで一緒だったTP氏と上記SM氏が、スキスキより、もう
 少し楽器プレイヤー志向のビートルズセッションを行いたいということで始めた
 もの。
 SM氏はそのためのホストバンドを作る(あるいはScarabeatsをホストにする)
 構想があったようですがが、メンバー不足であえなく頓挫。私はその要員として
 呼ばれて以来、参加継続中です。
 当セッションでは、東京在住時に知り合った方や、関西ながら疎遠になった方
 との再会があったり、新しいつながりもできました。また、私がたまにヘルプ
 で入るTable Dogのメンバーは当セッションつながりで、のちに初(私自身は14
 年ぶり)の新開地音楽祭出場につながりました。

③東門街C
 あの英キャバーンクラブとも姉妹店で、Dog Stepsでもお世話になっている、
 東門街Cが開店したのは2016年7月のことでした。オーナーY氏とSM氏が先
 に面識があり(M楽器店のコピーバンド大会等で顔は知っていたようですが、
 面識を持ったのはなんとスキスキでらしいです)、SM氏、N山君、私がC開店
 前の物件確認にお呼ばれしたことがあります。内装施工前のスケルトンの状態
 で実際に音出しをして、音漏れの状況をビルオーナーにも確認頂き了承を得ま
 した。また上記メンバー+Y氏の盟友T氏で、プレオープンのイベントでも演奏
 させて頂きました。

(5)Tripping the Live Fantatics/Paul is Lives(2016-継続中、たけるん on Drs)
 909で活動当時のジョージ役TM氏が、私と同じく89年のポールの傑作アルバム
 Flowers in the Dirt好きであることが判明。彼曰く(そのシングル曲である)My
 Brave Faceごっこ(笑)をやりたいということで、2012年8月に旧知のJ氏と彼経由
 でポール役としてAR氏を呼び、ポールの89-90年のGet Back Tourの曲目をセッ
 ションしました。
 その後AR氏とTM氏は一緒にバンド活動を行っていたようですが、しばらくして
 2016年5月に両氏が発起人となりGet Back Tourの曲を再現するユニット、Tripping
 the Live Fantastics(ライブアルバム名から拝借)として具現化に至りました。
 Get Back Tour全曲完了後は円満活動終了としながらも、メンバーはそのままPaul
 is Lives(これもライブアルバム名からまんま拝借)に改称、93年New World Tour
 の楽曲に移行し、現在も活動継続中です。
 私にとってポールのGet Back Tourは学生時代に初めて見たプロのライブで、リアル
 タイムで再現したかったのですが、技量的にもメンバー集めも無理でした。私が
 大人になり大分経ってから、当時まだ若かったJ氏やAR氏が、Flying Horsesという
 バンドで易々と再現しているのを客席から羨望の眼差しで見ていましたが、今では
 そのポール役AR氏と同じステージ上に立てていることは感慨深く、また大変光栄に
 思っております。

-連載終わり。未来に続くー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たけるんの青春デンデケデケデケ: 2010年代・その3

2020-02-10 | 私のバンド歴
3. ビートルズバンド関連

(1)909(2011/9-2012/9、たけるん on Drs)
 神戸復帰以降、固定のビートルズバンドは久しくご無沙汰していたため、with9の
 メン募にDrsで応募したところ、リハ1回で、翌月のライブに来てくれと即決され
 ました。
 それから約1年間、マンスリーで北野O(既に閉店)でハコバン的なものを務めた
 のは、香川在住時のベンチャーズバンド以来の貴重な経験でしたが、残念ながら
 動員が芳しくなくてモチベーションが上がらず、その割にはセットリストは毎回
 30曲以上で、正直なところ苦行でした。その時の若手のジョージ役はTM氏という
 方で、だいぶ後に別のバンドで再会することになります。
 数少ない貴重なお客さんとして、ミナエンを教えてくれたTSさん夫妻の他、常連
 として旧知のNKTさん(旧Blackbirds)とともにR女史がほぼ毎回来てくれました。
 業界通のR女史を通じて因縁の?現Blackbirdsや、プロのビートルズプレイヤー
 Mさん(ジョン役かつマルチプレイヤー)と共演する機会もあって面識を持てた
 のが、北野Oでの数少ない収穫でした。
 そういえば、のちに(現)Blackbirdsが北野Oに定期出演するようになり、TM氏が
 ヘルプのジョージ役として加入したのも、何かの因縁かも?

(2)Moneyhours(2012-2018、たけるん on Ds)
 Moneyhoursと書いて読みは「まにあわず」。909からの卒業と前後して旧知のJ氏
 に誘われました。
 気楽な中にも経験者揃いで、特にコーラスを得意とし、当時経験したいくつかの
 ビートルズバンドの中でベストでした。当初のレパートリーはベスト盤的でしたが、
 のちに全アルバムコンプリートを目指し、律儀にPlease, please meからスタートし、
 私がいた間はRevolverまで進捗しました。

 なお、Moneyhoursのジョージ役・職人Neu氏とは、現在別ジャンルでのコラボを
 目論んでおります。(これはティーザー笑)

(3)N川氏との出会い
 スキスキに顔を出すようになって以来、ミナエン常連のジョンN川氏からバンド
 のお誘いを受けました。N川氏はジョン役の他、リードギターもキーボードも
 こなすマルチプレイヤーで、さらに彼のオリジナル曲はとてもポップです。
 当時ミナエンではビートルズ専門のバンドは珍しがられ、2012-13年にかけては
 「セラミックけいたバンド」でTS氏(on Ds)とともに精力的に活動しました。
 スキスキを通じて、ジョンN川氏によりさらに、当時20代の若きジョージ役N山君
 がスカウトされ、私はBaからDrsに異動し、The Silver Cricketsとして活動。2013
 年6月に宇治F4で初(シークレット)ライブ、2013年12月にはM楽器店主催のコピー
 バンド大会に初めてエントリーし、N川氏の知名度からか、あるいはN山パパの
 差し金か、トリでキャバンクラブ大阪のステージに立ちました。
 またN川氏は、神戸のインディーズバンドシーンの重鎮K下氏とも昔から懇意で、
 ビートルズ好きであるK下氏主催のイベントにも何度かお呼ばれしました。
 (ちなみにJ氏やNKT氏とともに旧Blackbirdsで新開地音楽祭初出演の前夜に腕試し
 で出演したビートルズナイトも、実はK下氏のイベントだったという偶然の出来事
 があります。直前にリハした隣のスタジオも系列で、若いホールマネージャーさん
 に「あっ、さきほどリハされてた」と言われました(笑))

 なお、ジョンN川バンドには、現在もヘルプでお呼ばれすることがあります。

その4につづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たけるんの青春デンデケデケデケ: 2010年代・その2

2020-02-10 | 私のバンド歴
2. ミナエンを知る(2011- )

神戸復帰以降、私の音楽関係の出来事としては、恐らく最大です。
かつて私は兵庫区在住でミナエンタウンは近所、I食堂などの存在は知っていま
したが、外から中の様子は気になりつつ、ビビリで中に入ることができません
でした。
2011月8月に、ネット上だけの知人であったTS氏とリアルで出会い、同じビル
内のカフェSを紹介してもらいました。TS氏は新開地音楽祭でオーナー夫妻+
当時のM店長が演奏するDog Stepsを見て同店を知ったとのこと。
カフェSでは毎月ビートルズセッションが行われていることを聞き、まずは月1
通うようになりました。

(1)定期・不定期イベントへの参加(いずれも継続中)
①スキスキビートルズ(毎月第3日曜@カフェS)
 当初はもちろん客としての参加でしたが、正直なところ、ホストの演者より
 曲を知っていました。
 もっとも当時の客層は、ビートルズのコアなファンは少数派で、多様かつ入れ
 替わりも激しく、リクエストも定番曲もあれば、かえって思い込みのない突飛
 な曲もあって随分鍛えられました。パート穴埋め要員として、出来はともかく、
 楽器・コーラスともに全パートチャレンジさせてもらえたのが、後年役に立って
 いるかも。
 当初よりホストを務めたIさんが引退し、ホストはD店長に交代、そのサポート役に。
②ビートルズdeランデブー(毎月第4土曜@Aガーデン)
 後述
③Sの歌謡日(不定期(概ね3ケ月毎)日曜@カフェS)
 いわゆる生バンドをバックにお客さんに歌って頂くイベント。
 赤本を使って基本的には初見(ですが、常連さんの十八番はだいたい決まって
 くる)という、かつて会社の軽音時代に経験していたことが復活しました。
 会社の軽音の時は「こなんおっさんげな曲を」とイヤイヤやっていましたが、
 演者的にはド演歌のほうが曲構成やコード進行が読めてむしろ気楽で、今や
 不測の事故も含めてすっかり楽しんでます(笑)
 当初、Dog Stepsがホストバンドで、それに勝手に(笑)Keyで加わっていました
 が、のちにホストバンドをお願いされ、パートはKey→Drs→Baと変遷。

(2)自主イベント開催(2012-2018)
 主催側の持ち出しが全くないのがありがたく、カフェSで7回に渡り自主イベント
 (デンデケ祭Vol.1~7)を開催しました。
 最初のきっかけは、結成したての自分のバンドの発表の機会がなく、よそから対バン
 に呼んでもらう伝手もなかったので、やむなく自主イベントを開催したというのが
 真相です。しかし、回を重ねるごとに、その時々で私が関与していた旬なユニット
 に出演頂くとともに、特別ユニットでちょっとチャレンジングな要素を加える、と
 いうスタイルに変化していきました。もっとも第1回目でも、Lovely Ritaを演って
 みたり、私がジョージ役をやったり、出来はともかくチャレンジングな要素の片鱗
 は既にあったみたいです。

(3)Dog Stepsとの関係
 当初は観るほうでしたが、歌謡日の手伝いをする頃から、時々Drsのヘルプとして
 呼ばれるようになりました。彼らのレパートリーの一つであるベンチャーズ好きで
 あることも理由かもしれません。
 東門街Cでの定期・金曜演奏がビートルズの曲を中心とすることから、私は2017年
 4月から最終金曜のDrsを担当しており継続中です。
 また、Dog Stepsの地方巡業?にも定期・不定期で混ぜて頂き、私にとってはよそ
 の地方での演奏は初めての経験で、新鮮に感じます。

その3に続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たけるんの青春デンデケデケデケ: 2010年代・その1

2020-02-10 | 私のバンド歴
「バンド歴」を見ると、神戸復帰以降のまとめが、2012年を除き欠落していることに
気付きました。実はその後の話も書こう書こうと思いつつ、現実の出来事は年の区切り
でキリよく進むわけではないので、書くタイミングを逸していました。
2020年を迎えて、以下あらためて過去10年間を振り返ります。10年も経って時系列が
曖昧になっていた部分がありましたが、今回よい整理になりました。

1. 歌謡曲(2010-2016, たけるん on Ba)

神戸復帰以来しばらくは固定のバンドに入ら(れ)ず、2010年代の音楽活動は意外にも
歌謡曲から始まりました。
旧知のTsu氏が映画のブルースブラザーズ好きなことからだったと思いますが、2009
年に氏からソウルバンドのBaとしてお誘いを受け、ある時リハの後飲み@天六で、
歌謡曲をやりたいねという話で盛り上がりました。その時のメンバーを中心に、知り
合いのミュージシャン総勢40名が集結し、2010年4月に「みんなの歌謡show」を開催、
ほぼ同様のスキームで翌2011年3月には「第2回みんなの歌謡show」を開催しました。
その後も、「みんなの歌謡show」出演メンバーの一部と新規メンバーで、スピンオフ
的に「甲谷ヒロユキとザ・ビューティフル・チョメチョメイツ」を結成し、2012年
8月と12月にライブを開催。
2016年6月には、私のイベント「デンデケ祭」第5回記念の「キラーコンテンツ」と
して、再びTsu氏の助力により「たけるん歌謡曲バンド」を披露、10月にはTsu氏の
イベント「つちフェスその9」にも出演しました。

一連の歌謡曲ユニットではそうそうたるメンバーが集まったということもあり、技量
的にも観客ウケも史上最強と密かに自負しております。最近このジャンルはごぶさた
していますが、いずれはビートルズに次ぐ柱にしたいと目論んでいる次第です(と常
に公言しているのですが、なかなか難しく…)

その2に続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・3&4号線レイアウト妄想!?

2020-02-08 | 鉄道模型
レイアウトの製作記事ではなく妄想記事など誰も見ないだろうと思っていた
のですが、意外なことにたまにアクセスがあったりします。
ということで、調子に乗って続編として前回の記事のアップデートなどを。

1. 国鉄型20m級×4両レイアウト(更新)

元の構想は複線だったのですが、ローカル線はやはり単線のほうが似合う
かということで再考しました。



直前の記事の16-2号線をベースにしたプランですが、ファイントラックの
利点のカーブポイントを多用し、小スペースで有効長を稼いでいます。
中間の行き違い設備を駅にした場合、各駅間が短すぎる感じがするので、
信号場にすれば、ついでに江ノ電風?
エンドレス内側の始端駅の中にシーサスがあるのは、機回しを構内で完結
させる目的です。
一方でエンドレス外側の終端駅に逆方向の延長部があるのは、折り返し用
の機関車を待機させる目的で、青森駅のような運用イメージでしょうか。

小スペースのレイアウトは、短編成でまとまる電車・気動車中心となりがち
ですが、機関車牽引列車も考慮し、かつ運転のより多くの要素が楽しめる
欲張ったプランです。

2. 小型車両用レイアウト(更新)

外回り駅→留置線への入線は、片渡り線を直接対向で通過するのではなく、
本線上で一旦折り返して背向で通過するよう、全体の勝手をひっくり返し
ました。実物観察の結果です。



留置線は江ノ電2編成併結程度の全長を確保していますが、中央でギャップ
を切れば、それぞれ動力を持つ2編成の縦列駐車も可能(上記の国鉄型4両
レイアウトも同様ですが)となり、楽しめそうです。

最近は小型車両の完成品が充実していて、対象車種は前述の江ノ電に加え、
路面電車(単車、連接)、箱根登山、叡山、京阪大津線あたりを想定して
いますが、それらと一緒に、観光用の坊ちゃん列車とか昔の地方私鉄で存在
した貨物列車といった機関車牽引もありかと考え、外回り線の駅に機回し線
を追加しました。具体的なイメージは、最近リニューアルされたチビロコ・
チビ凸ですが、今では私鉄・国鉄の小型電機のスケールモデル完成品も存在
しますし、転車台不要でC12ぐらいまでの大きさならSLもありかと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

16-2号線: 16番ゲージ用簡易レイアウトの試作

2020-02-05 | 鉄道模型
久々に当ブログの元々のテーマである?鉄道模型ネタを。

鉄道模型はNゲージをメインに楽しんでいますが、プラ製16番(いわゆるHOゲージ)
車両も少し所有しており、Nとは異なる重量感や走行時の迫力に魅力を感じるものの、
レール敷設に場所を取ることもあって、なかなか走行させる機会がありませんでした。

ネット上で、フライシュマンの道床付レールを用い、欧州型では一般的な小半径の
カーブによって、「Nゲージ並の畳一畳サイズ(900×1800mm)のレイアウトが
可能」「小半径カーブでも大半の日本型は通過可能」といった記事に刺激を受け、
当方でもトライアルしてみました。

Nゲージの小型レイアウトによくあるようなプランをアレンジ。
中間駅で行き違い、追い抜き、機回しが可能で、有効長は20m級3両編成です。



フライシュマンのレールに代わり、容易に入手可能なHOユニトラックに置き換え。
ほぼ同等の最小半径370mmの曲線でエンドレスを構成していますが、ユニトラック
にカーブポイントが存在しないこともあって、幅が定尺の900mmより大きい1,000
mm必要との検討結果になりました。

したがって、定尺の幅から100mm延長するため、厚さ20mmのスタイロフォームを
互いに100mmずらして2枚重ね。
乾燥前に立て掛けたところ、反ってしまいました。



レイアウトマットを貼付け。
密着させようと押すとへこむのでしわだらけになり、これもちょっと失敗。



草原上で試運転の様子。
気動車2編成を用い、行き違いなどイイ感じで楽しめました。



写真はプランとは少し異なります。試運転で判明したことですが、写真左側の
外側引込線でポイントと次の曲線がS字になっており、連結器の無理な偏倚に
よる脱線が頻発したため、上記のプランではS字を解消するよう修正しました。
特に日本型16番は車輪のフランジも低いゆえ、畳の上でのお座敷運転では脱線
しやすいなど、走行重視のNとは少し違ったシビアさがあります。

プラン通りの実景。



ここから保有車両自慢となることをお許しください。
貨物が圧倒的な米国型の中で電車の模型は珍しいですが、模型のような急曲線
も走るNY地下鉄は、模型に相応しいと思います。



いずれもオランダ国鉄(NS)の車両で、左側の二階建車両は一見電車風ながら
実は動力集中です。(先頭は機関車で軸配置B-B-B、ただし2階部分に客室あり)
私がヨーロッパで初めて乗った記念すべき車両ということもあり、模型化されて
いないかネットで探し求め、オランダの模型店から取り寄せました。それが引き
金となり、決して安価でない欧州型Nでしばらく沼にはまることに…



さて、本件のきっかけは、かつての地元を走っていた機関車、ED78の16番モデル
がTOMIXからリリース予告されたことにあります。
TOMIXの16番車両の多くは、公称の通過可能曲線半径が600mmとなってますが、
既に保有のED75はたまに脱線しつつもどうにか半径370mmをクリアしました。
ネットの記事では、直流F級電機でも半径370mmは通過できるとのことでしたが、
肝心のED78は箸にも棒にもかからず、その次の半径430mmでクリア。いずれに
してもプランの見直しが必要というオチでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする