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読書日記

いろいろな本のレビュー

癲狂院日乗 車谷長吉 新書院

2024-10-12 08:46:58 | Weblog
 作家・車谷長吉は2014年(平成27年)69歳で亡くなったが、これは彼の日記である。癲狂院とは精神病院のことであるが、彼がそこに入院していたということではなく、強迫神経症のため通院しながら作家活動の日々を記したものだ。一読してこれほど赤裸々に自分の私生活と心情を吐露したものを見たことはない。これは彼の小説全般に通じるもので、その祖型がこの日記に凝縮されている。一方で彼の作家生活を支えたのは妻の順子である。順子とは詩人の高橋順子氏のことで、二人は平成5年10月17日に結婚した。長吉48歳、順子49歳であった。結婚前、長吉は絵手紙(はがき)を頻繁に順子に送っており、それが縁で結婚に至ったらしい。その手紙をまとめたものを読んだことがあるが、結構マメに文章も工夫して書いている。当時は順子氏の方が詩人として有名であったが、このマメさが彼女の心にヒットしたのであろう。

 日記では彼女のことを「順子ちゃん」と呼んで甘えたぶりを披露している。そして夜の夫婦生活のことも赤裸々に書いている。以前長吉が小説の題材に親戚縁者の負の歴史を取り上げたことが多くあった。その時母親は「書かんとってな」と懇願したにもかかわらず彼はそれを無視した。それで親戚との関係がぎくしゃくしてしまったことが幾度となくあった。順子氏も多分この件に関して書かないでと注意したと思われるが、長𠮷は聞き入れなかったのだろう。一事が万事、他者に対する厳しい批評・観察はそこかしこに現れる。編集者に対しては、「自分がいい原稿がとれさえすればそれでいいのだ」「これが編集者の本質だ」「編集者K氏が食道がんだと聞く。私は昔、この男に甚だしい侮蔑を受けた。まだ53歳でかわいそうにとも思うが『早く死ね』とも思う」等々。

 作家業については、「私は飽くまでアマチュアの書き手として書いて行きたい。プロの作家とは、編集者の注文に応じて原稿を書く人であり、アマチュアとは自分の内心の声にのみ従って書く人を言う。私は書きたい時に書きたいものだけを書く人でありたい」「平成7年私は『漂流物』(「文学界」平成7年2月号)で芥川賞に落選した。受賞したのは毒にも薬にもならない平凡な日常を書いたK氏のYという作品だった」など直球の連投である。自分の病気については、「強迫神経症の私は日に何度も手を洗わないではいられない。一日50回近くになるのではないだろうか」「強迫神経症になってから性欲が徐々に衰えてきた。これはドグマチン(抗鬱剤)の副作用であるという。云々」。また「胃痛、嘔吐あり」も頻繁に出てくる。 このように車谷長吉は狷介さと繊細さを併せ持つ稀有な作家だった。平成7年の芥川賞は逃したが、平成10年『赤目四十八滝心中未遂』で直木賞を受賞して面目を保った。

 ところで病気と闘いながらの日常だが、日記には会社勤めをしていたという記述がある。このような人物を雇う会社ってどうゆう会社なんだろうと思ったが、たまたま実家の書棚を整理していて見つけた『文学界』(平成17年4月号)の中の辻井喬の「世捨人ぶらない世捨人」にその解があった。その号は車谷の特集で、「愚か者のダンディズム」と銘打って玄侑宗久との対談と作品『灘の男』と辻井の文章が載っている。辻井喬は西武セゾングループの社長であった堤清二の作家としての筆名である。辻井によると、「新潮」の編集長が「文学的才能はあるんだが、なんとなくもう一つという感じでまだ作品を発表するまでにならない。関西から東京に戻ってきたところで、今困っているから、どこかアルバイト先はないだろうか」ということで車谷を連れてきたとのこと。そこでセゾングループの社史編集室の事務局で働くことになったらしい。直言居士だが「変わった男だが悪い奴じゃないという印象を持たれるようになりました」と評価している。

 辻井はその文章で、車谷の小説は私小説というべきものではないと言っている。題材を実体験から取っているが、社会的広がりや時代的な視野を持っているので、私小説という日本独特の心境小説とは一線を画しており、「彼の文章は、気持ちをきちんと書いてあって、実にいい文章です」と大いに評価している。私も車谷のフアンとしてうれしい限りだ。新潮文庫で代表作が読めるので、ぜひ一読されたい。

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