読書日記

いろいろな本のレビュー

読書という荒野 見城徹 幻冬舎

2018-08-15 10:48:37 | Weblog
 著者は幻冬舎社長で、もと角川書店の取締役編集部長。43歳で幻冬舎を設立し、多くのベストセラーを生んでいる。いわゆる「やり手」である。本書は氏の読書論だが、自分史と言った方がいいだろう。本の表紙に自分の写真をでかでかと出しているのが普通じゃない。それもただのポートレートじゃなくて、本に囲まれて仕事している姿で、こちらを向いているその視線は鋭い。表紙の見開きには「読書の量が人生を決める。本をむさぼり読んで苦しい現実を切り拓け。苦しくなければ読書じゃない!」著者と同世代の人間からすると「すいません。楽な読書ばかりして」と思わず誤りたくなるほどアツイ言葉が並べられている。各章の前にエピグラフがあるのだが、第一章「血肉化した言葉を獲得せよ」、第二章「現実を戦う〈武器〉を手に入れろ」、第三章「極端になれ!ミドルはなにも生みださない」、第四章「編集者という病」、第五章「旅に出て外部に晒され、恋に堕ちて他者を知る」、第六章「血で血を洗う読者という荒野を突き進め」とあり、これだけでも本書のテンションの高さがわかろうというものである。
 このエネルギーは那辺に由来するのか。氏は飲んだくれの父親を持ったことと自己の容貌にたいするコンプレックスをあげている。逆境を乗り越えるための自己修練の一助として「読書」があったということだろう。よって氏にとっては気晴らしの暇つぶしの読書は意味がないということになる。この辺の評価はなかなか難しいが、確かに氏の指摘するような面はあるだろう。氏は言う、「自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つがなければ、人間は進歩しない」と。その心で編集者として作家に向き合いベストセラーを作り上げて来たのだ。氏の読書傾向は、大学時代の高橋和巳や吉本隆明は私と同じだが、それ以外それほど重なるものがない。村上龍、石原慎太郎、林真理子、山田詠美、百田尚樹などを編集者の立場で最高の評価を与えているが、残念ながら私には興味がない。これは本が売れるか売れないかという編集者の視点での評価ゆえのことだろう。
 石原慎太郎を口説くときには、彼の作品を空で言えるまで読んだという話には驚いた。大物に書いてもらうためにはそこまでやらないとだめらしい。編集者でそこまでやる人間は珍しいのではないか。いっそ、一般企業の営業部長でもやれば、よかったのかもしれない。でもこういうタイプの人間が大社長になれるかどうかはわからない。なぜなら先述のエピグラフのような世界観は普遍性がなく、下手をすると独りよがりになってしまうからだ。でも氏は自分の会社を作って社長になったのだから、好きなようにやればいいわけで、こちらがとやかくいう筋合いではない。氏のアツイ生き方がにじみ出た本書は自分史としてはよくできていると思う。
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バッタを倒しにアフリカへ 前野ウルド浩太郎 光文社新書

2018-08-15 09:07:19 | Weblog
 名前の間に挟まっている「ウルド(Ould)」とは、モーリタニアで最高に敬意を払われるミドルネームで、「00の子孫」という意味らしい。モーリタニアの研究所長ババ氏から授かったのだという。本書はバッタの研究者である著者が、アフリカでバッタの大量発生によって農作物が食い荒らされ深刻な飢饉を起こしている現状を解決するため、モーリタニアに渡ってサバクトビバッタの生態を探るという一種の旅行記である。ただの観光旅行ではないところにこの本の存在意義がある。
 一読して今まで知らなかったことがいろいろわかってきた。まず、モーリタニアとはアフリカ西海岸のセネガル北部にある国で、正式名をモーリタニア・イスラム共和国と言い、イスラム教国家である。またバッタとイナゴの違いだが、イナゴはバッタ科の一種でバッタの中に含まれるということ。またバッタの幼虫は仲間が少なく密集していない場合は「孤独相」と呼ばれる単独行動を行なう普通の成虫に成長する。一方、密集し過ぎてしまうと集団行動を行なう「群生相」と呼ばれるタイプに成長する。これを「相変異」と呼ぶ。群生相のバッタは孤独相に比べて後ろ足が短く、翅が長くなる傾向にあり、高い飛翔力を得るのだ。なるほど、この「群生相」があちこち飛び回って植物を食い荒らすわけだ。
 このバッタの実地調査でモーリタニアに渡った著者の現地での奮闘と交遊をユーモラスに書いており、読んでいて退屈しない。そして本書の通奏低音になっているのが、ポスドク(博士研究者)の問題である。ポスドクは博士課程修了後、常勤の研究者に就く前に任期付きの契約で研究を続ける者の事で、博士号(理系)を持っていてもなかなか常勤の就職先が見つからないという日本の状況を著者自身の体験を踏まえて問題提起している。幸い著者は人類に貢献しそうな研究内容が認められて、京大白眉センター特定助教から国立研究開発法人・国際農林水産業研究センター研究員の地位を勝ち取ったことはご同慶の至りだが、並みの苦労ではなかったことが本書を読むとわかる。京大白眉センターの面接に文字通り眉毛を白くして行った下りは、一瞬ホンマかいなと思ったが、こういうシャレ心があるから苦しい下積みの状況を打破出来たのだろう。まあ一種の成功譚として読めないこともないが、嫌味がないのは著者の人徳に依るのだろう。
 結局、サバクトビバッタの大群との遭遇はなかなか実現せず、最後に一回あっただけで、研究はこれからという状況だ。今後の成果を期待しよう。
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武士の日本史 髙橋昌明 岩波新書

2018-08-01 10:23:56 | Weblog
 民間に流布する「武士」のイメージと言えば、「正々堂々真っ向勝負」と言いつつ、「武士道」を奉じて死を恐れず刀を振るって切り結ぶというものを思い浮かべることが多いが、これは本当かという素朴な疑問から本書は始まっている。著者によると、中世の文献『普通唱導集』(14世紀初頭に完成)には、武士は遊女・白拍子・鼓打・猿楽・琵琶法師と並んで芸能人に分類されているのだそうだ。そして武士は、武という芸(技術)によって自他を区別する社会的存在であるだけではなく、「ツワモノの家」「武芸の家」「武器の家」などと呼ばれる、武芸を家業とする特定の家柄の出身でなければならなかった。このような武士は平安前期の頃から存在していた。その後、乱鎮圧の功績で、源氏・平氏・秀郷流藤原氏などは貴族として朝廷に入り、彼等が身につけた鎧・甲は朝廷のある京都で作られたのである。
 著者は、武士の武器・武具が貴族社会の産物であるのは、武士が天皇の周辺や貴族社会の中から生まれたという発生の経緯のせいばかりではなく、武士が天皇や朝廷の権力を「代表的に具現」していたからだという。「代表的に具現」とはユルゲンハーバーマスの言葉で、要は社会全体が危機に陥った時、天皇や朝廷はそれらを、普遍的利益(公共性)の名のもとに、抑止・制圧する姿勢が求められる。その時武士が、美々しい大鎧を身にまとい、貴族的に飾り立てた馬に跨り、太刀を帯び弓を引っ提げて現場に現れれば、人々は目に見えない朝廷の医師が、形を取ってそこに示されていると理解するということである。
 鎌倉時代に武家政権が誕生して貴族から武家に国家権力の中心が移行し、それが700年に渡って続き、日本は「武国」になったという教科書の記述訂正を要するというのはなかなか興味深い。そもそも鎌倉時代の都や西国の人間にとっては、幕府のお陰で平穏な世の中になったが、彼らは東国はなお「夷」「東夷」の世界で、西国こそ王朝貴族が支配する日本国の主体だと考えていたから、「武国」とひとくくりにはできない。また元寇時以外は、比較的平和な時代が続き、軍事的脅威が自覚されない時代であった。こうした中で武士が成長して行って、日本が「武国」になったということはできない。武士は刀を振り回して敵を殺傷するというより、魔よけや行財政マンとしての役割の方が大きかったと著者はいう。前者の例として、宮廷に仕える滝口の武士をあげている。滝口の武士は宮廷内の警護をするのが仕事だが、彼らの仕事で重要なのは鳴弦である。これは弓に矢をつがえず、張った弦を手で強く引いて鳴らすことで、弦打とも呼ばれる。弓は武勇の象徴だけでなく、邪霊を払い眼にみえぬ精霊を退散させる呪具としても用いられた。滝口は蔵人所職員の立ち合いのもと、弓の技量をテストされ採用された。武士の血統と技量があればこそ、悪霊を退散させることができたと考えたのであろう。後者の例としては江戸時代の武士を例にとればわかりやすい。すでに徳川幕府によって戦乱の可能性はなく、武士が武器を取って闘うことはなくなった。武士は官僚に成らざるを得ないのである。こうした中で『葉隠』のような武士道を鼓吹するような書物が現れる。全編いかに死ぬかという内容で、フアナティックな感は否めないが、これも平和であればこそのアンチテーゼだが、花火のようなもので消え去るしかなかったのだ。
 しかし、昭和以降この武士道が悪い意味で敷衍されて、戦争賛美の手段として使われた事を我々は忘れてはならない。すると、あとがきにある、サッカーの「侍ジャパン」や「なでしこジャパン」のネーミングに対する著者の物言いも同感できる。日本は「武国」ではないのだ。
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国体論 白井聡 集英社新書

2018-07-26 13:19:03 | Weblog
 「国体」とは、「国民体育大会」の事ではない。「主権または統治権の所在によって区分される国家の形態。共和制・君主制・立憲君主制など」の謂いである。「国体」の危機は太平洋戦争終結時に天皇の戦争責任が問われるか否かという形で表面化した。天皇が戦争責任を問われて、他の戦犯と同じく裁判にかけられることになれば、天皇制は崩壊の危機に直面するが、占領軍は天皇の歴史的権威と国民感情を鑑みて、日本民主化にとって天皇は非常に大事な存在であるということで、戦争責任を問うことはしなかった。その中で、戦争放棄を憲法に明記させ、日本が再び武力を行使できないようにさせたのである。そこで日米安全保障条約を結び、日本には沖縄を始めとして米軍の基地が置かれることになった。ここは治外法権で、日本の警察が入ることは許されない。さらに日米地位協定によって日本における米軍の特権的な地位が定められており、ある意味、日本は独立国としての体をなしていない状況が戦後73年続いている。
 安部政権は憲法改正をその最大の任務と位置づけ、九条の変更を目論んでいる。それは自衛隊を日蔭の身から表舞台に引っ張り出すことである。これが戦後レジームの脱却ということになるらしい。しかし本筋の「レジーム脱却」とは、著者も言うように、憲法9条を廃止して自衛隊を軍隊として位置づけ、米軍基地をなくして戦争放棄を「放棄」することでなくてはならない。そこら辺をいい加減にして対米追随路線を続ける以上、いつまでたっても日本は独立国にはならないのだ。
 著者によると今の自民党は「愚かしい右翼」によって、対米追随が「戦後の国体」と認識され、「愛国=親米」という奇妙な図式がほぼ自動的に選ばれているという。本来日本の国体を言うのであれば、反米ということでなければならない。論理が逆立ちしているのだ。
 著者は、マッカーサーは征夷大将軍のようなものだったと指摘しているが、なかなかうまい指摘である。日本史を振り返ると、天皇を錦の御旗として担ぎ、天皇の臣下として幕府を開設して政治を行なうことが常であった。戦後の日本はこの米軍=征夷大将軍と自民党などの政権政党の二頭だての馬車でやってきたようなものだ。
 戦後レジームの脱却と言いながらますます対米従属を増す現政権。このまま憲法改正を訴えても、まともな議論にならないことは明らかだ。本筋の議論か、枝葉末節の議論か。くれぐれも拙速にならぬようにしなければならない。
 白井氏は現政権批判の先頭を切る人物だが、「国体」の歴史と意味をわかりやすく説明してくれている。
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不死身の特攻兵 鴻上尚史 講談社現代新書

2018-07-17 10:09:56 | Weblog
 8月15日は終戦(敗戦)記念日だが、戦後73年経って、戦争経験者がどんどん鬼籍に入るに従って、「不戦の誓い」が揺らいでいく気がするのは私だけではあるまい。そんな中で「神風特別攻撃隊」所属の佐々木友次陸軍伍長が、1944年11月の第一回の特攻作戦から9回出撃し、陸軍参謀に「必ず死んでこい!」と言われながら、命令に背き、生還を果たした事実を記した本書は、吉田裕氏の『日本軍兵士』(中公新書)と並ぶヒットとなった。このような本が売れて、多くの人が戦争の愚かさを認識することは、「不戦の誓い」を強固にする一助となり、戦争に対する抑止力になることは間違いない。
 佐々木伍長は死んでこいと言われて、「死ななくてもいいと思います。死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」と反論したという。確かに正論だが、当時こう言える兵士はほとんでいなかった。吉田氏の『日本軍兵士』にもあったが、1944年以降に兵士並びに銃後の民間人の死亡が増えていた。これは本土空襲や物資補給のない戦場での餓死・病死が増えたためであった。その絶望的な戦局の中で、「神風特別攻撃隊」が組織され、兵士を理不尽な死に追いやったのである。「お国のために」という大義名分のために。
 軍隊は上下関係が厳密に規定されており、上官の命令は拒否できないのが普通であるが、「死んでこい」と言われながら生き延びた佐々木伍長の事暦を読むと、その時その時の局面で良識のある直属の上司に恵まれたり、飛行機の不時着によって生き延びたりと運がついて回った気がする。それに彼が下士官であったことも大きい。少尉以上の士官であればこうはいかなかったであろう。では、なぜこのような実際的な効果の薄い作戦が生まれたのか。大いに気になるところだが、本書に興味深い記述があった。
 特攻作戦を始めたのは大西瀧治郎中将だが、彼の部下の小田原参謀長が語った話として次の事が紹介されている。大西中将はもと軍需省にいて、日本の戦力については誰よりも知っており、もう戦争は続けるべきではないと考えていた。そこで特攻によるレイテ防衛について、これは九分九厘成功の見込みはないが、強行する理由は二つあるという。一つは天皇陛下がこの作戦をお聞きになったら、必ずやめろと仰せられるであろうこと。二つは身をもって日本民族の滅亡を防ごうとした若者がいたという事実と、天皇陛下が自らの判断によって戦争を止められたという歴史が残る限り五百年後、千年後に必ずや日本民族は再興するであろうということである。大西中将は敗戦時に自決したので、真偽は不明だが、この壮大な国体護持の捨石の発想はいささか一人よがりと言わざるを得ないだろう。いかに上官といえども部下に死を強制することはできないはずだ。命令する側と命令される側、命令する側はこうあるべきだという価値観によって生きているがゆえに視野が狭くなりがちだ。これを著者は「世間」と言っているが、「世間」の中に生きているものは、「世間」の掟を変える立場にないと思いがちだ。愚策がまかり通る所以である。
最後に著者は、命令する側と命令される側という特攻の構図を夏の高校野球に当てはめて語っているが、同感である。著者は言う、「10代の若者に、真夏の炎天下、組織として強制的に運動を命令しているのは、世界中で見ても、日本の高校野球だけだと思います。好きでやっている人は別です。組織として公式に命令しているケースです。重篤な熱中症によって、何人が死ねば、この真夏の大会は変わるのだろうかと僕は思います」と。かつて明治神宮外苑で行なわれた学徒出陣壮行会、東條英機首相の叱咤激励と学生代表の「生ら、もとより生還を期せず云々」の決意表明。そのアナロジーとして高校野球の開会式を見ると、その相似形にはっとさせられる。折しも新聞は100回記念大会の野球記事で日々紙面を埋め尽くしている。これも戦争遂行を賛美したメディアに擬する事も可能だ。今現在、時期とか時間帯の変更を考えている節はない。この酷暑の時期、熱中症の犠牲者が出なければいいのだが。
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ベラスケス 大髙保二郎 岩波新書

2018-07-07 13:37:55 | Weblog
 ベラスケス(1599~1660)はスペインのフエリペ4世に仕えた宮廷画家で、絵画史に<近代>の扉を開いた巨匠と言われている。晩年の傑作「ラス・メニーナス」は絵画史上の名作と評価が高い。私は去年8月スペイン旅行中、プラド美術館でこれを見た。正式名は「フエリペ4世の家族」、愛称が「ラスメニーナス」(女官たち)だ。折しも今、兵庫県立美術館で「プラド美術館展(ベラスケスと絵画の栄光)」と題して彼の作品7点を含むプラド美術館所蔵の名品の展覧会が開催されている(会期は10月14日まで)。チラシの表には、「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」があしらわれている。これは「ラス・メニーナス」に代わる目玉という位置づけなのだろう。そのタイミングでの本書の刊行である。何かの縁だと思い購入した次第。一読した感想は、なかなかの力作で、1037円は無駄ではなかったということである。
 最初「ラス・メニーナス」の独創性については理解できなかったが、著者はベラスケスの人生と関わらせて謎解きをしてくれている。この絵では国王夫妻を集団肖像画として制作するに際して、鏡の中に納めるという方法をとっている。しかもベラスケス自身が画中にあって大きなカンバスに向かっている。画面中央に写る鏡の中の国王夫妻がこの絵の外側、つまり鑑賞者と同じ位置に立っており、その二人を描いている。しかし、美術家の横尾忠則氏は7月7日の朝日新聞の本書の書評で、「彼の前の巨大なキャンバスには、この<ラス・メニーナス>そのものが描かれているのだ。なぜならこの3メートルの絵画と画中のキャンバスのサイズはほぼ等しいと判断したからだ」と従来の説に異を唱えている。なるほど、国王夫妻を描くのだったら、こんな巨大なキャンバスは不要だ。ことほど左様に、いろんな想像をかきたてる絵ではある。
 最後に著者は画中のベラスケスの胸に輝くサンディアゴ騎士団の赤十字章に言及する。騎士団への加入は貴族の仲間入りをした事を意味し、これは国王の特段のはからいで実現したのであった。そこで、1659年(死の前年)に描き加えられた。なぜベラスケスは貴族になりたかったのか。実は彼の出自はポルトガル系改宗ユダヤ教徒(コンベルソ)の流れをくんでおり、平民の出であるベラスケス家にとっては、宮廷入りを実現させ、貴族の仲間入りを果たすのが夢であったのである。
 著者曰く、王室画家となってからの異常なまでの寡黙ぶり、頑ななまでの沈黙は生来の彼の気質に帰せられ、作品を通してしか自己を語らないベラスケス一流の「生き方」と解釈されてきたが、真実は、平民でポルトガル系ユダヤ教徒の家系という出自のゆえに、権謀術策が渦巻くバロック的宮廷社会を生き抜くにはそうした生き方しか選択の余地がなかったのではなかろうか。今日、我々の眼からすれば平明で単調にしか映らない人生。しかし、その奥には冷徹な計画と現実的精神のもと、貴族となる野望がひそかに燃えていたに違いないと。
 これを読むと、ベラスケスの絵画の迫力は、彼の上昇志向の意志力の反映に由来するのではないかと思えてくる。出自のハンデを乗り越えて、社会的成功者を目指すというのは人間社会では普通にあること。そのエネルギーが人生にダイナミズムを生むことは否定できない。
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漢奸裁判 劉傑 中公新書

2018-06-24 12:57:32 | Weblog
 漢奸とは中国語で「売国奴」のこと。「漢奸裁判」とは、終戦直後から1947年10月まで、中国大陸で戦争中に日本に協力した中国人を数万人裁いたことを指す。その対象は主として1940年日本占領地の南京に出現した王兆銘政権の関係者だった。王兆銘は国民党左派で蒋介石のライバルであったが、重慶を脱出し、1940年3月に「国民政府」を樹立したが、占領地での「和平工作」に正当性はなく、当然民衆の支持は得られず、終始日本軍の干渉と威圧に悩んだ。
 日中戦争の特徴は、両国とも戦争当初から宣戦布告を行なわず、国交関係を維持したため、戦争当初から様々な和平工作が展開された。「親日派政権」樹立をもくろむ日本側は、国民党ナンバー2の王兆銘に働きかけて、「国民政府」に誘導したのである。しかし、日本の敗戦は、前述の通り、大量の漢奸(売国奴)を生みだした。本書は傀儡政権の裁判記録をたどって、その実相に迫ったもの。
 王兆銘の略歴を見ると、彼は熱血の革命家で、孫文と共に辛亥革命を戦った。その後、国民党内で、頭角を現していくが、北伐以降、蒋介石と激しく対立するようになる。日本の中国侵略が本格化していく中で、中国の国力の低迷を嘆いて、ついに「一面抵抗、一面交渉」の方針を打ち出し、その後もこの対日交渉方針を変えなかった。これは徹底抗日というナショナリズム高揚期においては漢奸の汚名を着せられることは明白であった。
 そして終戦後、「漢奸裁判」が始まったが、王兆銘の側近の裁判を巡る動向が非常に興味深い。死刑か懲役刑か、その基準は何か、蒋介石の意向はどうかなど、著者は裁判記録をもとに側近たちの人生を浮き彫りにして、非常にスリリングな読みものに仕上げている。中でも終戦直後の1945年8月25日に日本に亡命した陳公博については、本当に同情してしまう。彼は日本側を頼って来日したものの、蒋介石政府の引き渡し要求に日本が抗しきれず、身の安全を保障するという約束を反故にされ、結局帰国し裁判を受け、1946年4月12日に死刑判決を受け、同年6月3日、蘇州で処刑された。彼は裁判の中で、自分は中国のために平和の実現を目指して王兆銘と行動を共にしたものであって、売国奴という批判を受ける筋合いはないということを堂々と述べている。命をかけた革命家の面目躍如たるものがある。蒋介石は始めから死刑にするつもりであったが、それをわかっていながらの堂々たる弁舌にインテリ革命家の意地を見た。
 これ以外にも死刑になった褚民誼、梅思平、林柏生、丁黙邨、李士群など有為の人材が失われたことは痛恨の極みである。また周仏海は王兆銘と蒋介石の間を巧みに泳いで、結局死刑を免れている。この裁判は様々な人間模様を見せてくれた。
 王兆銘は今も北宋の対金和平派の政治家、秦檜と並んで、二大漢奸として、秦檜が毒殺した対金終戦派将軍、岳飛の杭州にある墓の前で屈辱的な跪像として並んでいる。彼が名誉回復される日は来るのだろうか。いや、共産党政権が続く限り難しいだろう。これは中国には知日派はいても、親日派はいないこと相似形だからだ。向こうでは親日=漢奸を意味する。共産党存続のための基盤作りはかくもシビアーなものなのだ。
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夫婦で行くイスラムの国々 清水義範 集英社文庫

2018-06-12 09:04:13 | Weblog
 清水氏の近作『夫婦で行く東南アジアの国々』が面白かったので、旧作の本著も読んでみた。これも面白い。著者の旅行記の特徴は、その国の歴史をよく勉強していることと、人々に対する敬意がにじみ出ていることである。これは氏の人間性に依るものだと推察するが、読んでいて安心感がある。これは氏の息の長い作家生活と関係あるのだろうと思う。
 本書はインドから始まって、トルコ、ウズベキスタン、イラン、レバノン、シリア、ヨルダン、チュニジア、東トルコ、モロッコ、エジプト、スペイン、そしておまけにイエメンが続く。本書は雑誌「すばる」に2005年から2008年に掲載されたもので、現在の中東状況では、シリアなど行くのが困難な国も多い。逆に言うと、平和な時期のイスラムの国々の諸相が垣間見える。どの国も市民は平和に暮らすことを願い、日々の営みは万国共通だということがよくわかる。それを可能にしているのが著者の筆力と言えるだろう。
 中でも面白かったのは、モロッコ人のいい加減さとインド人のいい加減さを比べた記述である。モロッコのフエズのホテルで両替をすべくフロントに行くと、9時にならないとできないと言われ、9時に行くと、今日の分は終わったという答え。ところが9時10分に行った人は両替してもらえたという。また朝のホテルのレストランで、ボーイにコーヒーを頼んでも眼を合わそうとしない。結局マネージャーに直談判して、やっとコーヒーにありつけたという話。著者曰く、モロッコ人はその時楽をしたいからいい加減なのだ。なるべく仕事をしないのが利口な人間だと思っているかの如しだと。それに比べてインド人はそうしたほうが得になるから抜け目なくいい加減なのだと言う。例えば、インドのホテルマンに無料のものをくれとと言うと、そこにあるのが見えているのに、もうない、なんて言う。この後、チップをはずんでくれるイギリス人の団体が来るので、その時にサービスしたほうが得なのでそうするのだ。インド人の生きるためのしたたかさに感心してしまうとも言っている。モロッコ人のは、怠け者のサーバント根性、インド人のは、働き者のサーバント根性だといって、これはそれぞれの宗主国、フランスとイギリスの差によるものなのかという分析もしている。
 モロッコは夏ともなればフランスから多くのバカンス客を迎え賑わっている(ジブラルタル海峡をフエリーで渡れば車で来れる)。だからフランスだけに目を向けていても夏のリゾート地としてやっていける。そのために自国に対する矜持みたいなものが薄いのではないかと言っているが、鋭い分析である。私はこの中では、スペイン以外行ったことがないが、さしあたってインド、トルコ、エジプトへ行きたくなった。
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飛行機の戦争1914-1945  一ノ瀬俊也 講談社現代新書

2018-05-29 09:12:47 | Weblog
 1914年とは、第一次世界大戦下、ドイツ軍が立て籠もる青島要塞の攻略戦で日本陸海軍の飛行機が偵察や爆撃、ドイツ軍飛行機との空中戦など、初の実戦を体験した年である。1945年は勿論敗戦の年である。この間、日本は制空権の獲得の重要性から、飛行機の量産体制を視野に入れて、国民に飛行機の宣伝をいろいろ行なっていたというのが本書の概要だ。
 従来日本海軍は戦艦大和や武蔵に代表されるような「大艦巨砲主義」に囚われて、飛行機の重要性を認識していなかった。これが敗戦の原因になったということが言われているが、これは誤りだということを、多くの資料を使って論証している。なるほどあの戦艦大和や武蔵は巨費を投じて造られた最高速度速度27ノットを誇る素晴らしい戦艦である。しかし就航して以降、華々しい活躍を見せることなく、武蔵はレイテ沖海戦で、大和は沖縄へ向かう途中で、敵の飛行機の総攻撃を受けて沈没した。あのイメージが「大艦巨砲主義」の欠点を助長したことは否めない。
 例の真珠湾攻撃は、航空母艦から飛び立った飛行機の爆弾投下によって戦果をあげたのであるから、山本五十六指令長官を始めとして、海軍の幹部は飛行機の重要性を認識していたはずである。そうでなければこのような作戦は計画しないだろう。にも関わらず、「大艦巨砲主義」批判が起こる所以は、戦後の戦争責任を議論する中で、「軍独特のひずみ」を象徴するものとして取り上げられたことにあると著者は言う。ワシントン条約以降、(「百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得る」という)この非科学的思想は軍縮戦法に、訓練に、造艦造兵思想にひろがったという軍事史家・大江志乃夫の説などが影響していると述べている。
 「天皇の軍隊」は「国民の軍隊」でもあり、その国民ともたれ合うようなかたちで無謀な開戦に突入していった点は忘れてはならない。その「もたれあい」の証拠として著者があげるのは、国民による陸海軍への飛行機献納活動(一人一人がお金を出し合うこと)である。陸海軍は飛行機の重要性をことあるごとに国民に宣伝して、その重要性を訴えた。将来日本が敵機に空襲され甚大な被害を被る可能性を示唆し、それを迎撃する飛行機を持つ必要があるといったことなどである。この空襲への恐怖は防空演習などで国民に刷り込まれた。また飛行機の宣伝の一環として、貧困層の立身出世の手段として航空兵になる道を勧めたことや、学校が航空兵志願に親への説得など一役買ったことが記されている。
 戦争はしてはならないというが、政府のプロパガンダによって国民がじわじわと巻き込まれる様子が、飛行機礼賛運動にみてとれる。新書にしては分厚くなったのは、その資料を私たちに提供してくれたからだ。
 
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言ってはいけない中国の真実 橘玲 新潮文庫

2018-05-20 09:37:12 | Weblog
 一読して面白く、ためになった。現代中国の本質を捉えているという点で、反中ものの類書とは一線を画している。まず巻頭のカラーページに「中国10大鬼城観光」とあり、廃墟フアンにお勧めの観光地の写真が目を引く。「鬼城」とはゴーストタウンのことである。だれも住まない巨大な建造物を何の逡巡もなく完成させる中国のパワーに圧倒されるが、ここに中国の抱える問題が集約されているのだ。これは地方政府が経済成長を維持するために公共投資したものが具現化したものだ。住む人がいようといまいとに関わらず建設によってお金が回り、一時的な雇用が生まれる。しかし、この流れが中断すると、バブルがはじけて経済の破綻に向かってしまう。ここがジレンマになっている。この地方政府の暴走を抑えきれない中央政府という図式が鮮明になっており、この国の統治が一筋縄ではいかないということを感じさせる。
 著者は今の中国の問題の最大の要因は、人間が多すぎるという点にあるという。資料を見ると、広東省だけで、一億の人口がある。これは一つの国家としても十分な規模だ。よって全体で13億の人間を治めるというのは、難しいだろうなあということはよくわかる。その中国で人間関係を規定しているのは「グアンシ(関係)」だと著者はいう。家族、親族、友人、これらの関係を重視して人間関係を築いて、これを利用して世の中を渡っていくのが、中国人の流儀で、自分と「無関係」(メイクワンシ)な人間には文字通り「無関心」なのだ。この人間関係の源流は「秘密結社」の「帮」にあると著者は言う。この「帮」は「黒社会」(ヤクザ組織)に通じていて、更に中国共産党にも通じると述べている。確かに中国共産党は一種の利権団体だと思っていたが、これで腑に落ちた。
 「黒社会」と「中国共産党」の共通点は、①伝統的な「政治的帮会」との類似、②主要な組織構成員が破産した農民と失業した流民である点、③平均主義(平等主義)の手段とユートピアの追及、④思想の排他性、⑤政治面での残忍性、⑥行動様式の秘密性、⑦不断の内部闘争の七点を挙げて、それぞれに解説がついているが、ここでは省略。この共産党に対して、地方では宗族の活動が活発になってきており、祖先を祀り、祠堂を建て、族譜を編纂したりして、宗族同士で争ったり、地方政府と衝突したり、黒社会が復活したりしているという。このような秘密結社的人間関係の中で、腐敗を一掃することは困難で、持ちつ持たれつの人間関係が無くなることはない。従って習近平が唱える腐敗撲滅は氷山の一角を潰すだけのパフオーマンス的な意味合いでしかないと言える。その他、目から鱗の指摘が多くあり、お勧めしたい。
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