読書日記

いろいろな本のレビュー

万葉ポピュリズムを斬る 品田悦一 短歌研究社

2021-01-17 14:02:36 | Weblog
 遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。しかし当方昨年は喪中でありまして、新年の挨拶は遠慮させていただきました。悪しからず。
さて、今年初めの本は、『万葉集の発明』(新曜社)で有名な品田氏の日本女子大における講演の記録である。『万葉集の発明』は、この書が天皇から庶民に至る階層の歌が載せられており、国家のまとまりを示す優れた歌集であるという宣伝がなされて今に至っているという評価について、それは明治のナショナリズムを鼓舞するために恣意的な評価が下されたのだということを批判したもので、いわば学会の常識みたいなものであったが、誰もそれを声高に言うことはなかった。実際、防人の歌や東歌などは、都の官僚が現地の人間と交流したものを記録したもので、インテリの手が入っているというものであった。

 そして元号「令和」の原典が『万葉集』巻5「梅花歌三十二首」の大友旅人の序であったことから、再び『万葉集』が脚光を浴びることになった。この元号の命名者は万葉学者の中西進氏であることが判明したが、氏の業績を考えてこれを大っぴらに批判する者はいなかったように思う。時の首相は、元号発表時、「国書である『万葉集』から採った」と説明してご機嫌だったが、著者曰く「国書」とは本来「外交文書」のことで、「我が国の書物」のことではない。また「元号」「年号」というべきで、使い方を間違えている等々、蘊蓄を傾けて説明されていて胸がすく思いだ。

 実際、この旅人の序文は『文選』所収の、張衡の「帰田賦」と王義之の「蘭亭序」を参考にして書かれており、これを旅人のオリジナルひいては、日本文学のすばらしさを証明するものだということにはならない。時の総理のメンタリティーからしてぜひとも日本独自の出典をという思いだったのだろうが、残念でしたという他はない。だって奈良から平安時代の文学はほとんど中国の文学の影響を置けているのだから。清少納言が『文選』『白氏文集』を勉強していたように。ちなみに『文選』とは、六朝時代の梁の昭明太子(501~531)の撰による詩文集である。

 さらに著者は言う、旅人の序も単に春が来ていい季節だだからみんなで一杯やりましょうというだけではない。世俗に背を向けようということがまずある。「帰田賦」に照らせば腐敗した政界に愛想が尽きたということが読み取れると。
これは俗塵に背を向けるという老荘思想で、この時代の文学に通奏低音として流れている考え方だ。少し中国文学を勉強すればわかることだ。中西氏はこれらのことは当然わかっていて、「令和」と付けたのだろうが、政権トップに難しい話をしても無駄だ、ただ『万葉集』から採ったと言えば喜ぶだろうと思われたのだろう。

 さてこの「令和」という元号(年号)が始まって早一年、いい時代になりますようにという国民の期待を一身に集めたが、今や日本はコロナ禍で二度目の緊急事態宣言を発令中で、国民は塗炭の苦しみを味わっている。そして元号(年号)発布時の首相はその後体調不良で総理の座を降り、その時、官房長官として記者会見で「令和」を発表した「おじさん」が次の首相になって現在に至っているが、コロナ禍対策で不手際が続き、おまけに答弁能力のなさが全国民に知れ渡ってしまい、早期退陣の噂まで出る始末。発表した当人たちが祟られている。こんな縁起の悪い元号(年号)ってあるかと当人たちが思っているかもしれない。かといってすぐに元号(年号)を変えることはできない。よって当の首相には頑張ってもらうしかない。「言霊の幸ふ国」においてはキチンとしゃべることが大事。国民を感動させるスピーチをしない限り先行き暗いだろう。