読書日記

いろいろな本のレビュー

ノンフイクションは死なない 佐野眞一 イースト新書

2015-02-17 09:51:55 | Weblog
 佐野氏はノンフイクション作家として夙に有名だったが、2012年10月26日発売の週刊朝日の連載、『ハシシタ 奴の本性』という題の第一回の記事が人権問題に抵触するということで、二回以降の連載が中止になり、佐野氏は窮地に追い込まれた。そして彼の著作が無断引用が多く、「盗作」しているというまったく本筋から外れた問題も起こった。本書は二年あまりの沈黙を経て、その問題についての作者の弁明である。
 私は昔から佐野氏のフアンで、初期の『遠い「山びこ」無着成恭と教え子たちの四十年』は綿密な取材に裏打ちされた力作であった。これ以降も精力的に作品を発表し、最近では、『あんぽん 孫正義伝』がベストセラーになった。氏の作品の特徴は、対象人物のルーツを徹底的に探る事にある。氏素性を知りたいという欲求は人間にはあるもので、それはNHKの「フアミリーヒストリー」という番組が人気であることからもわかる。下手をすると人権問題になりかねないので、ここをどうクリアーするかが問題になる。今回はタイトルがあまりにも強烈過ぎたことと、差別問題にあまりに不用意に踏み込もうとしたことが、失敗の原因だ。氏は東京生まれで、同和問題についてのデリカシーが足りなかったのではないか。週刊朝日の編集者も同様だ。関西における同和問題の取り組みから見ると、あまりにも慎重さを欠いたと言える。ここら辺は生活実感がないとわかりにくいのだが。それに相手が悪かった。橋下市長は孫正義ほど寛容ではなく、性格的に難しい人物だ。それに在日の問題と同和の問題は後者の方が扱い方が難しい。NHKの「フアミリーヒストリー」で橋下市長のルーツを探ることはありえないだろう。案の定、橋下市長は週刊朝日の親会社の朝日新聞社を相手に人権侵害を盾に、謝罪させた。まさに弁護士のやり方だ。この過程で佐野氏は週刊朝日の編集部の腰が引けるのを目の当たりにして、大いに絶望している。それがノンフイクション作家が育たない要因になっているという指摘は耳を傾けるべきだろう。
 この騒動の中で氏はメディア、特に在阪のそれの橋下市長寄りの報道に憤慨している。視聴率を上げるためにヒーローとして祭り上げ、批判を忘れた翼賛記事を垂れ流す。そして故やしきたかじんのフアミリー(橋下をはじめ宮根誠司、辛坊治郎など)がグルになって馴れ合っているという指摘。これには私も同感だ。氏には今度新企画で、この辺の問題を一刀両断にしてもらいたい。

邪宗門(上・下)  高橋和巳 河出文庫

2015-02-03 15:28:22 | Weblog
 高橋和巳は昭和46年に39歳でガンで亡くなった小説家で、中国文学者でもあった。京大の吉川幸次郎門下で、当時は京大助教授で六朝から唐代の文学を講じていた。特に李商隠という晩唐の詩人についての論文が当時注目されていた。この詩人の作品は典故が多く使われていて読解に時間がかかることで有名で、高橋はその難解な詩人に挑戦していたのである。学者としても将来を嘱望されていただけに39歳での夭折は師の吉川を大いに悲しませた。
 『邪宗門』は朝日ジャーナルに連載されたあと、河出書房新社から高橋和巳全集として発行されてからそのままになっていたが、1993年に朝日文庫版が出て、今回、河出文庫で復刊された。当時は全共闘運動のシンボルとして大変な人気であった。苦悩教の教祖というニックネームをつけられていた。彼の夫人は最近亡くなった作家の高橋たか子だが、彼を「自閉症の狂人」と語った話は夙に有名である。彼の観念臭の強い作品を見ると、うべなるかなという感じだ。
 この作品は「ひのもと救霊会」の創設から崩壊までを時系列で描いた壮大な作品である。著者の言葉によると、「発想の端緒は、日本の現代精神史を踏まえつつ、すべての宗教がその登場のはじめには色濃く持っている(世直し)の思想を、教団の膨張に伴う様々の妥協を排して極限化すればどうなるかを、思考実験をしてみたいということにあった」といいうことで、大本教がモデルになっていることは察しがつくが、これに関しては、「ここに描かれた教団の教義・戒律・組織・運動の在り方はもちろん、登場人物とその運命のすべては、長年温め育て、架空なるゆえに自己自身とは切り離し得ぬものとして思い描いた、我が(邪宗)の姿であって、現存のいかなる教義・教団とも無縁であることを、ある自負をもって断っておきたい」と述べている。
 一読して、著者の哲学的・文学的・思想的教養が網羅された一大教養小説だというのが感想である。これだけのことを調べ、作品化する精神力は並大抵ではない。日本のドストエフスキーと言ってもいいのではないか。逆に言うと、ここまで勉強しなければ一流の作家・文学者にはなれないということを知らしめるような作品である。最近、このレベルの作家はお目にかからない。高橋が天才である所以である。