読書日記

いろいろな本のレビュー

イチロー・インタヴューズ 石田雄太 文春新書

2010-08-28 11:06:55 | Weblog
 イチローのこの十年間のインタビューを集めたもの。大リーグマリナーズで大活躍のイチロー。毎年200本安打を達成し、レギュラーは不動。松井よりも息が長い。これひとえに才能と努力の結果と言えるが、彼の言動を聞いているとまさに孤高の人という感じがする。このスタイルは陽気でオープンなチームメートとの間に多くの軋轢があることを予想させる。それでもこの十年間自分のスタイルを変えなかったということは自信があるのだろう。平凡な受け答えでもイチローが喋ると何かしら深遠な内容があるのかしらと思ってしまうところに彼の存在感がある。実は大したことは言っていないのだが。
 この修行者然とした若者が庶民からすると天文学的な年俸を取っていること、一体何に使おうとしているのか、カレーライスなら毎日食べてもそんなにお金はかからないだろうし云々、いろんな思いが駆け巡る。修行者と富は相反する属性の者だが、これを二つとも取りこんでいるところが彼の人気の秘密であろう。教育関係者はイチローの不断に努力する姿勢を学べ、コツコツと小さい努力を積み重ねれば成功するというようなニュアンスで生徒に檄を飛ばすことが多いが、まあこれも良し悪しだ。すべての子どもがイチローのような才能を持っているわけではないし、小さな努力は基本的に大きな成功につながるとは限らない。努力しなくても成功することはある。教育界はいわばリゴリズムの塊で、努力しないということは道徳的に許されないのだ。夏の甲子園を見て給へ。選手たちのすがすがしさが喧伝されて裏のドロドロしたものはカットされている。マスコミと高野蓮のおかげで我われは一日中、三~四試合も青春ドラマを満喫できるのである。選手諸君ありがとう。

黒い看護婦 森功 新潮社

2010-08-21 09:57:47 | Weblog
 副題は「福岡四人組保険金殺人事件」だ。前掲『腐った翼』の著者 森功の処女作で、結構面白い。2004年の刊行で、少し古い。「看護婦」という言葉がそれを物語る。最近は「看護士」だ。でもこの四人は皆女性だからこの方がよい。当時この事件は社会に大きな衝撃を与えた。人の命を預かる看護婦が殺人(二人)を犯したということと、それが自分の夫であったということである。最も大事にすべき身内に保険をかけて殺すというのは最近多いが、本書では主犯・吉田純子が他の三人を支配してこれを実行させた。そのプロセスが大変興味深い。彼女は口が達者で平気でうそをついて人をだますキャラクターとして描かれている。
 看護婦は白衣の天使と言われる(実際、天使大学という医療系の学校が札幌にある)が、天使が人殺しをするその落差が人びとの関心を呼んだ。その落差は本人たちの日常生活からするとそれほど重大ではなかったというところが本書は明らかにしている。仕事上の立場と丸裸の自分は本来落差があるものだが、なるべくそれを出すまいと心がけているのが普通の市民だ。ところが主犯の吉田純子は自分の本能のまま非常に主体的に生きている。金・男など俗世間にどっぷり浸ってそれなりに人生を謳歌している感じまで与えるのは、私など消極的な人生を歩んでいる人間からすると誠にうらやましい。吉田は死刑判決を受けたが、このようなタイプの人間は、犯罪を犯すかどうかは別にして、必ず存在する。したがって、性善説・性悪説では説明ができない。『ジキル博士とハイド氏』のように、善と悪が両方存在してどちらがより強く出るかの話になる。スタインベックの『エデンの東』もこの話題を扱っていたように思う。
 著者は「週刊新潮」編集次長から2003年にフリーのノンフイクションライターになった人物で、そう言えば、本書には「黒い報告書」という週刊新潮の人気記事を彷彿させるテイストがある。「週刊新潮」は揚げ足取りの冷笑主義でかつて人気が高かったが、最近は市民がシニシズムを実践しているので、記事自体がすっかり影が薄くなってしまった。これからはシニシズムに冒された市民を批判する方向に転換すべきかもしれない。

戦後論 伊東祐吏 平凡社

2010-08-19 21:46:32 | Weblog
 戦争責任問題を論じたものだが、中身は1997年刊行の『敗戦後論』(加藤典洋 講談社)をもとにしている。加藤は戦後、平和憲法が連合軍の武力を背景として押しつけられたことや、天皇が戦争責任を問われていないことなどを問題にしている。そして、そこにある問題を「ねじれ」と呼んでいる。「ねじれ」とは負けいくさがもたらす矛盾と言ってもよい。例えば、保守派は自主憲法制定を主張するものの、アメリカとの関係悪化を恐れて在日米軍の撤退にまでは至らない。一方、革新派は戦争放棄、平和主義の原則が自分の力で勝ち取ったものではないことにほうかむりしてきたというようなことである。この対立が最も顕著なのが、我われと死者の関係である。護憲派・平和主義者が弔うのは二千万人のアジアの「無辜の死者」であり、そこでは大日本帝国軍人三百万人の死者は「日陰の存在」となる。逆に保守派は靖国神社で三百万人の自国の死者を「英霊」として弔う。死者の弔いは「ねじれ」によってもたらされた問題である。それではどうするか。加藤は言う、「日本の三百万人の死者を悼むことを先に置いて、その哀悼を通じてアジアの二千万人の死者の哀悼、謝罪に至る」と。本書は加藤のこの言に対する批判の諸説を整理・分類したもので、大部分の労力ががこれに割かれている。この点では労作と言ってよい。それで著者の結論はと言うと、戦後思想は「補欠」の思想で、「当事者意識」に欠けるものだというものだ。人びとが飛びついたのは戦って負けたレギュラーのではなく、ベンチの「補欠」の言説だと言う。
 「当事者意識」の欠如に関しては,例えば、丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」を引いてインテリの限界を指摘している。丸山はこの論文で国家の無責任体制を批判したのだが、その本人が自分のことを棚に上げているという指摘である。これはなかなか鋭い分析であるが、そこまで言うのは酷な気もする。そしてレギュラーと補欠の関係だが、二者は決して対立軸ではない。両者一丸となって戦うのである。「補欠」は傍観者ではない。夏の甲子園を観れば明らかである。このあたりに不満が残った。

一週間 井上ひさし 新潮社

2010-08-11 13:39:07 | Weblog
 井上ひさしの遺作。シベリア抑留をテーマにしたもので、戦後補償を受けられぬシベリア抑留者に対するレクイエムになっているが、書いた本人がガンで亡くなってしまったことは返す返すも残念だ。昭和21年早春、満州の黒河で極東赤軍の捕虜になった小松修吉は、ハバロフスクの捕虜収容所に移送される。その後日本兵の捕虜向けに発行された日本新聞の編集所に派遣される。そこで脱走に失敗した元軍医・入江一郎の手記をまとめるように命じられる。入江は破天荒な人間で、日本兵にはないキャラクターを与えられている。小松は入江から若き日のレーニンの手紙を手に入れる。その手紙とは友人に宛てたもので、レーニンは自分の出自に関して、父はカムイルクという少数民族の出身で、母方にはユダヤ人やドイツ人の血が流れているということ。さらに少数民族の幸せをいつも念頭に置いて政治闘争を行なう活動家になることを誓うというものである。ソビエト共産党の指導者がこれではちと都合が悪かろうということで、赤軍幹部はこの手紙を取り返そうとあの手この手で入江を脅す。テンやワンやの一週間が過ぎて行くという構成だ。
 この中で井上は関東軍の幹部がスターリンに捕虜の強制労働を是認する文書を送ったことや、ソ連の捕虜に対する民主化運動の推進、すなわち民主化したものから帰国させるという方針が日本兵の疑心暗鬼を生みお互い足の引っ張り合いをして人間性を喪っていったこと。さらに軍幹部が国際的な捕虜条約を兵士に教育していなかったため、日本軍は死の軍隊になっていたことなどを批判的に織り込みながらユーモアで味付けした、読んで面白い小説に仕上げている。欧米では勝率50%を切る作戦は実行に移さないらしいが、日本軍は玉砕という勝率0%の作戦を平然とやってのけた。人命軽視の軍隊だった.この思想が敵軍捕虜に対する残虐行為となったことは痛恨の極みである。この井上氏の遺作がシベリア抑留者に対する理解の一助になればと願うものである。

黒船前夜  渡辺京二  洋泉社

2010-08-09 16:13:01 | Weblog
 渡辺氏には『逝きし世の面影』というベストセラーがあるが、本書はその前の17世紀のロシア・アイヌ・日本の三国志である。ロシアはカムチャッカ半島から千島(クリル)諸島などで、日本の様子を窺いながら領土確保を期して、先住民のアイヌとの戦いを繰り広げていた。その頃のロシア人の所行はまだ山賊同然のものであり、アイヌをてなづけるどころか、却って仇敵に追いやるような蛮行を次々と重ねていたという。江戸幕府は松前藩を作って蝦夷開拓の契機にすべくアイヌ統治に全力を傾けてたが、とにかく辺境地のこととて本州のようには行かない。間宮林蔵に探検させていたくらいだから、地勢調査は緒に就いたばかりだ。したがって松前藩には石高がない。コメができないからである。このロシアとアイヌと日本のせめぎ合いの様子が克明に記されている。
 ロシアは日本との交流を図るため、オホーツク海域で捕まえた日本人をペテルブルクに送り、アカデミー付属日本語学校の教師にしてロシア人に日本語を学ばせた。しかるに日本は厳しい鎖国政策のもとロシアとの交易についてもノーの態度をとり続けていた。レザノフはこのおかげで一年もの間、長崎港で滞在を余儀なくされた。渡辺氏は言う、日本はこの時幕府主導の開国というもう一つの近代化の可能性を喪ったのだったと。また日本に幽閉されたゴローヴニンが再びロシアに送り返されるプロセスを観ても誠にまどろっこしい限りで、世界の中の国家という意味ではその体をなしていないことが分かる。鎖国によって300年の平和を享受した日本は独特の江戸文化発展させたという評価もあるが、世界の時流に乗り遅れるという弊害も大きかった。昨今の日本の外交の無能ぶりを観るにつけ諸外国と真剣勝負で渡り合う体験が文化として根付かなかったのが多いに悔やまれる。民主党政権は言ってみれば黒船によって長い鎖国から解かれた直後の幕府みたいなものだ。これでは外交は無理だ。最後に著者は言う、アイヌには国家形成の能力がなかったのではなく、その意思がなかったのであると。自然条件が厳しい北辺の地では部族を超えた共同体は確かに作りにくいであろう。
結果的にアイヌは日本の支配下に置かれて同化を余儀なくされたが、本書を読むとアイヌを日本人というくくり方で表すのは無理な気がする。

天地明察 冲方丁 角川書店

2010-08-09 14:38:37 | Weblog
 この作品はは貞享元年(1684年)に宣明暦を廃止して翌年から行われた貞享暦を作った渋川晴海の伝記小説である。晴海は元・明の授時暦を参考にしてこの暦を完成させたのだが、彼は本名を安井算哲と言い、彼の父は将軍様の前で〝御城碁〟を打つ碁打ち衆として登城を許された四家、安井、本因坊、林、井上の一つであった。晴海は十三歳の時死んだ父の名を丸ごと継いだ。碁の才能はばかりか暦を作るために必要な天文観測の才能も併せ持ち、理数系の優れた人材だったようだ。彼が二十年かかって大和暦を完成させるまでの半生記で、2010年本屋大賞第一位、第31回吉川英治文学新人賞、第7回北東文芸賞受賞の栄誉に浴した本年の話題作である。
 時代は徳川三第将軍家光の江戸で、家光の弟の保科正之や和算の関孝和、山崎闇斎、山鹿素行などさまざまな人間が登場して話を盛り上げるが、いまいち小説としてしての面白みがないように感じた。この時代の暦を作る苦労・困難をわかりやすく描いているが、それが日本史の概説書のような感じになってしまって、誰が主人公かよくわからない。江戸文化史の一断面を描いた啓蒙小説という感じだ。この小説が好評であったにも関わらず、直木賞をとれなかったのはその辺に理由があるのではないか。素材の面白みがすべてだったのだ。これがフロックであったか実力であったのかは次作で明らかになるだろう。

腐った翼 森功 幻冬舎

2010-08-06 11:06:43 | Weblog
 国策会社JALの栄光と没落までを描くドキュメント。おりしも本日のニュースに会社更生法の適用中のJALの幹部100人超がアメリカン航空に派遣されたとある。JALのDNAを入れ替えるのが目的かというコメントが付されているのが悲しい。歴代社長は旧運輸省事務次官が天下っており、政界官界との癒着は公然化されていた。私の学生時代に日本航空は女子学生の人気№1で、府会議員から国会議員というルートを使って入社を画策した者も結構いた。その親方日の丸的経営から抜け切れず、2010年1月に倒産した。本書の腰巻には「潰れて、当然。潰して当然。」という厳しいコピーが付いている。
 本書はJALのDNAである政界との癒着、隠蔽体質、高すぎる給料、頻発する運航トラブル、御家騒動に明け暮れる歴代の経営者たち等について綿密な取材を通しての詳細な報告となっている。中でも機長の給料が以前は3000万もあったと聞いて驚いた。現在でも2500万くらいらしい。多くの人命を預かるハイリスクの業務だとは思うが、これはちと高すぎないか。また退職者の年金も企業年金なども含めて非常に優遇されていて、先代の西松社長が退職者を回って年金引き下げをお願いして回る姿がテレビで放映されていた。その後京セラの稲森和夫が会長に就任し再建中だが、この人事は小沢一郎の後押しがあり、京セラが出資し経営破綻したPHS事業のウイルコムの処理問題との交換条件だったのではないかと言われている。すなわちウイルコムを支援機構に引き取らせ、公的資金を投入してもらう代わりに、JAL会長を承諾したのではないかということだ。タダでは火中の栗は拾わないだろう。アメーバ式経営で悪名高い稲森氏なら尚更だ。
 山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」は日航の組合活動に専心する社員が会社からたびたび遠隔地左遷という不当労働行為を受けながら頑張るという内容だったが、25年前の御巣鷹山事故で遺族の交渉を誠実に行う姿が印象的で、渡辺健の熱演で映画は大ヒットした。著者は、この事故が内部に溜まった腐敗を一掃するチャンスだったが、何一つ手は打たれなかったと言う。多くの人命が犠牲になったが、これを会社更生のきっかけにできなかったわけだ。社長が毎年夏に御巣鷹山に慰霊登山するのも大事だが、どうして事故が起こったのかという原因究明とその後の対策をもっとしっかりやるべきだった。その後の運航トラブルの多発を観るとそれがなおざりにされていたことがよくわかる。これでは犬死を強いられたのと同じだ。

原節子 貴田庄 朝日文庫

2010-08-02 16:01:36 | Weblog
 副題は「あるがままに生きて」。昭和の大女優の人となりが著者の温かい筆致で描かれている。原は横浜の生まれで、横浜高女二年の時、姉の光代の夫、熊谷久虎が映画監督であった縁で映画界入りした.理由は経済的なものと第一志望の横浜第一高女の入試に落ちたことが大きかった。因みに横浜高女は小説家の中島敦が勤めていたことがある。
 原は生来のグレタ・ガルボばりの美貌でたちまち人気女優になるが、小津安二郎監督の「東京物語」で未亡人の紀子を演じ、義父役の笠智衆とやり取りしたセリフは今も心にのこる。戦争未亡人の紀子を見事に演じ、健気な日本女性を永遠に人の心に刻印した。人気女優にもかかわらず驕り高ぶりとは無縁の生き方は誠に範とすべきもので、最近のヤワな女優とはレベルが違う。1960年ごろ、彼女が40歳の時の言葉が紹介されている。原曰く、私はおいしいものが食べたいとか、いい家に住みたいとか、いい着物を着たいと思わないのです。ですから損得でものをしゃべったり、行動したことは御座いません。自分を卑しくすると、後でさびしくなるのでそういうことは一切しないようにしています。映画でも私のやる役柄は狭く限られておりますが、この役がらを深く掘り下げていきたい云々と。
 誠にあっぱれな態度と言わねばならない。その後、彼女の言葉通り役柄の狭さが災いして出演の機会が減り、「愛情を与える人がいない」という悲しみをいだいたまま、映画界を去って半世紀になろうとしている。
 本書は朝日新聞の書評欄にイラストレーターの横尾忠則氏の「光と美と活力をくれた大輪の花」というタイトルで紹介された。私はこれを観て購入したが、本書はこれ以後4刷になったらしい。原節子は昭和の世にあるべき女性の姿を提示した。それ故に今でも多くの人に愛されるのである。不安定な希望のない時代であればこそ、人は普遍的なものに繋がろうとするのであろう。吉永小百合ではだめなんだなあ。