読書日記

いろいろな本のレビュー

アフリカ文化探検 田中二郎 京都大学学術出版会

2017-11-24 09:00:20 | Weblog
 著者は1966年から文化人類学のフイールドワークの一環としてアフリカに渡り、原住民のブッシュマンの調査に携わってきた。以来半世紀を経てその足跡をまとめたのが本書である。さまざまな困難と戦いながら文化人類学の発展に貢献したそのエネルギーにまずは感嘆せずにはいられない。掲載されている写真も豊富でアフリカを身近に感じることができる。
 ブッシュマンは「狩猟採集民」と言われているが、生計の基礎を植物採集においているので、「採集狩猟民」と呼ぶのが妥当かもしれないとの指摘がある。彼らは一方で野生動物の狩猟も行なうが、そういつもいつも成功するわけではなく(これはライオンの狩りと一緒)、特に大型のものはめったに獲れない。大型動物の場合、彼らは毒矢を射て弱らせてからとどめを刺すが、なかなか時間がかかる。大型のエランド(鹿の一種)は脂肪が多く彼らの好物で、エランドの踊りもあるくらいで縁が深い。肉は平等に分配される。この平等主義はあらゆるところで徹底されている。従ってグループを統率するリーダーの存在もない。基本的に彼らの集団は家族を中心にしたもので、50人前後の社会が普通。これが獲物の量等で増えたり減ったりするようだ。最低一家族で行動する場合もあるが、餌が取れなくて飢え死にする危険もあるという。彼らの平均寿命は35歳ぐらいという。過酷な環境ではそれくらいになるのかなあと今の自分の年齢を思い、ある種の感慨を覚える。彼らは移動する集団なので、必然的に持ち物は少なくなる。物を所有して貯めるという発想はないようだ。ところが近年狩りをする場合、馬に乗って長距離を駆け巡るやり方が出現すると、獲物は馬の持ち主が多く取るという風に変わってきたという。資本主義的発想が生まれてきたわけである。また最近の開発発展の余波であろうが、ブッシュマンが酒を飲むことを覚え、これが問題を起こしているらしい。元々彼らは物を貯めない流儀だったが、労働で得た金を全部酒につぎ込み、酒びたりの生活になってしまうという。江戸っ子風の宵越しの金は持たないということである。近代化はこのように原住民の固有の文化を毀していく。自給自足の生活に貨幣が入り込むと近代化は急速に進み、取り残される人間が多く発生するという負のスパイラルである。
 一方で、著者はケニア北部の砂漠地帯に住む遊牧民レンディーレについても調査している。彼らはラクダの遊牧民だが自然環境の厳しさから生き残るために人間の数を増やさないための工夫として、晩婚の風習があるという。これも自然と人間の力関係から生まれた究極の発想と思うが、逆にそこまでしなければ生き抜けない環境なのだ。改めて人間の生き抜く力に感銘を受けた。
 本書によって原初の人類の姿を垣間見ることができた。彼らの営みに比べて昨今の人間はどうなのか。いろいろ考えさせられた。
 

信長の二十四時間 富樫倫太郎 講談社文庫

2017-11-16 14:25:36 | Weblog
 織田信長は天下統一の前に本能寺の変によって死んだが、生前は冷酷無比な暴君として家臣から恐れられていた。彼の敵に対する過酷な仕打ちは、比叡山の焼き討ち、伊勢長島一揆の門徒殺戮等々を見ればわかる。良心や善意を持っていない人を「サイコパス」と呼ぶが、これは精神病質あるいは反社会性人格障害などど呼ばれる極めて特殊な人格を持つ人のことを指す。中野信子氏の『サイコパス』(文春新書)によると、信長はこのサイコパスであった可能性が高いと指摘している。
 この小説は暴君信長に仕える家臣たちのストレスフルな日常を描き、この男さえいなければという情念が本能寺の変に集約されたという内容である。徳川家康、明智光秀、豊臣秀吉らは、信長が天下統一を成し遂げた後は、邪魔者として殺されるのではないかと疑心暗鬼になっていた。本書では、信長は自分が幕府を開いて将軍になるのではなく、天皇を支配者として、言わば明治維新の版籍奉還のような形をとって、自分は天皇を陰から操る存在になることを目指していたという設定にしている。そして本能寺の変の首謀者は、豊臣秀吉とその参謀の黒田官兵衛で、明智光秀は彼等に利用されたというストーリーはなかなか面白い。また織田軍に攻め込まれて壊滅的な被害を被った伊賀の里では、生き残った伊賀衆の中の忍び集団・百地党を率いる百地丹波は連歌師の里村紹巴で、彼は石川村生まれの文吾(後の石川五右衛門)らと共に、信長に復讐を誓う。信長に乗っ取られそうになる朝廷側も、このまま座を明け渡してなうものかと、信長暗殺計画を立てる。ただこの中で、徳川家康は信長に殺意を覚えながらもお家安泰のためひたすら信長に仕える忍重の人として描かれているところが異彩を放っている。
 この危険な独裁者をみんなが消したがっている中で、信長の覚えめでたいと思われていた秀吉が備中高松城を水攻めにしている最中、黒田官兵衛と謀って信長暗殺に踏み切ったというのは信長の心の闇が人たらし秀吉にも扱いきれぬものだったということだろう。小説の中の信長は多くを語らないが、周りの忠臣たちの信長に対するビビリぶりが彼の本質を十分に語らしめるという構成は見事である。久しぶりに面白い時代小説を読んだ。