副題は「アメリカの繁栄から取り残された白人たち」だ。ヒルビリーとは「山に住む白人」の意からやがて「田舎者」という蔑称に転じ、発展から置き去りにされたプアホワイトを指す言葉となった。本書では特に、アイルランドのアルスター地方から、おもにアパラチア山脈周辺のケンタッキー州やウエスト・ヴァージニア州に住み着いた「スコッツ=アイリッシュ(アメリカ独自表現)」のことである。したがって宗教はカソリックということになる。このヒルビリーに出自を持つ著者が苦しい少年時代を経てイエール大学ロースクールを卒業して弁護士資格を得てアメリカンドリームをつかむまでの自伝である。
ヴァンス氏は本書を31 歳のとき出版して9年後、弱冠40歳で現トランプ政権で副大統領の地位まで上り詰めた。氏で思い出すのはウクライナのゼレンスキー大統領がホワイトハウスでトランプ大統領と会談した時、言い争いになった時のことだ。その時陪席していたヴァンス氏は、なぜトランプ大統領に感謝の気持ちを表さないのかとゼレンスキー大統領に食ってかかった。これはテレビニュースで大々的に報じられて大きな反響を呼んだ。というのも副大統領は普通おとなしくしているもので、このようなアクションを起こすことはないからだ。私はこの長身でひげづらの精悍な顔立ちの副大統領に興味を持った。一体何者だろうと。その後この本に出会ってその正体がわかった。氏によるとヒルビリーという白人の貧困階層の日常は普通の市民生活とは全然違うようで、他人とのいざこざがあると、話し合いで決着をつける前に直ぐに体が反応するのが常だと書いている。私はその習慣がこの会談の場面で出たのだろうと推察した。
このヒルビリーについては、1960~70年代にテレビで放映されていた「じゃじゃ馬億万長者」という番組を思い出す。アメリカでは「じゃじゃ馬億万長者」の前に「ビバリー・ヒルビリーズ」という句がつけられており、この田舎の農家のクランペット家が、自分の土地から石油が出て大金持ちになり、一家でセレブの住むビバリーヒルズに引っ越しててんやわんやの大騒ぎを巻き起こすというストーリーだった。田舎者が都会に出てカルチャーショックを体験するというもので、私も好きでよく見ていた。このようにヒルビリーは昔から田舎者としてからかいの対象になっていたことがわかる。著者はその出自を公にして刊行したということから、勇気があるといえる。
著者は祖父母の話から父母のこと、妹のこと叔父・叔母のことを赤裸々に描いている。祖母は非常にしっかり者だが祖父ともに非常に暴力的な人間であった。私はこの祖父母の話を読んで、フラナリー・オコナーの小説を読んでいるような気になった。アメリカの貧困層ってこんなんかと。そして母と言えば看護師だが五回結婚してしかも薬物中毒者。著者にしたらしょっちゅう父親が変わるわけで、本当にぐれずに頑張ったものだと思う。ヒルビリーの家庭にはヴァンス家のような状況がよく見られるとのこと、そんなこともあって、著者は教育によって貧困からの離脱を図らなければならないと力説する。そのためには民主党より共和党でなければと言う。とりわけトランプ大統領こそはラストベルトを解消して経済的発展を託せる人物だと力説する。
貧困階層からセレブ階層への移転、そこには映画「プリティウーマン」に見られるような悲劇性もある。イエール大学ロースクールの二年生の時、ある法律事務所の豪華なレストランでのパーティーに招待されたときのこと、テーブルにたくさんのナイフとフオークが並べられてあるのを見て、どういう順番で使うのかを慌ててガールフレンドに電話で聞く場面は少々かわいそうな感じがした。でも著者は恥ずかしがらずに書いている。まさに「じゃじゃ馬億万長者」の世界だ。本書を読んでヒルビリーの生活状況がよくわかったが、一つ面白い話があった。著者が弁護士になってから、貧困に苦しむ子供たちのためにクリスマスプレゼントを贈るように救世軍から頼まれ、そのリストにパジャマというのがあった。著者曰く、「パジャマはプレゼントに向いていない。なぜなら貧しい人達はパジャマを着ない。私たちヒルビリーは、下着のまま寝るか、ジーンズをはいたまま眠る。パジャマというのは、キャビアや全自動製氷機と同じく、エリートのぜいたく品だと私は思っている」と。エリートになっても貧しい少年時代を心に刻んで生きることは重要だ。こういう貧乏人の気持ちがわかる人間が上に立つことはいいことだ。今後の彼の動向から目が離せない。
ヴァンス氏は本書を31 歳のとき出版して9年後、弱冠40歳で現トランプ政権で副大統領の地位まで上り詰めた。氏で思い出すのはウクライナのゼレンスキー大統領がホワイトハウスでトランプ大統領と会談した時、言い争いになった時のことだ。その時陪席していたヴァンス氏は、なぜトランプ大統領に感謝の気持ちを表さないのかとゼレンスキー大統領に食ってかかった。これはテレビニュースで大々的に報じられて大きな反響を呼んだ。というのも副大統領は普通おとなしくしているもので、このようなアクションを起こすことはないからだ。私はこの長身でひげづらの精悍な顔立ちの副大統領に興味を持った。一体何者だろうと。その後この本に出会ってその正体がわかった。氏によるとヒルビリーという白人の貧困階層の日常は普通の市民生活とは全然違うようで、他人とのいざこざがあると、話し合いで決着をつける前に直ぐに体が反応するのが常だと書いている。私はその習慣がこの会談の場面で出たのだろうと推察した。
このヒルビリーについては、1960~70年代にテレビで放映されていた「じゃじゃ馬億万長者」という番組を思い出す。アメリカでは「じゃじゃ馬億万長者」の前に「ビバリー・ヒルビリーズ」という句がつけられており、この田舎の農家のクランペット家が、自分の土地から石油が出て大金持ちになり、一家でセレブの住むビバリーヒルズに引っ越しててんやわんやの大騒ぎを巻き起こすというストーリーだった。田舎者が都会に出てカルチャーショックを体験するというもので、私も好きでよく見ていた。このようにヒルビリーは昔から田舎者としてからかいの対象になっていたことがわかる。著者はその出自を公にして刊行したということから、勇気があるといえる。
著者は祖父母の話から父母のこと、妹のこと叔父・叔母のことを赤裸々に描いている。祖母は非常にしっかり者だが祖父ともに非常に暴力的な人間であった。私はこの祖父母の話を読んで、フラナリー・オコナーの小説を読んでいるような気になった。アメリカの貧困層ってこんなんかと。そして母と言えば看護師だが五回結婚してしかも薬物中毒者。著者にしたらしょっちゅう父親が変わるわけで、本当にぐれずに頑張ったものだと思う。ヒルビリーの家庭にはヴァンス家のような状況がよく見られるとのこと、そんなこともあって、著者は教育によって貧困からの離脱を図らなければならないと力説する。そのためには民主党より共和党でなければと言う。とりわけトランプ大統領こそはラストベルトを解消して経済的発展を託せる人物だと力説する。
貧困階層からセレブ階層への移転、そこには映画「プリティウーマン」に見られるような悲劇性もある。イエール大学ロースクールの二年生の時、ある法律事務所の豪華なレストランでのパーティーに招待されたときのこと、テーブルにたくさんのナイフとフオークが並べられてあるのを見て、どういう順番で使うのかを慌ててガールフレンドに電話で聞く場面は少々かわいそうな感じがした。でも著者は恥ずかしがらずに書いている。まさに「じゃじゃ馬億万長者」の世界だ。本書を読んでヒルビリーの生活状況がよくわかったが、一つ面白い話があった。著者が弁護士になってから、貧困に苦しむ子供たちのためにクリスマスプレゼントを贈るように救世軍から頼まれ、そのリストにパジャマというのがあった。著者曰く、「パジャマはプレゼントに向いていない。なぜなら貧しい人達はパジャマを着ない。私たちヒルビリーは、下着のまま寝るか、ジーンズをはいたまま眠る。パジャマというのは、キャビアや全自動製氷機と同じく、エリートのぜいたく品だと私は思っている」と。エリートになっても貧しい少年時代を心に刻んで生きることは重要だ。こういう貧乏人の気持ちがわかる人間が上に立つことはいいことだ。今後の彼の動向から目が離せない。