読書日記

いろいろな本のレビュー

第三帝国の愛人 エリック・ラーソン 岩波書店

2015-11-30 11:11:11 | Weblog
 本書の副題は「ヒトラーと対峙したアメリカ大使一家」で、副題を表示しなければ何のことかよくわからない。英語の題は「In the Garden of Beasts:Love,Terror,and an American Family in Hitlers Berlin」でこの方がわかりやすい。
 1933年、ヒトラーがドイツの実権を握り、人種戦争を企図していた時に シカゴ大学歴史学部教授のウイリアム・ドットは駐独アメリカ大使となって赴任した。妻と成人した息子と娘を伴って。本書はこのドット本人と娘のマーサを中心に描く。当時外交官の職はハーヴァード大学出身の裕福な者がなるというのが常識だったが、中産階級出のドットが抜擢されたのは異色で、いろいろ批判もあったようだ。しかしドットは中産階級の知識人が抱いているアメリカ的理想をもって外交にあたっていく。ヒトラーをはじめナチの幹部と正々堂々と渡り合う姿は立派という他はない。娘のマーサは級友からスカーレット・オハラと評されるくらい文才があり、しかもブロンド・青い目・透明な肌を持つ官能的で魅力的な女性だった。彼女は後にソ連のスパイとなり、奔放な男性関係で有名になった。とりわけゲシュタポ局長ディールス、そして前述のKGBの前身のNKVDのスパイであるソビエト大使館員ボリスとの関係は、まるで映画を見ているような感じがして、ドイツの変容が逆照射される。彼女は最初、ドイツでユダヤ人をはじめとする他民族に対する暴力が行なわれていることに対してまるで信用しないイノセントな存在であった。が、段々と状況がわかってくる。そして最後は「死ぬまで消えることのないほど十分に、血と恐怖を経験した」と書くようになる。
 そして彼女の父ドットもドイツの深刻な状況に気付き始める。最初の1年間、国中に広がるナチスの残酷なテロに人々が奇妙に無関心で、大衆と政府の穏健な人物までもが新しい抑圧的な法令を積極的に受け入れており、更に暴力的な出来事を抵抗なく容認する姿に驚いた。友人のローバーに「貿易が落ち込んで、誰もが何かしらの苦境に陥っているという時に、ユダヤ人への迫害が起こることが理解できなかった。また、6月30日のようなテロ行為が現代で起こりうることも想像できなかった」と書き送っている。
 ドットは殺人がドイツの民衆を怒らせ、政権が崩壊することを期待し続けたが無駄だった。この状況下で、ヒトラー、ゲーリング、ゲッペルスらの幹部と対峙する困難さは推して知るべしだ。
常識では考えられない暴力が日常になっていたのである。アメリカ本国もユダヤ人迫害がそれほどまでになっている状況を認識できていなかった。ヒトラーが画策していたのは人種戦争で、普通の国の利益をはかる戦争ではなかった。そのために膨大な軍事予算を組み、大衆を騙し続けた、それが前述のドットの感想に行きつくのだ。これに関しては近刊、『ナチスの戦争 1918~1949 民族と人種の戦い』(リチャード・ベッセル 中公新書)に詳しく書かれている。
 学者であり、ジェフアソン的民主党員であり、歴史を愛し、若い時分に勉強した地である古きドイツを愛する農夫だったドットにとって、公権力による殺人が驚くべき規模で行なわれていたことは、平和とよりよい関係を築く大使という仕事とは何かを問い直さざるを得なかった。逆に言えば、それほど狂気に満ちていたということだろう。ナチ研究が終わらない所以である。
コメント

健康帝国ナチス ロバート・N・プロクター 草思社文庫

2015-11-16 10:58:31 | Weblog
 ナチスはアーリア人の理想郷を実現すべく、他民族、他人種攻撃の戦争を仕掛け、特にユダヤ人に対するジェノサイドは人道に対する罪であるとして戦後ニュルンベルク裁判で裁かれた。主犯のヒトラーは自殺してしまったので、彼のユダヤ人に対する憎悪の実相は解明されないままに終わった。本書によると、このヒトラー率いるナチスが大衆に受け入れられたのは、このユダヤ人憎悪があっただけでなく、その健康志向をはじめとするさまざまの分野に、若さの回復を見たからで、ナチズムに大手術と徹底した浄化を望んだからだという。
 アーリア人の楽園を建設するためには、まず優秀で健康な人間を作らねばならない。従って障害者や病人(知的障害も含めて)は「生きるに値しない命」であって、医師たちも積極的にその抹殺に加担した。その文脈で「不健康は悪、健康は善」というプロパガンダのもと、ガン・タバコ撲滅、添加物の規制、アスベスト禁止等々、現代社会で問題になっている健康問題にナチスは積極的に取り組み、相当の成果を上げたことが述べられている。ただ、研究の主体が、「人道に対する罪」を犯した国家であったため、その研究成果の全てが「悪」によるものとして断罪されてしまう可能性が高い。
 しかし、ことはそう簡単ではないと著者は言う、「くどいようだが、私はナチスのイデオロギーの持つ獣性を否定する気もないし、そのイデオロギーの戦争犯罪への関与、その邪悪さ、と言った明白な事実を曖昧にしようと言う気もないのである。(中略)私が言いたいのは、我々があまりにも多くの場合、虐殺や人体実験に打ち込む、人間性のかけらも持ち合わせねサディストの悪魔といった、まことに類型的なナチスの医者のイメージを作りがちだということである。たしかにそういう人物もいた。が、実に逆説的な言い方だけれど、それもまたフアシズムの豊かな、創造的な一面でもあったのだ。ニュルンベルク裁判で明るみに出た恐怖の高圧実験、低温実験、ガン組織移植実験など、これは、特定のイデオロギーに基づいた研究は根本的なところで必ず反道徳的なものとなるという一般の見解を裏付けるものに見える。だが、イデオロギーすなわち歪曲(あるいはそれ以上)とばかり考えると、科学を一定方向にーーよい方向にせよ悪い方向にせよーー進めて行くのは、多くの場合強い情熱であるという事実が見えなくなる。こうしたピューリタン的な科学館では、ある時代、ある地域で行なわれていた医学を「似非医学」として切り捨ててしまいがちなのである」と。
 科学とイデオロギーの関係の問題が提起されている。百歩譲って、科学研究の発展は主体が善であれ悪であれ、それを問わないとして、その成果をどう使用するかは大きな問題である。この関係の一番の難しさを表しているのが原子力(核)も問題である。この物理学の成果が原爆となって人類の災禍となったのは記憶に新しい。それをコントロールできるかどうか。国家のイデオロギーに左右される側面が多い感じがする。
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