読書日記

いろいろな本のレビュー

ナチスと精神分析官 ジャック・エル・ハイ  KADOKAWA

2015-07-31 08:54:04 | Weblog
 ナチス・ドイツでヒトラーの後継者と目されたヘルマン・ゲーリング国家元帥とニュルンベルク裁判前に、捕虜となったナチの高官の精神鑑定を行なったアメリカ陸軍の精神科医、ダグラス・ケリー大佐は、ルクセンブルクのモンドルフ=レ=バンにあった捕虜収容所で医者と患者として出会い、奇妙な絆を結んだ。ケリーはゲーリングを含むナチの高官にロールシャッハ・テストなどさまざまな検査を受けさせ、時間をかけて面談を行ない、言動を観察して、彼らの精神分析を試みた。中でもケリーが最も興味をひかれ親密になったのはゲーリングだった。ゲーリングもケリーを信用した。二人とも陽気で、他人の関心に貪欲で、人心操作に長け、誇り高い野心家であるという共通点があった。(訳者あとがき)
 ケリーは1946年秋、有罪となった元高官らが死刑になった後(ゲーリングは青酸カリで服毒自殺)、アメリカで行なった講演で次のように語った。
 「彼らは世界中のどこにでもいるような人々でした。その人格パターンは不可解なものではありません。だが彼らは特別な欲求に駆られ、権力を握ることを望んだ人間でした。そんな人間はこの国にはいないとあなたは言うかもしれません。しかし私はここアメリカにも、国民の半分を支配できるなら、残りの半分の死体を乗り越えてでも、それを実現しようとする人間がいると考えています。そして彼らは今、それを言論によって行なっています。--民主主義の権利を反民主的なやり方で利用しているのです。」と。
 以上の発言をさらに具体的に言うと、白人至上主義の政治家が「ヒトラーやその部下たちと同じやり方で」人種に関する迷信を利用している、「彼らは人種差別を、個人の権力、政治的地位、私的な富を得る手段にしている。我々は人種差別がそうした目的のために利用されるのを許してしまっている。この国でそうした迷信の利用が続けばいずれは、文明の下水の中でナチの犯罪人の仲間入りをすることになる」というものだ。
 さらにまとめると、警察の取り締まりを政治的陰謀に利用するような政治家が跋扈するような風潮はナチスのフアシズム支配を彷彿させるもので、アメリカ人はナチの過激主義とその残忍さを避けるために、自らの文化と政治にしっかり目を向けねばならないということになる。
 ナチの高官が極悪非道の人間ではなく、ごく平凡な人間であったというのは、アイヒマン裁判を傍聴してそのレポートを書いたハンナ・アーレントが夙に指摘しているところである。アイヒマンは裁判で、「私は上官の命令に従ったまでだ」と自分の罪を否定したが、アーレントはこれを「悪の凡庸さ」と言った。平凡な人間が巨悪を犯すことの恐ろしさを指摘したものだ。先述のゲーリングも陽気で家族思いの人間だったことが書かれているが、個人の善良さが、組織の中で残虐行為を容認して行くことのプロセスは研究の余地がある。
 ケリーは後に精神医学から犯罪学へと専門を変えて、悪の根源の探求を試みたが、1958年1月1日、衝動的に自殺した。ゲーリングが絞首刑前に自殺した12年後のことだった。
 ケリーが「民主主義の権利を反民主的なやり方で利用している」の批判した政治状況は現在の日本とぴたりと符合するのではないか。主導している連中はいかにも凡庸な感じがするのも怖い。
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「孟子」の革命思想と日本 松本健一 昌平黌出版会

2015-07-27 10:31:37 | Weblog
本書は松本氏の遺作で、何故天皇家には姓が無いのかを孟子との関わりで述べたもの。この問題に関しては、日本史では、天皇は「八色の姓」を臣下に与える立場であるから、自分には姓が無いのであるという解説を読んだことがある。なるほどそういうものかという感じであったが、本書は孟子の革命思想に焦点を当てて論じている。
 ところで孟子の革命思想とは何か。それは中国伝統の「易姓革命」を肯定したものである。「易姓革命」の「革命」という言葉は、『易経』の「革」の繋辞にいう、「湯武の革命は、天に順い、人に応ず」から出ている。天命が移転したときには、これまでの王朝とは別の王朝が統治者としての位置を占めるようになるという思想から発するものだ。時の帝王の徳が衰え、人心が離反した場合には、天帝は別の有徳者に天命を与えて、新しい王朝を開かせるのだという天命思想がその基底にある。その革命思想是認説は、斉の宣王の問いに答えた孟子の言葉のなかに示されている。(『孟子』梁恵王下)
 斉の宣王が問うた「昔、殷の湯王は夏の桀王を追放し、周の武王は殷の紂王を討ったということだが、ほんとうにあったことだろうか」と。孟子答えて、「言い伝えでは、そういうことになっております」 斉王、「湯王も武王も、その時は臣下であったはず、臣下でありながら、主君を弑してよいものかどうか」と。孟子、「仁をそこなう者は、これを賊といい、義をそこなう者は、これを残と申します。残賊の人は、もはや天命を奉ずる帝王ではなく、一夫、すなわち、ひとりの平民というべきであります。武王が、一夫である紂を誅したことは、私も聞いておりますが、主君を弑したということは聞いておりませぬ」と。訳は『孟子』(鈴木修次 集英社 1974年)による。
 天子を討つのは大逆の罪になるが、人徳のない暴虐な天子はその限りにあらずということである。この革命思想は万世一系を旨とするの我が皇室においては危険思想と見なされたわけである。
従って革命の無い天皇制国家の維持のためには、「易姓革命」を無化する必要があった。そのために、天皇家は姓を作らなかったというのが本書の中身だ。天皇制国家はそこまでして守らなければならないものだったのか。本書は我が国の『孟子』の受容の歴史が書かれていて大いに参考になる。
 この伝でいくと「明治維新」を「革命」と呼ばなかった意味がよくわかる。「維新」の出典は『詩経』の「周は旧邦なりといえども、その命、維れ新たなり」。つまり、周という国はもう六百年も七百年も続く非常に古い国であるけれども、何故「易姓革命」によって倒れなかったかというと、常にその命を新たにしていく。つまり、支配者が常に国の法制度やシステムを変えて、みずから改革していくという形で命を新たにし続けてきたからだという内容のうたである。
 従って江戸幕府は仮の権力者で、天子はその陰でひっそりと生き続けてきたが、倒幕によって本来の権力行使の立場に戻っただけだということを強調するために、敢えて「革命」という言葉を避けたのである。この「維新」の出典からすると、「日本維新の会」という政治団体は、天皇制を奉じていかねばならないことになるのだが、そこまで考えていないことは明白だ。
 
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私は中国の指導者の通訳だった 周斌 岩波書店

2015-07-17 09:27:32 | Weblog
 著者は1934年中国蘇州生まれ。1958年北京大学東方言語文学学部日本語専攻卒。その後中国外交部に入り、日本語通訳として勤務。1984年人民日報社国際部で記者を勤め、2004年に退職。本書はその回顧録で、日中外交の内幕を通訳の業務を通して描いている。ハイライトは、1972年9月の日中国交正常化時の首脳会談での仕事ぶりである。この時の日本の首相は田中角栄で、中国側の代表は周恩来総理であった。田中は周総理主催の歓迎晩餐会での挨拶で、「長い間、絶大なご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます」と言った言葉が、日本側の通訳を通して述べられた瞬間、会場はシーンとなってしまったという。この時、日本側の通訳は「很大的麻煩」と訳したのだが、この「麻煩」という言葉は、足を踏んだり、スカートに水をかけたりした場合に使うもので、戦争のような場合の謝罪には絶対使われないもので、中国側は大変怒って、周総理が別れ際に田中首相に抗議したという。この一件は日本でも報道され大変話題になった。この時、日本側は4人の通訳を連れて来ていたが、その中では一番優秀なハルビン出身できちんと中国語ができる人だったという。
 田中首相は周総理との雑談で、「自分はいま五十四歳で~」と若くして権力の頂点に立ったということを自慢したところ、周総理は「そうですか、私は五十一歳で総理になって、もう二十一年になります」と答えると、それ以後、田中首相は年齢の話をしなくなったという。中国の大人にに対していかにも無遠慮というか、底の浅さを露呈してしまった。また田中は自作の漢詩を披露したのだが、その時「北京の秋空は澄んで云々」と詠んだ。「空」は漢詩では「天」と書くべき所である。本書にこの話は書かれていないが、これも有名になった。中国の政治家は伝統的に詩文を能くするので油断できない。教養の無さを笑われないように研鑽をつむ必要がある。今の我が国の首相の教養では、聊か不安な気がする。
 本書では田中に同行した大平正芳外相を一流の人物である誉めている。鈍牛とからかわれたが人間的には素晴らしかった。私も同感である。著者は周総理も絶賛している。毛沢東に仕え、共産党内で生き残った彼の人間力はタダものではない。1970年代は日中双方とも偉大な政治家が多かった。それに比べると今はずいぶん小粒になった。中国からの危機をあおって集団的自衛権行使を閣議決定した我が国の首相は、もう一度この時期の日中関係の資料を検討して、平和的互恵関係を構築すべく努力しなければならない。



 
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