それで映画が出来たんですよ。出来たんですけど、大林さんから電話がかかってきて。
えっとね、やっぱり残るものだからって話。
オレは観ていいと思ったんですよ。
例えばあの、神社の階段でやる「ウォーク・ドント・ラン'64」(♪前奏から弾き始める)
(編注:神社のシーンは「ダイヤモンド・ヘッド」。「ウォーク・ドント・ラン'64」は空き地で煙に燻されるシーン)
オレはアマチュアっぽくていいなと思ったけど、大林監督は「いや、やっぱり映画なんで残るものだから」。
どうするのかと思ったら、ビクターのスタジオに呼ばれて、ヴィレッジシンガーズ(♪「バラ色の雲と~、思い出を抱いて~」と歌いだす)の小松久さん。
あの人ヴァン・ヘイレン(ハンク・マービンと勘違い)というシャドウズのギターに憧れてたの、ベンチャーズ系でないんですけど。
小松久さんとオレと、それとこの間まで「エド山口&東京ベンチャーズ」に在籍したドラムの太田さんという人と、もう1人ベースを雇って4人で、ナント、ビクターのスタジオで映画とその演奏シーンを流しながら、そこでボクらが弾くという。
で、久石譲さんが来てくださって。カツカツカツカツと(指揮とメトロノームのジェスチャーをして)カウント取るじゃないですか、そうするとやっぱり揺れてるんですよね。
アマチュアだから当然素人だから。それを直さないといけないって言うんで、全曲録り直しました。
で、小松さんはこれ(♪グリッサンド)苦手なんでシャドウズ系だから、ボクが全部これやりました(♪グリッサンド)。
ボクが弾いたのはメロディはジングルベルと橋幸夫さんの「チェッチェッチェッ」とか、三田明さんの「美しい十代」ぐらいかな。
あとはオレが全部リズムに回って、小松さんがリードを弾いてくれました。
それで一番困ったのは、大林監督に「下手にやって」。
えっ!? 下手にやるって、どうやってやったらいいんだろう。
例えばグリスも…(♪デンデケデケデケ…)こりゃ上手過ぎちゃうと言われて、しょうがないから(♪ところどころ途切れたグリッサンド)それじゃダメだ、下手過ぎるって言われて。
ドラムのほうもね、普通に叩くとね、手首を使うから、こうなるじゃないですか(♪慣れた感じでエイトビートを叩く)
これを下手に叩けっていうんで、どうやったら下手になるのかねぇっていったら、ここから叩けばいいじゃない?(♪手首を曲げずに、ぎこちなくリズムを叩く)ってやって。
文化祭があるわけですね、クリスマスが終わって、次の高校3年生、の文化祭。
そこで、「ジョニー・B・グッド」をやるんですけど、このときに監督が「もう上手くなってていいから」。
(笑)ムチャクチャ上手くなって、急に。(♪ロックンロールのバッキングを弾く)
急に上手くなっちゃって。そうそう、よく覚えてますよ。
オレは出たかったけど結局出れなかった。
だから映画を観てですね、みんな終わったらそのまま帰っちゃう人が多いんですけど、ビデオでもいいんですよ、もっとずーっとロールずっと見ててください。
最後の辺りに「音楽監修:エド山口」(編注:実際のクレジットは「演奏指導」)って名前が出てくるんですよ。
それを知っている人が多分、この「青春デンデケデケデケ」の話をしてくれって言ってきたんではないのかなと思うんですけど。
それで原作者の芦原すなおさんからもちろん本をいただいたんですけど、これが92年に上映されたじゃないですか。
本は91年ですよね。で、そのね、8年後。ボクは「エド山口&東京ベンチャーズ」で、2000年のことですわ。
1枚目のアルバム、全部で今12枚出てるんですけど。
これが最初のウチのバンドのアルバムです(と言いながら「激突!エレキ天国」のCDを見せる)。
ここに3曲目に入れてる曲があります。実はロッキングフォースメンのテーマ曲を作ったんですボクが。この映画をきっかけにして。
今でも現役でみんなアマチュアバンドやってる原さんのロッキングフォースメンに「ロッキングフォースメンのテーマ曲で、演ってください」って渡した曲を。
じゃあウチの2000年に出した最初のアルバムに入れようと思って、タイトルを変えました。
SUBWAYという、ま、地下鉄ですわ。サンドイッチ屋さんのタイトルで思いついたんですよね。
それ聴いてみます? ロッキングフォースメンのテーマ、ちょっと聴いてみて下さい。
(♪曲再生)
カッコよくないすか? カッコいいっしょ。
これウチのバンドの最初のアルバムに3曲目に入れたのが「ロッキングフォースメンのテーマ」。
これを2000年の7月に出したんですけど、その3年後に今度はオレが自叙伝を出すんです。
14才から24才まで、オレがギターを始めてベンチャーズから入っていって、冬樹と雄三とリズム&ブルースバンド組んで解散するまでの10年間を書いた自叙伝を出したんです。
帯に加山雄三さんの帯をいただいて、嬉しかったです。
加山さんのところのケネディハウスに行って「加山さんチョットお願いがあります、本書いたんですけど」
「帯か?」
「ハイ、帯です。あの、ギャラは?」
「バカヤローこの野郎、だったら500万よこせ」って言われたんですけど、何も取らない、タダで書いて下さったんです。この帯が嬉しくてね。
それを芦原すなおさんに渡したんです。
ちょうど同じ、芦原さんも(昭和)24年生まれですから。ほとんど変わんないんで。ワタシたちと同じ時代を生きてきたんで。
芦原さんは観音寺で香川で生きてベンチャーズに触れた、オレは東京で生まれてベンチャーズに触れた。
で、それを渡したら、芦原さんから「エドさん、東京の事情がよーく分かりました」。
やっぱり観音寺の事情で書いているから「東京ってそうだったんですね」って。
今でもテケテケつながりで(♪グリッサンド)、仲良くさせてもらっています。
青春デンデケデケデケ、ボクにとっても思い出の作品で、浅野忠信くんがこれで、主演じゃないんですけどね。
そうそう電話かかってきたな、週刊誌から。
「何ですか?」といったら、
「浅野さんに何かいいましたか?」
「いや、オレ記憶にないんですけど」
「浅野さんはこう言ってます。『役者やってく上で音楽はやめないほうがいいって、エドさんに言われた』」
なんかそうすると歩き方とか喋りのリズムとか全部にリズムに関わるから、絶対ギターやめない方がいいよって、言ったようなおぼろげな記憶があるんですけど、ボクは忘れていたんですけど、浅野くんは覚えてくれてたみたいですね。
ということで、浅野忠信くんがこの作品に出てたって知らない方も多いと思うので、今日は「青春デンデケデケデケ」のお話でございました。
(以上youtube動画からの文字起こし)
えっとね、やっぱり残るものだからって話。
オレは観ていいと思ったんですよ。
例えばあの、神社の階段でやる「ウォーク・ドント・ラン'64」(♪前奏から弾き始める)
(編注:神社のシーンは「ダイヤモンド・ヘッド」。「ウォーク・ドント・ラン'64」は空き地で煙に燻されるシーン)
オレはアマチュアっぽくていいなと思ったけど、大林監督は「いや、やっぱり映画なんで残るものだから」。
どうするのかと思ったら、ビクターのスタジオに呼ばれて、ヴィレッジシンガーズ(♪「バラ色の雲と~、思い出を抱いて~」と歌いだす)の小松久さん。
あの人ヴァン・ヘイレン(ハンク・マービンと勘違い)というシャドウズのギターに憧れてたの、ベンチャーズ系でないんですけど。
小松久さんとオレと、それとこの間まで「エド山口&東京ベンチャーズ」に在籍したドラムの太田さんという人と、もう1人ベースを雇って4人で、ナント、ビクターのスタジオで映画とその演奏シーンを流しながら、そこでボクらが弾くという。
で、久石譲さんが来てくださって。カツカツカツカツと(指揮とメトロノームのジェスチャーをして)カウント取るじゃないですか、そうするとやっぱり揺れてるんですよね。
アマチュアだから当然素人だから。それを直さないといけないって言うんで、全曲録り直しました。
で、小松さんはこれ(♪グリッサンド)苦手なんでシャドウズ系だから、ボクが全部これやりました(♪グリッサンド)。
ボクが弾いたのはメロディはジングルベルと橋幸夫さんの「チェッチェッチェッ」とか、三田明さんの「美しい十代」ぐらいかな。
あとはオレが全部リズムに回って、小松さんがリードを弾いてくれました。
それで一番困ったのは、大林監督に「下手にやって」。
えっ!? 下手にやるって、どうやってやったらいいんだろう。
例えばグリスも…(♪デンデケデケデケ…)こりゃ上手過ぎちゃうと言われて、しょうがないから(♪ところどころ途切れたグリッサンド)それじゃダメだ、下手過ぎるって言われて。
ドラムのほうもね、普通に叩くとね、手首を使うから、こうなるじゃないですか(♪慣れた感じでエイトビートを叩く)
これを下手に叩けっていうんで、どうやったら下手になるのかねぇっていったら、ここから叩けばいいじゃない?(♪手首を曲げずに、ぎこちなくリズムを叩く)ってやって。
文化祭があるわけですね、クリスマスが終わって、次の高校3年生、の文化祭。
そこで、「ジョニー・B・グッド」をやるんですけど、このときに監督が「もう上手くなってていいから」。
(笑)ムチャクチャ上手くなって、急に。(♪ロックンロールのバッキングを弾く)
急に上手くなっちゃって。そうそう、よく覚えてますよ。
オレは出たかったけど結局出れなかった。
だから映画を観てですね、みんな終わったらそのまま帰っちゃう人が多いんですけど、ビデオでもいいんですよ、もっとずーっとロールずっと見ててください。
最後の辺りに「音楽監修:エド山口」(編注:実際のクレジットは「演奏指導」)って名前が出てくるんですよ。
それを知っている人が多分、この「青春デンデケデケデケ」の話をしてくれって言ってきたんではないのかなと思うんですけど。
それで原作者の芦原すなおさんからもちろん本をいただいたんですけど、これが92年に上映されたじゃないですか。
本は91年ですよね。で、そのね、8年後。ボクは「エド山口&東京ベンチャーズ」で、2000年のことですわ。
1枚目のアルバム、全部で今12枚出てるんですけど。
これが最初のウチのバンドのアルバムです(と言いながら「激突!エレキ天国」のCDを見せる)。
ここに3曲目に入れてる曲があります。実はロッキングフォースメンのテーマ曲を作ったんですボクが。この映画をきっかけにして。
今でも現役でみんなアマチュアバンドやってる原さんのロッキングフォースメンに「ロッキングフォースメンのテーマ曲で、演ってください」って渡した曲を。
じゃあウチの2000年に出した最初のアルバムに入れようと思って、タイトルを変えました。
SUBWAYという、ま、地下鉄ですわ。サンドイッチ屋さんのタイトルで思いついたんですよね。
それ聴いてみます? ロッキングフォースメンのテーマ、ちょっと聴いてみて下さい。
(♪曲再生)
カッコよくないすか? カッコいいっしょ。
これウチのバンドの最初のアルバムに3曲目に入れたのが「ロッキングフォースメンのテーマ」。
これを2000年の7月に出したんですけど、その3年後に今度はオレが自叙伝を出すんです。
14才から24才まで、オレがギターを始めてベンチャーズから入っていって、冬樹と雄三とリズム&ブルースバンド組んで解散するまでの10年間を書いた自叙伝を出したんです。
帯に加山雄三さんの帯をいただいて、嬉しかったです。
加山さんのところのケネディハウスに行って「加山さんチョットお願いがあります、本書いたんですけど」
「帯か?」
「ハイ、帯です。あの、ギャラは?」
「バカヤローこの野郎、だったら500万よこせ」って言われたんですけど、何も取らない、タダで書いて下さったんです。この帯が嬉しくてね。
それを芦原すなおさんに渡したんです。
ちょうど同じ、芦原さんも(昭和)24年生まれですから。ほとんど変わんないんで。ワタシたちと同じ時代を生きてきたんで。
芦原さんは観音寺で香川で生きてベンチャーズに触れた、オレは東京で生まれてベンチャーズに触れた。
で、それを渡したら、芦原さんから「エドさん、東京の事情がよーく分かりました」。
やっぱり観音寺の事情で書いているから「東京ってそうだったんですね」って。
今でもテケテケつながりで(♪グリッサンド)、仲良くさせてもらっています。
青春デンデケデケデケ、ボクにとっても思い出の作品で、浅野忠信くんがこれで、主演じゃないんですけどね。
そうそう電話かかってきたな、週刊誌から。
「何ですか?」といったら、
「浅野さんに何かいいましたか?」
「いや、オレ記憶にないんですけど」
「浅野さんはこう言ってます。『役者やってく上で音楽はやめないほうがいいって、エドさんに言われた』」
なんかそうすると歩き方とか喋りのリズムとか全部にリズムに関わるから、絶対ギターやめない方がいいよって、言ったようなおぼろげな記憶があるんですけど、ボクは忘れていたんですけど、浅野くんは覚えてくれてたみたいですね。
ということで、浅野忠信くんがこの作品に出てたって知らない方も多いと思うので、今日は「青春デンデケデケデケ」のお話でございました。
(以上youtube動画からの文字起こし)