読書日記

いろいろな本のレビュー

アウシュヴィッツのコーヒー 臼井隆一郎 石風社

2017-05-23 19:46:20 | Weblog
 アウシュヴィッツとはあの有名なナチスドイツが作ったユダヤ人絶滅収容所のことだ。それとコーヒーがどんな関係があるのか? 真相は以下の通り。ルドルフ・ヘスがここの所長だった頃、いかに効率よくユダヤ人を処理するかに腐心していた。結果、毒薬チクロンBをシャワーのように浴びせて殺す方法を編み出したが、囚人たちをガス室に入れる前にそれと感づかれて暴動が起こることを恐れ、シャワーを浴びた後はコーヒーが待っていると伝えた。当然、手前には脱衣所がなければならない。脱衣所にはそれらしくベンチも外套掛けも用意する。すると囚人は自分が出てくるときの事を考えて自分の衣服を丁寧に畳む。シャワーの後にコーヒーを出すということで、囚人たちのオズオズとした立ち居振る舞いがすべて日常茶飯のスムーズなリズムを取り戻して自然の流れについたという。まだ続きがある。著者によると、ある一人のSS骸骨隊の隊員から極めて説得的な提案がなされた。それはシャワーの後にコーヒーが出されることが本当だと見せかけるためには、工場の周りにコーヒーを淹れるための器具を備えた炊事車を用意する必要があるというのである。その隊員は自宅から炊事車を用意してきてアウシュヴィッツの工場壁面に停車させた。すると絶滅工場はコーヒーが飲めるカフエがある場所としか見えず、死体製造工場とは思えなくなった。ジェノサイドという倫理的に許されない事をスムーズに実行する工夫を凝らすというのは驚きだが、逆に人間はここまでやるものなのだ。ことほど左様にコーヒーはユダヤ人も含めてヨーロッパの人々の心を和ませ落ち着かせる効果を持った人気の飲み物だった。今の日本も結構コーヒー愛好家が多いが、日本の喫茶店が出すコーヒーの味は世界的に見てどういう評価なのだろう。
 この本の副題は「コーヒーが映す総力戦の世界」で、著者はアフリカ原産のコーヒーのドイツにおける受容の歴史を通して、主に十九世紀以降、第二次世界大戦で敗れるまでの戦争とそれに巻き込まれて行く人々の歴史を俯瞰する。コーヒーを産出する植民地の獲得を目指して船出するヴィルヘルム二世とそれに公然と異を唱えるベルリンやミュンヘンのカフエ・ボヘミアンなど、コーヒーを巡る話題は興味深深。カバーには、このボヘミアンたちのたまり場であった、ベルリンのカフエ・デス・ヴェンテスの写真がある。とても立派なカフエで歴史を感じさせる。
 是非ドイツでコーヒーを飲みたいものだ。

薬に頼らず血圧を下げる方法 加藤雅俊 アチーブメント出版

2017-05-14 08:52:27 | Weblog
 いわゆる「ハウツーもの」は買って読むことはないが、今回は買って読んだ。というのも私自身が8年前から高血圧の薬を服用して、血圧を下げることをやっているからだが、最近は毎日服用することはしていなかった。というのも、薬をもらうために長時間待って診察を受けることが面倒くさいのと、高血圧の基準の140/90が是非とも守られなければならない基準なのかどうか、また薬で下げることによる副作用はないのかどうかなど疑問が湧いてきたからだ。そんなとき本屋で見かけたのが本書である。
 一読して非常に有益なことが書かれていて参考になった。著者(薬剤師)によると、血圧が上がるのは加齢による自然現象で、血圧に振り回されてはいけない。「年齢+90」の範囲内におさまった血圧なら、気にする必要は一切ないということだった。安心した。また、日本で一番消費されている薬は「降圧剤」で、平成26年の厚労省の「医薬品効中分類別生産金額」では、血圧降下剤と血管拡張剤を合計すると、全体の11,4%を占め、金額にすると、7525億8700万円だとのこと。高血圧の基準値が引き下げられると一気に患者数が増え、製薬会社は潤う仕組みだ。当然家庭用血圧計を販売している会社も儲かるだろう。これって健康リスクの便乗商法ではないかという疑念も湧いてくる。
 著者曰く、高血圧のような生活習慣病は薬では治らない。降圧剤は「一生のお付き合い」という言葉を信用してはならない。「本態性高血圧」という病名はとりあえずつけた病名であって、「特別な原因が不明の高血圧症」という意味だ。これに対して腎臓に問題があるなど他の病気が原因で血圧が上がる場合は「二次性高血圧」と呼ばれる。わが国では「本態性高血圧」が90%を占めていて、「血圧がなぜ高くなったか」よりも数値だけが問題となっている。即ち数値を下げる目的だけのために副作用を得ることになってしまうということだと。また「減塩」で高血圧は治らないとう第四章の記事も必見。
 それでは高血圧はどう直すか。運動不足にならないようにするというのは夙に指摘されてきたが、私もそれを実践して、まめに水泳教室に通っている。実際水泳後の血圧は確実にさがる。ところが朝の血圧が高いのをどうするかが懸案事項だった。そこで本書でお勧めの「降圧ツボ」を写真説明に従ってやってみると確かに効き目があった。嘘みたいな話だが、数回やった結果だから間違いない。「降圧ストレッチ」も紹介されているので、おいおい試したい。これで¥1296(税込)は薬代に比べて安い。加藤先生ありがとう。

土の記(上・下) 髙村 薫 新潮社

2017-05-11 11:20:17 | Weblog
 奈良県の大宇陀で農業を営む上谷伊佐夫の生活を描いたもの。農家の男の生活を描いて小説としてどう展開するのか、退屈な日常を切り取って読まされても感動しないのになあと思って読み進めたが、なかなか面白い小説だった。ストーリーテラーの面目躍如という感じだった。田舎の風俗も正確に画かれていて、著者自身田舎出身ではないかと思わせるぐらいのレベルだ。
 伊佐夫は昭代という妻がいたが、昭代は十年前に交通事故で他界している。伊佐夫は実は養子で、東京出身。早川電器(シャープ)の奈良工場に務めていて、職場の人の紹介で上谷家の長女昭代と結婚した。上谷家は大宇陀宮奥の裕福な土地持ちで、祖母ヤエ、母シズエと代々養子をとって家を守ってきた。昭代は明朗快活な女性で、田舎には稀な発展家として描かれる。久代という妹がいるが、奈良女子大の英文科を出た後、他家に嫁いでいる。
 妻の昭代はミニバイクに乗っていて、山崎某の運転するダンプカーと衝突して亡くなったのだが、その死は伊佐夫にとっても不可解で、ダンプカーとぶつかる必然性に疑問を感じている。山崎某はたまたま飲酒運転だったことで、彼に非があるという事で一件落着したが、山崎某は自分に非はないないと最後まで主張していた。
 伊佐夫は昭代が無くなったあと、農作業に従事しながら、亡き妻との在りし日の生活を回想する。陽子という一人娘がおり、県立高校から慶應大学を出て、結婚してその後離婚、娘がおり、子連れで再婚してアメリカ・イギリスを転々としている。母昭代の血を受け継いで、活発に活動している。
 昭代は田舎の名士の娘で美人であった、その点、東京出身の伊佐夫にとっても退屈しない伴侶であったが、その発展家の通弊も併せ持っていた。即ち浮気の資質を持っていたことであった。伊佐夫は昭代との生活の中でそれを疑う事がたびたびあったが、誰とどのようにという細部までは掴んでいない。小説もそこはぼやかしている。田舎の農家という土を相手に生きる、一見素朴で善良と見える人間の中に都市生活者に劣らぬどろどろした情念がこの夫婦にはあったのだろう。妻の不貞を疑って、それを究明する前に妻は他界した。小説の最後で伊佐夫は、昭代の死は自殺であったのではないかという想像をする。すると自己の不可解さとダンプの運転手の証言が腑に落ちる。これは謎のまま話は終わるが、伊佐夫・昭代の田舎での夫婦生活が読者のイマジネーションを喚起して、小説自体が大変厚みのあるものになっている。 
 昭代の死後、妹・久代がなにくれと世話をする様子が、在りし日の昭代を彷彿とさせて興味深い。妻の死に疑念を抱きながら都会出身の伊佐夫は黙々と農作業に従事して作物の育成に専念する。修行僧のように。

名誉と恍惚 松浦寿輝 新潮社

2017-05-07 14:30:54 | Weblog
 本書は朝日新聞の書評欄で知って読んだ。評者は小説家の佐伯一麦氏で、結構好意的な書評だった。この750ページを超える長編小説は、文芸誌「新潮」に掲載されたもので、純文学の範疇に入るのだろう。著者は東大名誉教授で仏文専攻、かつて「花腐し」で芥川賞受賞した。詩人、小説家、評論家、大学教授の肩書を持つ、千手観音のような人物である。長編エンターメント小説は「小説新潮」に連載されるのだろうが、これは著者の経歴からして通俗小説とは一線を画すという編集者の認識なのだろう。
 舞台は日中戦争時代の上海で、東京警視庁から共同租界を管理する工部局警察部に派遣されいる主人公芹沢一郎が、日本陸軍諜報機関の嘉山少佐に呼び出されて、上海の青幇の頭目・䔥炎彬との面会を依頼されることから始まる。芹沢は嘉山に陰謀で嵌められ、警察を免職になり、苦難の生活を余儀なくされるが、知り合いの時計屋の主人・憑篤生に助けられ、沖仲仕をしたり、憑の経営する映画館の映写技師になったりして生き延びる。そして最後は宿敵嘉山との対決だ。それは暴力の活写ではなく、法問に近い。芹沢はホモセクシュチュアルの癖もあり、父は韓国人という設定で、物語を複雑化する要素として使われている。佐伯氏は「円熟の手腕によって構築された物語世界は、詩と批評を内包し、様々な芸術を現前させる」というコメントをしているが、とにかくストーりーのあちこちに著者の蘊蓄がタペストリーのように織り込まれるので、ともすると流れが悪くなることが多い。最後の嘉山との対決場面でビリヤードで勝負する話が延々と続くのだが、そのビリヤードの説明が半端ではない。読者にレクチャーしてくれるのだ。
 文体も三島由紀夫とは少し違った味の凝ったものである。芹沢が時計屋の主人・憑篤生の紹介で上海の青幇の頭目・䔥炎彬と面会したあと彼の第三夫人美雨と会う場面にこうある、「女は芹沢の眼前まで来て、ぼんやりと立ち止まった。女が接近してくる過程で芹沢を見舞った、次々に変化してゆく複数の感覚のうち、最後に残ったものは、今回もまた凶暴な肉食獣の発散する獰猛な精気の感触だった。生長し増殖していこうとする植物の盛んな勢いも消えて、今や目の前の女の体から立ち昇る動物的な生臭さだけが芹沢の皮膚に粘りついてくる」と。どんな女性なのかイメージするのが難しい。ただの肉感的な女性ではない。もっとデモーニッシュな感じかな?一度お目にかかりたいものだ。
 本書が750ページを超える長編になった理由は一にかかって凝った表現とレクチャー精神の発露にあることは間違いない。くどいと思いながらも乗せられて最後まで読んでしまった。