読書日記

いろいろな本のレビュー

京都思想逍遥 小倉紀蔵 ちくま新書

2019-04-30 13:58:23 | Weblog
 韓国哲学の専門家で京大教授の小倉氏が京都の市中を逍遥して、ゆかりの人物の魂と交感するという内容だ。冒頭に鈴木大拙の『日本的霊性』から、「法然・親鸞にこそ日本で最初の真の霊性が発現したのであって、万葉や古今や源氏の世界はいまだ霊性のレベルに到達していないこころの動きだ」という一節を引いて、歴史上の人物との交感に必要な霊性のありようについて自説を披歴しているのがポイントである。作者曰く、第一のいのち=生物学的生命・肉体的生命 第二のいのち=霊的生命・普遍的生命 第三のいのち=偶発的生命・間主観的生命と分類したうえで、私としては、この京都という場所で、大拙のいう「日本的霊性」が、私のいう〈第三のいのち〉のかたちをとって炸裂する/炸裂した「現場」を、とらまえたい。そのために逍遥するのだと。この設定によって、本書はただの「京都文学散歩」と一線を画すことになった。ただ一読して、「第三のいのち」が今一つ分かりにくいのは確かだ。
 取り上げられた人物は、鈴木大拙から始まって、高橋和巳、伊藤静雄、和辻哲郎、九鬼周造、西田幾多郎、柳宗悦、尹東柱、桓武天皇、塚本邦雄、三島由紀夫等々、その著作や歴史的評価にも及んでおり、博識ぶりが発揮され面白い。
 その京都はかつて天皇が住む王城の地であり、町衆が独特の文化を育んできた地でもある。そのヒエラルキーは著者によれば「襞のように複雑で細かい」のだ。よって下層民は自分たちよりさらに下層な人々を差別し、その差別された人々はさらに下層な人々を差別する。この襞のような序列の構造が京都だと喝破している。井上章一氏が『京都ぎらい』でいう、洛中の人が嵯峨の人を蔑視するのとは違う、「語られえない場所」についての蔑視のベクトルが存在する。その場所を逍遥して観光客でにぎわう街とは対極の差別に苦しんできた人々の生活に思いをはせる。「竹田の子守唄」の意味を知って歌っている人はどれくらいいるのだろうかということだ。このレポは著者のような非京都人でなければできなかったであろう。
 本書の腰巻に『京都ぎらい』に書かれなかった「奥深き京都」と謳っているが、「襞のような序列の構造」の内部に「語られえない場所」を持つと表現した著者はさすがである。井上氏の『京都ぎらい』と同じぐらい売れたらすごいのに。

狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか エリ・Hラディンガー 築地書館

2019-04-23 19:28:24 | Weblog
 原題は「Die Weisheit Der Wolfe」で「オオカミの智恵」である。こちらの方がいいと思うのだが、表紙の写真がオオカミが牙を剥いて遊んでいるショットなのでこのようにしたのだろう。最近オオカミ関係の本が多いと感じる。昨年の9月に発売された『オオカミと野生のイヌ』(菊水健史など エクスナレッジ)は3000円もする高価なものだが、先日3万部突破と新聞に広告が出ていた。オオカミがイヌに進化して人間のペットになるプロセスをきれいな写真と共に描いていた。それによるとオオカミの中で性格のおとなしいものを飼育してそれを交配させていくと、そのおとなしい形質が遺伝しイヌになったというものだった。だからイヌの先祖はオオカミだということになる。
 オオカミは古来、残忍で貪欲な動物として認識されてきた。「虎狼の心」という言い方が、中国の古典によく出てきたり、「赤ずきんちゃん」でも悪役として出てきたりすることでもよくわかる。しかし、最近ではは非常に智恵があり家族思いの素晴らしい生き物だという風に認識が変わってきた。そのオオカミの生態を称賛したのが本書である。
 著者は1951年生まれのドイツ人の女性で、大学で法学を学んだのち弁護士を務めていたが、オオカミに魅せられてそれをやめて1991年にドイツオオカミ保護協会を設立し、『オオカミマガジン』を創刊。1995年からイエローストーン国立公園におけるオオカミ再導入に参画した。本書はそこでオオカミの群れを観察した記録である。
 全編オオカミに対する慈愛がほとばしり出ており、いかにも女性が書いたなあという感じ。掲載されている写真も子どものオオカミのものが多く、家族を大事にするイメージを強調している。オオカミの群れは普通リーダーの番いを中心に構成されるが、トップになるのは雌であったり雄であったりするようだ。著者によると、オオカミたちは家族の中で調和を求める気持ちが強く、リーダーの基本方針は家族を一つにまとめ、ばらばらにならないようにすることらしい。これは人間にとっても耳が痛い話だ。そして独裁者を嫌う。専制的リーダーに支配された群れは悲惨な状況に陥り、クーデターが起こるという。まるで人間社会ではないか。またオオカミで最も多い死因はライバルとの縄張り争いで、イエローストーンではオオカミ総数の20%がそのために命を落とすという。これも家族を守るための命をかけた戦いなのだ。
 オオカミは遊びの中でルールを覚え、群れのメンバーとして認められていくが、一緒に遊ぼうとしないものは他のメンバーから避けられ、群れから離れていくことになり、結局自然淘汰される。社会的動物であるオオカミは単体では生きにくいのだ。本書はオオカミの智恵をさまざま紹介して、オオカミに対する偏見を払拭してくれている。ただ以前読んだ本では、グループ内の最下層のランキングのものをかませオオカミとしてみんなで苛め、何年か我慢出来たら次のかませオオカミを決めてにバトンタッチするということが書かれていたが、そのことについての言及がなかったのは残念だった。そういうことはないのだろうか。オオカミ賛美の内容と合わないのでオミットしたのだろうか。気になるところだ。最後にこう書かれている。オオカミの智恵: 家族を愛し、託されたものたちの世話をすること。遊びをけっして忘れないこと。これをニンゲンの標語にしたらどうだろうか。

私はなぜ「中国」を捨てたのか 石平 ワック ・独裁の中国現代史 楊海英 文春新書

2019-04-11 09:09:01 | Weblog
 「改革派の教授停職 習指導部への異論藤封じか」。これは最近朝日新聞に載った記事の見出しである。中身は習近平指導部の路線への異論を唱えていた改革派の学者で清華大学法学院教授の許章潤氏が大学から停職処分を受けたというもの。許氏は昨年、習指導部が憲法改正で2期10年だった国家主席の任期制限を撤廃したことを批判して言った、「共産党メディアの『神づくり』は極限に達している」と。そして習氏を崇拝するような風潮を戒め、1989年の天安門事件も再評価することも求めた。朝日によると、当局はこれまで、北京大や清華大などの著名な学者にに対しては、国際世論への影響を考慮して一定の批判を許容してきたが、最近はこうした学者に対しても発言を控えるように要求しているらしい。従って許氏は見せしめにされた感が強い。許氏の発言はもっともで、毛沢東の独裁がどれだけ厄災を及ぼしたかを考えると、習近平のやり方は非常に危うい。自身がいくら毛沢東になろうとしてもカリスマのオーラがないので無理だろう。これは、腐敗撲滅キャンペーンで多くの政敵を粛清したので、自分が今の地位を離れると今度は自分がやられるので、いつまでも今の地位にしがみついておかなばならないという恐怖心から来ているのかもしれない。
 しかし、中国は今、アメリカとの貿易戦争で苦境に立たされており、それを切り抜けるために「一帯一路」路線で中央アジアやEU諸国に秋波を送っているのが現状である。指導部は景気減速の中で、どうかじ取りをするのか厳しい状況に置かれている。
 こうした中で、毛沢東から習近平までの時代を生きてきた二人の中国人の共産党独裁に対する批判本が上記の二書である。石氏は1962年四川省成都生まれの漢民族、楊氏は1964年南モンゴル・オルドス高原生まれのモンゴル人で二人とも日本に帰化して活動している。石氏は学生時代から共産党の民主化阻止の動きに反発していたが、日本に留学中の1989年の天安門事件で、祖国に絶望、2007年に日本に帰化した。毛沢東チルドレンの幼少期から北京大時代の民主化の流れとその後の弾圧のなかで、共産党の負の側面を具体的に述べているところが読者の胸を打つ。特に著者が受けた反日教育の実態は、独裁政権が教育に介入して国民を洗脳するというパターンを改めて提示している。我々はこれを他山の石として肝に銘ずる必要がある。石氏は古き良き祖国の姿を日本に見出し、ここを安息の地と決めたようだ。
 対して楊氏はモンゴル人の立場から中国の周辺の少数民族に対する過酷な統治、弾圧に対する批判を続けている。彼も生活体験による共産党の実態暴露ということで、毛沢東の対国民党との戦いや政権奪取後の大躍進運動の厄災、文化大革命の実相など目新しくはないが、改めてこの独裁者の恐怖を語って見せる。習近平は自分を毛に擬せようとしているがどれほどバカげたことか、中国現代史を読み直す必要があるだろう。
 毛沢東は農民の出だが、農民を弾圧することで共産党政権を維持した。それが本書にも書かれている農民戸籍の問題である。農民の移動を禁じたこの法律は現代になってその矛盾が露呈し、都市住民との格差の象徴となっているが、一向に改まる気配がない。農民の流民化は政権崩壊の原因になることは歴代王朝の歴史をみれば明らかで、これを防ぐために毛は農民を田舎に縛りつけたのである。この農民弾圧の歴史は今も続いていて、都市住民との格差問題は解消される兆候はない。農民の解放と言いながら、実は農民の弾圧で政権を維持してきた共産党の負の側面をもっと知らしめる必要があるだろう。政権維持のためには手段を選ばないというやり方は習政権に受け継がれて、冒頭の学者の異論封じに繋がっている。
 近刊の『ディープすぎる シルクロード中央アジアの旅』(下川裕治 角川文庫)によると、中国のウイグル人に対する締め付けの実態がよくわかる。中国領内での旅行者のチェックポイントの多さ、嫌がらせに近い持ち物検査、バザールに入るにもチェックされること、漢族のウイグル人に対する高圧的な態度等々、かつてのおおらかな辺境シルクロードの風景は消えうせたと下川氏は言う。石氏を落胆させた祖国の状況はここにもある。