読書日記

いろいろな本のレビュー

天誅と新選組 野口武彦 新潮新書

2009-01-31 09:41:13 | Weblog

天誅と新選組 野口武彦 新潮新書



 幕末文久年間(1861~1863)の尊王派と佐幕派の対立の中で繰り広げられた、暗殺・闇討ち等のテロを取り上げ、それが幕府の威信をどんどん低下させていくさまを描いている。文久年間の政局をリードしたのは公武合体論で、京都朝廷と江戸幕府が協調して内外の難局に当たろうという政治構想である。今まで軽視されてきた天皇の存在が急に浮上してきた時代とも言える。この時代のテロは刀で行われたためにその凄惨さは見るに忍びないものがある。鉄砲の時代を迎える直前の最後の剣術の花道だった。江戸幕府成立後は剣は哲学になったといっても過言ではない。世の中が平和になったので、道場剣術が真っ盛りの時代であった。これが幕末のテロにより、剣は再び実戦として復活したのである。新撰組を初めとして剣戟ものは小説の題材となり、今も人気が高いが、天誅の言葉とともに繰り返される殺人は市民の魂胆を寒からしめるもので、乾いた抒情の社会を現出させた。
 このような暴力が日常化する国家は滅亡するしかない。テロによってゆすぶられた江戸幕府は当然のごとく瓦解した。野口氏曰く、「古来どの国でも、テロリストが単独で政治権力を奪取した例は無い。テロそれ自体は決して政権を打倒できない。しかし国家の威信は低下させられ、反テロ政策に奔走することで国家の体力をいちじるしく消耗させられる。例えば現代のアメリカに起きていることがその生きた実例だろう。テロは国家を疲れさせるのである。」と。
 歴史は現代を写す鏡。世界各地のテロの様子を見るにつけ、益々この感を深くする。人間は歴史に学ばねばならない。しかし学ぼうとしない。テロ(その最大のものは戦争だが)は許してはならない。殺し合いはもうごめんだ。
 

明治のお嬢さま 黒岩比佐子 角川選書

2009-01-26 22:43:58 | Weblog

明治のお嬢さま 黒岩比佐子 角川選書



 深窓の令嬢というが、この明治のお嬢さまはまさにこれを指すと言っていいだろう。このお嬢さまが通ったのが、華族女学校で後に学習院女学部と名前が変わる。こちらでは卒業アルバムに写真が載らないことが自慢だった。すなわち在学中に結婚相手が決まり退学するのがセレブの証明だったわけだ。学歴をつけてキャリアウーマンとしてバリバリ仕事というのではないのだ。女の幸せは結婚と考えられていたのである。さらに身分が高いほど束縛され、結婚相手も家格の釣り合いで決められてしまう。そのお嬢さまが頼れる武器は「美貌」。誠にわかり易い話である。
 現代でも、美貌のキャリアウーマンが30代半ばになって結婚願望にとりつかれ、やたらお見合いパーティーに参加する様がテレビで取り上げられている。基本的に明治のお嬢さまと変わっていない。美貌と知性を売りにしているという点で。
 明治の華族は維新の功臣が多かったが、彼らは妾を持っていた。妾は花柳界出身の美貌の持ち主が多かった。その子どもは正妻の子として扱われ、他の華族へ嫁入りする。高貴の再生産というわけだ。高貴の中の美貌はこうして営々と続くのである。この流れを見ると、人間すべて成りあがりと相対化する視点が生まれ、庶民にとっては溜飲の下がる思いである。世の中所詮こんなもんだ。
 

トンデモ中国 真実は路地裏にあり 宮崎正弘 阪急コミュニケーションズ

2009-01-24 10:27:35 | Weblog
 著者は中国ウオッチャーとして中国全三十三省を踏破した経験があり、本書はその経験を生かした中国全土の見聞録だ。中味は、本多勝一の「中国の旅」の逆バージョンで「反中国の旅」という感じ。かつて本多勝一がルポした「平頂山事件」「南京事件」はセンセーションを巻き起こしたが、内容が中国の主張を鵜呑みにしたものだったため、本田は右翼に命を狙われ、地下に潜伏せざるを得なくなったのは有名な話である。今回、著者はその記念館を訪れ短いレポートをしている。以下、引用してみる。
 偽史観展示の圧巻は撫順の南郊外にある「平頂山惨案記念館」だ。これは「平頂山をゲリラの拠点と誤認した日本軍が住民を三千人虐殺した」と中国側が称する「残酷事件」を記念する博物館だ。ところが展示品は「犠牲者の骨」のみである。誰の骨か、何時の骨か、科学的な説明は一切無い。四川省大地震で生き埋めとなった行方不明が数万人。それが数十年して白骨で発見されて、「日本人が戦争中に虐殺した」と言い出しかねない。せめてDNA鑑定をやれば真相は明らかになるだろうに。「科学」と[客観」を無視したプロパガンダ記念館が中国全土に207個所あるが、こういう無神経な展示を続行して「愛国」と言い張る中国に日本企業が嫌気をさすのは当然である。云々
 南京大虐殺の記念館を訪れたときの様子は以下の通り
 入り口の階段を上がると例の「300000」という根拠のない数字の巨大石壁が記念碑となっている。館内の敷地は広く、贅沢な中庭と裏庭まで設えてあるが、「過去を忘れないことが今後の模範となり、歴史を反省することが未来を切り開く」などとする意味不明の標語が壁面に大書されている。(中略)奇妙にも、この町外れの記念館をわざわざ訪れるのは日本の高校生の修学旅行、何とか団体とか日本のグループの参観が突出している。中国に物見遊山に来たはずなのに「反省」も強要ツアー客だ。加えて最近、韓国からの団体が急増しており、残虐なパネルや蝋人形を見学した直後は、「声なし」の空白状況である。ミニ中華思想の韓国ゆえマインド・コントロールを受けやすい瞬間だ。ところが展示室を出たところは中国ではどこでも同じ土産コーナー。たちまち感傷を吹き飛ばされる。にやにや笑う中国人が揉み手して「掛け軸はいかが、社長!」「この壷安い。もっとまけるよ」展示と現実の乖離。これぞ中国の真骨頂だろう。
 揉み手したのかどうかは少し怪しいが、このシニカルな調子は全編の基調になっており、私が中国で感じた感覚とほぼ同じものが追体験できる。江沢民がやった「反日」と「愛国」の施策は、このような記念館の乱立をもたらしたが、市民はそんなこと知っちゃいねえよ、金儲けが大事だ。共産党がどうしたと言うんだい。という感じだろう。タイトルの「真実は路地裏にあり」というのはこのことだ。
 中国共産党は日本軍に勝利して、中華人民共和国を建国したが、日中戦争は国民党と日本軍が戦ったのであって、共産党はどう関わったかという研究は案外少ない。南京事件も国民党の司令官唐生智が敵前逃亡したために被害が大きくなった。国共合作で日本軍と戦っていた共産軍がどれぐらい国民党に協力したのかは不明だ。そこら辺は国民党側の資料で研究するしかないと思うが、台湾の方でやるべきだと考える。
 

白川静 松岡正剛 平凡社新書

2009-01-17 10:21:56 | Weblog

白川静 松岡正剛 平凡社新書



 一国の総理が漢字が読めない無学ぶりをさらけ出したが、本書は漢字の碩学、白川静氏の学問・思想・生涯をわかりやすく解説したもの。白川氏は長く専門の研究に没頭して、一般読者向けの著作は1970年60歳のときに発表した岩波新書の「漢字」がはじめてであった。その後は怒涛のように一般読者向けの著作を発表された。
 漢字の解説書としては後漢の許慎の「説文解字」が有名だが、漢字の先祖とされる甲骨文字を視野に入れていないというか入れることができなかった。なぜなら甲骨文字は百年前に発見されたばかりだからである。白川氏は甲骨文字の研究から入った人であるから、許慎の説明に疑義を挟む視点を持つことができた数少ない学者である。その成果は「説文新義」に表れているが、一般向きではないのが残念だ。
 白川氏のリゴリスティックなまでの研究者としての姿勢は、この国の政治家の俗物ぶりを見るにつけ、感動せざるを得ない。清貧に甘んずるとはこのことかと悟った。白川氏の漢字研究の特徴は、漢字が呪術性を持つと言うことを解明された点で、古代の社会のありようが、これによってかなり解明された。古代の王にとって漢字は権威の象徴であったのだ。それが時代を経て、民衆を抑圧する象徴として迫害されだしたのは漢字にとって不幸なことだと白川氏は言う。中国の簡体字、日本の当用漢字、常用漢字等、できるだけ漢字を使わせないという施策に結果としてなっていることは白川氏ならずとも誠に残念なことである。
 白川氏曰く、当用漢字の「当用」というのは、「当座」という意味ですよ。「まさに用ふべき」ではありません。それをなんと勘違いしたか、「まさに用ふべき」文字であるとして、義務教育の上でそれを義務づけて、間違いだらけの字を作って、変な略字を作って、説明のできないような変体の文字を作って、それを義務教育に押し付け、一般の報道機関もそれに倣った。私が新聞・雑誌に頼まれて原稿を書きましても、その通りには載せられないことがあるのです。(「桂東雑記Ⅲ」所収)この意見に私も同感だ。新聞で「拉致被害者」の「拉致」を「ら致」と書くような愚は改めるべきだ。そんな折、今日の新聞に常用漢字を191字増やすという記事が出ていた。その中に「拉」が入っていたので一安心したが、新聞の読者からも批判が寄せられたのであろう。漢字には意味があるのだ。それを大事にしないでどうする。子どもの負担を軽減するために漢字学習をいい加減にするということは、わが国の文化の衰退を招くと思う。

日本は財政危機ではない! 高橋洋一 講談社

2009-01-15 20:27:07 | Weblog

日本は財政危機ではない! 高橋洋一 講談社



 著者は元財務省官僚で、現在東洋大学教授。小泉首相の下で構造改革を進めた竹中平蔵氏のブレーンである。規制緩和が小泉政権の売りで、郵政民営化を断行したことで小泉首相は歴史に名を残すことになったが、麻生首相になってから改革のスピードはがくんと落ちた。本書はそれにたいする苛立ちが顕著に出ている。竹中氏と同じスタンスである。今改革を続行しないでどうするというのが基本で、財務省、日銀に対する強烈な批判が展開されている。麻生政権に対するルサンチマンだ。曰く、財務省は腐敗している。曰く、日銀総裁の白川氏は経済学がわかっていない等々。白川氏は京大大学院教授から総裁に就任した日銀マンで、彼をそのように批判できる高橋氏は一体何様なのだろうか。元内閣参事官まで行ったのに東洋大にしか拾われなかったという悔しさなのか?
 竹中氏や高橋氏はいわゆる「グローバル資本主義」(米国型金融資本主義)を日本に持ち込んで、アメリカ型の市場原理を普及させたが、今それが格差と貧困を生み出しているとして大いなる批判が沸き起こっている。アメリカ留学経験のあるエリートがアメリカかぶれになって帰国し、あらゆる経済活動を市場にゆだねることが、幸福な社会を作るという信念に基づいて、構造改革の旗振りをしたわけだ。
 しかし、この先駆者と言われた中谷巌氏(一橋大出身で竹中氏の先輩)は「週刊朝日」1月23日号で、あの「改革」が日本を不幸にしたと懺悔の告白をしている。今頃反省してどうするんだいと言いたいが、反省するだけまだ良心的と言える。竹中氏や高橋氏は依然として改革が中途半端だといきまいているが、彼らの手法は客観的に見て、功罪の「罪」の方が大きかったと思われる。ところがアンチ小泉の、麻生現政権も支持率20%を切って迷走している。この状況を見るにつけ、この国の行く末に大いなる危惧を覚える。折りしも本日1月15日発売の「週刊新潮」で麻生総理の刎頚の友、鴻池官房副長官が議員宿舎に既婚女性を宿泊させているというスクープが出た。この御仁68歳の由。政治家はほんとに元気だと感心した。閑話休題。多分麻生内閣はこの男によって引導を渡されることになるだろう。漫画しか読まない総理大臣に女漁りの官房副長官。日本の将来は暗い。政治家とはインテリジェンスの欠落した人間のことか。責任者出て来い!


「史記」と「漢書」 大木康 岩波書店

2009-01-10 17:50:53 | Weblog

「史記」と「漢書」 大木康 岩波書店



 中国の正史「二十四史」の中で、「史記」「漢書」「後漢書」は古くから特に「三史」と呼ばれ、重要視されている。正史には、前王朝の歴史書を編纂することによって、現王朝の正当性を保証する意味があった。歴史を記述するというのは中国に於いては、為政者の重要な仕事なのである。
 本書は「史記」と「漢書」を比較対照することによって、それぞれの編纂方法、歴史意識、後世の評価等について闡明しており、誠に参考になった。私は中華書局版の評点本(句読点のついたもの)を持っており、時々両書を読むことがあったが、どうも「漢書」の方が、読みにくい気がしていた。大木氏によれば、「漢書」は「史記」の文章をそのまま引いている部分が多いのだが、その中でも、「史記」の文章を四字句による定型性の強い文章に作り変えようとする傾向があることを例証されている。そして、中国文章史の上からみると、もともと字句にあまりこだわりのない先秦の散文(後世これを古文と称する)から、六朝に至って、四字と六字と文字数を整えた駢文(四六駢儷文)時代へと推移する。「漢書」の著者の班固の時代は、その推移の始まりの時代に当たっていた。「漢書」の定型性の追求は、そのような時代の傾向を背景にしているのであると。これで「漢書」の読みにくさの原因が分かった。四六駢儷文は美辞麗句に仕立てようとする意志があり、ともすると空疎な修辞技巧に陥りがちになる通弊が付きまとう。「漢書」もその例外ではないということなのだろう。
 中唐の文人韓愈は科挙の試験を通過して官僚になった人物だが、この時代はすでに門閥貴族の時代から、科挙官僚が影響力を持つ時代になりかけていた。しかし、官僚になったものの低い官位しかつけないものも多々おり、門閥貴族の力は依然として強かった。このとき、韓愈は古文復興運動を提唱した。それは、門閥貴族の時代、駢儷文の時代である六朝時代を飛び越して、それ以前の司馬遷の時代に戻ろうという運動だった。その古文の文体の重要なお手本が「史記」だった。やがて宋代に至り、門閥貴族が勢力を失い、科挙官僚の時代になると、韓愈は科挙官僚の先駆として持ち上げられ、その韓愈が評価した「史記」の地位が確立するのであると大木氏は言う。ところで、韓愈の古文復興は運動と呼ぶべきかどうか、実は議論がある。文学史はこぞって古文復興運動と記しているが、その実態を解明した研究はほとんど無いのが実情である。私が学生時代習った先生は、あれは運動ではないと断言しておられた。その辺もう一度はっきりさせてもらいたいものだ。
 要するに、韓愈が「史記」を持ち上げ、古文を主張したのは、貴族文学の駢儷文に対抗するためだったのである。彼の中では、門閥貴族ー駢儷文ー「漢書」という流れと、科挙官僚ー古文ー「史記」という対立の図式ができあがっていたのだ。このように、両書は後世の文人の立ち位置によって引用されるものだった。逆に言うと、それほど価値の高いものだったということだ。

イラク戦争のアメリカ ジョージ・パッカー みすず書房

2009-01-05 14:29:48 | Weblog

イラク戦争のアメリカ ジョージ・パッカー みすず書房



 新年あけましておめでとうございます。新年最初の本は、イラク戦争を徹底取材して、イラク戦争を理解するための必読書として名高いものである。今現在、イスラエル軍がガザ地区への爆撃のみならず地上戦を仕掛け、戦車で進入を図ろうとしている。国連はイスラエルに攻撃停止を勧告しているが、イスラエルにその気は無いようだ。とにかくアメリカがイスラエルに加担する限り、状況は好転しないだろう。
 イラク戦争はイラクからアメリカへ亡命した人々のフセイン打倒の願いとネオコンの人々とのコラボレイションによって起こされた。本書はカナン・マキヤという亡命イラク人とポール・ウオルフオウイッツやダグラス・フアイスなどのネオコンの交流を描き、イラク戦争にアメリカの世論を向けていく様子が詳細に記されている。ネオコンはユダヤ人であり、イスラエルよりのスタンスで中東情勢を見ているので、打倒フセイン政権という目的も、その線で見ていく必要がある。
 イラク戦争の大義は、大量破壊兵器の所持と国際テロリズムのつながりというものだったが、結局大量破壊兵器は見つからず、イラクのアルカイダとの繋がりも確証できなかった。9.11のテロに対する敵愾心がフセイン政権に向けられたことが、重要な開戦の契機になったと考えられる。
 アメリカはフセイン政権を打倒したが、その後の段取りについてほとんど何も体系的な処理策を講じていなかったことが本書に書かれている。これは著者にとっても痛恨の一事で、マキヤとの交流でフセイン打倒をともに願って開戦に賛成した者としての悔恨が文章ににじみ出ている。フセインは「戦争は通常の戦闘から暴動に発展するだろう」と予言したが、その言葉通り、スンニ派とシーア派の対立、クルド人とイラク人の対立、各部族間の対立等々、様々な要因が絡んで暴動が日常化してしまい、フセイン時代より治安が悪くなった。これは言ってみれば、フセインがしっかり鍵をかけていたパンドラの箱をアメリカが開けてしまったということであろう。連合暫定施設当局(CPA)が戦後立ち上げられたが、有効に働いておらず、暴動はとどまる気配はない。
 そもそもネオコンの主張は、独裁政権を倒して、民主主義を輸出するというものだが、アメリカ自体の民主主義がこれだけ深刻な衰退の兆候を見せている時に、説得力はない。またイスラム文化圏に民主主義を根付かせようというのもリアリティがない。「イスラムの法律はすべてムハンマドの時代から現在まで、民主主義を受け入れたことはありません」というイラク人の言葉がすべてを語っている。
 要するにこの戦争は何から何までいきあたりばったりのお粗末なものだったということである。アメリカのブッシュ大統領をはじめとする権力中枢のレベルの低さに微苦笑を禁じえない。また唯々諾々とアメリカのお先棒を担いだ日本の為政者のレベルの低さは、ましていわんやである。戦争は人間を殺戮するものだ、いわば最大の人権侵害である。個々の人間の死がどれだけ重いものか、為政者たるもの想像力を発揮して沈思しなければならない。普通の市民のありきたりの日常、ドラマティックな展開はなくとも日常の些事に喜び悲しみを刻み込む時間の流れ、これを小市民的幸福と言わずして何と言うべきか。これを暴力的に中断させることは断じて許してはならない。為政者たるもの肝に銘ずるべきである。