読書日記

いろいろな本のレビュー

日本が売られる 堤未果 幻冬舎新書

2018-10-30 09:18:42 | Weblog
 日本の水、土地、医療その他が法律を変えられどんどんアメリカや中国やEUなどの外資に売られている現状をつぶさに報告したものである。以前から北海道の土地が中国人に買い占められているという報告があったが、基地のそばとか水源地まで買われている現状を政府はどう考えているのかと疑問に思ったが、その対策を本気で打っているのだろうか。規制緩和とか自由貿易推進とか言っているが、国益とは何かということについてもっと真摯に考える必要がある。今はやりの国家戦略特区諮問会議は規制緩和を第一の目玉として活動しているようだが、あの加計学園の獣医学部新設問題は、その認可のあり方が問題になったことは周知の通り。要するに会議のメンバーの働きかけが大きく左右することは明白で、まして首相の間接的な働き掛けがあったとしたら話は簡単に進むことは誰でもわかる。 著者が売られている例として挙げているのは、水、土地、以外にタネ・ミツバチの命(農薬問題)・食の選択肢・牛乳・農地などの資産などだが、どれもアメリカの圧力によって規制緩和を迫られた結果と言えるものが非常に多い。外交と同様、弱腰の対応の足元を見られている感が強い。TPP問題で日本はアメリカのフロマン通商代表にさんざん苦杯をなめさせられたが、政権交代でトランプ大統領はTPPから離脱して日米の二国間交渉に切り替えた。さらに厳しい要求が突きつけられることが予想される。
 現政権は対米問題に苦慮せざるを得ない一方で、中国はアメリカとの貿易戦争のただ中にある。その余波で、中国は日本に秋波を送った結果今回の日中首脳会談実現となった。こちらはこちらで「一帯一路」構想にどう関わるか難しい判断を迫られる。こんな中で、現政権は労働力不足を解消するために、「入国管理法」を改正して、外国人の日本での労働条件を大幅に緩和する方針を打ち出した。政権は移民をどんどん受け入れることではないというが、一時しのぎの感は否めず、野党から批判が噴出している。技能実習生の滞在をあと5年延長できる、家族も呼び寄せてよいとなると、なし崩し的に外国人が増えていく。根本的な政策を立てておかないと後でこんなはずじゃなかったということになるだろう。本書でも、第二章の「日本人の未来が売られる」で、外国人労働者の問題について、警鐘を鳴らしている。
 例えば日本に滞在する外国人で最も多いのが中国人で、国籍取得者を含めて過去最多の現在92万人を突破、外国人労働者の3割を占めている。彼らは2010年7月に中国で導入された「国防動員法」によって、有事の際には中国政府の指揮下に動員されることが義務づけられている。こうした事実は一部の保守系論者から懸念の声があがるだけで、政府の移民政策の議論の中には出てこない。著者はこれを危惧しているがマスコミで取り上げられることはない。
 なにはともあれ、少子化の影響で、日本の労働人口は不足し、とくにサービス業や肉体労働の部門での働き手の不足は顕著で、多くの外国労働者によって補われている。この問題を経済界から何とかしろと言われて今回の法案改正の運びとなったわけだ。先述の国家戦略特区諮問会議がイニシアチブを取ったと著者は言っている。その中心人物が竹中平蔵氏であった。彼は今東洋大学教授であるが、小泉内閣では重要なブレーンとして規制緩和に取り組んで小さな政府の実現を目指した人物である。現在人材派遣会社パソナの社外取締役になっているが、諮問会議で外国人労働者の受け入れを積極的にやるよう働きかけて、パソナ傘下の会社に斡旋の仕事受注させたとある。
 権力を行使するものは公正でなければならないが、加計問題といいこの問題といいモラルも低下を感じる。マスコミは政権の不都合な真実に対して戦う姿勢を見せる必要がある。本書の内容を知っている人は少ないのではないか。その意味で価値のある本だ。テレビのバラエティ番組でへらへら笑っているうちにこの国はエライことになってしまう。愚民化政策をテレビがやってくれているのだから、為政者はほくそ笑んでいるだろう。

銀河鉄道の父 門井慶喜 講談社

2018-10-23 09:06:15 | Weblog
 本書は直木賞受賞作で、宮沢賢治の父政次郎から見た賢治と家族の物語である。まずこの本の装丁が素晴らしい。メガネ・懐中時計・手帳・万年筆・そろばん・コインと賢治が使ったであろう小物が並べられて、在りし日の故人を偲ばせる。賢治自身の写真を使うよりインパクトがある。
 政次郎は古着屋兼質屋の家業を父喜助から引き継ぎ、商売に学歴は不要という喜助の方針によって上級学校に進む事を諦めた。そして息子の賢治にも同じ道を歩ませようとしたが、本人のたっての願いで、花巻の小学校から盛岡中学・盛岡高等農林への進学を許した。勿論賢治の成績が良かったことが大きな理由だが、政次郎自身が進学できなかったこともあり、息子にはそれを許してやろうという気持ちが湧いていたのだろう。政次郎の賢治(他の子どもも含めて)に対する愛情がさりげなく描かれていて優しい気持ちになる。これが受賞の大きな理由であろう。
 賢治は日蓮宗に帰依して国柱会に入り活動するが、その過程で父親に改宗を勧める場面が印象的だ。政次郎を始め宮沢家はもともと浄土真宗の熱心な信徒であったが、その父に「お父さん、おらと信仰をともにしませんか。お父さんの生き方は、実は法華経の生き方なのす」と言うと、政次郎は「ばかと」答える。父子の論争は、二三日おきに繰り返された。ひとたび始まれば近所に声がとどくほどの激語となり、深夜に及ぶことも珍しくなかったとある。著者はこの親子について「何より、人生への態度が律儀である。人生は人生、宗教は宗教というふうに割り切らず、その分人生にも宗教にものめり込みすぎる。ある意味、ふたりとも子供なのである」と述べる。賢治のこの一途さは妹のトシの看病においても発揮され、「ほとんど兄弟愛の域を超えていた」とある。確かに『永訣の朝』にはインセスト(近親相姦)のにおいがするとはよく言われることだが、これを踏まえての記述であろう。
 トシの臨終の床で、政次郎が巻紙をかまえ、小筆をにぎり、「これから、お前の遺言を書き取る。言い置くことがあるなら言いなさい」と賢治の反対を無視して、トシに語りかける場面がある。その理由を「私は家長だ。自覚がある。死後のことを考える義務がある。トシの肉が灰になり、骨が墓におさまってなお家族がトシの存在を意識するには、位牌では足りない。着物などの形見でも足りない。遺言という依代が是非必要なのだ」と言う。そしてトシは「うまれてくるたて、こんどは、、、、」そのとき賢治は、政次郎とトシの間に割り込んで耳もとに口を寄せて、「南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経」とお題目を唱え続けたが、トシは逝った。
 後に賢治が「永訣の朝」を作った時、その最後に「うまれてくるだて こんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあようにいまれてくる」(また人に生まれるなら、こんなに自分のことで苦しまないように生まれて来ます)というトシの言葉が書かれているのを見た政次郎は、この長ぜりふは、どう見てもトシ自身のものではない、トシの遺言を捏造した、おのが作品のためにとその本を放り投げた場面が出てくるが、この詩の解釈において重要な指摘であろうと思う。浄化された世界の表現にトシの死を援用したわけだ。
 そして最後、賢治は病床で「雨ニモマケズ」を作る。その詩を書いた巻紙の墨を乾かすために政次郎が階下に降りたその間に賢治は死んだ。やられたと政次郎は呆然とした。でも結局は、あれも賢治一流の「遊び。いたずら」だったのかもしれない。そう思うようになったと結論付けた。これも息子との和解の一形態と言えるだろう。とにかく政次郎はよい父親だった。

送り火 高橋弘希 文藝春秋

2018-10-11 09:25:32 | Weblog
 第百五十九回芥川賞受賞作である。本小説はいわゆる「転校生もの」のカテゴリ―に入るが、抒情が乾いた感じで無駄な感情移入がない分読みやすく、淡々とした記述は作者の才能を感じさせる。「転校生もの」では、選考委員の山田詠美氏が多くの作品を残しており評価が高い。例えば『ひよこの眼』という作品は高校の教科書にも載っており、高校生に感動を与えている。私自身はこの作品はあまり好きではない。作為が見え見えだからだ。
 中学生の歩(あゆむ)は父親の転勤で青森県の片田舎の中学校に転校してきた所から話が始まる。青森は父親の出身地で、これが最後の田舎回りで、卒業後は首都圏の高校に入る予定だ。歩は以前東京で暮らしたこともあり、いわば都会人の田舎探訪という趣向だ。歩の入った中学は統廃合寸前で、三年生は20人足らず、一二年生は複式授業というありさま。従って多数の生徒にまぎれるということができず、交遊関係で退路がなく全面的に向き合わなければならない。その生徒の中で、晃がグループのボスという感じで歩むに接近してくる。普通だったら転校生はいじめに遭うことが多いが、このグループで苛められているのは稔である。晃はグループを率いていかさま花札をし、稔が負けるように仕組んで、罰として食べ物を買ってくるように命じる。晃は一見優等生的で暴力的ではないところが不気味だ。いつ歩に牙を剥くのか読者はスリリングな気持ちで、話の筋を追うことになる。この辺がうまい。都会人が田舎の土着人に遭遇してその暴力性に遭遇するというのはハリウッド映画にもよく出てくる。古くなるが、サムペキンパー監督の『わらの犬』(ダスティン・ホフマン主演)などがその好例である。田舎に引っ越した若夫婦がそこの不良に襲われるという話だ。
 本編も晃がどのようにして歩に攻撃を加えるのかと思っていると、最後はその中学の卒業生たちが広場に集まり晃や稔などの後輩を集めて、いろんな道具を使って曲芸を強要するという場面になった。歩もここに呼ばれ、クオーツの腕時計を横井という男に取られる。稔と仁村という男が花札の罰ゲームで曲芸をさせられているが、稔は手に持った道具で、晃を攻撃しようとする。稔の復讐を恐れた晃は子どものように泣きながら逃げていった。実は晃は学級のリーダーではなく、先輩たちからいじめられる、ただの弱虫のいじめられっ子だったのだ。そして稔は「お前が一番気に入らなかったんだ」といって歩に襲いかかってきた。中学の卒業生たちを中心に繰り広げられる暴力の宴という感じでこの小説は終わる。その描写力は素晴らしく、映画を見ているような錯覚を覚えるぐらいだ。「転校生もの」としては稀有な作品と言ってよい。