間違いだらけの教育論 諏訪哲二 光文社新書
著者は「プロ教師の会」代表で、高校現場で定年まで教鞭をとり、七年前に退職して、現在日本教育大学院大学客員教授。この大学はどういうものか知らないが、教師上がりで、ここに勤めている人は結構多い。本書はカリスマ教育者と言われる人を丁寧に批判したもので、俎上に上げられているのは、①斎藤孝 ②陰山英雄 ③義家弘介 ④寺脇研 ⑤渡邊美樹の五人である。ほかに苅谷剛彦、西研、内田樹も取り上げられているが批判というほどではない。
私は①の斎藤氏の本は読んだことがなく、今回初めて彼の教育論を知った訳だが、やたら本が売れていて、テレビにも出てニコニコしている人だなあという印象しかなかった。そりゃ大学教授で本がやたら売れて、テレビで引っ張りだことなれば、笑わずにはいられないだろう。③の義家氏はここで取り上げて批判する価値もないと思っていたのでどうでもよかったのだが、案の定、発言がぶれて何を言っているのかわからないという評価だった。その通りだと思う。
著者の持論は、教育とは私人を公人にする営為で、そこには強制が伴うというものだ。これは教育現場にいる者にはすごく実感できることで、正論だと思う。冒頭のヘレンケラーとサリバン先生の話はそのことを説明する適切な例えである。三重苦に見舞われたヘレンが人間として成長するためには言語獲得と発声という困難な課題があったが、サリバン先生の厳しい訓練によってそれが実現したというものだ。最近の教育論はこの視点が抜け落ちているために話が混乱しているという氏の分析は誠に素晴らしい。
②の陰山氏は教育を「学力」を伸ばすことに特化してマスコミの寵児となった人だが、「学力」をさらに知識・技術に限定しており、教育を非常に底の浅いものに置き換えてしまったという批判はまことに痛快だ。大阪の橋下知事に請われて教育委員会の特別顧問についてが、現場の迷惑を顧みずに「百マス計算」ばかりアホの一つ覚えみたいに唱えている。現場の反発の空気を読めない、お気楽な人とみた。
④の寺脇氏は「ゆとり教育」の司令塔で、文部官僚として高みからものを言ってきた人だ。自分の教育理念は誤謬がない、常に正しいと宣言した人で、これも現場の混沌を理解していないお気楽な人だ。
⑤の渡邊氏は「ワタミ」の社長で、潰れかけた私学の高校を買い取って教育界に参入した人だ。「夢」を追いかけるのが教育だというロマンを前面に出して、教員を叱咤激励しているが、教員はなかなか言うことを聞かないと嘆いている。著者によれば、民間の営利競争主義を教育界に導入してもダメな理由を詳しく書いている。著者は言う「構成員としての教師を渡邊さんは好きなように動かすことはできない。それに、好きなように動かせたとしても、教育的に意味がない。精神的な奴隷は教師になれない。(中略)教育は理念によってではなく、具体的な人間によってなされる。そして、教師たちへの指導も、生徒たちへの教育も、やっている側の思う通りにいくはずがない。教師も生徒もひとだからである。やっている側の思う通りにいったら、洗脳や強制であり、教育的に意味がない。人間的に意味がない。渡邊さんの望むような自立した産業人にはならない」なんと至言ではないか。
大阪の橋下知事の教育改革に現場が反発する理由も分かろうというものである。 前から②と⑤の人物には嫌な感じを持っていたが、本書を読んで溜飲が下がった。これで770円は安い。是非買って読んでいただきたい。
著者は「プロ教師の会」代表で、高校現場で定年まで教鞭をとり、七年前に退職して、現在日本教育大学院大学客員教授。この大学はどういうものか知らないが、教師上がりで、ここに勤めている人は結構多い。本書はカリスマ教育者と言われる人を丁寧に批判したもので、俎上に上げられているのは、①斎藤孝 ②陰山英雄 ③義家弘介 ④寺脇研 ⑤渡邊美樹の五人である。ほかに苅谷剛彦、西研、内田樹も取り上げられているが批判というほどではない。
私は①の斎藤氏の本は読んだことがなく、今回初めて彼の教育論を知った訳だが、やたら本が売れていて、テレビにも出てニコニコしている人だなあという印象しかなかった。そりゃ大学教授で本がやたら売れて、テレビで引っ張りだことなれば、笑わずにはいられないだろう。③の義家氏はここで取り上げて批判する価値もないと思っていたのでどうでもよかったのだが、案の定、発言がぶれて何を言っているのかわからないという評価だった。その通りだと思う。
著者の持論は、教育とは私人を公人にする営為で、そこには強制が伴うというものだ。これは教育現場にいる者にはすごく実感できることで、正論だと思う。冒頭のヘレンケラーとサリバン先生の話はそのことを説明する適切な例えである。三重苦に見舞われたヘレンが人間として成長するためには言語獲得と発声という困難な課題があったが、サリバン先生の厳しい訓練によってそれが実現したというものだ。最近の教育論はこの視点が抜け落ちているために話が混乱しているという氏の分析は誠に素晴らしい。
②の陰山氏は教育を「学力」を伸ばすことに特化してマスコミの寵児となった人だが、「学力」をさらに知識・技術に限定しており、教育を非常に底の浅いものに置き換えてしまったという批判はまことに痛快だ。大阪の橋下知事に請われて教育委員会の特別顧問についてが、現場の迷惑を顧みずに「百マス計算」ばかりアホの一つ覚えみたいに唱えている。現場の反発の空気を読めない、お気楽な人とみた。
④の寺脇氏は「ゆとり教育」の司令塔で、文部官僚として高みからものを言ってきた人だ。自分の教育理念は誤謬がない、常に正しいと宣言した人で、これも現場の混沌を理解していないお気楽な人だ。
⑤の渡邊氏は「ワタミ」の社長で、潰れかけた私学の高校を買い取って教育界に参入した人だ。「夢」を追いかけるのが教育だというロマンを前面に出して、教員を叱咤激励しているが、教員はなかなか言うことを聞かないと嘆いている。著者によれば、民間の営利競争主義を教育界に導入してもダメな理由を詳しく書いている。著者は言う「構成員としての教師を渡邊さんは好きなように動かすことはできない。それに、好きなように動かせたとしても、教育的に意味がない。精神的な奴隷は教師になれない。(中略)教育は理念によってではなく、具体的な人間によってなされる。そして、教師たちへの指導も、生徒たちへの教育も、やっている側の思う通りにいくはずがない。教師も生徒もひとだからである。やっている側の思う通りにいったら、洗脳や強制であり、教育的に意味がない。人間的に意味がない。渡邊さんの望むような自立した産業人にはならない」なんと至言ではないか。
大阪の橋下知事の教育改革に現場が反発する理由も分かろうというものである。 前から②と⑤の人物には嫌な感じを持っていたが、本書を読んで溜飲が下がった。これで770円は安い。是非買って読んでいただきたい。