読書日記

いろいろな本のレビュー

第三帝国の興亡 3 W・Lシャイラー 東京創元社

2009-11-28 10:34:01 | Weblog
 本巻はヒトラーのポーランド侵攻に至るまでの理不尽かつ暴力的ナな外交に、ポーランドはじめイギリス・フランスなどが翻弄される状況を描く。ヒトラーの野望はヨーロッパの制圧だが、スターリンのロシアを最強の敵と意識しながら、チェコに続いてポーランドと牙を剥いて行く。ドイツ国民は「みんなが戦争に反対しているのに、どうして国が大きな戦争に突き進むことができるのか」と素朴な疑問を抱いていたが、ヒトラーは決めていた。彼はバイエルンの山頂に立って将軍たちを前にして言った、「宣伝用の開戦の理由はわたしが考える。もっともな理由であるかどうかは心配しなくてよい。勝者は、真実を語っていたかどうかを後で問われることはないのだ。開戦し、戦争を遂行するために重要なのは正邪ではない、勝利することなのである」と。他国侵略という悪をこれほどまでに高らかに宣言するとはある意味痛快だ。後にナチスの指導者がニュルンベルク裁判で「人道に対する罪」で裁かれたのも筋が通っている。
 その後、ドイツの全放送局が総統の対ポーランド平和提案を放送した。実はヒトラーはそんな提案をポーランドに提示しておらず、仲介に入ったイギリスに伝えたのも漠然とした非公式な形であって、それも二十四時間前にすぎないのだが、ドイツ国民はゲッペルスの職人的な欺瞞の手腕に騙されたのだ。そしてプロパガンダが効果を発揮するのは言葉以上のもの、即ち事実だ。いかさまの平和提案がポーランドに拒否されたと国民に信じこませた後、残っているのは、最初に手を出したのはドイツではなくポーランドだと「証明する」事実を捏造することであった。
 このいかがわしい仕事を請け負ったのが、S・Sのインテリ無頼漢アルフレート・ナヨスクで、ドイツ放送局をポーランド側が攻撃したように見せかける事件を準備していた。それはポーランド陸軍の制服を着たS・S隊員が射撃を受け持ち、麻薬を打った強制収容所の囚人を「戦死者」として転がしておくというものだ。
 このようにしてポーランドに対する宣戦布告は正当化され、ドイツ国民はヒトラーの詐術に乗せられ第二次世界大戦に突入する。それにしてもヒトラーの悪を断行する宣言は日本の戦争指導者には見られないもので、主体性が極限まで発揮されたと言えなくもない。内田樹氏は近著『日本辺境論』(新潮新書)で、丸山真男の書にあるこのヒトラーの言葉と丸山のこれに対する印象を載せている、それによれば、(以下54~55ページの記述再掲)丸山は「何と仮借のない断定だろう」と驚きをもって迎えます。そうしてこう付け加えています。「こうした突き詰めた言葉はこの国のどんなミリタリストも敢えて口にしなかった。『勝てば官軍』という考え方がどんなに内心を占めていても、それを公然と自己の決断の原則として表白する勇気はない。」戦争指導者たちは「悪気はなかった」という言い訳を東京裁判で真剣な表情で繰り返しました。日本人が他国侵略に際して、「八紘一宇」とか「大東亜共栄圏」というようなスローガンを掲げたのは、「武力による他民族抑圧はつねに皇道の宣布であり、他民族に対する慈恵行為」であるということを多少は本人も信じていたからです。云々。
 ヒトラーの主体性に比べれば日本の戦争指導者の主体性の欠如は明白。内田氏はここを手がかりに日本の辺境性を様々な角度から検証する。東京裁判の「人道に対する罪」という言葉が罪人の糾弾に対して馴染まないのもこの辺に原因があると思う。辺境論はさておき、人間の悪の発露に対する防御方法は社会システムとして考えておく必要があるだろう。善に対する信頼は堅持しつつも。

イチャモン研究会 小野田正利 ミネルヴァ書房

2009-11-20 22:13:31 | Weblog
 副題は「学校と保護者のいい関係づくりへ」である。阪大教授の小野田氏が保護者のクレームにどう対処したらいいか各方面の有識者の提言をまとめたもの。読むと、保育所・幼稚園・小学校あたりのイチャモンが特に多いことがわかる。親としては頑張っていい子育てをしたいという意識が強烈に出てくる頃だ。自子中心主義が学芸会の主役争奪戦になっていくのだ。子供をペット化するアホな親がこうした行動を助長する。教師は尊敬すべき対象ではなく。不満の捌け口として攻撃の対象になる。いわばサンドバッグだ。こういう親の傾向として自己の経済的困窮や社会的に不遇な状況のもとで抑圧された鬱屈がイチャモンとして爆発する事が多い。学校は一番文句が言い易いこともあって、攻撃の対象となった教師は精神的・肉体的に追い詰められて辞職あるいは休職に追い込まれる。かくて小学校や中学校の義務教育現場は安い賃金と重労働で最近志願者がどんどん減少している。国の基である義務教育が荒廃すると由々しき事態が起こることは容易に想像できる。民主党は公立高校の授業料無償化を来年度から実施するようだが、教員の待遇も向上させないと優秀な人材が集まらなくなるだろう。この辺のことを真剣に考えるべきだ。
 かつて田中角栄は1970年代に人材確保法案を作って教員の給与を大幅にアップさせたが、今あのような政治家はいない。田中はある意味偉大だった。民主党のガラス張りの予算折衝もいいが、何か子供じみていやな感じがする。国民の一部がよく「私達の納めた税金を正しく使って欲しい」などとほざいているが、「おまえらいったいどれだけの税金を納めているんじゃ。偉そうなこと言うな」と言いたい気もする。政府も「皆さんの税金を公正に使わせていただく」などと機会あるごとに言うものだから、最前の連中を増長させるのだ。
 企業における「お客様の苦情は会社発展の糧」などと言うコピーが消費者のクレームを増やす一因になっており、この風潮が教育界に波及していることは確かだ。最近はすぐに教育委員会に電話したり、府会議員を使ったりして現場に脅しをかけてくる親が多い。このような親の中には明らかに病気と思われる場合もあるので、対応が非常に難しい。それもこれも含めて、教員に対する尊敬の気持ちを持っている生徒や親はどれくらいいるのだろう。特に大阪はそれが少ないように思われる。それが民度や文化程度の低下を助長しているのではないか。その象徴があの知事の出現だと考えられなくもない。

戦場の掟 スティーヴ・フアイナル 講談社

2009-11-13 21:11:02 | Weblog

戦場の掟 スティーヴ・フアイナル 講談社



 泥沼化するイラク戦争。アメリカはベトナム戦争の教訓を生かせず、またも無益な殺戮の泥沼のなかでのた打ち回っている。日本に目を移せば、イラク復興にいかに協力するか、マスコミは民主党の煮え切らない態度にイライラを募らせるような報道を繰り返しているが、本当にどうかしている。アメリカ一辺倒なのはメディアの側であることが、最近の報道ぶりを見てはっきりした。沖縄の普天間基地の移転問題も然り、アメリカ寄りの報道しかしていない。メディアの幹部はみんなアメリカかぶれなのか。これでは小泉構造改革を始めとする、新自由主義経済路線を批判する資格は無い。本書はアメリカのイラク戦争の内実を民間警備会社の傭兵にスポットを当てて暴き出したもので、2008年度ピューリッツアー賞(国際報道部門)を受賞した。
 アメリカは自軍の兵力の不足を補うために、民間の警備会社に軍の一部の役割を担わせている。この傭兵に応募する連中は高い給料に惹かれてやってくるわけで、高い志があるわけではない。従ってモラルのない無法者が武器を持って、罪もないイラクの人間を殺戮することも多々あるわけである。彼ら自身も正規のアメリカ軍兵士ではないため、イラクの反政府ゲリラに襲われるリスクもあるわけで、文字通り命を懸けた警備会社勤務と言える。スーパーや工事現場の交通整理、あるいはビルのガードマンとはわけが違う。本書は何人かの傭兵に応募した若者の軌跡を追って、彼ら(アメリカ人4人、オーストラリア人1人)が2006年11月16日、イラクのゲリラに拉致され(クレセント拉致事件)、一年半後に無残な死体となって帰って来るまで家族の焦燥と絶望を描き、戦争の非人道性を極限まで際立たせる。ノンフイクションとは言え、まるで小説を読むようなリアリティがある。イラクで一稼ぎと勇んで飛んで行ったが、稼いだ金を使うことが叶わなかったわけだ。戦争による経済活動は武器などの需要を生み出し、死の商人が跋扈する。傭兵で儲ける警備会社は隙間を狙ったニッチ産業と言える。何でもカネに換えてやろうという発想はさすがアメリカだ。サブプライムローンと同じ発想だ。ここらで一度人間の尊厳、正義とは何かを見つめなおす必要があるのではないか。そのアメリカに踊らされて来た日本の民度の低下も由々しき問題である。モラルなき社会は滅びるしかない。

すきやばし次郎 鮨を語る 宇佐美 伸 文春新書

2009-11-12 21:57:31 | Weblog
 すきやばし次郎といえば、『すきやばし次郎 旬を握る』(里見真三・文藝春秋)が有名だが、本書はその続編というべきもので、すきやばし次郎こと小野二郎の一代記だ。小野は現在八十四歳で、現役だ。その鮨哲学は職人の生き方そのもので、興味深い。すし屋といえば、食わしてやるという感じの職人が多くて、客は職人の機嫌を伺いながら食べるという図式が思い浮かぶが、すし屋の唯我独尊ぶりを徹底的に批判していたのが、故山本夏彦氏だ。たかがすし屋風情が偉そうにすんなということをあちこちで書いていた。氏はまたすし屋の符丁を半可通の客がまねる風潮をこれまた徹底的に批判されていた。例えば、「お茶」を「上がり」というが、これは食後のお茶をすし屋の側でいう符丁だ。なのに来店して座る間もなく「上がりちょうだい」と言って粋がっているのがいるが、全く話にならない。「お愛想」もそうだ。客は「お勘定」というべきなのだ。ことほど左様に、すし屋を巡っては話題にこと欠かない。
 すきやばし次郎のモットーは鮨のうまさを味わって欲しいということだ。従って、ビールを飲みつつ職人とべらべらしゃべりながらというスタイルはとらない。お任せコース(3万円)を出されるままに黙々と食べるのがここの流儀らしい。その間30分足らず。これを高いと見るかどうかはその人の主観によるが、こちらは行ったことがないのでコメントできないが、巨匠のお任せコースに身を任せていただくのも悪くはないと思う。是非一度行って見たいものだ。小野氏が偉いのは、回転寿司についてもその存在意義を認めてそれはそれで面白いと誉めている事だ。その道を究めた人間だからこそ言える余裕のコメントだ。人間こうでなくてはならない。だから店も繁盛するのだろう。

中島敦 「山月記伝説」の真実 島内景二 文春新書

2009-11-08 22:34:41 | Weblog
 高校国語二年生教科書の定番、中島敦の『山月記』を著者の年譜を追って読み解いたもの。これを読むと、主人公の李徴はまさしく中島敦の分身であることがわかる。臆病な自尊心と尊大な羞恥心は中島の心情そのものだった。彼は一高、東大出身の秀才であったが、横浜の女学校の国語教師という職を得て糊口をしのいでいた。同級生達は皆エリートとしてそれなりの職に就いていたことを思うと、中島の心境は穏やかならざるものがあっただろう。加えて持病の喘息に悩まされ、三十三歳で夭折してしまった。この中島のよき理解者であったのが東大同期の釘本久春という人物で、文部官僚として活躍した。著者によれば、袁惨のモデルはこの釘本だろうという。彼は何かにつけ不遇だった中島を助けた人物だ。そして中島の『山月記』を教科書に掲載することに功のあった人物である。中島はよき友に恵まれて後生に名を残すことができたのだ。
 李徴が詩人になりそこなった自分の作品を後生に伝えて欲しいと袁惨に頼む場面があるが、昭和の袁惨の釘本久春が毎年毎年、全国の高校二年生に中島敦の名前を刻み込んでいるのである。友情の力は偉大と言うしかない。前掲の「大人のための国語教科書」で小森陽一氏は、李徴は国家権力の中枢にいる袁惨に対して大変な憎悪を抱いており、それが彼の七言律詩に表れていると述べていたが、その誤りはこの書物によって証明されたといえる。小森氏は何でも権力と反権力のせめぎあいの図式にしないと収まらないようだ。それって55年体制を引きずっていることと同じじゃありませんか。もっとしなやかな読みが必要だと思う。

許されざる者 辻原登 毎日新聞社

2009-11-03 10:20:12 | Weblog

許されざる者 辻原登 毎日新聞社



 舞台は紀州の森宮。主な登場人物は、森宮でドクトル槇医院を営む医師、槇隆光。彼の美しい姪の西千春。彼の甥の若林勉。森宮第十代藩主の長男、永野忠庸。その妻、永野夫人。その他、森林太郎(鴎外)、幸徳秋水など。時代は日露戦争真っ只中の状況だ。一読して、森宮は新宮、槇隆光は大逆事件で連座して無実のまま死刑になった、大石誠之助がモデルだと分かる。その槇を中心とする森宮の人間模様が、日露戦争下の緊迫した時代のもとで生き生きと描かれる。ヨーロッパ、中国、ロシア、日本と空間的な広がりも視野に入れられている。本書は毎日新聞に2007年7月11日から2009年2月28日まで連載されたもの。著者は以前に朝日新聞に『花はさくら木』を書いており、新聞小説は得意のようだ。その特徴は登場人物の個性の書き分けがうまく、そのやり取りが非常にうまいことだと思う。大きな問題意識を声高に生硬に表現して、終局にグイグイ引っ張って行くという感じではない。著者のうまさとは例えば次のようなくだりだ。
 永野夫人は日露戦争で負傷した夫、忠庸を看護するのだが、一方で槇隆光と浮気していて、夫婦関係は破綻している。そのような状況での記述。「書斎はすっかり暗闇に覆われた。永野夫人は、急に、この暗闇が、永野との夫婦生活の最後の局面のような思いにとらえられた。振り返るたびに、二人を包む闇が次第に深くなっていたような気がする。何事にも謙虚な心を失わない夫人だったが、この暗くなりまさる闇についてだけは、自分が作りだしたものではないと言い切ることができた。それは間違いなく夫のほうから来ていた。宿直が館の灯りをひとつまたひとつと消してゆくように、忠庸が二人の夫婦生活から明かりを奪ってきた。」夫婦生活の危機を闇と灯りで象徴的に表現したまことに手馴れた表現である。このような個所がいくらもあって退屈しない。これに比べると、宮本輝の近作『骸骨ビルの庭』は何かゴツゴツした感じで、生硬な会話と相俟って読んでつまらない作品だった。
 新聞小説に関しては、かつてドイツ文学者の高橋義孝が、毎日こま切れの文章を読んで、どうするんですかねエと皮肉っぽく言っていたが、逆に一日分の原稿で山を作るのは大変だということも言える。その点新聞小説の元祖、漱石は偉かったと思う。今読んでも全然色褪せていない。とにかく辻原登は注目すべき作家だと言える。一度『夢からの手紙』という短編集を読んで頂きたい。小説の面白さが味わえます。