読書日記

いろいろな本のレビュー

ルポ トランプ王国2 金成隆一 岩波新書

2019-12-24 08:24:27 | Weblog
 タイトルの横に「ラストベルト再訪」とある。トランプが大統領になってから3年、その後の「ラストベルト」はどうなったかというルポである。そのトランプは今、下院から弾劾訴追を受けて、苦境にある。上院では否決される可能性が大だが、歴代3人目の不名誉な事態となった。来年の大統領選に勝てるのかどうか、世界が注目している。ビジネスマンが大統領になって、「アメリカフアースト」を標榜し、自国中心主義を前面に押し出した結果、世界の秩序は乱れつつある。これ以上、この人物に政治を任せてもいいのかという疑念が自国のみならず、世界各地に起こりつつある。

 そもそも、アメリカのような民主主義国家でこのような独裁的な人間性に疑問を抱かせるような指導者が生まれること自体、今の民主主義の限界が露呈していると言える。選挙を実施してこれだから、選挙なしの独裁国家の指導者と余り変わらないというのは、皮肉な話である。民主主主義(デモクラシー)はもともと、つまらない人間の意見を聞くという政治形態だが、民度の高低にによって大きく左右される。ここで大きな力を発揮するのがポピュリズムである。市民にとって心地良い政策をがんがんアピールして票につなげようという手法である。これにはメディアの力が大きく関わってくる。トランプは不況に苦しむ地方在住の非高学歴白人労働者の支持を得て当選した。これには都市生活者の民主党支持者たちも驚いた。「なんでこんな人物が」と。しかしこのルポを読むと、田舎の人間にとって、都市のインテリはある種憎しみの対象であることが分かる。この格差の問題が大きいとジャーナリスト、バーバラ・エーレンライクが指摘している。
 
 民主党の課題はという著者の質問に、「階級の違いや、広がった経済格差に対処できていないことです。(勝ち組である)株式への投資で儲けている人やハリウッドの側にいつまでもいる。彼らは、そんな人が大好きで、より支援を必要としている労働者階級や貧困層のことを考えていない。ヒラリーは多額の現金をウオール街から集めていた。これらの献金者が、最低賃金を時給15ドルに引き上げる大統領を支持するわけがありません。民主党は、階級の問題について妥協し過ぎたのです。民主党にあるエリート意識が、縮図となって現われていたのです」と答えている。
 首肯すべき意見である。この格差問題は今や世界的な課題になっている。わが国でも、「上級国民」という言葉が出てきているくらいだから他は推して知るべしだろう。

 「ラストベルトベルト」を再訪してどうだったかと言えば、それほど劇的な景気回復は実現しておらず、がっかりしたという人がいる一方で、トランプのお陰で楽になったと喜ぶ人もいる。とにかく、民主党では見向きもされなかったこれらの地方の白人労働者の生活に目を向けてくれただけでも有難かったというのが実感であろう。我々外国人もこのようなルポがなければアメリカの庶民の実相を知ることができなかったであろう。その点で貴重なルポである。第五章の「帰還兵とアメリカ」第六章の「バイブルベルトを行く」もアメリカの現状を知る上でためになった。

 南部のバイブルベルトというのは、エバンジェリカル(福音派)のキリスト教徒が多いところで、彼らは聖書を字義どおりに解釈するのが特徴だ。ここでは、ラストベルトの雇用問題とは違って、キリスト教の価値観や習慣が弱まったことへの不満が大きい。例えば、同性婚、妊娠中絶への批判等々。宗教国家アメリカを彷彿させる所である。彼らによれば福祉政策は宗教が担うべき領域で政府の仕事ではない。まずは自助努力が大切であるということらしい。自助努力、自己責任の世界だ。共産主義がこの地に根付かない理由はここにあるのかと思ったりする。彼らにとってトランプは大切な理念(生活、家族や信教の自由の擁護等)のために貢献してくれる大統領と評価されていたのである。

 ところが12月になって、福音派の雑誌『クリスチャニティ・トウデイ』(発行部数13万部 毎月のウエッブサイト閲覧数430万人)で、社長のティモシイー・ダルリンプル氏が大統領の罷免を要求したのだ。それは大統領の権力の乱用を指摘し、信者に対して大統領に対する忠誠心についてよく考えるよう促したものだ。すなわちトランプを評価する一方、福音主義者がトランプを受け入れることは「過激なまでの不道徳、強欲、汚職、軋轢を生む言動、人種攻撃、移民や難民に対する残酷さや敵意」に縛りつけられることを意味するという内容である。この宗教側のコメントはもっと早くに出されるべきものだったと思うが、満を持してということだったと善意に解釈しておこう。トランプがこれで反省すればよいが、もし今のままだとバイブルベルトから見捨てられかねない。そうなると来年の大統領選は混戦になるだろう。

 

 

円谷幸吉 命の手紙 松下茂典 文藝春秋

2019-12-15 09:18:17 | Weblog
 円谷幸吉は東京オリンピック(昭和39年)のマラソン銅メダリスト。メキシコオリンピック(昭和43年)が開催される年に、27歳という若さで自殺した。両刃の剃刀を使って右頸動脈を切断するという無残な最期を遂げた。そのいきさつを親族から提供された200通に及ぶ円谷の手紙を元に記述したものである。円谷は筆まめで沢山の手紙を友人知己に出していた。
 著者によると、彼は自殺に当たって遺書を二通残しており、一通は両親と親族に宛てたもの(二枚)。もう一通は自衛隊体育学校の幹部に書いたもの(一枚)。どれも、コクヨの便箋に万年筆で書かれていた。親族宛てのものは伝説の遺書と言われるくらい有名になった。
 曰く、「父上様 母上様 三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、もちも美味しゅうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。勝美兄姉上様、ブドウ酒、リンゴ美味しゅうございました。(中略)父上様 母上様 幸吉は、もうすっかり疲れきってしまって走れません。何卒 お許しください。気が休まる事無く、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」と。
 自殺したのは昭和39年1月9日で、遺書は正月を故郷の福島県須賀川町で祝った時のことを書いている。古風と言えば余りに古風で、風変わりと言えば余りに風変わりな遺書である。しかしこれが発表されるや否や大きな反響が湧きおこった。作家の川端康成は、「古里で肉親たちからもてなされた古里の食べものを、その肉親の名を呼んで『おいしゅうございました。』と、ただそれだけを別れの言葉に遺した。千萬言もつくせぬ哀切である」と激賞した。また三島由紀夫は産経新聞の夕刊に「円谷二尉の自刃―孤高にして雄雄しい自尊心」という題で、自衛隊幹部に宛てた遺書の末尾の言葉「メキシコ・オリンピックの御成功を祈り上げます」について、「これは実に純粋な遺書だが、大義が欠けている。並みの人間には、オリンピックを悠久の大義と考えることはできない。(中略)しかしオリンピックを大義と錯覚する心は、少なくともその激しい練習と、衰えゆく肉体に対する厳しい挑戦のうちに、正に、大義に近づいていたのだと考える方が親切である」と言っている。この二年後に三島は市ヶ谷の自衛隊本部に乱入して自決するのだが、当時の心情が推し量れて興味深い。
 この実直で古風な青年がどうして自殺したのか。その動機として著者が挙げるのは、椎間板ヘルニアとアキレス腱の手術による体力限界説。メキシコ五輪に出場して銀メダル以上を取らねばというプレッシャー説。初恋の人との結婚をまじかに控えながら、婚約を一方的に解消された破談ショック説等々。これらを円谷の手紙を元に関係者のインタビューを重ねて真相に肉薄しようとしている。そして今まで公にされなかった事実が判明する。あの遺書とはまた違った円谷の側面が面白い。
 来年はまた東京でオリンピックが開催されるが、だれがマラソンに出場するのか、わからない。前の東京大会はアベベ選手が独走して優勝。計り知れない強さを見せた。円谷は二位で国立競技場に入ってきて、観衆は歓喜の声を上げたが、ゴール前でイギリスのヒートリー選手に抜かれてしまった。歓喜が落胆の声に変わった。私は当時中学一年生で、テレビにくぎ付けだったが、その時の円谷選手の苦痛にゆがむ表情は今でも忘れない。彼は競技場に入ってからも後ろを振り返ってライバルの状況を見もしないで、ただ前だけを見つめて走っていた。作戦としては非常に稚拙だが、これは父親の教えだったらしい。父の教えを守り、愚直に走る様は円谷選手の人生を象徴しているような気がする。『長距離ランナーの孤独』という言葉がぴったりの人物だった。