読書日記

いろいろな本のレビュー

「回天」に賭けた青春 上原光晴 光人社NF文庫

2018-11-13 08:31:04 | Weblog
 光人社NF文庫は太平洋戦争にまつわる兵士の実態を描いたものだが、毎月数点の新刊があり途絶えることがない。月刊誌『丸』のようなものだ。中には自分史的な個人出版のにおいのするものも過去には多かったが、元兵士が鬼籍にはいることが多くなって、第三者による記述が最近の流れである。でもこれだけの戦争雑誌・書物が出版されると言うことはそれなりの需要があるということなのだろう。プラモデル・写真集も多い。しかし、戦闘機や戦車は人殺しの道具だということを忘れるべきではない。
 回天は人間魚雷と言われるもので、頭部に1.5トンの爆薬を搭載し、敵艦に体当たりして撃沈させることを目的としたものだ。戦争末期、劣勢挽回のため余っている魚雷を何とか使えないかという海軍兵学校出の軍人が考え出したものだ。最初は生還の見込みのない自爆作戦を上層部は認めなかったが、神風特攻隊が組織される流れと連動して、実現を目指すことになった。その中心人物が兵学校出の黒木博司中尉と仁科関夫中尉である。彼らはこの戦争を本気で勝ち抜こうとする強い意志があった。平時であれば前途有為の人材として活躍したことであろうが、時代との巡り合わせが不幸であったというしかない。本書によれば、仁科中尉は大阪の中学校で秀才の誉れが高く、南北朝の歴史にゆかりの金剛山、千早城、生駒山といった近畿の山々を姉や弟とよく登り、美しい自然の中で楠木正成、その子正行の故事に思いをはせ、『太平記』の章句を口ずさんでは若い血をたぎらせたという。まさに尊王攘夷の志士そのものだ。「鉄は刀にしたくない」(優秀な人材を兵士にしたくない)という言葉があるが、この時代は鉄を刀にして、刀は歯こぼれしたり折れたりしてしまったわけだ。
 この二人の研究によって回天は完成し、山口県徳山市沖の大津島で訓練が行なわれた、しかしこの訓練は過酷で、多くの隊員が事故死した。黒木中尉もその一人で、海中に沈んで浮き上がれなくなった。死の直前の艦内で書いた遺書が紹介されているが、涙を誘う。一方仁科中尉は昭和19年10月下旬、伊号潜水艦に取りつけられた回天に乗り、敵のフイリピン攻略部隊の前進基地で、常時多数の艦艇と補給部隊がたむろしている西太平洋の西カロリン諸島のウルシー泊地に向かった。ところが指揮官たちは日の出の2時間前の真っ暗闇の午前三時半に回天を発進させてしまった。回天には夜間用の望遠鏡がなく、水道に近づくまで困難を極めた。結局他の二基はサンゴ礁に乗り上げ自爆、仁科中尉の回天は敵油槽艦「ミシシネワ」を撃沈したと思われたが、これも後に誤報であり、途中で自爆したことが判明した。ああ、命なるかなである。敵のレーダーを掻い潜って停泊基地に潜入することはほぼ無理だったのだ。しかし大和魂が可能にすると言うのがこの時代の教えだ。国を守る崇高な精神は敵の情報力と物資力には敵わなかった。よってこのような理不尽な戦争で犠牲になった若者の慰霊は今を生きる国民の義務であろう。本書はこの理不尽かつ過酷な時代の青春群像を活写した労作である。

昭和陸軍の研究(上・下) 保坂正康 朝日新聞出版

2018-11-03 13:18:03 | Weblog
 日中戦争から太平洋戦争に至るまで日本陸軍は様々な重要事件に関与して最後に敗戦による解体となったわけだが、その官僚制と天皇親政による権力行使の弊害は多くの兵士・民間人の犠牲を生みだした。太平洋戦争末期は陸軍のみならず海軍のありようも俯瞰しての通史となっている。上巻では張作霖爆殺事件と関東軍の陰謀から始まって、満州国建国、日中戦争、ノモンハン事件、真珠湾攻撃、ガダルカナル戦、山本五十六(連合艦隊司令長官)の戦死などが描かれる。下巻ではゼロ戦パイロットたちの戦い、インパール作戦、特攻隊員はいかに作られたか、沖縄戦、を始め敗戦時の指導者の様子、巣鴨プリズンでの軍事指導者たち等々、丹念な取材によるレポートは海軍も含めた旧日本軍の通弊を暴いて見せる。本書は1999年初出の単行本の2018年の選書版である。通読して感じるのは陸軍士官学校・陸軍大学出のエリートが兵士の実態・心情を理解せず、机上の空論に近い作戦を実行したことである。かつて司馬遼太郎はノモンハン事件について、その愚かな作戦を自身の戦車兵の経験をもとに批判していたが、今改めてこの組織の欠点を実感した。ペーパー試験を何番で合格して何番で卒業したかで将来の出世が決まるシステムは官僚制を助長するばかりで、軍隊の指導者を育てることにはならない。海軍兵学校も同じだが、優秀な生徒を兵士にするのだからそこに創意工夫が凝らされないとただの殺人指導者になってしまう。日本陸軍はこの意味で、野郎自大的に中国大陸に攻め込み、満州国を建て、中国の無辜の民を絶望の淵に追い込んだ。無謀な作戦に駆り出された日本軍兵士もある意味犠牲者である。
 この愚かな戦争で指導的立場にいた者は、東京裁判で裁かれたが、逆に責任を転嫁して生き延びた者も多いと言うことが書かれていた。たとえばインパール作戦で生き延びた兵士は戦後、著者のインタビューで「一兵士として牟田口廉也中将をどう思っているか」と尋ねたとき、それまでの温厚な口ぶりは一変して、「あの男を許せない。戦後も刺し違えたいと思っていた」と激高したとある。この無謀な作戦を主導した牟田口中将は陸士・陸大でのエリートであったことを思えば、先ほどのペンを持ったら強いが、後は、、、、という問題になってくる。このような指導者に問答無用の軍隊を指揮させることは非常なリスクだが、当時はそれがまかり通ったのである。シビリアンコントロールが効かないのは非常に怖い。
 本書はいろんな話題を提供してくれるが、私の印象に残ったのは、日本は情報戦においてアメリカに負けていたという話である。山本五十六の戦死はその象徴だと言うのだ。つまり、日本の暗号はすべてアメリカに解読されており、山本長官の日程も敵側に筒抜けで、長官の乗った一式陸攻は敵の戦闘機P38二十四機に待ち伏せされて撃墜された。これは日本にとって大きな痛手だったが、暗号が解読されていることを日本側は知らなかったというのだから恐れ入る。日本は彼の死を客観的に分析して反省材料を見つけ出すべきであったのに、それをやらなかったばかりでなく彼の死を隠蔽しようとさえしたという。これは国民の衝撃を和らげようとする意志の表れだが、撃墜された山本の最期を見た捜索隊兵士たちは、その事実を語らせまいとするかのように、やがて前線に送られていった。それは著者によると、山本の最期の姿は、大本営発表と海軍大臣の放送の枠内で了解されなければならないという意図があったからだという。こういう連中に死を強要されてはたまらない。神風特攻隊はこの人命軽視の極致と言うべきもので、負の歴史として今後も語り継がれることが必要だ。