読書日記

いろいろな本のレビュー

漢奸裁判 劉傑 中公新書

2018-06-24 12:57:32 | Weblog
 漢奸とは中国語で「売国奴」のこと。「漢奸裁判」とは、終戦直後から1947年10月まで、中国大陸で戦争中に日本に協力した中国人を数万人裁いたことを指す。その対象は主として1940年日本占領地の南京に出現した王兆銘政権の関係者だった。王兆銘は国民党左派で蒋介石のライバルであったが、重慶を脱出し、1940年3月に「国民政府」を樹立したが、占領地での「和平工作」に正当性はなく、当然民衆の支持は得られず、終始日本軍の干渉と威圧に悩んだ。
 日中戦争の特徴は、両国とも戦争当初から宣戦布告を行なわず、国交関係を維持したため、戦争当初から様々な和平工作が展開された。「親日派政権」樹立をもくろむ日本側は、国民党ナンバー2の王兆銘に働きかけて、「国民政府」に誘導したのである。しかし、日本の敗戦は、前述の通り、大量の漢奸(売国奴)を生みだした。本書は傀儡政権の裁判記録をたどって、その実相に迫ったもの。
 王兆銘の略歴を見ると、彼は熱血の革命家で、孫文と共に辛亥革命を戦った。その後、国民党内で、頭角を現していくが、北伐以降、蒋介石と激しく対立するようになる。日本の中国侵略が本格化していく中で、中国の国力の低迷を嘆いて、ついに「一面抵抗、一面交渉」の方針を打ち出し、その後もこの対日交渉方針を変えなかった。これは徹底抗日というナショナリズム高揚期においては漢奸の汚名を着せられることは明白であった。
 そして終戦後、「漢奸裁判」が始まったが、王兆銘の側近の裁判を巡る動向が非常に興味深い。死刑か懲役刑か、その基準は何か、蒋介石の意向はどうかなど、著者は裁判記録をもとに側近たちの人生を浮き彫りにして、非常にスリリングな読みものに仕上げている。中でも終戦直後の1945年8月25日に日本に亡命した陳公博については、本当に同情してしまう。彼は日本側を頼って来日したものの、蒋介石政府の引き渡し要求に日本が抗しきれず、身の安全を保障するという約束を反故にされ、結局帰国し裁判を受け、1946年4月12日に死刑判決を受け、同年6月3日、蘇州で処刑された。彼は裁判の中で、自分は中国のために平和の実現を目指して王兆銘と行動を共にしたものであって、売国奴という批判を受ける筋合いはないということを堂々と述べている。命をかけた革命家の面目躍如たるものがある。蒋介石は始めから死刑にするつもりであったが、それをわかっていながらの堂々たる弁舌にインテリ革命家の意地を見た。
 これ以外にも死刑になった褚民誼、梅思平、林柏生、丁黙邨、李士群など有為の人材が失われたことは痛恨の極みである。また周仏海は王兆銘と蒋介石の間を巧みに泳いで、結局死刑を免れている。この裁判は様々な人間模様を見せてくれた。
 王兆銘は今も北宋の対金和平派の政治家、秦檜と並んで、二大漢奸として、秦檜が毒殺した対金終戦派将軍、岳飛の杭州にある墓の前で屈辱的な跪像として並んでいる。彼が名誉回復される日は来るのだろうか。いや、共産党政権が続く限り難しいだろう。これは中国には知日派はいても、親日派はいないこと相似形だからだ。向こうでは親日=漢奸を意味する。共産党存続のための基盤作りはかくもシビアーなものなのだ。

夫婦で行くイスラムの国々 清水義範 集英社文庫

2018-06-12 09:04:13 | Weblog
 清水氏の近作『夫婦で行く東南アジアの国々』が面白かったので、旧作の本著も読んでみた。これも面白い。著者の旅行記の特徴は、その国の歴史をよく勉強していることと、人々に対する敬意がにじみ出ていることである。これは氏の人間性に依るものだと推察するが、読んでいて安心感がある。これは氏の息の長い作家生活と関係あるのだろうと思う。
 本書はインドから始まって、トルコ、ウズベキスタン、イラン、レバノン、シリア、ヨルダン、チュニジア、東トルコ、モロッコ、エジプト、スペイン、そしておまけにイエメンが続く。本書は雑誌「すばる」に2005年から2008年に掲載されたもので、現在の中東状況では、シリアなど行くのが困難な国も多い。逆に言うと、平和な時期のイスラムの国々の諸相が垣間見える。どの国も市民は平和に暮らすことを願い、日々の営みは万国共通だということがよくわかる。それを可能にしているのが著者の筆力と言えるだろう。
 中でも面白かったのは、モロッコ人のいい加減さとインド人のいい加減さを比べた記述である。モロッコのフエズのホテルで両替をすべくフロントに行くと、9時にならないとできないと言われ、9時に行くと、今日の分は終わったという答え。ところが9時10分に行った人は両替してもらえたという。また朝のホテルのレストランで、ボーイにコーヒーを頼んでも眼を合わそうとしない。結局マネージャーに直談判して、やっとコーヒーにありつけたという話。著者曰く、モロッコ人はその時楽をしたいからいい加減なのだ。なるべく仕事をしないのが利口な人間だと思っているかの如しだと。それに比べてインド人はそうしたほうが得になるから抜け目なくいい加減なのだと言う。例えば、インドのホテルマンに無料のものをくれとと言うと、そこにあるのが見えているのに、もうない、なんて言う。この後、チップをはずんでくれるイギリス人の団体が来るので、その時にサービスしたほうが得なのでそうするのだ。インド人の生きるためのしたたかさに感心してしまうとも言っている。モロッコ人のは、怠け者のサーバント根性、インド人のは、働き者のサーバント根性だといって、これはそれぞれの宗主国、フランスとイギリスの差によるものなのかという分析もしている。
 モロッコは夏ともなればフランスから多くのバカンス客を迎え賑わっている(ジブラルタル海峡をフエリーで渡れば車で来れる)。だからフランスだけに目を向けていても夏のリゾート地としてやっていける。そのために自国に対する矜持みたいなものが薄いのではないかと言っているが、鋭い分析である。私はこの中では、スペイン以外行ったことがないが、さしあたってインド、トルコ、エジプトへ行きたくなった。