読書日記

いろいろな本のレビュー

ヒトラー権力掌握の20ヵ月  グイド・クノップ  中央公論新社

2012-01-29 21:10:08 | Weblog
 「権力掌握」は、1933年元旦から1934年9月のナチ党全国大会へ至る全プロセスを総称したものである。ヴアイマール共和国のエリートたちには、独裁を阻止できる力が十分残っていた。労働組合は新たなゼネストを組織する、産業界は財政支援を拒否する、そして軍部は、軍事力を行使すると脅しをかける力が十分にあった。にもかかわらず、ヒトラーの独裁を阻止できなかった。本書はそのプロセスを写真入りで解説する。
 ヒンデンブルグ大統領が高齢であった(1934年8月2日死去)ことも大きな要因だが、ヒトラーの狡知に反ナチ勢力の結集が阻止されたことがヒトラーの全権委任法を国会で通過させた原因である。当時のドイツ国民が共産主義勢力の台頭に不安を持っていたことと、第一次世界大戦後のベルサイユ条約によって反戦勝国の機運が高まり、民族主義が高揚していたことも下地にあったと思われる。突撃隊(SA)の隊長レームとの確執でヒトラーは一時立場が危うくなったところを、親衛隊(SS)の力で押さえこみ、レームを粛清することで切り抜けた。ヴァイマール共和国の軍部がこの時、レームの側に立って軍事力を行使すれば、どうなっていたかわからない。
 レームの後継としてSAの頂点に立ったのが、ヒトラーの忠臣ヴィクトール・ルッツエであり、ヒムラーのSSとともに国家テロの推進役を果たし、結果は御承知の通り。世界戦争を夢想した狂人に白紙委任状を渡してしまったのだ。ヒトラーの権力掌握に東奔西走したのが、ゲーリングやゲッペルス、ヘス、フリックなどの忠実な側近たちであった。彼らの妄信、熱狂、服従、献身、そして破滅を時系列で描いたのが、『ヒトラーの側近たち』(大澤武男 ちくま新書)である。最期まで運命を共にしたゲッペルス。裏切ったゲーリングとヒムラー。1945年4月30日ヒトラーの自殺までのさまざまの人間模様が描かれている。側近にも理性があれば暴君をコントロールできたかもしれないのにと思うことしきりである。
 ちなみに、このナチスが発明したものはということで、ロケット、ジェット機、ヘリコプター、大衆車、ガン対策、聖火リレー、高速道路、テレビ電話、テープレコーダー等をあげて説明しているのが、『ナチスの発明』(武田知弘 彩土社)である。
 今、日本では大阪維新の会が国政選挙に撃って出て、200名の候補者を擁立して、国政を根本から変えると党首は息巻いているが、狙いは憲法改正にあると私はにらんでいる。改正して第九条をなくし、再軍備に持って行こうとするだろう。この人物危険につき、要注意だ。

俾弥呼 古田武彦  ミネルヴァ書房

2012-01-22 09:04:37 | Weblog
 『「邪馬台国」はなかった』(1971年 朝日新聞社)で有名な古田氏の近著で、推理小説を読むような面白さを満喫できる。「台」の旧字は「臺」だが、著者によると、魏志倭人伝には「邪馬臺国」と表記した個所はどこにもなく、すべて「邪馬壹国」と表記されている。また「壹」(86個)と「臺」(60個)を誤記したケースは一例も見当たらない。さらに魏朝においては、「臺」とは「天使の宮殿」、さらに「天子その人」を指すのであるから、作者の陳寿が蛮夷の国・倭に対してそのような文字を使用するはずがないと言う。また俾弥呼の年齢を魏志倭人伝の「年已に長大」から従来は「70~80歳ぐらいの女性」としていたが、著者は魏志倭人伝の中の文帝が「年已に長大」にして即位したのは34歳だったことを論拠に「30代半ばの女盛りの女性だったと書いている。
 その俾弥呼の読み方だが、「ヒミコ」ではなく、「ヒミカ」と読まねばならないらしい。古田氏曰く、ヒミコの「コ」は男子の敬称であり、女性には使わない。また魏志倭人伝では「コ」の音は「狗」という文字を使っている。したがって「ヒミコ」と読むのであれば「俾弥狗」と表記されなければならない。「俾弥呼」の「呼」は「コ」と「カ」の2つ読みがあるが、上例より「コ」とは読まず、「カ」と読む以外にない。ヒミカとは「太陽(ヒ=日=太陽)の神にささげる酒や水の器(ミカ=甕)」の意であり、「鬼道に仕える」彼女にぴったりであると。
 次に本書のハイライトと思われる部分を紹介したい。それは女王国までの距離の話である。従来、魏志倭人伝に、朝鮮半島南端の帯方郡より、俾弥呼のいる女王国まで「万二千余り里」(1万2000余里)とあるが、実際の総和は、1万600里しかない。古今東西の道理である「部分里程の総和が総里程」にならないが、これは作者陳寿のミスであり、魏志倭人伝は距離や方角の記述が曖昧で、史料としてあてにならないと言われてきたが、これも間違いだと古田氏は言う。途中の対海国(対馬)と一大国(壱岐)を従来は「点行」読法(両島を一点だけ経由したとみなす)で通過したと考えてきたが、「半周」読法(両島を半周する)で図るべきで、そうすればぴたり1万2000里になると言う。魏志倭人伝の記述は極めて正確であり、第一級の史料と言えると述べている。まさに目から鱗、歴史の面白さを味わえる。在野の考古学者で、学会からは無視されてきた古田氏だが、その苦労の結晶が表れた作品だ。

戦国時代の足利将軍  山田康弘  吉川弘文館

2012-01-21 21:56:18 | Weblog
 室町幕府の特徴として将軍権力の弱体化と守護大名の増長という図式で語られるのが普通である。将軍は守護大名としばしば対立してきたが、簡単には倒れなかった。実際、戦国時代百年もの間、将軍は滅亡しなかった。これはなぜか。戦国期の室町幕府とはいかなる存在であり、各地の大名たちは将軍をどのように見ていたのか。本書はこれらの点について興味ある見解を述べている。
 六代将軍足利義教は幕府の権力を行使するために恐怖政治を敷いて世の中を震え上がらせたが、赤松満祐に謀殺されて以降、義教のような権力者は出なくなり、表面上幕府の力は衰退して行ったように見えるが、消滅することはなかった。ここで著者は将軍と大名の関係を[天下]の次元と名づけ、大名と武士・百姓の関係を[国]の次元と名づける。そして次のように言う、そもそも、今日の国内社会と同じように、戦国時代の[国](=大名領国内社会)の次元でも、年貢や税率や治安、村同士の水争いといったさまざまな問題が発生していた。しかし、これら[国]の次元における問題の処理は、戦国時代になるとそれぞれの大名(や家臣、百姓たち)が第一義的には担うようになっており、将軍がこれらの問題の処理に直接関与することは、京都とその周辺部を除けば基本的に乏しくなっていた。つまり、戦国時代になると将軍の主たる活動域は[国]の次元ではなくなりつつあったと考えられるわけである。(中略)将軍は戦国時代にいたっても依然として多くの大名たちから大名間外交などの分野でさまざまな役割を期待され、利用されていた。さすれば、ちょうど国連が、国内社会の次元や国内社会における特定の領域を活動域にしているのではなく、国際社会の次元をその主たる活動域にしているのと同じように、将軍もまた京都とその周辺部といった特定の領域だけではなく、大名と大名とが互いに「国益」をめざして戦いあったり熾烈な外交を展開しあっている[天下]の次元をその主たる活動域にしていたと考えることができよう。戦国時代の将軍を考える際には、京都とその周辺部といった「領域」という視点だけで考えてはならず、「次元」([天下]の次元)という視点によっても考えなくてはならないのである。したがって、われわれが国際社会という次元の存在を理解することができてはじめて国連の活動を正しく認知することができるのと同様に、[天下]という次元の存在を想定することによってはじめてわれわれは将軍の活動を十分に認知できることになると。引用が長くなったが、国内社会と国際社会で戦国時代を説明している点が斬新。さらに国際社会を「リアリズム」「リベラリズム」「コスモタリズム」の視点で説明するというおまけもついているが、少々蛇足の感無きにしも非ず。
 このように見てくると、今世の中でうるさく言われている、地方分権とやらは早い話が国内を戦国大名割拠状態にすることに過ぎない気がする。国のカタチを変えると息巻いている御仁もいるが、戦国時代に逆戻りされては迷惑至極だ。無知蒙昧な民衆と批判力を喪失したメディアはそれが見抜けない。日本は本当に危うい方向に向かっている気がする。
 同時に読んだ、戦国時代の貧しい貴族たちの生き方を描いた『逃げる公家、媚びる公家』(渡邉大門 柏書房)は高貴なしかし貧しい人間が武士連中とどう渡り合ったかを描いている。成り上がりの権力者にいたぶられる高貴なインテリという図式は今現実に起きていることを彷彿させる。

うほほいシネクラブ  文春文庫  内田 樹

2012-01-08 21:10:19 | Weblog
 評論家内田氏の187本の映画評論・コラム集。映画評でも相変わらずの健筆ぶりをみせる。洋画は最近のものが多く、邦画は小津安二郎監督のものが中心。中でも小津作品の分析が圧巻だ。俳優の感情表現ということについて次のように述べる、俳優が数十回のカメラテストの末に、内面の表出というような演技回路がぼろぼろになってしまって、あまりに繰り返し過ぎて自動化してしまった台詞をメカニカルに口にしたときに、小津はにこやかにOKを出したと言います。小津は「人間の内面の表出」というような機制を信じていませんでした。だから「一種類しか表情のない」菅原通済や「三種類しか表情のない」佐田啓二が重用されたのでしょう。(ちなみに佐田啓二の三種類とは、「うれしい顔」、「不機嫌な顔」、「何も考えていない顔」の三種類です。寒気がするほどリアリティがあるのは,「何も考えていない顔」です。これは『秋刀魚の味』で佐田啓二以外誰もできない壮絶なのを見ることができます。黒澤明だってそれはわかっていたはずです。後年の黒澤がとりわけクローズアップを嫌ったのは、表情によって内面を説明させることの本質的な虚妄に気付いていたからではないでしょうかと。佐田啓二の演技をこのようにまとめられるとは驚きだ。
 そして黒澤明の『乱』における仲代達也の演技を批判する。要するに喜怒哀楽の表出に至るプロセスに「ため」が入り、演技がリアルでなくなるというのだ。喜怒哀楽の感情は心の中から湧き上がって表情に達するのではなく、まず、喜怒哀楽の表情の模倣がなされ、感情は事後的に形成されるものだと述べている。確かに、ここは悲しい場面だから悲しい気持ちにならなくてはと思って表情を作れば、タイムラグが生じる。目から鱗の指摘である。それ故、内田氏は仲代の演技が嫌いだと言う。仲代の新劇的パフオーマンスは映画ではくさい演技になることは否定できない。鋭い分析である。その他、洋画でもこの鋭い分析が随所に披露されており、楽しめる。

ジェノサイドの丘 フイリップ・ゴーレイヴィッチ WAVE出版

2012-01-08 13:03:33 | Weblog
 副題は「ルワンダ虐殺の隠された真実」。ルワンダはアフリカの貧困国でベルギーの植民地であった。「アメリカのヴァーモント州より小さく、シカゴよりわずかに人口が少なく、隣り合うコンゴ、ウガンダ、タンザニアに押し込まれているので、読みやすさを求めた結果、国名はたいていの地図で国境線の外に記されている。国際社会にとっての政治的、軍事的経済的価値という点からすれば火星並みだった。実を言えば、火星の方が戦略的価値は高いだろう。だがルワンダには、火星と違って、人間が住んでおり、ジェノサイドが始まっても国際社会はルワンダを放置した」と著者が言うように、ルワンダの悲劇の原因はここにある。国連加盟の先進諸国にとってはどうでもいい国だったのだ。
 ルワンダ問題については、2004年公開の『ホテルルワンダ』によって世界中に知られることで、衝撃を与えた。事件後十年経過していた。ルワンダにはツチ族とフツ族という二つの民族集団があり、1962年ベルギーからの独立後も民族紛争が続いた。1973年に多数派のフツ族が政権を握り、ツチ族を支配し、ツチ族はルワンダ愛国戦線を組織してこれに抵抗した。1994年にフツ族のハヴェリマナ大統領の飛行機撃墜死をきっかけに内戦が再燃、政府軍と暴徒化したフツ至上主義党のフツ族によって、三ヶ月間に100万人のツチ族と穏健派のフツ族が殺害された。武器はマチェーテ(山刀)とマス(釘を埋め込んだ棍棒)で農民が農民をころしたのである。体制順応に慣れたほとんど教育を受けていない、貧しい、無知な人々に武器を与えて、『お前の獲物だ。殺せ』とフツ至上主義党のメンバーが命令するのだ。またラジオ放送で、『ツチのゴキブリどもを殺せ』というメッセージが幾度も繰り返され、これをまた無批判に実行した。その混乱の中でホテル・ルワンダの一人のマネージャーがホテルに逃げ込んできた1000人以上のツチ族を命がけで暴徒から守ったというのが、『ホテル・ルワンダ』の内容だ。
 本書はこの虐殺の詳細をレポし併せて国連が結局、加害者側のフツ至上主義党を被害者と勘違いしてジェノサイドを助長し、ツチ族の被害を甚大なものにしたことを明らかにしている。また、紛争後の責任追及についても誰をどう裁くか、皆目方法がないというジレンマも述べられている。教育のない農民がしたこと故、お互いこのことは忘れましょうというあり得ない解決策が提示されているという。ナチスのユダヤ人のジェノサイドでは、永久に忘れないようにしようと言われているのにだ。ことほど左様にアフリカの紛争は軽視されがちなのだ。したがって、今後我われはスーダンの動向に注意すべきだろう。第二のルワンダにならないことを願うばかりだ。

二十世紀の10大ピアニスト 中川右介 幻冬舎新書

2012-01-06 08:12:54 | Weblog
 ピアニストはいつの世にもいるが、世紀を代表する巨匠と呼ばれるにふさわしい存在は稀である。しかし、戦争で世界が混乱した20世紀に輩出したことは注目すべきことである。本書で取り上げられた巨匠は、ラフマニノフ、コルトー、シュナーベル、バックハウス、ルービンシュタイン、アラウ、ホロビッツ、ショスタコーヴィチ、リヒテル、グールドの10人である。このうち何人かのCDは持っているが(後ろの5人)、ショスタコーヴィチがピアニストだったとは知らなかった。作曲家だとばかり思っていた。
 この10人を時系列に並べて、歴史の流れの中で彼らの歩みを俯瞰できるように記述している。第一次世界大戦からヒトラーのナチスドイツの勃興、ソ連のスターリンの共産主義独裁と第二次世界大戦、そしてユダヤ人問題と激動の二十世紀を生きた音楽家の姿が鮮やかに捉えられている。彼らの中の何人かはユダヤ人であるが、迫害を逃れながら音楽家の道を貫こうとしてさまざまな苦難に向き合わざるを得なかった状況を見るにつけ、今の平和な時代のありがたさが身にしみる。またスターリン独裁の中で、ショスタコーヴィチがその音楽性を批判されながら生き延びた話も興味深い。彼の書いた交響曲第4番がスターリンの気に入らなかったが、その理由を側近たちが「形式主義に堕している」と批判したエピソードを紹介しているが、スターリンの気まぐれを側近たちはそう理由づけしたらしい。独裁者に仕える音楽家の苦悩がひしひしと伝わって来る。共産主義と芸術の関係の具体化されたものと言えよう。イデオロギーに縛られる芸術家がそこから逃れて自由を得ようと格闘する姿は感動的である。
 本書はそのような音楽家の姿がさまざまなエピソードと共に描かれる。力作と言えるだろう。また同じ著者の近著で『第九(ベートーヴェン最大の交響曲の神話』(幻冬舎新書)
も面白い。1824年のウイーンでの初演(ベェートーヴェン指揮)から200年の受容史を書いている。よくこれだけ調べられたものだ。

室町幕府崩壊  森 茂暁  角川選書

2012-01-05 15:52:59 | Weblog
 新年明けましておめでとうございます。現在、日本の政治問題では民主党の野田内閣の指導力に不安の目が注がれている。増税問題で党内の軋轢が表面化、離党した議員が「政党絆」を立ち上げて、反民主党を掲げた。身内から造反されて野田首相の心中いかばかりであろうか。政権の基盤が弱いということは政治家にとっては苦痛の種である。これは室町時代においても同様である。室町幕府は三代将軍足利義満の時代に全盛期を迎えるが、その後は有力な守護大名とどう連携して政治を行なうかに腐心してきた。それは権力基盤が脆弱であったことの証左に他ならない。四代将軍義持は後継者をくじ引きで決めることを遺言し、石清水八幡宮でくじ引きの結果、青蓮院門跡であった義円(義教)が六代将軍に決まった。(五代将軍は義持の息子の義量であったが、義持がその仕事をカバーしていた)
 その義教が還俗して足利幕府を担うことになったのだが、例の有力守護大名たちとどのように関わったのかを詳細に記している。義教は十二年の在任中に恐怖政治を実践して、人々から恐れられたのだが、逆に言うと強権を発動せざるを得ないほど幕府の権力が弱かったということだろう。元天台座主として宗教界で君臨した人間が、俗世間で暴君として恐れられるようになったというもの興味深い。衆生済度を旨とする人間が、今度は将軍という立場で平気で人を殺すようになったのだ。
 本書では守護大名との関係のみならず、天皇家との関係についても縷々述べられている。幕府にとって天皇は権威づけの恰好な対象である。例えば元号を換えるためには、将軍が発議して天皇の許可を得ることが一般的であったようだ。その手続きは煩雑で義教も苦労したらしい。何やかやで、還俗した将軍が為政者になることは大変だったことが本書を読むとよくわかる。
 守護大名の後継者問題についても将軍が干渉することが多いのも、彼らとの複雑で重層的な関係の一端であることが理解できる。これが後の応仁の乱の原因になってゆく。結局、義教は赤松満祐に謀殺されて(嘉吉の乱)その一生を終えるが、この事件が幕府崩壊の転換点になった。くじに当たらなければこのようなことにはならなかっただろう。死を前にして義教は何を思ったであろうか。