読書日記

いろいろな本のレビュー

桐谷さんの株主優待ライフ 桐谷広人 小学館

2013-12-20 14:02:49 | Weblog
 私は株はやらないが、著者の桐谷氏は前から知っている。私は将棋フアンで日曜のNHK将棋トーナメントは欠かさず見ている。昔『将棋世界』や『将棋ジャーナル』という雑誌を購読していた。桐谷氏は晩学の棋士で、プロの四段になったものの結局、順位戦のC級二組のまま棋士を引退した。本書によれば平成19年とある。彼は私より二歳上だが、昔から過去の対戦棋譜(データ)に詳しく、戦型の分析が得意だった。しかしいくら詳しくても勝負に勝つということはまた別の問題だったようで、結局プロとして一流になれなかった。また彼は米長邦雄将棋連盟会長をセクハラで訴えたことでも有名で、自分の恋人を差し出すように言われ、結局大事な彼女を奪われたようだ。ことほど左様に米長の女癖は悪く、誰もがいやな思いをしていたのだが、将棋連盟会長に盾突く勇気あるものはおらず、結局桐谷氏の訴えも功を奏さなかった。でも、この行動は勇気があると当時は思ったものだ。中原元名人も女流棋士の林葉直子との関係が、彼女の告白で白日のもと曝され、週刊誌等をにぎわしたものだ。当の中原名人はメディアのインタビューに顔色一つ変えずに、真面目に答えていたのをテレビで見て、さすが名人になる男は違うと感心したものだった。
 桐谷氏は米長将棋に心酔して師事したらしいが(彼のホントの師匠は升田幸三元名人)彼の純粋なパーソナリティを米長に弄ばれた可能性が強い。恋人を差し出せというのはその結果である。米長は将棋は強いが、性格は今一つで、自慢が多く、上から目線で喋るのが得意であった。(引退した猪瀬東京都知事と似ているところがある。)彼が東京都の教育委員をしている時に、春の園遊会に招待された時、天皇陛下に向かって、全国の小中学校に日の丸を掲揚させるのが私の仕事ですと言って、逆に天皇から、強制しない方がいいのではとたしなめられた。天皇陛下のこのお言葉に左翼知識人が感動したのも、記憶に新しい。米長とはこういう男なのである。最近ガンで亡くなった。
 桐谷氏はその後、恋人に恵まれず今も独身のようだ。その彼が1980年代から株の才能を発揮してその世界では有名になっていたことは、本書を読むまで、知らなかった。バブル崩壊後の危機的な状況を脱して、個人資産も堅調に維持しているようだ。その彼が株の優待券で優雅に暮らす毎日を紹介したのが、本書である。最近はテレビなどでも引っ張りだこのようだ。写真を見ると非常に元気で、生き生きしている。消息不明の同級生に久しぶりに会ったような感じだ。
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日本人のための世界史入門 小谷野敦 新潮新書

2013-12-11 13:37:44 | Weblog
 本書は世界史が苦手な日本人のためのものであるらしい。日本人は世界史が苦手とは、何を根拠に言っているのかよくわからないが、歴史好きの著者が、「皇帝とは何か」「ルネサンスとは何か」「暗黒の中世」等、大きなくくりで蘊蓄を傾けるという趣向だ。著者は英文科の出身だけあって、キリスト教文化に対する知識が豊富で、読んでいて面白い。歴史的事実を下世話なたとえ話で紡いでいく。
 一に曰く、ローマ帝国は東西に分裂し、西ローマ帝国がほどなく滅びたのに対し、東ローマ帝国はビザンツ帝国とされて、十五世紀まで存続した。そのため、ビザンツ帝国はローマ帝国の正統な後継者を称した。これは、お茶の水女子大が大塚にあってお茶の水にないようなものだと。これは結構笑わせる。
 二に曰く、古代ギリシャでは、少年愛が盛んで、「プラトニックラブ」というのは、もともと少年愛のことで、ルネサンス期にプラトンを紹介したマルチリオ・フィチーノなどが、これを男女間の恋愛に当てはめたために、おかしなことになったのであると。明快だ。
 三に曰く、西洋では神学が第一で、哲学は神学の婢と言われた。他に医学、法学、修辞学が学ばれ、リベラル・アーツと呼ばれたが、これは「自由」といっても、奴隷が自由人になるための技術という意味で、日本の大学で教養部をリベラル・アーツと言っているのは、原義と異なる。うん、すごい。
 四に曰く、十七世紀後半に、クエーカー教という一派が迫害を受けてアメリカに渡っているが,指導者はウィリアム・ペンで、ラテン語で森を意味するシルウアニアにペンをつけてペンシルヴァニアとし、ギリシャ語で友愛を意味するフイラデルフイアを首都の名としている。ハーヴァード大学はボストン近郊のケンブリッジという小さな町にあるが、これはイングランドのケンブリッジをそのままとっている。コーネル大学はイタカという小さな町にあるが、これはギリシャのオデユッセウスの故郷からとったと。さすが、英文科。以上私の目にとまったものだけ列挙したが、内輪の自慢話を聞くようで、面白い。
 これに似たようなものが、井沢元彦の『逆説の日本史』である。近刊の「20 西郷隆盛と薩英戦争の謎」は図解入りの力作で、幕末の諸相がわかりやすく整理されている。随所に小谷野氏の本のような注釈が入るのが面白い。島津久光ボンクラ説。尊王攘夷に固執した長州問題外説。いろいろ楽しませてくれる。彼の筆致では、日本は開国してなんぼで、現下のTPPはもちろん大賛成という新自由主義者のように感じられる。いっそのこと明治時代を飛び越えて『平成現代史』を執筆してもらえば、面白い話が聞けるのではないだろうか。
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フィリピンBC級戦犯裁判  永井 均 講談社選書メチエ

2013-12-01 13:03:01 | Weblog
 1945年2月3日に始まったマニラ市街戦は、日本軍が米軍に掃討される3月3日に終了したが、その間、米軍の戦死者は1010人、日本軍はほぼ全滅で、16665人。マニラ市民の死者は10万人にも及んだ。首都の破壊と市民の殺戮という深刻な体験が、フィリピン人の対日観に大きな影響を与え、それがマニラ戦でのBC級戦犯の裁判での厳しさに繋がってゆく。マニラ戦での詳細は本書を読んで初めて知ったが、改めて戦争という暴力の実相を知り、胸が張り裂けそうになった。
 著者は関係国の第一次資料を駆使して、この重いテーマに真摯に取り組んでいる。誠に好感のもてる書物である。因みに第25回アジア・太平洋賞・特別賞を受賞した。終戦後の米軍の犯罪捜査、フィリピン軍による戦犯裁判、受刑者の服役から、キリノ大統領の恩赦、受刑者の日本帰国まで、息をもつかせぬ展開で、ドクメンタリー映画を見ているような錯覚にとらわれた。戦犯裁判にありがちな人違いによる、無実の罪で絞首刑になった日本軍兵士の様子も描かれているが、改めて戦争の責任とは何かという問題に行きあたる。しかし当時のマニラにおける市民感情は日本軍憎しの一点にしぼられており、それを緩和させる人身御供的なものも必要だったのだろう。悲しいことだ。その中にあってキリノ大統領はキリスト教精神によって、戦犯に恩赦を与え帰国させた英断は奇跡に等しい。なぜなら彼自身、日本兵に妻子を殺されているからだ。素朴な家族感情からすると、死刑をもって報復しても足りないぐらいであったろう。しかし彼はそうはしなかった。
 1951年12月1日、キリスト教会評議会がマカラニアン宮殿において開催されたが、大統領は日本の参加(後藤光三牧師が派遣された)を心から歓迎する意を伝えた。大統領の挨拶は必然日本人向けのメッセージとなった。大統領曰く「もし私がフィリピン解放直後に日本人を見かけたなら、恐らくその人を生きたまま呑み込んでいたでしょう」と。妻子を奪われたことで、復讐心に燃えていたことを素直に告白し、それを改めると言って次のように言った、「しかし、より深く考え、そして我々が置かれている状況や日本と隣接している事実、また隣国として当然あるべき関係性などを考慮した時、私はより長い目で見るようになりました。それは、単に私の家族の将来だけでなく、母国の将来を考えてのことです。というのも、私たちはフィリピンを太平洋から大西洋その他の場所に移すことはできませんし、同様に日本をほかの場所に移すことはできないのであって、私たちは隣国であるほかないのです」と。恩赦は大統領にのみ与えられた権限であるが、それを当時のフィリピン国民の憎悪と不信の感情の中で決断したことの意味を我々日本人は再考すべきである。人間の崇高さが表明されたメッセージではないか。
 
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