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読書日記

いろいろな本のレビュー

ヒルビリー・エレジー J・D・ヴァンス 光文社未来ライブラリー

2025-05-29 14:37:11 | Weblog
 副題は「アメリカの繁栄から取り残された白人たち」だ。ヒルビリーとは「山に住む白人」の意からやがて「田舎者」という蔑称に転じ、発展から置き去りにされたプアホワイトを指す言葉となった。本書では特に、アイルランドのアルスター地方から、おもにアパラチア山脈周辺のケンタッキー州やウエスト・ヴァージニア州に住み着いた「スコッツ=アイリッシュ(アメリカ独自表現)」のことである。したがって宗教はカソリックということになる。このヒルビリーに出自を持つ著者が苦しい少年時代を経てイエール大学ロースクールを卒業して弁護士資格を得てアメリカンドリームをつかむまでの自伝である。

 ヴァンス氏は本書を31 歳のとき出版して9年後、弱冠40歳で現トランプ政権で副大統領の地位まで上り詰めた。氏で思い出すのはウクライナのゼレンスキー大統領がホワイトハウスでトランプ大統領と会談した時、言い争いになった時のことだ。その時陪席していたヴァンス氏は、なぜトランプ大統領に感謝の気持ちを表さないのかとゼレンスキー大統領に食ってかかった。これはテレビニュースで大々的に報じられて大きな反響を呼んだ。というのも副大統領は普通おとなしくしているもので、このようなアクションを起こすことはないからだ。私はこの長身でひげづらの精悍な顔立ちの副大統領に興味を持った。一体何者だろうと。その後この本に出会ってその正体がわかった。氏によるとヒルビリーという白人の貧困階層の日常は普通の市民生活とは全然違うようで、他人とのいざこざがあると、話し合いで決着をつける前に直ぐに体が反応するのが常だと書いている。私はその習慣がこの会談の場面で出たのだろうと推察した。

 このヒルビリーについては、1960~70年代にテレビで放映されていた「じゃじゃ馬億万長者」という番組を思い出す。アメリカでは「じゃじゃ馬億万長者」の前に「ビバリー・ヒルビリーズ」という句がつけられており、この田舎の農家のクランペット家が、自分の土地から石油が出て大金持ちになり、一家でセレブの住むビバリーヒルズに引っ越しててんやわんやの大騒ぎを巻き起こすというストーリーだった。田舎者が都会に出てカルチャーショックを体験するというもので、私も好きでよく見ていた。このようにヒルビリーは昔から田舎者としてからかいの対象になっていたことがわかる。著者はその出自を公にして刊行したということから、勇気があるといえる。

 著者は祖父母の話から父母のこと、妹のこと叔父・叔母のことを赤裸々に描いている。祖母は非常にしっかり者だが祖父ともに非常に暴力的な人間であった。私はこの祖父母の話を読んで、フラナリー・オコナーの小説を読んでいるような気になった。アメリカの貧困層ってこんなんかと。そして母と言えば看護師だが五回結婚してしかも薬物中毒者。著者にしたらしょっちゅう父親が変わるわけで、本当にぐれずに頑張ったものだと思う。ヒルビリーの家庭にはヴァンス家のような状況がよく見られるとのこと、そんなこともあって、著者は教育によって貧困からの離脱を図らなければならないと力説する。そのためには民主党より共和党でなければと言う。とりわけトランプ大統領こそはラストベルトを解消して経済的発展を託せる人物だと力説する。

 貧困階層からセレブ階層への移転、そこには映画「プリティウーマン」に見られるような悲劇性もある。イエール大学ロースクールの二年生の時、ある法律事務所の豪華なレストランでのパーティーに招待されたときのこと、テーブルにたくさんのナイフとフオークが並べられてあるのを見て、どういう順番で使うのかを慌ててガールフレンドに電話で聞く場面は少々かわいそうな感じがした。でも著者は恥ずかしがらずに書いている。まさに「じゃじゃ馬億万長者」の世界だ。本書を読んでヒルビリーの生活状況がよくわかったが、一つ面白い話があった。著者が弁護士になってから、貧困に苦しむ子供たちのためにクリスマスプレゼントを贈るように救世軍から頼まれ、そのリストにパジャマというのがあった。著者曰く、「パジャマはプレゼントに向いていない。なぜなら貧しい人達はパジャマを着ない。私たちヒルビリーは、下着のまま寝るか、ジーンズをはいたまま眠る。パジャマというのは、キャビアや全自動製氷機と同じく、エリートのぜいたく品だと私は思っている」と。エリートになっても貧しい少年時代を心に刻んで生きることは重要だ。こういう貧乏人の気持ちがわかる人間が上に立つことはいいことだ。今後の彼の動向から目が離せない。

軽いめまい 金井美恵子 講談社学芸文庫

2025-05-19 10:50:13 | Weblog
 この作家の存在は今まで知らなかったが、御年77歳の有名作家・詩人らしい。読書家を自称していた自分の底の浅さを自覚した次第。本書の主人公は夏実という専業主婦で40歳前後。会社員の夫と二人の男の子がおり、小田急沿線の築7年の中古マンションに住んでいる。時代は1990年代の東京、実家は目白で大卒らしい。この設定からすると多分私と同世代という感じがする。1980年頃結婚して家庭に入り、専業主婦になったと思われる。すると夫の給料だけでやりくりするわけだが、東京でマンションを買って生活するわけだから、夫は相当高い給料を取っていることがわかる。夫婦共働きが最近のトレンドだが、まだ結婚が永久就職と言われた時代なのだろう。バブル景気に沸いていた時代でもある。

 この専業主婦の夏実の日常を描いているのだが、特にドラマティックな事件が起ころわけではない。平凡な子育ての主婦のルーティーンが繰り返される。まるで主婦のおしゃべりのような内容である。例えば寝室のベッドのシーツを換えるというシーンでは次のような記述がある。「1週間に1度のシーツの交換日であれば、、、、、1週間に1度というわけなどではもちろんなかったが、いつの頃からかシーツの交換日の前の夜に性交をする習慣になっていたのだけれど、新婚の頃は、換えたてのピンと糊のきいた木綿の布地のなめらかでひんやりした感触が官能を刺激したりしてシーツの交換日にも性交をしたものだったが、、、、、」と。この後、夫婦と子供のシーツを洗ってからお風呂に入るのだが、「まだバスタブのお湯は充分な量になっていなったけれど、クリーム色の氷砂糖の粒のようなカミツレの入浴剤を入れ、お湯を出しっぱなししながら浸り、ゆっくりシャンプーをして身体を洗った」と続く。読んでいて恥ずかしくなる描写である。あほなプチブル女の一断面を切り取って絶好調だが、わざとこのような冷笑的表現にしたのだろう。世相に対する批判なのかなと思ってしまう。

 またバレンタインデー等の行事にはプレゼントを買うのだが、自分の物もいろいろ欲しいというという場面でこう続く、「ブルガリのリングだのミッソーニのカシミア・コートだのフエラガモの靴と言った類の、古風に言えばブルジュワ趣味、少し前の言い方だとブランド志向で、今ではコマダム系というらしい品物が欲しいというのではなく、(云々)」といろいろブランド物が欲しいが、今はそう簡単に変える状況ではないという反省が吐露される。まさにお気楽な日常だ。私はこれを読んで、田中康夫の『なんとなくクリスタル』『ブリリアントな午後』『たまらなくアーベイン』などのカタログ小説を思い出した。1990年代はこういうのが流行ったのだ。夏実もその流れにはまっている。

 最後は夕食のおかずを求めていろいろ思案するが、そうこうしているうちに「少し吐き気がして、電車の振動とは別の軽いめまいのように目の前が微かに揺れる」で終わる。この「めまい」こそ夏実の存在の不安が顕在化したものと言えよう。仕事の苦しみから逃れられた主婦業を謳歌している人間の根源的な不安が現れたのだろう。そうでなければ、ただの主婦の与太話で終わってしまう。

西武池袋線でよかったね 杉山尚次 交通新聞社新書

2025-05-10 10:33:20 | Weblog
 副題は「郊外から東京を読み直す」で、東京の西郊外(武蔵野)の散策レポである。ただ類書にあるようなただの名所・グルメレポではなく思想的分析がなされており、硬派の作品と言えるだろう。関西の人間には「西部池袋線」と聞いても実感がないので、この本は果たしてこちらで売れるのだろうかと心配になるが、昔東京に住んだことがある人間にとっては懐かしさで、ついつい買ってしまうこともあるだろうと思う。実は私もその一人である。東京で学生時代を過ごした私は中央線の阿佐ヶ谷に下宿していたが、西武池袋線沿線に住んでいる同学の人も多かった。そのころ(1970年代)は西武王国の全盛時代で、池袋の西武百貨店もにぎわっていた。池袋から飯能行き急行が出ており、秩父方面へ手軽に行けたことを思い出す。池袋からは「東武東上線」があって川越など埼玉南部へ通じており、東武百貨店もあった。

 「西武池袋線」と「東武東上線」を比べると前者の方が少しだけ垢抜けたイメージで捉えられていたように思う。ところが大学一年時の一般教養の化学の授業で先生が、「西武池袋線」沿線で住んでいると喜んでいる人がいるが、あの線は都心から人間の糞尿を郊外のお百姓さんの所へ運んでいたのだよと何かの雑談で話されていたのを今でもはっきり覚えている。本書にもそのことが書かれている。曰く、「西武池袋線の前身の武蔵野鉄道が、戦前と戦後直後、都心から人間の糞尿を郊外の農地へ運んでいたことがあるため、「汚穢電車」などというありがたくない蔑称を与えられた」と。でも今はそんなことを知っている人はほとんどいないだろう。

 話題はいろいろだが、面白かったのは西武沿線にできた団地が、1960年代から70年代半ばにかけて沿線に独特な政治風土を生んだということ。具体的には、70年代の日本共産党の〝躍進〟に西武鉄道沿線に多数存在した団地が大きく寄与したことを指している。このことを著作にして発表したのが歴史家の原武史氏である。氏は『滝山コミューン1974』(2007 講談社)で、滝山団地の小学校で受けた強烈な「集団主義(平等を標榜した全体主義)教育」体験をレポートし、検証した。著者は団地という環境が、逸脱を許さず均質化を強要する傾向を助長したという問題意識があったのだろう。実際、著者はモスクワを取材して、団地の均一性・画一性は、同時代の旧ソ連など社会主義国の集合住宅とそっくりであると強調している。

 また原氏の『レッドアローとスターハウス もう一つの戦後思想史』(2012年 新潮社)には、著者によれば「鉄道というインフラ(下部構造)が住民意識(上部構造)を規定しいることを指摘できる」という記述があるそうで、さらに「70年代くらいまでの路線別の政治意識は、中央線沿線は新左翼、全共闘系、西武沿線は団地中心で日本共産党系ということになる。東急沿線は持家中心の開発だったから、やがて新自由主義の支持母体となるものだった」と言うに至っては、本気かとあきれ気味である。また、西武と東急の住民意識の違いについて、原氏は「東急沿線に住んでいるのは、もともと住みたかった人々が多く、東急都住民の間に親和性があるのに対して、西武沿線の団地に住んでいるのは、そこに住みたかった人々では必ずしもなかったから住民と西武資本の対立関係が生まれやすかった」と言うが、これも論理が飛躍していると批判している。著者が言う通り、地価を見ればどこが人気かすぐわかるのだ。

 このように団地一つをとっても、話題は多い。これが全五章に渡って著者の蘊蓄が傾けられるので読んでいて楽しい。関東在住でなくても十分ついていける内容である。個人的には第5章の「軍都 武蔵野」が良かった。

決定版 交響曲の名曲・名演奏 許光俊 講談社現代新書

2025-04-23 16:54:25 | Weblog
 今 クラッシツク評論で活躍している人と言えば、片山杜秀氏を思い浮かべるが、本書の許光俊氏は片山氏に比べると相当辛口という感じがする。許氏は本場でのコンサート体験が豊富と紹介があるが、実際何度も海外公演に行かれているようだ。趣味とはいえ相当のお金をつぎ込んでいると言ってよい。本書はハイドン、モーツアルト、ベートーベンの交響曲から始まって、ロマン派からフランスの交響曲、ブラームスから国民楽派、ブルッルクナー、マーラー、ショスタコービッチまで網羅している。意外だったのはベートーベンの交響曲についての評価が低い事だった。

 有名な第九について曰く、実はオーケストラにも歌手にも高い力量が求められ、指揮者も並大抵の人では凡庸な演奏に終始してしまうので難しい作品です。最終楽章で、「歓喜の歌」、つまり喜びこそが人々を結び付けてくれると歌われます。うん、まあ、言いたいことは分かりますが。作曲者の善意や理想主義を批判するつもりはないのですが、どうもナイーブすぎて、正直なところ私は苦手ですと。演奏会ではシラーの詩をドイツ語で歌うので、聴衆のほとんどは詩の内容を理解して聞いているわけではない。日本語に訳したものをを聞いたらまた印象は変わるのではないか。確かに訳詞をを読むと気恥ずかしくなる側面はある。万博の開会式で雨の中を市民の合唱隊プラス佐渡裕の指揮で最終楽章が演奏されていたが、これには度肝を抜かれた。なんで第九なのか。意味が分からなかった。許氏はこれを見てどう思われたのか、聞いてみたい。というのも氏はこうも言っているからだ。すなわち、「21世紀の今になって『第九』を完全に受け入れられるのか、疑問に思います。アウシュビッツの後で、いやそれに限らず、世界的な蛮行がいろいろ伝えられる中で、『第九』に感動するのは、野蛮なのではないか」と。その気恥ずかしさを無視して、嬉々として演奏することの傲慢さを嫌った発言と思う。

 私が印象深く思ったのは、社会主義国家における作曲家と指揮者についての記述だった。まず東ドイツ出身のクルト・マズアとヘルベルト・ブロムシュテットについて、音楽自体に特別のアピールも、個の表出も、内面性もないと一刀両断。それはもしかしたら強い個性の表現はブルジョワ的で望ましくないからだろうか。指揮者といえども平凡な労働者の一人だったのだろうかと推察して見せる。社会主義が音楽に影響を及ぼす一側面かも知れない。ブロムシュテットについては最近NHKのクラシック音楽館でマーラーの第八番を指揮していたの見たが、御歳97でよくやるなあと感心して見ていたが、許氏は巨匠でも何でもない。何のオリジナリティーもないし、つまらない指揮者だと手厳しい。

 同じ社会主義国家の作曲家のショスタコービッチについては、彼を「ソヴィエト」最大の作曲家だと評価したうえで、彼の作品を分析している。有名な第七番「レニングラード」について、第一楽章に現れる主題を軽妙・軽薄・冗談のようだという。独ソ戦という破壊や暴力を暗示したいのに滑稽に登場する。それが最後は異様かつ不気味に盛り上がる。この主題の象徴性についていろんな可能性を示唆するが、何であるかは断言できない。それがショスタコービッチの技量だともいえる。とにかく当局からダメ出しされなかったのだから。最近またNHKの同番組でトウガン・ソヒエフ(ロシア人)の指揮するN響の「レニングラード」を聴いたが、この批評を読んでよくわかった。最後の盛り上がりは多分ソ連の民衆の勝利のの声なのだろう。

 またショスタコービッチの交響曲の音質についてラジオで中継するというのがポイントで、高い音域も低い音域も削られていて、中音域で大音量を出すように作られている。要するに電話で音楽を聴いているようなものだからああいう曲になるのだという指摘はまことに面白い。これぞ社会主義の音楽という感じだ。したがって鑑賞者は作曲者が言葉の変わりに音楽に託したものを感じ取ることが必要と述べる。大事な視点だ。これを機にショスタコービッチの交響曲を聞き直してみようと思う。

日ソ戦争 麻田雅文 中公新書

2025-04-12 11:13:29 | Weblog
 日ソ戦争とは、本書の表紙の解説にはこうある。「1945年8月8日から9月上旬まで満洲・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第二次世界大戦最後の全面戦争である。短期間ながら両軍の参加兵力は200万人を超え、玉音放送後に戦闘が始まる地域もあり、戦後を見据えた戦争だった。これまでソ連の中立条約破棄・非人道的な戦闘など断片的には知られてきたが、本書では新資料を駆使し、米国のソ連への参戦要請から各地での戦闘の実態、終戦までの全貌を描く」と。一読してこの戦争の悲劇を再認識することができた。

 アメリカは戦争終結のためにスターリンに対日本戦参戦を要請していたが、スターリンとしては対独戦に集中するために対日戦を引き延ばしてきた。一方アメリカは原爆の投下を終戦の切り札として準備していた。結局原爆投下とソ連参戦という二つの厄災に襲われて日本は無条件降伏となった。これまで満洲の開拓民やその家族といった非戦闘員を保護しなかった関東軍の責任が問われることが多かったが、著者は無差別攻撃を行ったソ連軍の責任であると断言している。そして次のように言う、「満洲におけるソ連軍の加害を追及すると、満州国時代の日本人から現地民への加害を持ち出して相対化を図ろうとする議論が見受けられる。しかし、それはソ連軍の蛮行を不問に付す理由にはならないだろう」と。正しい見解だと思う。

 日本人狩りの例として満洲最大の都市ハルビンの例が挙げられている。ハルビンの1944年の人口は約68万人で、このうち50万人がスターリンの命令でソ連に移送された。軍人だけでは人数が足りず民間人が「員数合わせ」として標的にされた。そのノルマ(ロシア語)を達成しなければソ連軍が処罰されたという。そして彼らは鉄道の改築に従事させられた。またソ連兵の蛮行について指導者がこれを黙認していたことが書かれている。スターリンはソ連兵の評判が悪いと示唆する相手にこう擁護した「兵士たちは疲れ、長く困難な戦いで消耗している。『上品な知識人』の観点から見るなど間違いだ」と。スターリンは無断での退却や、捕虜になることには厳罰で臨んだが、勇敢に戦い勝利に貢献すれば他を大目に見ていた。実際ソ連軍では強姦や略奪に厳しい処罰を下されることはなかったので、蛮行を助長した。これは対独戦争でも見られ、大戦末期ソ連軍によるドイツ人女性に対する性加害も尋常ではなかったといわれている。

 これを助長した要因として、日本軍や警察は武装解除されており、日本人男性の多くも軍に召集されていて、ソ連軍の蛮行を留める者がいなかった。それでソ連軍の軍紀も緩んでいたことがある。さらにソ連特有の男尊女卑の社会構造にあるという説を挙げている。そしてソ連における嗜好品や日用品の不足が日本人から貴金属や腕時計、万年筆まで強奪したことも要因だ言っている。そもそも1930年代の大粛清や強制労働など、ソ連は自国の市民の人権すら尊重する国ではなかった。そうした国家が占領地の住民や捕虜を丁重に扱うことはないという著者の言葉は正鵠を得ている。スターリン政権下のウクライナの大飢餓事件を見れば明らかだ。ソ連は共産党が崩壊して今ロシアとなったが、この伝統はプーチンの権力化でどうなっているのか興味が湧く。対ウクライナ戦争でロシア軍の蛮行がないのかしっかりチェックする必要がある。本書は「ソ連軍の満洲侵攻図」(p78~79)「極東ソ連軍主要部隊の編制」(p80)「ソ連軍の指揮系統(日ソ戦争当時)」(P81)など貴重な資料が掲載されている。労作であることは確かだ。

イーロン・マスク 上下 ウオルター・アイザックソン 文藝春秋社

2025-04-05 14:26:36 | Weblog
 トランプ政権で政府効率化省(DOGE)を率いる率いるイーロン・マスクは多くの政府職員を解雇しているが、そのやり方があまりにドライなこと、しかもマスクが議会の承認を受けていないため不評を買っていることなどで、トランプもさすがにこのままでは政権に対する批判が大きくなりかねないと思ったのか、近々退任させる予定というニュースが流れている。今や世界一の富豪と言われるマスクだが、少年時代は苦労の連続だったようだ。彼は南アフリカの出身で後にカナダを経てアメリカにたどり着いたが、父母は彼が五歳の時に離婚、10歳の時に弟のキンバルと一緒に父のエロールと暮らすことになった。父のエロールはイーロンによると、快活で一緒にいて楽しい時もあるのだが、意地が悪くなり、言葉の暴力を振るったり、妄想や陰謀論にとらわれたりすることもあったという。弟のキンバルも次のように言っている、「ものすごく優しいかと思えば次の瞬間に怒鳴り散らされ、何時間も小言を聞かされるんです。文字通り2時間も3時間もですよ」と。そして父親と暮らして7年。17歳の時イーロンはいい加減逃げなければならないと思って、つてを頼ってカナダに移った。南アフリカでは父親の虐待や学校でのいじめを経験している。公立高校ではさんざん殴られて、私立の男子校に転向したりもしている。何か標的にされやすい資質があったのだろが、実は彼は自閉スペクトラム障害=アスペルガー症候群だということがわかっている。理数系の才能に恵まれているが、他人に共感することができない特徴があるという。父の独裁的支配と自閉スペクトラム障害、この二つが今のイーロンの人となりを形作っている。

 イーロンはスタンフード大学院時代に人生の目標ができていたという。イーロンの言葉では、「人類に大きな影響を与えることがしたいと考えました。思いついたのは三つ。インターネットと持続可能エネルギーと宇宙旅行です」となる。今彼はその目標に向かって着々と進みつつある。その仕事ぶりについて著者は言う、「マスクは最初から過酷な仕事人だった。社員が退勤した後、作業途中のコードを書き換えることもある。共感力があまりないタイプなので他人の間違いを人前で正すことが愛情への道にならないと本気でわかっていないし、わかったとしても気にしない。スポーツチームのキャプテンの経験もなければ友達をまとめるリーダーの経験もなく、本能的に友情を求めることもない。そのあたりはスティーブ・ジョブズと同じで、仕事仲間の気分を害したり恐れられたりすることを全く気にしない。誰もが無理だと思った成果をあげさせられればそれでいいのだ」と。イーロンは会議で次のように言ったという、「チームのメンバーに愛してもらうことなど仕事ではない。そんなの百害あって一利なしだ」と。人徳の無い人間の負け惜しみのようにも聞こえるが、徳はないが金はある。何か文句あるかというのが彼の言い分なのだろう。

 イーロンがツイッターを買収した時、残すべき社員についてこう言った、「残すのは3つの条件を満たす技術者だけ。優秀であること。信頼が置けること。やる気に満ちていることだ」と。その結果、社員の75パーセントがいなくなった。8000人弱だった社員数はひと月半で2000人強になったという。これがイーロンの仕事の流儀だ。この国には儒教の説く、仁、恕などは無縁のものらしい。他人の痛みに共感するというのは、人間の大事な心情だと思うがイーロンは不要だと言う。トランプ大統領も今や関税問題で世界を敵に回しているが、自国フアーストを貫く姿勢はイーロンとかぶるものがある。でもイーロンはやりすぎてトランプに捨てられることになった。自然の流れと言えよう。そのうちトランプもどうなるかわからない。今アメリカに必要なのは徳のあるものがリーダーになるべきだという儒教的発想だろう。『論語』が今なお読み続けられていることを軽視してはならない。この書物に込められた思想は東アジアのみならず世界的に通用するものなのだから。本書にはイーロンの女性関係についても詳しいレポートが載っており、彼の人間像を知るうえで大変参考になる。

世界一シンプルな進化論講義 更科功 講談社ブルーバックス

2025-03-22 08:40:44 | Weblog
 進化論と言えばダーウインだが、その主張についてコメントしたもので、進化論の実相がよくわかる好著だ。ダーウインはいろいろのことを主張したが、主なものを6つ挙げている。1 生物が進化すること 2 進化のメカニズムとしての自然淘汰説 3 進化のメカニズムとしての用不用説 4 生物は枝分かれ的に進化すること 5 生物はゆっくり進化すること(漸進的進化) 6 進化は進歩ではないこと
 著者によると『種の起源』(1859年)が出版されてしばらくすると、その主張の一部は、広く社会に認められるようになったが、もっとも広く認められたのは1 生物が進化することと 4 枝分かれ的に進化することで、最も認められなかったのは2 自然淘汰説だったという。それでは現代の評価はどうかというと、2の自然淘汰説は最も重要な進化のメカニズムとして現在に至っており、3の用不用説は支持する証拠はなく、5の漸進的進化も必ずしも認められていないとのことである。

 この進化と密接に関係するのが遺伝の話題である。中でも私が目からうろこだったのが「獲得した形質の遺伝は存在する」という項の講義だ。著者が見つけたある国立大学のウエブ上のページの「生物学では長らく、後天的に獲得した形質は遺伝しないと考えられていました」という文章について、これは間違っているという。私自身高校時代にこのように習ったことがあるので、そう信じてきたわけだがどういうことなのか。著者曰く、「後天的に」というのは「受精して受精卵が誕生して」の意である。動物の体を作っている細胞には、体細胞と生殖細胞の二種類がある。体細胞は、例えば指や心臓などを作る細胞で、子孫には受け継がれない。一方の生殖細胞は、精子や卵になる細胞で、子孫に受け継がれる可能性がある。このように細胞が二種類あるために、「後天的に獲得した形質」も二種類あることになる。「後天的に体細胞が獲得した形質」と「後天的に生殖細胞が獲得した形質」の二種類だ。当然のことだが、前者は遺伝しないが、後者は遺伝する。


 進化の材料になる形質はすべて「後天的に生殖細胞が獲得した形質」である。それなのにどうして「生物学では長らく、後天的に獲得した形質は遺伝しないと考えられていました」みたいな勘違いが起こるのか。著者は「獲得形質の遺伝」という用語がわかりにくいからで、正しくは「後天的に獲得した形質が遺伝すること」ではなく、「後天的に体細胞が獲得した形質が遺伝すること」なのだという。地球の生物の進化はすべて「後天的に生殖細胞が獲得した形質が遺伝する」ことによって起きるので、これを否定することは進化そのものを否定することになる。なるほどそういうことだったのか。納得。

 もう一つ私が興味を覚えたのは、第四講義の「遺伝子から見た進化論」の項の話。16世紀のスペイン・ハプスブルク家のカルロス2世は4歳で王位に就いたが、先天的な異常があった。顎が大きすぎてうまく咀嚼できず、いつも涎を垂らしていて、はっきりしゃべることもできなかった。8歳になるまで歩くことができず、正規の教育を受けることも能力的に難しく、常に下痢と嘔吐に苦しめられ、30歳頃にはせでに老人のようだったらしい。しかし最大の問題は子供を作る能力がなかったことだった。この要因はハプスブルク家において繰り返された近親交配であった。ハプスブルク家ではいとこ同士の結婚は普通で、叔父と姪が結婚することさえあった。

 それでは近親交配のどこが問題なのか。著者の説明は以下の通り、有害な遺伝子を持つ個体に、有害な表現型が現れるのは、遺伝子がホモ接合体(aa)のときだけで、ヘテロ接合体(Aa)のときは有害な表現型は現れない。特に有害な遺伝子の割合が少ない時は、有害な遺伝子同士が1つの個体に集まって、ホモ接合体になることは滅多にない。有害な遺伝子の場合はヘテロ接合体の形で存在しているので、表現型に現れないため、自然淘汰によって除かれない。そのためいつまでも存在して潜性(劣性)対立遺伝子の形で存在していることが多い。ハプスブルク家では近親交配が多かったが、近親交配が行われると両親の遺伝子が似ているために、滅多にない有害な遺伝子を父からも母からも受け継ぐ可能性が高くなる。通常、有害な遺伝子は潜性(劣性)なので片方の親から受け継いでも表現型には現れない。しかし、両親から受け継ぐと、生まれた子は有害な遺伝子についてホモ接合体になり、有害な効果が表現型に現れてしまう。カルロス2世はその典型的な例であると。これもなるほどそういうことだったのか。納得。(※今は優性遺伝子 劣性遺伝子という言い方はしないとのことだが、わかりやすいように昔の言い方で補足した。悪しからず)

 普段理系の本を読むことはあまりないが、今回は進化論を中心にいろいろな知見を得ることができた。

イスラエルの自滅 宮田 律 光文社新書

2025-03-08 11:02:10 | Weblog
 副題は「剣によって立つ者、必ず剣によって倒される」で、何とも刺激的な惹句だが、現在のイスラエルの状況を的確に表している。著者はイスラム研究者として夙に有名だが、全編イスラエルの批判で現ネタニヤフ政権を徹底的に批判しており、それが正鵠を得ているだけに大いに読みごたえがあった。最初に著者の結論を言うと、ネタニヤフ首相やイスラエルの極右勢力はパレスチナ問題の「一国家解決」つまりイスラエルによる全面的な支配を目指しているが、他方これは重大なリスクが伴うことに彼らは気づいていないということになる。現状はイスラエルとパレスティナの「二国家解決」が模索されている中での、イスラエル政権の強権的手法を疑問視したものだ。

 先日アメリカのトランプ大統領がガザのパレスチナ人を移住させるという驚くべき発言をしたが、日本の国会の質疑で、この件に関して日本はコメントしないのかと問われた岩屋外相は、これは二国家解決の問題であるから日本がコメントする立場にないと無責任な答弁をしていた。イスラエルの後ろに控えているアメリカを意識すると、反イスラエル的な発言はご法度という感じなのだろう。実際日本は、パレスティナ・イスラエルの二国家解決を支持するとしつつパレスティナ国家を承認していない。アメリカがイスラエル寄りの政策をとるのはイスラエル・ロビー(圧力団体)の影響が大きいからだと言える。彼らは親イスラエルの大統領候補・議員に多額の政治資金を提供しており、反イスラエルの候補者に対しては落選運動を仕掛けるのが普通で、厄介な存在である。著者曰く、アメリカのイスラエル・ロビーは、イスラエルの政権の性格に関わりなく、イスラエルの安全保障政策やイスラエルによる戦争を支えてきたと。

 トランプ大統領について言うと、彼の娘婿のクシュナーはユダヤ人でトランプ大統領との親和性が強い。さらにユダヤ系のカジノ王シェルドン・アデルソンは2016年の大統領選挙活動に9000万ドルを献金し、その見返りとしてアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移動させた。アデルソンは2021年に亡くなったが、夫人のミリアム・アデルソンは少なくとも1億ドルの寄付をトランプ陣営に行い、その見返りとしてイスラエルによるヨルダン川西岸併合を求めている。選挙資金や裁判費用が足りないトランプは、公約の安売りをすることで寄付を募るようになっており、こうした献金はアメリカの民主主義を腐敗させているという批判が強い。今のトランプはまさに大統領令の大安売りで、ディールに勝ったと意気揚々だが、政策が雑であるため後で訂正するということが多い。

 またアメリカによるイスラエルへの経済支援のほとんどはアメリカ製の兵器の購入に用いられている。毎年150億ドル(およそ2兆2000億円)の軍事援助を行っているが、この金はアメリカの軍事産業複合体や親イスラエルロビーに循環し、莫大な利益を上げている。まさに死の商人が暗躍する世界で、戦争で儲けようとする人間がいる限り平和協議は難しい。こんな中でネタニヤフ首相は、国内での停戦を求める圧倒的な声があるにもかかわらずハマスを壊滅すると語り、戦闘を継続する姿勢を崩さない。しかし著者によると、2024年の6月にイスラエル軍のダニエル・ハガリ報道官は、ネタニヤフ政権が目指すハマスの壊滅は達成不能だと発言した。彼は、ハマスとは集団ではなく「思想」で、人々の心に根付いており、その壊滅を訴えることは国民を欺くものだと批判したそうである。実にまっとうな見解と思う。身内からこういう発言が出るようではこの政権もそう長くはないと思うが、アメリカのトランプがどこまでネタニヤフに付き合うのかが今後の焦点となろう。何はともあれ戦闘を一日でも早くやめて、平和共存を模索すべきだ。

 本書はイスラエルを取り巻く中東の状況、日本の立場等々非常に明快に書かれているので大変参考になる。そして何よりも戦争という暴力によって人が死ぬことへの怒りが行間にあふれていて共感を禁じ得なかった。

ロベスピエール 髙山裕二 新潮選書

2025-02-27 10:23:41 | Weblog
 副題は『民主主義を信じた「独裁者』で、帯には「恐怖政治の元凶」という俗説を覆す!とある。かつて『小説フランス革命全12巻』(佐藤賢一 集英社)を読んだとき、次々と政敵を粛清し最後は自らも断頭台に送られたロベスピエールに興味を持った。昨日までの立場が一朝にして逆転する革命運動の恐ろしさを知った。佐藤氏の小説は多くの登場人物を会話によってその人間像を描き出すという稀有なもので、大いに評価に値すると思う。そこでもロベスピエールが逮捕に追い込まれていく様子はリアルに描かれていたが、本書は誰よりも民主主義を信じ、それを実現しようとした姿を描いた伝記である。

 ロベスピエールはフランス北部のアルトワ州の地方都市アラスで弁護士の家庭に生まれた。早くに母を亡くし、その後父が失踪するなど不幸な状況の中で勉学に励んで進学を果たし、1781年23歳の時アラスで弁護士を開業した。フランス革命時はジャコバン派に属して演説能力を高め、リベラルな政治家として活躍した。秩序と道徳を重んじて質素な生活を営んだため市民に人気があり、「清廉潔白な人」と称されたが、政敵からは非妥協的で人間的に温かみに欠けた人物と評され周囲から孤立した。ロベスピエールの政治信条は美徳や誠実さという人間のあるべき原理を新しい社会の原理へと変革すべきだというもので、これはルソーに影響されたものであると著者はいう。

 王妃マリ=アントワネットの伝記を書いたオーストリア出身の作家シュテフアン・ツバイクが「革命に身を捧げた最も高貴な最も精神的な人たち」と呼んだうちの一人であるロベスピエールは「美徳」によって革命を導く「恐怖」の必要を説くようになる。これは過激派や外国と結託する勢力と対峙するために国民公会の公安員会が言い出したものだが、彼はこれに乗っかっていく。「恐怖」について彼はいう、恐怖をもたらさなければならないのは、愛国者や不幸な人々の心の中ではない。略奪品を分け合い、フランス人民の血をすする外国のならず者たちの巣窟の中であると。美徳とともに恐怖が革命政府(革命時の民主政治)には必要だと断じる。曰く、美徳なくして恐怖は有害であり、恐怖なくして美徳は無力である。恐怖は迅速、厳格で、仮借なき正義(の執行)以外の何物でもない。したがって、恐怖は美徳の発露である。それは個別の原理というより、祖国の最も差し迫った必要に適用される民主主義の一般の原理の帰結であると。これが恐怖政治の実態である。一方でロベスピエールに独自なのは政治経済上の支配階級(エスタブリッシュメント)に対する透明性=純潔の厳格な要求であり、それが脅かされていることへの極端な危機意識であったと著者はいう。

 彼は国民公会での演説で、「神が存在しないのであれば、それを発明しなければならない」と言い、政治や社会の腐敗と結びついた偶像崇拝を否定する一方で、キリスト教の信仰も認めるような革命宗教を新たに構想する。これはのちに「最高存在の祭典」として実現する。その祭典の様子は本書208ページに詳しいがここでは割愛する。著者曰く、ロベスピエールのいう「美徳」とは「公共の利益」を優先する崇高な感情であり、「個別の利益」あるいは自己を犠牲にすることを可能にする魂であると。自己を犠牲にして革命運動に邁進し、権力者には透明性(純潔)を求め、革命を支える神の創造など、わが身を犠牲にして民主主義の実現に取り組んだロベスピエールだが、最後は一転して自分が反革命として処刑されてしまった。

 ここから学ぶことは何か。王政から共和制への革命による移行は一時市民の勝利と思われたが、結局それがうまく機能せず、後に皇帝ナポレオンの登場となった。ブルボン王朝の廃止は何だったのかという疑問がのこる。自由・平等・博愛とうフランス革命のスローガンは素晴らしいが、現実はそうなっていないのが苦しいところだ。ロベスピエールの革命にかけた一生を見るとき、体制の変革の困難さを実感せざるをえない。昨今の世界情勢を見るにつけ民主主義の困難さが一層際立ってきた。

 

続・日本軍兵士 吉田 裕 中公新書

2025-02-07 09:16:48 | Weblog
 本書は2018年刊行の『日本軍兵士』(中公新書)の続編で、副題は「帝国陸海軍の現実」。先の大戦では、約230万人の日本軍兵士が死亡したが、その多くは戦闘による死ではなく、その多くは病気や飢餓による死(戦病死)、大量の海歿死(船舶の沈没による死)、特攻死(特別攻撃による死)であったという前著の指摘には多くの反響があった。今から思えば圧倒的に国力の違うアメリカに戦争を仕掛けたことが不思議だが、その当時の日本軍の幹部に蔓延していた精神論によって押し切られた形になったのは返す返すも残念なことである。真珠湾の奇襲攻撃でアメリカの連合艦隊に打撃を与え、その後有利な形で講和条約を結ぶというのが連合艦隊司令長官・山本五十六の考えだったという。彼は半年間くらいならアメリカと戦えると言っていた。しかし国力の差はいかんともしがたく、最後は広島・長崎による原爆投下で、一般市民に多大の犠牲者が出たことは痛恨のきわみである。

 国力の差は兵士の給養の違いに顕著に現れる。1941年から米軍が導入した個人戦闘糧食(Cレーション)は後方から十分な食事を提供できない場合に一人ひとりの兵士に支給される非常食であるが、その中身がすごい。肉と豆の煮込みなどの主食の他、チーズ、クラッカー、デザート、インスタントコーヒー、たばこなどがセットになっていた。個人戦闘糧食としては乾パンくらいしか携行していない日本軍から見ればあまりにも贅沢な糧食だった。このことはアメリカ兵と比較して圧倒的な体格差として現れた。本書では兵士の健康に関してケアーが足りなかった例として、兵士の歯の治療に当たる歯科軍医の育成の軽視、栄養失調や精神的な病に対するケアー、ヘルメット導入の遅れ、防蚊装備(マラリヤ防止)の不備、劣悪な装備と過重負担(革靴を履いたことがない兵士が多かった)、日本海軍の駆逐艦や潜水艦の居住性の悪さ等々、まともに戦えない現実が報告されている。

 いわば兵士の人命軽視が日本軍の底流にあったと言わざるを得ない。例えば零式戦闘機(ゼロ戦)は小回りが利いて空中戦で活躍したが、軽量化のために操縦席周りの鉄板が薄く、敵の機銃の攻撃でパイロットが死ぬ場合が多かった。これに対してライバル機のグラマンヘルキャットは重厚な鉄板で操縦席を囲み、パイロットを守ろうとする設計になっていた。戦闘の中でもいかに生き残るかを考えたアメリカ軍に対していかに死ぬかを指導した日本軍の違いが出ている。「一億玉砕」という言葉はそのメンタリティーの表れといえる。

 本書で興味深い指摘がもう一つあった。それは「犠牲の不平等」という言葉で、下っ端の兵士ほど死亡率が高いのかという問題である。本書では断定はしていないが、高学歴者は低学歴者より死亡率が低いことは否めないと言っている。しかし、日本軍の場合、人命を軽視した突撃第一主義を特質にしているため、第一線で戦う将校の損耗は一層高くなったとの指摘もある。戦争末期になると軍隊生活未経験者が招集され、兵士としてはほとんど「素人」の集団になった。これを指揮する将校はこれら素人の指揮中に命を落とすこともあっただろう。

 この「犠牲の不平等」で思い起こすことがある。戦争末期に海軍兵学校が入学定員を大幅に増やして入学させたということである。これは敗戦後の日本を指導するエリートを少しでも残すための方策と言われている。兵学校に囲って終戦を待つという作戦である。若い頃私が勤めていた学校には海兵上がりの教員が結構いた。海軍の思惑は成功したと言えるかもしれない。学歴は高い方が得をするのかもしれない。