読書日記

いろいろな本のレビュー

河東碧梧桐 石川九楊 文春学藝ライブラリー

2024-05-25 08:00:28 | Weblog
 本書は正岡子規の弟子で自由律俳句の先駆者であった河東碧梧桐の伝記である。同じ子規の弟子であった高浜虚子との対比によって守旧派と革新派の確執が語られる。彼は俳句のみならず書にも数多くの傑作を残しており、これを書家である作者が紹介しているところが本書の眼目と言える。書家碧梧桐という側面は私も知らなかったので、非常に興味深い。作者によると、碧梧桐は俳句と書とを「文筆」として一連のものとして考えていたようだ。友人の中村不折所有の中国六朝時代の書の拓本を見せられて魅了され、六朝書と俳句革命が連動しており、俳句革新の旅は書の「六朝」への革新の旅でもあった。

 「赤い椿白い椿と越智にけり」  「思わずもヒヨコ生まれぬ冬薔薇(ふゆそうび)」 これらは碧梧桐の代表作だが、これを六朝風の書体で書くとまさに芸術作品の風格を帯びてくるから不思議だ。ただ読んで耳で音を聞くだけでは不十分で、きれいな書体で書かれたものを鑑賞するのが基本的なやり方だという作者の説明はなるほどと感心せざるを得ない。本書は俳句の書体を様々分析しているところが眼目で非常に新鮮だ。ライバルの高浜虚子は碧梧桐の新傾向俳句、六朝書への傾倒ぶりを冷ややかに見ていたようだが、その対決姿勢は 春風や闘志いだきて丘に佇つ(昭和33年)という句に表れている。著者は、「闘志いだきて」という生硬な語を中句に収めたところに新規さがあるといえ、感情むき出しゆえの醜さが露呈していると酷評している。余談になるが、以前ある県の高校入試の問題にこの虚子の俳句が出題されて、作者の心情を問う設問があったと記憶する。このストレートな表現が中学生にピッタリという判断だったと思うが、この時の虚子はライバルを蹴落としてやるという青春真っ最中の中学生の純真無垢さとは無縁の感情であったことを出題者は理解していなかったのだろう。俳句の解釈も年代史的にやらなければ本当の心情はつかめないのではないか。

 著者曰く、虚子は子規や碧梧桐の俳句革新を嗤うように、俳句を季題・季語と音律数からなる短詩という通俗的な定義に割り切ることによって、大衆的な俳壇を形成し、その首魁としての位置を定めたのであると。この二人の関係を著者は「たとふれば双曲線のごとくなり」と表現している。確かに世の中このような人間関係はざらにある。碧梧桐は63歳で亡くなるが、虚子は85歳まで生きた。この点から言っても革新者碧梧桐の悲劇性はいやがうえにも盛り上がる。

 俳句を手書きにしてその書体を味わうことが大事だという著者の主張は目からうろこであったが、さらに続けて著者はいう、パソコン作文をデジタル文学とでも呼ぶようにすれば、芥川賞といっても過去と何たる違いと思い悩むこともなくなる。現在の芥川賞も従来の手書きによる芥川賞と、近年のデジタル作文の「e芥川賞」と「D芥川賞」と区別するようになれば、ずいぶんとわかりやすくなる。(中略)文学は「書くこと」=筆触から生まれてくる、その化体であるからであると。手書きの醍醐味は書家としての矜持の表れであり、彼の主張を旧弊なものとして退けることはできないだろう。とにかく碧梧桐の巨大な足跡を掘り起こし、今文学が直面する課題を提起したという意味で大いに評価すべき一冊である。

 

放浪・雪の夜 織田作之助 新潮文庫

2024-05-08 09:39:40 | Weblog
 織田作之助傑作集と銘打って、11編の小説が収められている。まずは森英二郎氏によるカバー装画がいい。道頓堀のグリコ前の夜景を水彩画で描いたものだが、郷愁を誘う。織田作之助と言えば『夫婦善哉』が有名だが、恥ずかしながら今まで彼の作品は読んだことがなかった。今回本書を読んで、結構うまい作家だということが分かった。晩年はヒロポン中毒で最期は喀血して34歳で死んだが、残念なことである。彼は無頼派と呼ばれ、太宰治や坂口安吾と交流があったが、作品の物語性は共通するものがあり、ただの大阪在住の地方作家という私の見方を大いに反省した。彼の生まれ育った難波周辺の風俗を描いているが、彼自身は三高出身のインテリで、決して通俗に流れない味があって好感がもてる。

 本書では戦前・戦中の大阪の暮らしが彷彿とされる言葉が沢山出てきて、こちらも『大阪ことば事典』(講談社)で確認しながら読み進めた。巻末の注解は詳しくて大変勉強になる。少し例を挙げよう。「現糞」(験すなわち縁起が悪いことを忌み嫌って「くそ」をつけた言葉。「現糞悪い」という言い方をする。「坊んち」(良家の若い子息を呼ぶ語。坊ちゃん。)「夜泣きうどん」(夜中に屋台を引き、売り声を上げたり、音を鳴らしたりして客を呼ぶうどん屋)
「関東煮」(おでん)「まむし」(鰻めしのこと)「胸すかし」(千日前の竹林寺の前で売っていた鉄冷鉱泉。炭酸水のこともいう)「でん公」(大阪で町の不良、ばくち打ちのこと)「コーヒ」(コーヒーを短く縮めた)「おんべこちゃ」(同じであること。おあいこ)以上私の目に留まったものを挙げてみたが、「おんべこちゃ」は知らなかった。『大阪ことば事典』では、「オンベ」で出ていて、(同じこと。あいこ。また、オンベコ。オンベコチャン。)とある。大阪弁も奥が深い。

 最近はテレビなどでは大阪弁を含む関西弁を使う人間がみられるが、多くは吉本などの芸人でそのイメージは決して良くないものとして演出されることが多い。東京のテレビ局の悪意によるものがまま見受けられる。「東京に負けへんで」という気概が大阪にはあり(村田英雄の「王将」や天童よしみの歌など)、これを少々皮肉ってやろうということなのかなあと思ってみたりもする。しかし、東京に負けたくないという気持ちは「関西人」にアプリオリなものとして備わっているのではない。在阪のテレビ局などは、何かといえば「関西人」を強調するが、こちらに住む私としてはいい迷惑である。その昔、作家の池波正太郎氏は、「生粋の江戸っ子は大阪の悪口なんか言いはしないし、逆に生粋の浪速っ子は東京の悪口を言わないでしょう」という趣旨のことを言われていたが、全く同感である。それぞれの文化の中で育ってきた人間にはおのずと品格が備わるものである。

 これに関わって、織田作之助も本書の「神経」という作品で次のように言っている。曰く「帰りの電車で夕刊を読むと、島之内復興連盟が出来たという話が出ていて、【浪速っ子の意気】いう見出しがついていたが、その見出しの文句は何か不愉快であった。私は江戸っ子という言葉は好かぬが、それ以上に浪速っ子という言葉を好かない。焦土の中の片隅の話をとらえて【浪速っ子の意気】とは、空景気もいい加減にしろと言いたかった。【起ち上る大阪】という自分の使った言葉も、文章を書く人間の陥りやすい誇張だったと、自己嫌悪の念が湧いてきた」と。空襲で大阪が焼け野原になった頃の話だ。織田は大阪生まれのインテリだが、その彼にしてこの謙虚さはさすがというべきだ。池波正太郎と通ずるものがある。今度はぜひ『夫婦善哉』を読みたいものだ。