パソコンを始めた当初は、wordで小説を書くとか、CADで図面を描くとか、
色々と高い志を持っていたのですが、結局のところは通信専用マシン(別名:
××画像収集マシン)に成り下がってしまいました(笑)
ただし、そのいくつかの崇高な志の中でも、「パソコンで音楽をやる」という
ことはけっこう長期間続けていましたので、ここに紹介しておきたいと思います。
パソコンに初めて触れたのは学校の情報処理の授業で、Windowsが登場する遥か
以前、OSという概念もよく分からなかった時代にPC8801でN88-BASICを習った
ことでした。パソコンに詳しいヤツから、パソコンの内臓音源で演奏ができると
聞き及び、コマンドを教えてもらい、課外の時間を駆使してPlease, please meを
丸一曲データ作成したのが、記念すべき打ち込み第一号でした。FM音源でリアル
とは程遠い音色で、最大同時発音数はわずか6?だったので、コーラス3パート
とベースの入力だけで限界でした。もっとも、和声重視の編成の曲ゆえ、初めて
ながらそれなりに聞きごたえがあるデータになったともいえます。
それから数年経ち社会人となり、不本意ながらも演歌バンドのキーボーディスト
として細々と音楽活動を続けてました。どちらかといえば色物担当で、効果音の
リクエストが多く、追加の音源としてRolandのSC-33を導入しました。だいぶ後
になって、この音源は名機といわれるSC-55の廉価版であり、本来はパソコンで
鳴らすための道具だと気付きました。その頃にはWindowsが何者であるかある程度
理解していたので、試しにPCのSound Blaster(懐かしい)とMIDIとのI/Fケーブル
だけ購入し、ネットで拾ってきたMIDIデータを鳴らしているうちに、ならば自分で
データの作成もやってみようかとミュージ郎のハチプロ(SC-88pro)セットを購入
したことで、ようやく本格導入に至りました。その頃はバンド低迷期というのもあり、
孤独な陰気な作業に向いていました。
当初はバンドスコアを参考にビートルズの曲を打ち込んでみたりしたものの、MIDI
でギター・ボーカル中心の曲をやるのはかなりしょぼい(通信カラオケ状態)ことと、
譜面通りに入力して機械にそのまま演奏させるということに何ら音楽的なものが伴わ
ないむなしさに気付きました。
次にやったのは、手っ取り早く耳コピーができるということで、車内放送のオルゴール
やJRの駅の発車メロディなどをネタにしました。そのようなMIDIデータばかりを
集めたサイトは既にいくつかあったのですが、間違いが非常に多かったのも自前で
始めたきっかけです。1曲1時間もあれば、耳コピーとデータの作成ができてしまう
ので、これはたくさん量産しました。録音可能なMDプレーヤーとマイクも、バンド
の録音ではなくて、このネタを収集するために買ったようなものです。
最終的には、「どこかで聞いたような曲を、できるだけ耳コピーで作る」という
ことをポリシーにコツコツとデータ制作に励んでいましたが、JASRACのルール
が厳しくなり、MIDIデータをネット上に容易にアップできなくなったことが、
結局データ制作意欲をそぐこととなってしまいました。パソコン通信時代は、
ニ〇ティのMIDIフォーラムにアップし、DL数やコメントといった反応を楽しみ
にしていたものです。
データ容量が非常に小さいということがMIDIのかつての強みでしたが、そのうち
ブロードバンドが当たり前になり、圧縮技術も発達して、サウンドデータそのもの
を直接やりとりできるようになると、ますますMIDIが廃れていった感じがします。
いまだにMIDIが鳴るHPがあったりすると、ついつい「ウザい!」と思ってミュート
してしまうのも、以前とは隔世の感があります。
<2014年12月追記>
とある映画とそのサントラに入れ込んだことがきっかけとなって、細々ながらDTM
を再開しました。(結局そのサントラ全曲を耳コピーしました)
機材は相変わらずハチプロ(今では珍しくなったハード音源)とSinger Song Writer
との組み合わせです。
色々と高い志を持っていたのですが、結局のところは通信専用マシン(別名:
××画像収集マシン)に成り下がってしまいました(笑)
ただし、そのいくつかの崇高な志の中でも、「パソコンで音楽をやる」という
ことはけっこう長期間続けていましたので、ここに紹介しておきたいと思います。
パソコンに初めて触れたのは学校の情報処理の授業で、Windowsが登場する遥か
以前、OSという概念もよく分からなかった時代にPC8801でN88-BASICを習った
ことでした。パソコンに詳しいヤツから、パソコンの内臓音源で演奏ができると
聞き及び、コマンドを教えてもらい、課外の時間を駆使してPlease, please meを
丸一曲データ作成したのが、記念すべき打ち込み第一号でした。FM音源でリアル
とは程遠い音色で、最大同時発音数はわずか6?だったので、コーラス3パート
とベースの入力だけで限界でした。もっとも、和声重視の編成の曲ゆえ、初めて
ながらそれなりに聞きごたえがあるデータになったともいえます。
それから数年経ち社会人となり、不本意ながらも演歌バンドのキーボーディスト
として細々と音楽活動を続けてました。どちらかといえば色物担当で、効果音の
リクエストが多く、追加の音源としてRolandのSC-33を導入しました。だいぶ後
になって、この音源は名機といわれるSC-55の廉価版であり、本来はパソコンで
鳴らすための道具だと気付きました。その頃にはWindowsが何者であるかある程度
理解していたので、試しにPCのSound Blaster(懐かしい)とMIDIとのI/Fケーブル
だけ購入し、ネットで拾ってきたMIDIデータを鳴らしているうちに、ならば自分で
データの作成もやってみようかとミュージ郎のハチプロ(SC-88pro)セットを購入
したことで、ようやく本格導入に至りました。その頃はバンド低迷期というのもあり、
孤独な陰気な作業に向いていました。
当初はバンドスコアを参考にビートルズの曲を打ち込んでみたりしたものの、MIDI
でギター・ボーカル中心の曲をやるのはかなりしょぼい(通信カラオケ状態)ことと、
譜面通りに入力して機械にそのまま演奏させるということに何ら音楽的なものが伴わ
ないむなしさに気付きました。
次にやったのは、手っ取り早く耳コピーができるということで、車内放送のオルゴール
やJRの駅の発車メロディなどをネタにしました。そのようなMIDIデータばかりを
集めたサイトは既にいくつかあったのですが、間違いが非常に多かったのも自前で
始めたきっかけです。1曲1時間もあれば、耳コピーとデータの作成ができてしまう
ので、これはたくさん量産しました。録音可能なMDプレーヤーとマイクも、バンド
の録音ではなくて、このネタを収集するために買ったようなものです。
最終的には、「どこかで聞いたような曲を、できるだけ耳コピーで作る」という
ことをポリシーにコツコツとデータ制作に励んでいましたが、JASRACのルール
が厳しくなり、MIDIデータをネット上に容易にアップできなくなったことが、
結局データ制作意欲をそぐこととなってしまいました。パソコン通信時代は、
ニ〇ティのMIDIフォーラムにアップし、DL数やコメントといった反応を楽しみ
にしていたものです。
データ容量が非常に小さいということがMIDIのかつての強みでしたが、そのうち
ブロードバンドが当たり前になり、圧縮技術も発達して、サウンドデータそのもの
を直接やりとりできるようになると、ますますMIDIが廃れていった感じがします。
いまだにMIDIが鳴るHPがあったりすると、ついつい「ウザい!」と思ってミュート
してしまうのも、以前とは隔世の感があります。
<2014年12月追記>
とある映画とそのサントラに入れ込んだことがきっかけとなって、細々ながらDTM
を再開しました。(結局そのサントラ全曲を耳コピーしました)
機材は相変わらずハチプロ(今では珍しくなったハード音源)とSinger Song Writer
との組み合わせです。