読書日記

いろいろな本のレビュー

ヘヴン 川上未映子 講談社文庫

2023-06-22 14:27:56 | Weblog
 川上未映子は今や日本を代表する作家だといえる。2021年の『夏物語』(文藝春秋)、2023年の『黄色い家』(中央公論新社)は長編ながら一気に読ませる面白さをもっている。それは『夏物語』のように大阪の京橋をモデルにした下町感覚が文章に投影されているからだろうと勝手に推測している。今回の『ヘヴン』は2022年英国「ブッカー賞」ノミネート作品で、受賞はならなかったが、2012年の初版時に芸術選奨文部科学大臣新人賞と紫式部文学賞のダブル受賞を果たしている。扱っているテーマは「いじめ」の問題だ。

 いじめは人間以外の動物にもまま見られる現象で、ニワトリや犬の仲間が有名だ。オオカミなどは階級社会を形成していて上下関係が厳しく規定されている。下層の個体は「アンダードッグ」と言われ、いじめの対象になる。これを抜け出すのは容易ではなく、何年間か耐えて次のが来てやっと抜け出せる。アフリカのサバンナに生息する野生の犬・リカオンやハイエナもメスをリーダーとして階層社会を形成して生活しており、下層の個体に対するいじめは存在する。ひどい場合にはこれを殺して食べてしまう例も報告されている。

 これらの野生の動物を見ると、「いじめ」ることは本能的にインプットされており、それをしてはいけないという風には思っていない。彼らにはいじめに対する善悪の判断はないということだ。厳しい生存競争を生き抜くためには必要なものという位置づけなのだろう。しかし人間社会ではこれを善悪の問題としてとらえて議論することが求められる。曰く、いじめはあってはならないと。しかし、いじめはなかなかなくならない。野生動物と同様に。この難しい問題を扱ったのが、本書である。

 主人公の「僕」は中学生でいじめを受けている、同級生の女子生徒「コジマ」も同様にいじめられている。なぜいじめられるのか、身体的には「僕」は斜視であること、「コジマ」は汚い服装であることがあげられる。このように他と違う外見は異端として攻撃を受けやすいことは理解できる。その中で二人はいじめられることを通して心を通じ合っていくことが本書の核心部分である。ここに救いがあるという作り方をしている。二人は学校に被害を訴えることはしていない。いじめのボスは二ノ宮という男子生徒で、理不尽な所業を子分と繰り返すが、その語り口は子供のそれでなくて大人のものだ。ある時「僕」は二ノ宮の子分の「百瀬」という男子生徒に、どうしてこのようなことをするのかと聞く。すると百瀬は「別に深い意味はない」と答える。この場面を読んでいて、『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の場面を思い出した。イワンとアリョーシャのキリスト教をめぐる対話の場面である。ここに作者のいじめに対する考察が集約されている。

 「僕」と「コジマ」は最後に二ノ宮から雨降る公園で、セックスしろと脅されるが、この時の「コジマ」の対応が鬼気迫るもので、まさにキリストの降臨という感じだ。これで二ノ宮は気圧されて逃げていく。二人はその後学校に報告し、「僕」は斜視の手術を受ける決心をする。これでいじめがなくなるかどうかはわからない。しかしやらないよりはましかも知れない。野生動物のように善悪の判断なしに攻撃して来る者に対しては、こちらも遠慮せずやり返すというのが基本で、毅然として対応することが必要だ。「動物的攻撃には動物的反撃を」これが案外生き抜く術になるかも知れない。

カティンの森のヤニナ 小林文乃 河出書房新社

2023-06-04 13:01:21 | Weblog
 副題は「独ソ戦の闇に消えた女性飛行士」。「カティンの森」とは「カティンの森事件」のことで、1939年ソ連のポーランド侵攻で捕虜になった22000~25000人のポーランド人がソ連のスモレンスク近郊のカティンの森でソビエト内務人民委員部によって虐殺された事件。これはスターリンの命令だった。殺されたのはポーランド軍将校が大部分だが、他に国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者がいた。ソ連側の思惑は、国家の中枢を担う高級軍人やインテリ層を抹殺することで、ポーランド支配を徹底させることにあった。処刑は銃殺によるもので、銃と銃弾はドイツ製を使用してドイツ軍の仕業に見せかけようとした。しかし、捕虜たちは「ソ連縛り」で後ろ手に縛られて後頭部を一撃されていたので、ソ連の所業であることは明らかだった。

 ドイツは1941年6月にソ連に侵攻し、1943年4月に「カティンの森で1940年4月頃虐殺されたと推定される多数のポーランド将校の射殺死体を発見した」と発表した。ソ連はドイツの仕業と一貫して主張したが、ミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長時代にポーランドと合同委員会で調査して、ソ連の非を認めポーランドに公式に謝罪した。さらには1992年10月にロシア政府は、ポーランド人2万人以上の虐殺をスターリンが署名し指令した文書を公表し、事件はソ連が実行者であることが確定した。

 この「カティンの森事件」事件で女性飛行士が犠牲になっていたことは本書で初めて知ったのだが、著者は彼女の人生をたどることで、改めて戦争の悲惨さを浮き彫りにしている。労作というべき書である。「ヤニナ・レヴァンドフスカは、1908年4月22日に、ロシア領の都市ハリコフで生まれている。彼女の父は、帝政ロシア・第一ポーランド軍の創設者で、後の大ポーランド蜂起の最高司令官でもあった。ポズナン飛行クラブに入会し、ヨーロッパでは女性初の高度5000メートルからのパラシュート降下に成功した人物尾となった。開戦3日目の9月3日、ヤニナはポズナン西駅から出征し、その行方不明となり、1943年にカティンの森で、多くの遺体とともに発見される。ヤニナ・レヴァンドフスカの殺害された日は彼女の32回目の誕生日だった。、、、、、、」これは「カティン博物館」で彼女の人生を紹介するナレーションだが、この素描に著者は本人はもちろん父や兄弟の履歴など、色彩を加えていく。

 ヤニナは1939年6月に三歳年下の男性とポズナンで結婚している。御年28歳。しかし80日間の結婚生活で別れ別れになってしまう。夫はナチスによって総督府域へと移動させられたが、幸いなことに戦後も生き残った。ヤニナはパイロットだったが、軍人としては一度も操縦桿を握らなかった。ソ連軍に捕まった時に将校という肩書だったために処刑の憂き目を見たようだ。ちょっとしたことが人生の分かれ道になる。このように死体となって発見された将校の一人一人にそれぞれの人生がある。それを掘り起こすことは非常に重要だ。大量虐殺の怖さは、死んだ人間が個人としての死を無視されることだ。それを具体化することで死は弔われる。今回の著者の行為はまさにこれを実行する営為であり、賞賛すべきものだ。

 「カティンの森事件」についてはポーランドの名匠、アンジェイ・ワイダ監督の映画「カティンの森」がある。ワイダ監督の父・ヤクプ・ワイダ大尉はこの事件で殺害された将校の一人で、無念の死への哀悼と平和への祈念が伝わってくる名作だ。捕虜たちは最初オプティナ修道院に収容されるが、場所が場所だけにみんな国に帰れると安心する場面が悲しい。人間てどこまで残酷になれるものなのだろう。