ナチス・ドイツでヒトラーの後継者と目されたヘルマン・ゲーリング国家元帥とニュルンベルク裁判前に、捕虜となったナチの高官の精神鑑定を行なったアメリカ陸軍の精神科医、ダグラス・ケリー大佐は、ルクセンブルクのモンドルフ=レ=バンにあった捕虜収容所で医者と患者として出会い、奇妙な絆を結んだ。ケリーはゲーリングを含むナチの高官にロールシャッハ・テストなどさまざまな検査を受けさせ、時間をかけて面談を行ない、言動を観察して、彼らの精神分析を試みた。中でもケリーが最も興味をひかれ親密になったのはゲーリングだった。ゲーリングもケリーを信用した。二人とも陽気で、他人の関心に貪欲で、人心操作に長け、誇り高い野心家であるという共通点があった。(訳者あとがき)
ケリーは1946年秋、有罪となった元高官らが死刑になった後(ゲーリングは青酸カリで服毒自殺)、アメリカで行なった講演で次のように語った。
「彼らは世界中のどこにでもいるような人々でした。その人格パターンは不可解なものではありません。だが彼らは特別な欲求に駆られ、権力を握ることを望んだ人間でした。そんな人間はこの国にはいないとあなたは言うかもしれません。しかし私はここアメリカにも、国民の半分を支配できるなら、残りの半分の死体を乗り越えてでも、それを実現しようとする人間がいると考えています。そして彼らは今、それを言論によって行なっています。--民主主義の権利を反民主的なやり方で利用しているのです。」と。
以上の発言をさらに具体的に言うと、白人至上主義の政治家が「ヒトラーやその部下たちと同じやり方で」人種に関する迷信を利用している、「彼らは人種差別を、個人の権力、政治的地位、私的な富を得る手段にしている。我々は人種差別がそうした目的のために利用されるのを許してしまっている。この国でそうした迷信の利用が続けばいずれは、文明の下水の中でナチの犯罪人の仲間入りをすることになる」というものだ。
さらにまとめると、警察の取り締まりを政治的陰謀に利用するような政治家が跋扈するような風潮はナチスのフアシズム支配を彷彿させるもので、アメリカ人はナチの過激主義とその残忍さを避けるために、自らの文化と政治にしっかり目を向けねばならないということになる。
ナチの高官が極悪非道の人間ではなく、ごく平凡な人間であったというのは、アイヒマン裁判を傍聴してそのレポートを書いたハンナ・アーレントが夙に指摘しているところである。アイヒマンは裁判で、「私は上官の命令に従ったまでだ」と自分の罪を否定したが、アーレントはこれを「悪の凡庸さ」と言った。平凡な人間が巨悪を犯すことの恐ろしさを指摘したものだ。先述のゲーリングも陽気で家族思いの人間だったことが書かれているが、個人の善良さが、組織の中で残虐行為を容認して行くことのプロセスは研究の余地がある。
ケリーは後に精神医学から犯罪学へと専門を変えて、悪の根源の探求を試みたが、1958年1月1日、衝動的に自殺した。ゲーリングが絞首刑前に自殺した12年後のことだった。
ケリーが「民主主義の権利を反民主的なやり方で利用している」の批判した政治状況は現在の日本とぴたりと符合するのではないか。主導している連中はいかにも凡庸な感じがするのも怖い。
ケリーは1946年秋、有罪となった元高官らが死刑になった後(ゲーリングは青酸カリで服毒自殺)、アメリカで行なった講演で次のように語った。
「彼らは世界中のどこにでもいるような人々でした。その人格パターンは不可解なものではありません。だが彼らは特別な欲求に駆られ、権力を握ることを望んだ人間でした。そんな人間はこの国にはいないとあなたは言うかもしれません。しかし私はここアメリカにも、国民の半分を支配できるなら、残りの半分の死体を乗り越えてでも、それを実現しようとする人間がいると考えています。そして彼らは今、それを言論によって行なっています。--民主主義の権利を反民主的なやり方で利用しているのです。」と。
以上の発言をさらに具体的に言うと、白人至上主義の政治家が「ヒトラーやその部下たちと同じやり方で」人種に関する迷信を利用している、「彼らは人種差別を、個人の権力、政治的地位、私的な富を得る手段にしている。我々は人種差別がそうした目的のために利用されるのを許してしまっている。この国でそうした迷信の利用が続けばいずれは、文明の下水の中でナチの犯罪人の仲間入りをすることになる」というものだ。
さらにまとめると、警察の取り締まりを政治的陰謀に利用するような政治家が跋扈するような風潮はナチスのフアシズム支配を彷彿させるもので、アメリカ人はナチの過激主義とその残忍さを避けるために、自らの文化と政治にしっかり目を向けねばならないということになる。
ナチの高官が極悪非道の人間ではなく、ごく平凡な人間であったというのは、アイヒマン裁判を傍聴してそのレポートを書いたハンナ・アーレントが夙に指摘しているところである。アイヒマンは裁判で、「私は上官の命令に従ったまでだ」と自分の罪を否定したが、アーレントはこれを「悪の凡庸さ」と言った。平凡な人間が巨悪を犯すことの恐ろしさを指摘したものだ。先述のゲーリングも陽気で家族思いの人間だったことが書かれているが、個人の善良さが、組織の中で残虐行為を容認して行くことのプロセスは研究の余地がある。
ケリーは後に精神医学から犯罪学へと専門を変えて、悪の根源の探求を試みたが、1958年1月1日、衝動的に自殺した。ゲーリングが絞首刑前に自殺した12年後のことだった。
ケリーが「民主主義の権利を反民主的なやり方で利用している」の批判した政治状況は現在の日本とぴたりと符合するのではないか。主導している連中はいかにも凡庸な感じがするのも怖い。