読書日記

いろいろな本のレビュー

日本の路地を旅する 上原善広 文春文庫

2012-07-23 05:40:30 | Weblog
 路地とは被差別のこと。作家・中上健次がそう呼んだ。彼は新宮の被差別の出身で、デビュー作『岬』をはじめ「路地」を題材にしたものが多かった。中上が自分の出自を語ったのは三十数年前の「朝日ジャーナル」での安岡章太郎との対談の時だったと記憶する。「路地」の人間模様が土着の言葉で語られるときそれは大きなインパクトとなって、小説の力になった。早死にしたのが誠に残念である。
 本書は「路地」出身の作者が全国の「路地」を訪ね歩く紀行文である。中身は非常にシリアスで、解説の西村賢太が言うように、気楽なお散歩風エッセイではない。「路地」を訪ねてインタビューするということは、同和教育等が積み重ねられて来た地域であれば、抵抗は少ないが、そう言う運動の歴史がない地域では相当の困難が伴う。その困難な敢えて挑戦しているところが素晴らしい。これによって、全国の解放運動の温度差がはっきりわかる。
 旅の最後に、少女に対して恥ずべき犯罪を犯して沖縄に流れて行った実兄と会い、幼い日の切ない思い出を確認する場面がある。そこで被差別者として生きてきた悲しみや憤りが改めて確認される。最後に魯迅の『故郷』の例の一節が引用される。「希望と言うのはもともとあるとも言えないし、無いともいえない。それはちょうど地上にある路のようなもので、その実、地上にはもともと道など無かったというのに、歩く人が多くなり、そこが道になったのだ」で、これを路地の成立と重ね合わせて感慨を述べる。なかなかうまい終わり方である。書棚から古ぼけた小さな『魯迅全集』を取り出して確認したとある。小さな『魯迅全集』は筑摩学芸文庫版だろうか。そこに興味が湧いた。

ひさし伝 笹沢信 新潮社

2012-07-15 07:16:04 | Weblog
 井上ひさしの伝記である。記述は詳細で年代順に作品のコメントをはさみながら井上の実生活と作家活動の再現に全力を挙げている。一読して少年時代の苦労の実態がわかった。父が早死にしたため、母は三人の息子を抱えて奮闘する。施設に預けられたが、そこはカトリック教会の施設で、後に井上が上智大学に入学する機縁になる。温かい家庭の味を知らずに成人した井上だが、書くものは温かく慈愛に満ちている。戯曲が多いが小説もベストセラーが何篇もある。それらは社会の不合理や虐げられた者へのいたわりがある。
 読書家としても有名で、作品を書くための資料として膨大な書物を購入して、それを読破する。そのため締め切りに間に合わないことが多かった。遅筆の作家と言われる所以である。若いころNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の脚本を書いていたが、私の少年時代の人気番組でみんな見て喜んでいたと思う。何かエスプリが効いていた感じがする。熊倉一郎や藤村有弘の吹き替えが誠に秀逸で、人気を支える原動力となっていたと思う。
 井上は共産党の広告塔のようなスタンスだったが、それは父母の影響が強いことが本書を読んでわかった。少年期の苦労が、社会に対する抵抗運動の意識を育て、反権力になる場合と、それを飛び越えて権力側について、苦労した分を取り返そうという二つのタイプが見受けられる。前者が井上ひさしで後者が某市長である。某市長がさもしく見えてしまうのは、権力を握った途端、既得権益の打破と称して、かつて自分が身を置いた貧困層に対して無情のナタを揮うことである。かつての同類を冷たくあしらうその姿に病理を感じる者も多いことだろう。
 妻好子との離婚を経て、再婚。はじめての男子を設けた。女性に対しても剛腕ぶりを発揮している。晩年の戯曲『父と暮らせば』は登場人物が父と娘の二人だけだが、広島の原爆問題を鮮やかに捉えていた。その他、憲法9条問題についても深い理解を示して、反戦の意思を高らかに表明したことは立派だった。
 反戦と言えば、共産党の元書記長、不破哲三氏の妻、上田七加子氏の『道ひとすじ』(中央公論新社)も一つの立場を貫き通した人間のプライドがにじみ出た自伝である。不破氏は東大の物理学科卒の秀才で学究的態度を不断に持ち続けたと書いている。そう言えば訥々と語る中につよい意志を感じさせた。兄の上田耕一郎氏とはタイプが違う。
 一つの立場を守るための絶え間ない努力と研鑽を積むことが大事だと改めて考えさせられた。

河原ノ者・非人・秀吉  服部英雄  山川出版

2012-07-07 17:40:54 | Weblog
 最近読んだ日本史関係の本の中では出色だ。題の通り、被差別民の世界を描いているが、彼らの生活ぶりが生き生きと再現されている。第一章の「犬追者を演出した河原ノ者たち」では、競技の下支えをした彼らの働きぶりが再現される。競技用の犬の調達から、競技最中の犬の逃がし方まで、初めて聞く話で感動した。競技終了後の侍が放った矢で傷ついた犬は河原ノ者が処分したが、食べられた場合も多かった。食犬の文化があったとは驚きだ。
 第二章「大和北山宿をめぐる東大寺と興福寺」では奈良坂と般若坂の達が東大寺や興福寺の支配を受けて生き生きと活動していた様子が描かれる。癩者も被差別の対象であったが東大寺は彼等の風呂を設けて衆生済度の実践を行なっていたという。その他各地の被差別民の姿が豊富な資料とともに語られる。そして最後は秀吉。
 このタイトルだと、秀吉が非差別民出身だという文脈になるが、著者は果たして乞食が出自だと言っている。秀吉は猿と言われたが、まるで猿のように栗を食った記録が残されており、それが乞食として生きていた時の大道芸だった。秀吉の妻寧々も連雀商人という行商人の娘で、やはり被差別者だ。この出自から天下を取った男は彼しかいないと著者は言う。であればいろいろわかることがある。例えば、千利休との確執も出自をバカにされたことが、あるいは自分がそういう被害者意識を持ったことが原因になっている可能性がある。太閤秀吉になって最高権力を握ったあとの、腹いせに残虐な処刑を繰り返したことは尋常ではない。被差別の階層から成り上がった者のルサンチマンが発揮されたものと言えるだろう。
 今をときめく某市長は週刊誌等で次期首相と持ち上げられているが、以前その出自が話題になった。今後栄達の階段をのぼりつめて行くのだろうか。もし最高権力者になったとしたら今太閤として日本中を熱狂させるのだろうか。そのルサンチマンはどのように爆発するのだろうか。もう少し長生きして見届けるようにしよう。

ネットと愛国 安田浩一 講談社

2012-07-01 21:02:18 | Weblog
 本書は「在特会」(在日コリアンの特権を許さない会)という団体のルポである。この団体は最近駅頭などで過激な差別用語を使って在日コリアンや地区の住民を罵倒し、聞く者の心胆を寒からしめている団体である。彼らの言う在日コリアンの特権とは、①特別永住資格によって、ほぼ無条件に日本に永住できる。②通名(本名以外の氏名)使用が認められている。③外国籍でありながら生活保護の受給が認められている。④一部自治体では、在日コリアンや、在日団体の関連施設に対し税制面で優遇措置をしている。
 これらは事実であるが、著者も言う通り、これが「特権」といえるものか疑問で、彼らの物言いには日本が朝鮮半島を植民地支配したという歴史認識も、旧宗主国としての責任も、すっぽり抜けている。要するに無教養で若さだけが目立つ集団であり、また地区に対する差別発言も看過できない。最近、奈良県御所市の水平社博物館前で不当な差別用語を含む演説をし、インターネットの動画サイトに投稿して広く市民が視聴できる状態にしたとして、在特会の元・副会長兼大阪支部長の男に150万円の賠償を命ずる判決が奈良地裁であった。
 彼らの特徴は動画をインターネットに投稿して広く世論にアピールする手法を採ることで、社会的に不遇な若者がこれに参加して溜飲を下げるということだ。非常に危険な兆候と言える。これは最近日の出の勢いの某市長が既得権益団体を叩いて、無知な市民を熱狂させる手法と同じである。世の中をささくれ立たせた功績は大と言える。その後このような団体が出現した。これが蔓延すれば、その昔ヒトラーがユダヤ人をゴキブリ扱いしてジェノサイドが断行されたメカニズムに乗っかって、怖ろしいことが起こる予感がする。
 本書はこの会の会長の半生の紹介から始まって、会員の素顔と本音、広がるターゲット、在特会に加わる理由など、一気に読ませる。とにかくこの会の消長が日本の民度のメルクマールになると思う。それは何とか維新の会の場合と同じ。『坊ちゃん』の広田先生じゃないが、「この国はつぶれるよ」とならないことを願うのみ。