読書日記

いろいろな本のレビュー

トロツキー 上下 ロバート・サーヴィス 白水社

2013-08-25 16:25:56 | Weblog
 ロシア革命のレーニンと並ぶ黒幕、トロツキーの伝記である。前著『スターリン』は結構面白く読めたが、今回はそれほどでもなかった。これは、スターリンが歴史に名を残す独裁者で、彼の犯した犯罪的行為の淵源はどこにあるのかという興味が読み手の方にあるからであろう。その点トロツキーは知名度が低い。世界同時革命論を唱えたとか、スターリンの政敵として、最後は亡命先のメキシコでスターリンの命を受けた秘密警察の刺客に脳天をアイスピックで割られて死んだことぐらいしか思い浮かばない。因みにこの暗殺事件をテーマにした、アランドロン主演の「暗殺者のメロディー」という映画があった。ドロンは刺客を演じていた。トロツキーは暗殺の危険性を知っていたにもかかわらず、ガードが甘かったと本書では指摘している。下巻の始めに暗殺直後のトロツキーの写真が載っているが、頭に包帯を巻かれている。安らかな顔だ。この写真だけでも値打ちがあると言える。
 トロツキーはウクライナ南部の富農の家に生まれたユダヤ人である。彼がユダヤ人であることは今回初めて知った。高等教育を受ける中でマルクスの著書に触れて革命家となっていくのだが、彼の性格分析が面白い。曰く、「狭量さ、短気、嘲笑、果てはがさつさや人を傷つけたがるところまで、すべてを落ち込ませて何もかもダメにしてしまう。なぜ同志たちとの関係がしばしば破綻するか、トロツキーはいい加減に『組織が生きた人間で成り立っている』ことを受け入れる必要があった」と。
 彼はお洒落で弁舌のさわやかで、トレードマークのメガネとともにインテリジェンスを感じさせる風貌(太めのマーラーという感じ)が民衆にアピールした。そこはスターリンのむさくるしい感じと一線を画している。もしトロツキーとスターリンが入れ替わっていたらどうなっていたか。スターリンよりましな歴史になっていたかどうか。これはわからない。人に対する狭量さが裏目にでる可能性も否定できない。著者も二人は似通った人物像を持っていたと言っている。
 政敵に追われての亡命生活は同情に値するが、逆に言えば追われるべき人間だったということだろう。革命による権力は長く保持すればするほど腐敗するもので、適当な時期に政治体制を改める必要がある。中国共産党を見ればよくわかる。制度疲労を起こしている。

永続敗戦論 白井聡 太田出版

2013-08-05 10:30:00 | Weblog
 日本の戦後はまだ終わっていない。アメリカの呪縛にって左派も右派も雁字搦めにされており、新しい思考の枠組みが求められるという内容。するとこれは安倍政権の「戦後レジジームからの脱却」といことと同じテーマになってしまうが、中身はもう少し多岐に渡っている。このテーマでは『戦後史の正体』(孫崎享 創元社 2012)が、アメリカの属国日本をリアルに書いて評判になった。アメリカの呪縛から逃れるための第一は憲法改正だが、自由民主党は今回の参議院圧勝で第一歩を踏み出そうとしている。それは集団的自衛権を認めることであるが、いずれは憲法9条まで行こうとしている。左派も戦後平和憲法死守という単一スローガンでやってきたが、それも言ってみれば日米安保条約によりかかった上での運動で、両派ともに思考停止のままなのである。保守派は憲法改正をいうが、一方で日米同盟の強化を主張している。これは矛盾を孕んだ言い回しである。憲法改正するならアメリカからの自立が筋である。この点を明らかにしないと、いつまで経っても独立国にならない。
 それが如実に表れたのがTPP参加の問題である。日本はこれに遅れて参加したが、アメリカの餌食になりかねないリスクを背負っている。『反・自由貿易論』(中野剛志 新潮選書)はこのTPPの危険性を改めて論じている。著者によれば、アメリカは自由貿易の国だというのは嘘で、保護貿易そのものだという、そのアメリカがTPPで参加国をカモにしようと虎視眈々と狙っている。アメリカ政府の後ろには業界団体がひしめいているのだ。彼らは巨額の資金をもとにロビー活動を展開し、大統領選でも寄付金を上納している。これに日本政府は勝てるのか、はなはだ疑問だ。これに参加しなければ、日本は取り残されるという言説は間違いで、韓国がFTAでどれだけアメリカにやられたか見てみるがよいと著者はいう。同感である。このアメリカの業界団体と政府の癒着を取り上げているのが、『(株)貧困大国アメリカ』(堤未果 岩波新書)である。中でも遺伝子交換食物のモンサント社のやり口は食のグローバル化の危険性を改めて浮き彫りにしている。金儲けに特化して、企業活動を展開する、これがグローバル化の実態なのだが、アメリカから規制緩和を押しつけられた橋本元首相に始まって、ブッシュのポチと言われた小泉元首相など、孫崎氏がいうアメリカに追随する首相の任期は概して長いが、反旗を翻した首相は短命に終わっているというのもうなずける話である。その小泉首相のもとで規制緩和と不良債権処理に奮闘したのが、竹中平蔵である。『市場と権力』(佐々木実 講談社)は彼の伝記だが、あれよあれよと言う間に権力中枢に潜り込み、アメリカ流の自己責任主義を蔓延させ、自身は膨大な資産をなした、その手口はなかなかのものだ。一見善人風の顔立ちだが、こういう人間こそ怖い。これを読むと、経済学と言うのはご都合主義で、権力者によっていかようにも代わり得る面妖な側面を持っていることがわかる。
 この竹中氏、安部政権でも有識者会議のメンバーに選ばれて、正規雇用が国力を衰退させると論じているらしい。その本人はパソナという人材派遣会社の役員をしているというのだからあきれる。公正・正義というのはこの御仁には無縁のようだ。「瓜田に沓を入れず、李下に冠を正さず」という格言を贈ろう。

秀吉の出自と出世伝説 渡邉大門 洋泉社新書

2013-08-05 09:30:21 | Weblog
 秀吉は卑賤の身から一躍天下統一した人物として名高い。最近その出自を問題にした本が目につく。目につくといっても私が見たのは、服部英雄氏の『河原ノ者・・秀吉』(山川出版2012)と本書くらいだが、なぜ今、秀吉の出自なのか。服部氏のは大部の著書で、古代・中世以来の被差別者の諸相を東大寺文書などで具体的に説明して、東大寺が被差別者やライ患者のための湯あみ所を設けていた書いている。その流れの中で秀吉の出自に触れて、彼がサルと呼ばれたのは若いころ旅芸人の仲間に入っており、さるまねをしていたからだと言っている。その秀吉が天下人となったのだから、庶民は彼のサクセスストーリーをわがことのように喜んだことが想像できる。ところが晩年の残虐な所行は庶民の心胆を沙無からしめるものがあった。挙句の果ての朝鮮出兵は、このぼけ老人の壮大な妄想の果ての愚行として歴史に汚点を残してしまった。秀吉の屋敷の塀に「おごれる者久しからず」という落書きがなされたという。こうなれば庶民の英雄も、敵になってしまう。民意とはかくも移ろいやすいのである。
 渡邉氏は服部氏の秀吉貧民説を批判しながら、彼の人間像に迫っている。出自の低さによる卑屈さと、異様な容姿とその性格、明らかに善人ではない。特に甥の関白秀次と彼の妻子に対する残虐な処刑は明らかに異常だと言える。また播磨責めで、城を水責めにして敵を根絶やしにする方法は、主君の信長の残虐性に通じるものがある。
 読んでいて、このような人生もあるのかとある種胸を打たれるものがある。そのエネルギーは出自という本人の責任ではないもので苦しめられたことによって増幅し、いつか天下を取ってやるという猛烈な上昇思考となって、出世が大きな目標となったのである。
 著者は「秀吉の身につけた処世術は、それなりの出自を持つ諸大名にはないものであった。宣教師のフロイスは秀吉を『気品に欠け』『抜け目なく狡猾で』と表現するが、現代にも少なからずこうした人物がいるはずである。それは、秀吉が幼い頃の貧しさから抜け出すために、自然に身につけた能力と言えよう」と言っているが、これを読んで腑に落ちた。
 今なぜ秀吉か。これは今太閤と呼ばれる人物が現に存在して、世間の話題となって、その毀誉褒貶にマスコミ等が血眼になっている現実の象徴なのだ。そうでなければ、この手の本が出版される意味はない。その今太閤と思しき人物とは?