読書日記

いろいろな本のレビュー

怖い絵3 中野京子 朝日出版社

2010-06-27 10:31:39 | Weblog
 シリーズ第三弾。これで完結編と歌っているが、好評につき第四弾が刊行されるかも知れない。それほどに面白い企画だ。絵画はただその作品を見るのではなく画家とその時代についての知識がなければ面白みは半減するという著者の意見は正しい。ヨーロッパの絵画はキリスト教の文化の中で育ったものだから、この知識がなければ十分理解できないことは確かだ。このことは文学にについても同様だ。
 作品はそれだけで完結しており、そのものだけを鑑賞すればよいというのは文学でいうとニュークリティシズムの考え方である。以前はこの考え方も流行したが、今では廃れつつある。作家の人生と時代を考察することで作品は深く鑑賞できることはまちがいない。でもこの議論はあるレベル以上の作家についてあてはまるのであり、最近の軽い抒情オンリーのものは議論するに当たらない。ケータイ小説とかは論外だ。(読んだことはないが、読み気も起らない)
 ヨーロッパ文化の知識が絵画鑑賞に欠かせないという著者の博学ぶりは驚異的だが、今回も新しい知見を得ることができた。一つはガバネス(家庭教師)という言葉で、「かわいそうな先生」というタイトルの絵についての解説で紹介されている。昔のイギリスの若い女性が物思いにふけっている全身画だが、家庭教師先で、何か面白くないことがあったのだろう。女性は修道院に入るか、家庭教師(お手伝いさん的な要素も大きかったらしい)になるか、主婦になるかいずれかだったらしいが、仕事で苦悩する女性を描いているが、これらの知識がなければ確かになんで「かわいそうな先生」なのかよくわからない。
 二つ目は「カストラート」(去勢歌手)という言葉だ。イタリアの絵画のオペラ歌手とその友人たちを描いたものについての解説だ。当時美声を持続させるために男性歌手は去勢したのだそうだ。去勢してまで美声を維持させるという発想はまさに大陸的。中国の宦官を思い出した。このようなデモーニッシュなものが文化の核になっていることを思うとその文化の厚みに圧倒される。しっかり勉強してルーブルやオルセー美術館に行きたいものだ。

冬眠の謎を解く 近藤宣昭 岩波新書

2010-06-26 08:56:09 | Weblog
 哺乳類の中で冬眠するものと言えば、熊ややまねなどが知られているが、厳しい冬を乗り越える最適の方法と言える。本書はこの冬眠のメカニズムを解き明かしたもので、非常に興味深い。結論から言うと、冬眠を誘導するのは、体内の四種の蛋白質で、冬眠特異的蛋白質(略してHP)と名づけられるものであることが分かった。実験に使われたのはシマリスで、これの心臓を解剖実験しながら試行錯誤を繰り返し、心臓のカルシウムイオンの調節の実験から、体内の冬眠物質の存在を予見するところは、推理小説をよんでいるような面白さがあった。冬眠は長寿とかかわりがあって、ヒトの冬眠能力を周期的に高めることができれば、シマリスがそうであるように、病気を減らし細胞の若返りを促進し、若々しい長寿が可能だと著者は言う。曰く「夏には活発に活動し、秋に脂肪を蓄え、冬は蓄えた脂肪を燃焼させながらゆったりと暮らす、季節変化に同調した生活が重要なのである。特に冬の間はストレスやエネルギーの消耗は避けなければならない。このような生活の下で、ヒトにも存在が推測されるHP受容体を活性化できれば、シマリスとまではいかなくとも、冬眠能力を高め若さを保ちながら二、三倍の寿命を持つことぐらいはできるかもしれない」と。
 しかしヒトは飽食に浸り、昼夜も季節も区別なく活動し続ける生活を送っているため、自然の変化に合わせて体を最適な状態に調節する冬眠能力が失われつつある。すると体の疲弊にによる病気の発生と老化の傾向を助長することになる。自然に逆らって生きていくことの弊害はこの冬眠の研究で明らかになった。老子の言う「無為自然」の哲学が再認識できると思う。小賢しい人為(作為)は無為自然の道からみれば取るに足りないものなのだ。

喋る馬 バーナード・マラマッド スイッチ・パブリッシング

2010-06-19 13:54:32 | Weblog
 マラマッドはユダヤ系ロシア移民の子としてニューヨークのブルックリンに生まれ、大恐慌時代に青年期を過ごし、成人して教師をしながら小説を書き続け、1952年、アメリカ大リーグと聖杯伝説を組み合わせた長編『ナチュラル』でデビューし(これは後にハリウッド映画になった)、57年刊の、貧しい食品店経営主と流れ者の青年との交流を描く長編『アシスタント』と、58年刊の、戦後のアメリカを生きるユダヤ人を描きながらも大恐慌やホロコーストの影をしばしば感じさせる短編集『魔法の樽』で作家としての地位を確保し、その後も、1986年に没するまで執筆を続けた。本書は1950~1972年の発表された11篇の短編小説を柴田元幸氏の翻訳でまとめたもの。柴田氏は東大英文科の教授で小説家としても活躍している人物。推敲に推敲を重ねた原文を翻訳する困難をあとがきで吐露されているが、氏のおかげでニューヨークの下町の庶民の生活がリアルに伝わってくる。
 マラマッドの作品は1970年代には新潮文庫などで簡単に手に入ったが、近年すべて絶版になってしまい入手が困難だった。サリンジャーやアップダイクの作品はまだ店頭に並んでいるのとは対照的だ。今回こういう形で刊行されたことは大いなる喜びである。
 11篇の中で下町の庶民の雰囲気をもっとも感じさせて、いい気分にさせてくれるのは「夏の読書」である。高校中退の無職青年ジョージが近所の住人で駅の両替所で働いている中年独身男性のカタンザーラ氏(彼はニューヨークタイムスを読むインテリである)から夏の過ごし方を聞かれて、教養をつけるために100冊の本を読破すると豪語する。しかし、ある日カタンザーラ氏にどこまで読書は進んでいるか、何か読んだ本を挙げてご覧と言われ何も読んでいないジョージは何とか言いわけをしてその場を切り抜けるが、「ジョージ、私と同じことをするなよ」というカタンザーラ氏の言葉が家に帰っても耳に残った。その後カタンザーラ氏に会わないようにと最新の注意を払っていたが、ある日街の人から「君は100冊も読んだらしいな。すごいじゃないか」とほめられる。カランザーラ氏が噂をひろめた張本人だとジョージは合点して、秋のある晩、何年も行かなかった図書館に行き百冊の本を数え、机に座って読み始めたのだった。ここには本などほとんど読まない庶民の生活が点描され、しかし読むことが人生を切り開く糧になるというメッセージが込められている。人間の善意に対する賛美が込められたすがすがしい作品だ。

慶應幼稚舎 石井 至 幻冬舎新書

2010-06-12 10:51:19 | Weblog
 幼稚舎は幼稚園ではない。小学校のことだ。慶應大学の付属小学校である。この学校が日本で一番入学が困難な小学校と言われているらしい。本書はこの小学校の実態を詳しくレポートしたもの。日本には表向き階層というものはないが、裏に回るとそれを意識せざるを得ない現実がある。それはどういう局面に現れるかというと、衣服・車・家などの可視化できるものとそうでないものの二通りがある。衣服・車などは貧乏人でも金さえ出せば手に入るが、生活習慣・言葉遣いはそうではない。いくら金を積んでも急にはセレブの身のこなしができるわけではない。学歴も入試さえ通れば基本的には問題ないはずだが、入学後のクラブ・サークル活動などで、出自の差を痛感させられる場合があるという点で後者に含まれる。特に名門私立の場合がそうだ。なかでも慶應大学は上層階級のこどもが多くいると言われている。そういう人びとが自分の子どもを入学させたいのが「慶應幼稚舎」である。
 著者が明らかにしたこの学校の特徴は、入学試験にペーパー試験はなく「行動観察」やお絵かきなどの「制作」が中心。コネ入学は最大で定員の25%。初年度納付金は153万6480円(寄付金と塾債の購入は除く)。K組には慶應フアミリーの子、E組とI組にはサラリーマン家庭の子、O組には開業医の子を多く振り分ける。K組は伸び伸びと育て、O組はしっかり勉強させ、6年間同じ担任でクラス替えなし。給食はホテルニューオータニ運営のカフエテリアで。保護者の付き合いは意外に淡白。卒業後の弱点は「出世競争に弱い」こと。これらが見えない階層の実態なのだ。労働者の子どもはハナから入学できないことになっている。これで国を動かす人物が生まれるかということだが、どうだろうか。福沢諭吉の教えを忠実に守ることと、福沢のような人物が生まれることは同義ではない。金持ちのサロンと化せば、それは貴族だ。貴族は現代社会を動かせない。ここにこの学校のディレンマがある。「出世競争に弱い」のは当たり前だ。純粋培養が弱いことは生物学的に証明されている。貧賤から成りあがって権力を握り粗雑な政治をするのもどうかと思うが、世間知らずのお坊ちゃんが為政者になるのも最近の我が国の例を見れば、ダメということがよくわかる。エリートを育てることは難しいのだ。

更に尽くせ一杯の酒 後藤秋正 研文出版

2010-06-12 09:34:48 | Weblog
 副題は「中国古典詩拾遺」。後藤氏は中国文学研究家で、本書は漢詩の小論と言うべきもの。漢語の典拠に関するものが多い。表題は王維の「元二の安西に使いするを送る」(七言絶句)の転句の「君に勧む更に尽くせ一杯の酒」の下部で、別離に際して酒を酌み交わす習慣がいつ頃から始まったのかということを調べあげている。それによると『文選』所収の李陵の「蘇武に与う」三首のその二に淵源があり、唐代に盛んに詠われたことを説いている。全体に資料を渉猟し的確に説明されており誠に読みやすく参考になる知見が随所に見られ、俗界を離れた別天地に逍遥する気分を体験させてくれる。資料批判とその扱いが実証主義的というか中国古典研究者的というか、誠に手堅い。
 その手堅さが特に発揮されたのが、『唱歌「箱根八里」の歌詞と漢詩文』という論考である。「箱根八里」の歌詞が唐の白居易の「初入太行路」を元に作られており、白居易の影は遠く明治のの御世にまで及んでいることが分かるという林望氏の指摘に対して、むしろ李白の「蜀道難」の方だろうと多くの漢詩を例に上げて反論している。林氏と言えば、人気の随筆家・研究者で自信家だ。一読してプライドの高さを感じる。ある時テレビで自分の出自は江戸の御家人だと豪語していた。ぽっと出の田舎ぺじゃござんせんという感じで嫌味なオーラが出っぱなしだった。したがってこの後藤氏の文は林氏の高慢な鼻をへし折ったという意味で胸のすく一編と言える。この後藤氏、実は私の同学の先輩で、私が学部生のころ大学院生だったと記憶する。本書で述べている通り御殿場生まれで、素朴な人柄は当時から異彩を放っていた。ある夜、宴会帰りに東海道線の東京から熱海経由で御殿場を目指したが、起きたら浜松だった。あわてて新幹線で熱海に向かったが、寝過ごして目が覚めたら東京だった。それからまた熱海目指してというように夜通し電車に乗っていたという話を面白おかしく控室で話していた。林氏と対極の後藤氏の人となりを懐かしく思い出した次第。

トレイシー  中田整一 講談社

2010-06-06 15:02:39 | Weblog
 トレイシーとは太平洋戦争時、カリフオルニアにあった日本兵捕虜秘密尋問所の暗号名のこと。アメリカははやくから敵国日本の状況を徹底的に調べ、戦争の勝利を目指していた。ルース・ベネディクトの『菊と刀』はその成果で、日本人とは何かを研究していたのだ。本書にも出てくるが、海軍日本語学校で才能のある学生を集めて日本語・日本文学の研究をさせて、併せて通訳の養成も行った。このような国と戦争したこと自体、無謀と言うしかないが当時アメリカの国力を正確に把握する力も日本にはなかったのだろう。
 この尋問所は日本兵捕虜を丁重に扱い、心を開かせることで日本の軍事機密を聞き出そうという意図で開設された。当時日本の軍隊は「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が幅を利かせており、捕虜になるなら自決しろが普通だった。したがって日本兵捕虜の心は日本に顔向けできないという慙愧の念に支配されており、その心情を解きほぐすのが最初の仕事だった。流暢な日本語で日々丁重に扱われて、日本兵はその重い口を開いて行き、零戦の性能、戦艦大和の構造、軍需工場の内部、暗号の詳細などの重要機密をどんどんしゃべったのである。捕虜たちは捕まって殺されるという恐怖があったが、そういうこととは無縁のアメリカ軍の対応に驚きを感じ、感動したのだ。最強の日本兵がかくも簡単に口を割ってしまう。ここに日本の軍隊の限界があった。人権というものをはなから排除した集団の末路は哀れである。逆に敵に利する行為を唯々諾々と行ってしまうのだから。この日本兵捕虜の卑屈さはシベリア抑留の中でも顕著だった。率先してソ連の赤化教育に迎合して、民主化の洗脳を受け、戦後の日本の思想潮流に大きな影響を与えた。ソ連も喜んだことだろう。
 太平洋戦争はまさに文化と文化の戦いで、その結末は戦争前からわかっていたということは、先の大戦で犠牲になった人びとにどう説明するのか。日本の為政者はかくも無能だったのだ。合掌。

親鸞 五木寛之 講談社

2010-06-06 14:07:46 | Weblog
 仏教に造詣の深い五木寛之の親鸞伝。少年から青年時代、親鸞と名乗るまでを描く。親鸞は少年時代から比叡山延暦寺で修業し、後に法然の影響を受け、浄土真宗を開く。他力本願、悪人正機説、肉食妻帯など、旧来の仏教とは違うアプローチで民衆の支持を得た。今も門徒の勢力は大きい。鎌倉時代はこのように新仏教の流派が沢山生まれた時代である。悟りを開くための方法論が多く試された。女人禁制で難行苦行を重ねて、悟りが開けるかという本質的な問いかけに対する著者の答えが、この小説だ。「青春の門」の鎌倉篇という感じで、大変読みやすい。南無阿弥陀仏と唱えることで、極楽浄土というわかりやすい教えをそのまま小説にしたものと思う。見事な作為である。
 聖職者が肉欲にどう対処するか、これは大きな問題だが、このテーマに対する思索がこの小説を生んだと言えよう。青年親鸞の女人に対するあこがれと欲望、それを旧仏教の教えによってストイックに回避しようとするけなげさに読者は共感を覚えるに違いない。女人禁制は宗教者であることの絶対条件なのか。この二律背反を止揚する者はということで探したところに法然が、親鸞がいたのである。妻帯しても悟りは開けるというのは、旧仏教の思想からは生まれにくい。まさに目から鱗の考え方である。仏典の研究、厳しい修行などは悟りにいたる手段だが、それが自己目的化すると逆に仏との縁が薄れることもある。そのアンチ・テ―ゼとして新仏教が登場した。仏の縁は向こうからやって来るのであって、こちらの都合で来るのではない。これが他力本願の意味だ。それが来るまで南無阿弥陀仏と唱えるのみなのだ。次は日蓮を書いてもらいたい。