(有)花沢不動産

趣味の話など

たけるんの青春デンデケデケデケ…2003年

2006-07-31 | 私のバンド歴

・メン募を通じて尚やん氏(Gt)、その知人でツチモト氏(Gt)と知り合い、「70年代
 バンド」をやろうということになり、私はBaでクラプトンやCCRの曲など数回セッ
 ションする。
 尚やん氏の仕事が多忙で、このバンドは形にはなりませんでしたが、彼ら、とく
 にツチモト氏との親交は現在も続いております。
・ビートルズバンドも紆余曲折を得て、尚やん氏をジョージ役として迎え入れ、
 再び「新開地ミュージックストリート」に出場。
 「新開地」に出るために、その都度メン募するというパターンがお決まりになり
 ました。ちなみに、この時はフルタイムで私がポール役、Jash氏がリンゴ役で
 した(笑) ツチモト氏や初めて同僚も見に来てくれて、張り合いがあるものでした。
・どうしても固定のバンドが欲しく、Drでもう1つビートルズバンドを掛け持ちする。
 実は以前、このバンドのBaの募集に応募し、両天秤にかけられて不採用となった
 のですが、その1年後にWith9でDrを募集していることを知り、またノコノコ応募
 したものです(笑)
 なお、そのバンドの正Baの座に収まっていたのは、マックリー花井氏でした。
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たけるんの青春デンデケデケデケ…2002年

2006-07-30 | 私のバンド歴

・紆余曲折を経て、ビートルズコピーバンドのメンバーが固まる。
・テープ審査を経て「新開地ミュージックストリート」に初めて出場。
 この時の私のパートはステージの前半がDr、後半がBa/Voという変則的
 なものでした。Jash氏とバンドを組むと、いつも「どっちがポール役をやる
 のか」でモメるのです(笑)
 演奏後、アーケードを歩いていたら、見知らぬおっさんから「アンタの歌
 良かったで」と声をかけられた時は、メチャクチャ嬉しかったです。(と
 同時に、実は「勝った…」と思ってしまいました。Jash氏スミマセン) 
・ちなみに、新開地の応募に際し、良いバンド名が思いつかなかったため、
 Jash氏の旧ユニット名である"The Blackbirds"を流用したところ、(元の
 メンバーへ遠慮からか?)とても嫌がられました。
・この後ニューヨークに長期出張となり、バンドは一時休止。
 今から思えば、もう少しNYを楽しんだらと思うのですが、当時はとても
 そのような気持ちの余裕はありませんでした。寂しさ紛れに、安いBaは
 買いましたが…
・帰国後、リッケンバッカー4001を購入。Cシリーズに移行する直前で、
 慌ててVシリーズを探し購入に踏み切りました。
・ポール来日。
 93年の来日時は見逃したこともあり、大阪ドームには2回とも行きました。
 それまでのセットリストにはなく、いきなり大阪で演奏された"Calico Skies"
 には驚かされましたが、実はコレ、Jash氏の大手柄なのです。ライブ盤
 "Back in the World"にもバッチリと証拠が… "For you!"
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たけるんの青春デンデケデケデケ…転勤:2001年

2006-07-29 | 私のバンド歴
・神戸に転勤となる。
 長い間異動希望を出していたのですが、都会でもう少し本格的にバンド
 活動をやりたいというのも、隠れた理由の1つでした(笑)
・GWの次の日曜日、自宅の近所で大規模な野外音楽イベントが行われ
 ているのを知り、来年は是非これに出てみようと心に誓う。
With9のメン募でJash氏と知り合う。
 彼はポール関連の超有名サイトを運営し、またDr/Ba/Kb/Gtと優れた
 マルチプレーヤーです。
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たけるんの青春デンデケデケデケ…そして低迷

2006-07-29 | 私のバンド歴
1997年~99年
・それまで間接部門に勤めていたのが、直接製品を扱う超多忙な部署に異動
 となり、ベンチャーズバンドは休止状態に。
・特に98年夏~99年春は、長期の海外出張が続いたこともあり、バンドから
 も最も遠ざかって、とてもつらい時期でした。(何しろ、「テポドン発射」
 や「不審船追跡」のニュースを短波ラジオだけで聞いて、「日本に帰れる
 のだろうか??」とビビった程です)
・海外出張先には鍵盤付きMIDI音源(SK-88pro)を持ち込み、細々と耳コピ
 &打ち込みに励む。ポールのBeautiful Nightを1ヶ月かけて完コピしました。
・同期の奥さんのピアノ講師主催の子供向けコンサート(第2回)に参加。
 このブログの名称でもある「(有)花沢不動産」というユニット名で、「サザエ
 さん」(Ba)と「ピンクパンサーのテーマ」(Gt)を弾く。

2000年
・結局ベンチャーズバンドへの参加は、高松~宇野を結ぶカーフェリーでの船上
 ライブが最後となる。
 ちょっとブランクがありましたが、最後にふさわしい良いライブとなりました。
・子供向けコンサートの第3回目に参加。
 L・アンダーソンの「タイプライター」で、パーカッションを担当し、チン♪と
 鳴らすベルが子供達に大ウケしました。タイプライターは市内のリサイクル
 ショップで3,000円で売っていたのを即確保(今にして思えば、他に使い道もない
 のに高いですけど)、ベルが意外に見つからなく、業務用の什器を扱っている店
 に結局は取り寄せてもらったと記憶します。レジで店員を呼び出すやつそのもの
 ですね。
 ラストはウイーンフィルのニューイヤーコンサートを真似て「ラデツキー行進曲」
 をやり、そのアレンジとDrを担当しました。
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たけるんの青春デンデケデケデケ…黄金期

2006-07-29 | 私のバンド歴
1994年~96年
・会社の軽音楽部のメンバーでは(もともとベンチャーズがそうかどうか
 は別にして)ロックバンドとして限界を感じていましたが、後に人づて
 に良いメンバーと巡り合い、ベンチャーズバンドの活動が軌道に乗り
 ました。
 軽音楽部でもそうでしたが、当時私だけが20代で、他はみんな40代
 以上という「おっさんげな」バンドでした。
・近所の飲み屋のマスターとメンバーの1人が古くからの知人で、定期
 的に演奏させてもらうことになる。
 会社のお客さんや同僚が、知らずにその店に来たときはメチャクチャ
 焦りました(笑)
・曲数を稼ぐために、当然譜面がない曲にも手を出さざるを得なく、この
 頃は最も耳コピー(しかも全パート)に励んでいました。実感として、
 ベンチャーズは耳コピーの初歩に最適な教材かと思います。
・軽音楽部では会社の敷地の一部を借りて練習場としており、定時後
 や休日はタダで練習し放題という恵まれた環境にありました。(アン
 プは自前になりましたが…)
 バンド活動と並行し、ベンチャーズの曲の宅録もそこで沢山こなして
 いました。
・バンド活動としては、この時が最も充実していましたが、内心では
 やはりビートルズのバンドをやりたいと思いつつ叶いませんでした。
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たけるんの青春デンデケデケデケ…就職編

2006-07-28 | 私のバンド歴

1992年
・就職で仙台から四国の田舎町に引っ越すことになる。かなりショック
 でした。
・バンド活動も絶望視していましたが、上司の紹介で会社の軽音楽部
 に入る。
 この軽音楽部の実態が、実は演歌+ハワイアンバンドであったことに
 驚く。
・軽音楽部では、既にパートが埋まっていたので、パーカッションをやら
 される。(まるでレコードデビュー時のリンゴ・スターみたいですね)
・マルチプレーヤーであったため、のちにパートの穴埋め要員として重宝
 される。最も需要があったのはKb担当としてでした。
・会社や地元の行事、赤の他人の結婚式(笑)、カラオケ愛好会(バンマス
 がカラオケの先生をやっていた)などなどで、不本意なジャンルおよび
 パートながら、ライブの数としては学生時代よりもこなしました。
 田舎は田舎なりにバンドの需要があるみたいです(笑)

1993年春~秋
・地元を舞台にした映画「青春デンデケデケデケ」を見て、大いに感動し、
 バンド活動を再開させようと奮起する。何とも単純な動機です。
 ちなみに、私のHNは、その主人公の名前「たけよし」が変化したもの
 です(笑)
・軽音楽部のステージの一部として、ベンチャーズの曲を演奏させて貰う。
 私のパートはなぜかLead Gtで、難曲と言われる「キャラバン」も何とか
 コピーしました。
・その年の夏、会社のグラウンドで行なわれた「納涼祭」では、初めて
 屋外で何百人ものお客さんの前で演奏し、出来はともかく、大変気持ち
 の良い演奏ができました。
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たけるんの青春デンデケデケデケ…学生編

2006-07-27 | 私のバンド歴
1989年春~秋
・同級生と初めてビートルズコピバンを結成。私のパートはSide Gt+ポールパート。
 学祭で初ライブをするもお約束で悲惨な演奏でした。土曜日の朝イチの出番で、
 客が殆どいなかったのが、良かったのか悪かったのか…
 このバンドはこの後ライブをすることもなく自然消滅しました。
・バイトで貯めたお金で、「フェルナンバッカー」(4003のコピーモデル)を購入。
 「ホワイトアルバム」の音を期待していたのですが、全くの見掛け倒しでした(笑)
・これに前後して、ヤマハの4trカセットMTRも購入。初ライブの失敗でバンド不信
 に陥ったこともあり、何でも自分でやらないと気が済まなくなり、宅録にはまる(笑)
 MTRの購入当初は、まだ楽器が揃ってなかったので、音楽の副読本を参考に
 リコーダーの多重録音を試みました(爆)

1990年春~秋
・ポール ソロ初来日。
 ロックコンサート自体が初体験で、客の平均年齢の高さにも驚きました(笑)
 お金がない学生だったため、周遊券だけで乗れる在来線の急行(しかも夜行)
 で東京まで往復しました。帰り、水道橋から脱出するのに手間取り、後で悲惨
 な事態に…
・ギタマガ誌に、ビートルズ・シネ・クラブのコピーバンド大会の告知があり、応募
 したところ、テープ審査を通ってしまう。
 実は当時バンドを組んでなく、デモテープはMTRで多重録音したものだったため、
 地区予選の本番はボロボロで、当然落ちました(笑)
 ちなみに応募曲は"For No One"で、Kb2人の編成では少々無理がありました。
・何もやらないよりはマシということで、学祭ではZiggyのコピバンでDrをやる。
 全く興味のないジャンルで、テンポの早い曲はしんどいばかりでした。

1991年初~秋
・最初のビートルズバンドのメンバーのつてで、あまり面識がなかった後輩から
 お声が掛かり、オリジナルバンドでBaを弾くことに。聞けば前任者が女性と駆け
 落ちして失踪したとか…
 ティーンズミュージックフェスティバルの予選に2回ぐらい出ました。(実は当時
 既に20才に達していました)
 後輩の作る曲やボーカルも素晴らしく、他のパートも上手い奴らばかりで、少々
 屈辱感(笑)と共に、初めてまともなバンドをやって充実感を得ました。
・最後の学祭は、そのオリジナルバンドでの演奏。
 但し前任のBaが復帰したのと、Lead Gtが他校の生徒だったため、私はLead Gt
 +Kbにシフト。Kbではホイットニー・ヒューストンの「すべてをあなたに」のピアノ
 伴奏なんかもやりました。
 多分このバンドが学生時代のベストだったと思います。
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たけるんの青春デンデケデケデケ…中学・高校編

2006-07-27 | 私のバンド歴
そういえば、バンド活動についても、このブログの重要なコンテンツの一つ
でしたが、今まであまり触れてきませんでした。(ネタがないもので)
例によって、備忘録代わりということで、私のバンド歴を紹介しておきたいと
思います。

1984年
 中学入学。何となく入った吹奏学部での経験が、後々役に立ったと思います。
 パートはトロンボーンでした。

1985年秋
 オーディオが趣味の友人宅に中島みゆきのLPをダビングさせてもらいにいった
 ところ、"Sgt. Pepper's"などもムリヤリ聞かされ、むしろそっちにハマる。
 特にサイケっぽい曲や、アレンジが面白いと思いました。

1986年秋
 受験生だというのに、親にねだってギターを買ってもらう。
 フォークギターとクラシックギターが選べたにも関わらず、ギターの種類が良く
 分からずにクラシックギターを選んで、コードが押さえられず、後で後悔する。

1987年春~夏
 高校進学。当時ビートルズのアルバムのCD化が進行中で、初めてのアルバイト 
 (某百貨店の配達)でCDプレーヤーを買う。
 ちなみに初めて買ったCDは輸入盤の"With the Beatles"と"For Sale"です。

1988年春~
・新車でスーパーカブを購入する(笑)
・にわかに自分の周囲でもバンドブームが始まる。
・別の高校に進学した近所の友達にストラトを借りたりして、「やはりエレキだっちゃ」
 と強く思う。ちなみに、その友達からは「エレキと呼ぶのはダサい」と言われる(笑)
・配達ののアルバイトで貯めたお金で、念願のエピフォン・カジノを購入!
 御茶ノ水の楽器屋さんから通販で買いました(笑)
 当然、年がら年中ジャカジャカとやって、親からはよく「ギターを弾くのは構わない
 が、家の中で歌うな」と怒られてました。
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バラナシにて

2006-07-25 | In India

仕事でですが、聖地バラナシに滞在しております。
有名なガンガー(ガンジス河)での沐浴はここで行なわれます。
精神的・宗教的にはともかく、物理的には水浴びはかえってエライことに
なりそうです。

なお、ジョージ・ハリソンの遺灰も、ここバラナシでガンジス河に撒かれた
そうです。

沐浴が行なわれる場所からは少し離れていますが、ガンジス河に架かる
立派な道路・鉄道併用橋です
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インドのお遍路さん

2006-07-22 | In India

ムンバイ出張の帰り道、会社の近所で見かけました。
1週間かけて約300km歩くそうです。
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