読書日記

いろいろな本のレビュー

おいしいごはんが食べられますように 高瀬隼子 講談社

2022-08-26 08:57:36 | Weblog
 第167回芥川賞受賞作品。今回の芥川賞は五人の候補者全員が女性だったよし、新聞報道で知った。先にこの欄で、高瀬氏が受賞するのではないかと予想したが、その通りになった。他の候補者の作品を読んだうえでの予想ではなく、彼女の筆力を評価したうえでのことだった。今回の話題は会社における社員同士の関係性にスポットを当てたもので、結構面白く読めた。社員の日々の食生活の諸相がちりばめられていることが、表題からわかる仕組みになっている。物語は三人の社員、二谷(男)、芦川(女)、押尾(女)の三角関係をベースに進んでいく。三角関係とはいってもドロドロしたものではないので、作者はこれに拘泥していないことがわかる。主人公は押尾だが、場面によって主語が二谷になったり、芦川になったりする。技巧としてうまく使っている。

 芦川は体調の関係で退社時間を早くしてもらっているが、同僚の押尾はそれが気に入らない。なんであの子だけがという思いがある。芦川は同僚の不満を抑えるために毎日、手作りのお菓子を持ってきて社員にふるまうということをやっている。そのお菓子をおいしいおいしいと喜ぶ社員(特にパートの主婦)がいるので、押尾は気に入らない。また芦川は同僚の二谷の家に時々泊まりに行って関係を続けている。押尾も二谷と関係を持っているのだが、彼をめぐっては芦川に先を越されている。その鬱屈した気分が悪意となって芦川に投げかけられる。女の戦いだ。結局主人公押尾は退社するのだが、二谷と芦川についてはここでは書かない(読んでからのお楽しみ)。

 おいしいお菓子を作って持参しふるまうことで、日ごろの働きの悪さを帳消しにするという女性のイメージ(美女タイプが多い)は既視感がある。こういうことって結構組織にはつきものなんじゃないか。大企業はどうかわからないが、中小企業の場合は部署の人間の数か比較的少ないので、こういう女性に支配されることが多い気がする。特にパートの主婦を取り込むと非常に有利になる。彼女たちは放送局とも呼ばれ、あることないこと他人に告げ口するので、ある種脅威的存在である。本書にも原田さんというパートの主婦が登場する。彼女はしょっちゅう芦川をほめる、曰く「気が利くし、私らパートにも優しいし、お菓子作りが趣味だし、かわいいしねえ、いい子よねえ。うちの息子のお嫁さんになってほしいくらい」。こういう人を味方につけたら勝負ありだ。

 芦川は自分のやっていることにいささかの逡巡も見せないところが逆に押尾の神経をいら立たせる。非常に難敵であるといえるだろう。結局押尾は退社して敗北する結果になったが、芦川がこの後会社でうまくやっていけるかどうかはわからないという余韻を残して終わる。仕事量の不平等をどう解消するか、今は性差によって差別をしてはいけないということになっているが、実際はスローガン通りにはいかないのが現実だ。そんな中で、かわいくて、お菓子作りが上手くて気が利くという、パートの原田さんが褒める芦川という造形は、この性差解消すべしという時代性に対する強烈なアンチテーゼと私は読んだ。その辺のシニシズムが文学的だと評価されたのだろうか。次作が楽しみだ。

 

日本共産党 中北浩爾 中公新書

2022-08-05 09:02:58 | Weblog
 新書ながら440ページのボリューム。読了までかなりの時間を要した力作だ。日本共産党は1922年7月15日の成立だから今年で創立100年を迎える。中国共産党は1921年7月23日の成立だから、両党ともほぼ同じ歴史を持つ。中国共産党は、ロシアと同じく、帝政を打倒して成立したので、一旦政権を握れば執政党として自由に政治が行える。共産党の理念は市民、平等に豊かな生活を保障することだが、これができずにソ連は崩壊、今や共産党政権をいただく国は少数派になっている。中国は共産党の指導の下、貧困国家を抜け出して今や世界第二位のGDPを誇る国になったが、14億のうち9億の農民はいまだ貧しいままだ。指導部は習近平のもと帝国主義的な覇権政治を恥ずかしげもなく推し進めて、今や世界の脅威となっている。習近平が10月の共産党大会で再び主席に選ばれるのかどうかが、注目の的である。選ばれたらさらに脅威は増すだろう。


 方や日本共産党だが、これは中国と違って一応議会があって国会議員を選挙で選ぶ(すべての人に選挙権が与えられていたわけではないが)という中で成立したので、資本主義体制下での共産党ということで、ソ連や中国とは自ずと戦略が異なる。本書によると、その戦略は、社会主義革命を直ちに目指すのではなく、民族主義革命を経て社会主義革命を実現するという二段階革命論を採用しているという。この理由として、「社会主義革命を遂行すべき労働者階級をを中核とすろ広汎な勤労大衆は、必然に民族独立闘争をも担当する」という主張をあげている。この背景には日本が先進資本主義国でありながら、アメリカに従属しているという共産党の見解がある。従って日米安保条約の解消が課題になるが、昨今の国際状況の中で、この課題が実現するにはいくつものハードルがある。さらに共産党が主張する憲法9条の堅持も同様で、国民の大部分は「それで大丈夫なの」という素朴な不安を抱いているがゆえに、大きな政治的潮流にはなりえないだろう。言ってみれば、共産党という看板ゆえに難題が立ちはだかるわけで、看板を変えてみれば、という悪魔のささやきが聞こえるが、これに耳を傾ける気はないようだ。自衛隊、天皇制、政権奪取の問題等々、課題は多い。国民もこういう状況をなんとなく不安に思って、共産党に投票しないのだろう。特に若い人は。


 この日本共産党の歴史を編年体の手法で描いたのが本書である。膨大な資料を渉猟し一編の新書にまとめるのは至難の業であるが、著者はこれに成功している。歴代の執行部の面々のエピソードはリアルで読みごたえがある。本書を読んで初めて知ったのだが、元書記長の宮本顕治が、1933年に検挙され投獄された間も、官憲の拷問に屈せず完全黙秘を貫いたという。彼は未決のまま市ヶ谷刑務所から巣鴨刑務所に移され、1945年5月4日に無期懲役が確定すると網走刑務所へと移送された。その間非転向を貫いたのだが、著者によるとこのような例は極めて稀だという。宮本は、腸結核で倒れた際、遺書のつもりで調書をとってはどうかと検事に強く勧められても、「そのまま死んでも、本来の革命運動の歴史は、原則的な態度を貫くことが最大の闘争であるとする私の態度を理解するだろう」と考え拒否したという。この原則主義的な鉄の意志が戦後、カリスマの源泉になったということだ。さらに宮本は、東大在学中に芥川龍之介に関する文芸評論「【敗北】の文学」が雑誌【改造】の懸賞論文に小林秀雄を抑えて一等で入賞した。いわば一級のインテリであったということも紹介されている。「【敗北】の文学」は私も持っているが、小林秀雄を抑えて入賞とは知らなかった。最近の政治家には残念ながら、このような人はいない。学生であの小林秀雄の上を行くなんて、本当にスゴイ。

 この宮本顕治に登用されたのが、上田耕一郎と不破哲三(上田健二郎)兄弟である。そして不破哲三に登用されたのが、志位和夫である。みんな東大出身である。いわばエリート官僚出身者が政治家になったというか、共産党が官僚主義的なのか、その辺の評価は難しいが、共産党を語るうえで、何かの示唆を与えうると考える。共産党はどこへ行く?